ダンジョンに強すぎる冒険者がいるのは間違っているだろうか 作:マイペースライター
ここからエルきゅんの中層攻略が進んでいきます、それではどうぞ〜
十三階層をさらに進むと、ふいに鼻を刺す焦げ臭い匂いが漂った。
洞窟の奥から、低く唸る声が響く。
『グルルル…』
「……来たな」
椿が目を細める。
暗がりから姿を現したのは、漆黒の獣。
赤く光る双眸、牙の隙間から漏れる火花。
「椿さん、あのモンスターって……」
「あれはヘルハウンドだ」
椿の声は普段よりも鋭い。
「群れで現れる上に火を吐いてくる。中層に到達した冒険者が最も命を落とす相手のひとつだ。レベル2になりたてで中層へ入った者たちは、まずここで淘汰される」
「なるほど……十分注意します!」
「ああ!まあお主なら大丈夫だろうがな!」
「え、えっと…はい!頑張ります!」
そう言って、エルは月虹霧雨を握り直し、構えを取る。
次の瞬間、前方のヘルハウンドが大口を開けた。
――轟
と炎の奔流が吐き出される。
真紅の炎が通路を飲み込み、石壁を焦がした。
「くっ!」
身を翻し、ぎりぎりで避けるエル。髪先が熱に焼かれ、焦げた匂いが鼻腔を突く。
(速い……!)
間髪入れず、横から別の影が飛びかかる。
牙が閃き、エルの喉笛を狙った――が、月虹霧雨が横薙ぎに走り、その顎を断ち切った。
「一匹ずつ……確実に!」
自らに言い聞かせ、エルはひたすら正確に刃を振るう。突進してくる獣の足を斬り裂き、火を吐こうと口を開けた個体の喉を貫き、地面に倒れた魔石を蹴り飛ばして次の敵へと踏み込む。
一体、また一体と倒していく。
だが――
「……おかしい、モンスターの数が…減らない」
数を減らしているはずなのに、群れが薄まらない。むしろ奥から新たな影が続々と現れ、洞窟を埋め尽くす。
「まだ来るのか!?」
エルの額に汗が滲む。呼吸が荒くなり、剣を振るうたびに腕が重く感じ始める。
(多すぎる……! これじゃ、きりがない!)
その時、後方から聞き覚えのある足音――そして獣の影。アルミラージの群れだ。いつの間にか、先ほど討伐したはずの場所から再度新しい個体が生み出され合流してきたらしい。
「なっ……!」
角と斧を振り回し突っ込んでくるアルミラージと、炎を吐き散らすヘルハウンド。
二つの群れが一斉に牙を剥いた。
火炎、斧、牙――四方八方から殺意が押し寄せる。
傷ひとつつかぬまま、エルは立ち続ける。
だが――
「はぁ……はぁ……っ!」
全身に重圧がのしかかる。魔法の鎧は彼を守っている。だが、群れの数があまりにも多すぎて、手が足りない。
月虹霧雨を振るい続ける腕が痺れ、膝が震える。脳裏をよぎるのは、これまでの余裕に満ちた戦闘。それがいかに浅はかな幻想だったか。
(中層って……こんなに恐ろしい場所だったのか……!)
炎と血の渦の中で、エルの心に冷たい現実が突きつけられる。
⸻
しばらく必死に刀を振るい続けていたエルだが、状況は一向に改善しなかった。ヘルハウンドは次々と影のように姿を現し、吐き出す炎は視界を揺らし、アルミラージの斧が火花を散らして襲いかかってくる。
魔法の鎧《アルマトゥーラ》に守られているとはいえ、打ち込まれる攻撃の数は尋常ではなく、このままではいずれ鎧も砕かれるだろう。背筋に冷たい汗が伝った。
(くっ……このままじゃ……!)
焦燥に駆られ、エルは背後に控える椿へ叫んだ。
「つ、椿さん!」
「どうした、エル?」
低い声が返ってくるが、その響きは余裕に満ちている。
「このモンスターの数、僕だけじゃ対処しきれません!すみませんが手を貸してもらえませんか!」
必死の訴え。しかしその返答は、予想外のものだった。
「ん……?手を貸す? どういうことだ?」
「え……?」
一瞬、耳を疑った。椿の声音は真剣そのものだ。
「い、いや! モンスターの数が多くて、攻撃はなんとか凌げているんですが、殲滅が難しいです!」
言葉が早口になる。だが返ってきたのは、さらに理解不能な反応だった。
「……お主はさっきから何を言っておるのだ?」
「へ……?」
椿は怪訝な表情を浮かべると、信じられないことを口にした。
「確かに通常よりモンスターの数が多い気もするが…それを知っていて武器の試し斬りをしておるのではなかったのか?」
「え、えっと……え?」
「お主、刀1本でしか戦っておらぬではないか。あの虹を纏うスキルも使っておらんし。魔法の鎧とやらを使って攻撃だけは受けないようにしていると思っておったが。違うのか?」
その言葉が胸に突き刺さった。エルはようやく気づいたのだ。
――自分が大事なことを忘れ、ただ刀を振るうだけで必死になり、本来持っている力を発揮せず苦戦していたことに。
「……あ……」
足が止まった。迫り来るモンスターも忘れ、ただ呆然と立ち尽くす。
椿の声が遠くに聞こえた。
「エル? おい、エル! 聞こえておるか!」
返事はなかった。だが次の瞬間。
エルの全身から、まばゆい虹の光が迸った。
「う……うぅ……!」
声が震える。感情が爆発する。
「うおおお!! 僕の……バカやろおおおおおお!!!」
咆哮と共に、一気に加速。光の軌跡を残しながら、ヘルハウンドの群れへ突っ込んだ。
『グルアアアアッ!!』
迎え撃つ炎の息吹。しかしその炎ごと切り裂かれる。
虹の輝きを纏った刃が一閃するたび、獣の首が宙を舞い、次の瞬間には灰へと変わり、鈍い光の魔石だけが地に落ちた。
一瞬。ほんの数心拍の間に、群れ全てが斬り伏せられていた。
「うあああ! まさか……まさかこんなにも油断してたなんて! うおおおお!!!」
叫びと共に、今度はアルミラージの群れへ向かう。
『キュ! キュキュキュキュー!!』
怯えたような鳴き声が洞窟に響く。しかし次の瞬間には、灼熱の魔力が迸った。
『──
エルの詠唱と共に、世界が紅蓮に染まった。
天を舐めるほどの炎が広がり、群れを丸ごと飲み込む。斧を構える暇すらなく、灼火に呑み込まれたモンスターたちは絶叫を上げ、やがて跡形もなく灰と化した。
残されたのは、焼け焦げた床と散らばる魔石、そして洞窟を満たす静寂だけだった。
息を切らしながらも、なお虹の光をまとったエルの姿を見て、椿は思わず口をつぐんだ。
⸻
灰と魔石だけを残し、フロアは一転して静寂に包まれていた。
荒い呼吸を整えながら剣を収めるエル。その耳に届いたのは、腹の底から響く豪快な笑い声だった。
「がははははっ! お主、攻撃魔法まで使えたのか! いやはや、尚更手前の助太刀など必要なかったな!」
大股で歩み寄ってくる椿。その顔は愉快そうに緩みきっており、戦闘後の緊張感を微塵も漂わせていなかった。
一方のエルは、羞恥と悔恨に胸を締め付けられていた。
自分の勘違いで状況を悪化させ、さらに椿にまで気を使わせた。その事実がどうしようもなく恥ずかしくて、思わず深々と頭を下げる。
「ご、ごめんなさい!! 椿さん! お騒がせして! 本当にごめんなさい!」
「がははっ! 気にするな、気にするな! 魔法の鎧もあるし、この階層程度なら心配いらんと思ってな。てっきり、お主が手前の打った刀をじっくり試したいのかと思ってずっと口を挟まなかったのも悪い!」
「いえっ! 僕が悪いんです! 本当にごめんなさい!」
必死に繰り返す謝罪に、椿は肩を揺らしながら笑う。
「何もそこまで謝ることはあるまい! お互い怪我一つ負ったわけでもなかろうに!」
「い、いえ…最初のアルミラージといい、さっきの群れといい……僕、油断ばっかりで……」
言い淀むエルに、椿はふっと真顔を見せた。
「それは少し違うな。」
「え?」
「エル。手前が思うにお主は……ダンジョンを恐れすぎておる」
重みのある声に、エルは目を瞬かせる。
「生き残るために臆病になるのは悪いことではない。だが、その異常なまでの臆病さに引きずられて、お主は勝手にモンスターは恐ろしいものだと、敵わないものなのだと思い込んでしまっている」
「そして、それに対しモンスターの実力が低すぎて、気づかぬうちにお主は手加減をしておったのだろうな」
「僕が……手加減を……」
「そうだ」
椿は力強く頷き、エルの肩をがしりと掴む。
「もっと自分を信じるのだ、エル。お主は強い」
「……自分を、信じる」
その言葉が胸に深く突き刺さる。
確かに――規格外の成長速度。レベルに見合わぬほどの絶大な力。
自分でも扱いきれていない能力に心が追いつかず、慎重さばかりが先走っていた。
「そう…ですね。僕の今の力でいけると思ったからこそ、こうして椿さんと中層まで来ようと思ったんですよね…」
「そうだ!だが……正直なところ、中層の魔物でも今のお主にとっては物足りんだろうな!」
そう言って椿が笑みを浮かべる。
「そ、そんなことは…」
エルは苦笑を浮かべかけ、しかし途中で言葉を飲み込んだ。
「いえ。そうかもしれませんね」
自分は「普通の冒険者より少し強い」――そう思い込んでいた。
だが現実は違う。少しどころか、桁外れに強くなってしまった。
その事実をようやく受け入れ、エルは胸の奥で誓う。
二度と油断で無駄に体力を消耗しない。
そして――自分の力を正しく理解し、使いこなしてみせると。
まあ誰だってうっかりしてこうなることもありますよね!
(エルきゅん以外の普通の冒険者ならここでご退場してそうなんだよな…怖っ…)