Fate/SamuraiRemnant異聞 伊×槍決闘譚   作:葛轍偲刳

1 / 61
前段:英霊召喚
壱:地右衛門


 慶安四年(一六五一年)、江戸。

 かの神君家康公の開府より四十八年、最後の戦役となる大阪の陣より数えても三十六年。

 徳川の治世において天下泰平が謳われて久しく、かつての戦国の世を知る数少ない生き残りもまた次々に鬼籍へと入り、世間の多くの者は戦を知らぬ時代。

 

 増上寺・上野の寛永寺と並んで江戸の三霊山と称され、増上寺に次ぐ徳川将軍家の菩提所次席となった伝通院の寺領、小石川。

 夜空を青々と照らす冷たい月の光の下で、陰鬱な空気を纏う孤影が黙々と大地に陣を刻んでいた。古い、ところどころが焼け焦げた旗竿の先に穂先を括りつけただけの粗悪な槍が小石や砂を多く含んだ地面を削り、消去の中に退去、退去の陣を四つ刻んで召喚の陣で囲んだ魔法陣を描いている。槍を握る両の掌からは黒ずんだ血が長柄を伝って滴り落ち、常人ならばとうの昔に気力を尽き果てて倒れ伏している頃合いだが、荒い呼吸を繰り返す彼は震える身体を奮い立たせるように両膝を殴りつけて己を鼓舞し、手にした槍を杖代わりとする事によって何とか立ち続ける事を可能としていた。

 

「は────はあ──っ!!」

 

 まだ息は整わない。震える手から力が抜けて穂先が無様に揺れるが、顔に汚れた布を巻いて面相を隠した男は血走った目に鬼火を思わせる眼光を揺らめかせ、歯を食い縛って震える手で槍を握り直す。

 

「ま────まだ、だ……っ」

 

 これほどの無理を押しても彼が魔法陣を描くには相応の理由がある。

 盈月――西洋における聖杯、万能の願望機たるそれを模したものを得るには、"喚び人(マスター)"と呼ばれる存在が"座"から招き寄せる英霊の力が絶対に必要となる。

 英霊とは歴史に名を残すに足る偉業を成した英雄英傑の影であり、"喚び人(マスター)"にとっては自身に代わって敵を討つ刃となり、そして打ち破った敵の英霊は願望機たる盈月を稼働させる魔力源となる。

 

「まだ────ま──だまだだ、足りん。こんなんじゃまるで足りない」

 

 この男もまた、そうした願望機たる盈月を巡る争いに参戦する魔術師の一人であった。

 男の名は地右衛門。少なくとも、彼が誰かに名を告げる必要に迫られた時は、そう名乗っている。それが嘘か真かは定かではない。それを知る家族、縁者、友人らはことごとくが天草島原の地にて果てた。

 凄惨にして酸鼻なる地獄絵図をこの世に現出しさしめた大乱から十余年。流れに流れて江戸の地にまで辿り着いた彼は、頼る者とていない孤立無援の地で、ただ一人で復讐を企図した。

 島原の乱から奇跡的に生き延びた地右衛門は、それ以降ずっと仇敵への復讐のみを原動力として今日までの日々を過ごしてきた。彼が生ある限り消えることなき怨念じみた執念に突き動かされ、不退転の覚悟をもって決して収まらぬ激情を燃やし続けている。

 血の色に浸かった瞳に爛々と狂気的な光を宿し、歯茎が見える程に口をひん曲げながら唾を飛ばして不敵な笑みを作るや、男は後戻りを許さぬ勢いで魔法陣を描き上げるのだった。

 彼自身でも御しきれない程の怨恨を糧とし、この復讐を成し遂げるためならば何もかもを手放そうと決めている。己の身命ですらも例外ではない。大地に刻む召喚の魔法陣を己の血で染めることなど、何程のものか。

 尋常ならざる執念を以てして黒ずんだ血の滴る手で描き上げた魔法陣は、仄かな蒼い輝きを帯びて静かに夜を照らす月光の妖しさと呼応する。

 

「――神よ」

 

 息を荒らげながら、地右衛門は己の復讐心を胸に神へと祈る。

 

「赦したまえ、我が復讐(つみ)を」

 

 その場に両膝をついて跪き、両手を組み合わせて一心不乱に祈る。

 

「――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」

 

 閉じた瞼から今にも血涙を溢れさせんばかりに強く、深く念じる。あまりに強く握られた掌の皮がずるりと剥け落ち、溢れ出た血が土や石ころで汚れた男の指の合間を伝ってボタボタと滴り落ちる。

 召喚の魔法陣が青白い燐光を放ち、周囲の空気が微かに揺らめいて男の身体を取り巻いていく。

 

「この意、この理に従うならば応えよ」

 

 無様だろうが何だろうが構わない。思い出せ。あの日の耳をつんざく悲鳴を、神に救いを求める無数の声を、己の全てを焼き焦がした憎悪の炎の熱を──怒りを。

 在りし日の記憶を呼び覚まし、身体を業火の如く舐めていく怨嗟の劫火をその身で受け止めるようにして男は喉も嗄れんばかりに声を張り上げる。魂の芯まで焼き焦がす復讐心が彼の全身を燃え上がらせた。多量の出血による消耗も、傷の痛みも疲労も何もかも忘れ、世界の全てを呪うように男は声を大にして叫ぶ。

 

「……汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 

 魔法陣が強く輝き、青白い燐光が世界を灼く。

 夜をも明るく照らす蒼い光の中から湧き上がる熱風と炎が視界を埋め尽くし、――そして『彼』は、憎悪の具現たる復讐鬼の走狗として自身が喚び出されたことを知った。

 

「小石川、伝通院。…はははっ、そうですか。また、ここから戦いが始まるとは。何とも因果なものですね」

 

 死出の旅路に赴く者のみが纏う死に装束にも似た、純白の襦袢から覗く手足は細く、あばらの浮いた胸板から頬骨が目立つ痩せこけた顔は病み衰えた末期の病人を思わせる。しかし、その病人じみた見目とは裏腹に、手に鞘ごと提げた細身の優雅な太刀の柄には、見る者全てを畏怖させるであろう尋常ならざる鬼気が漲っていた。

 

「サーヴァント・セイバー。見ての通りの死にぞこないですが、それでもよろしければ、この刃を好きにお使い下さい」

 

 ふらりと立ち上がった地右衛門は、目を丸く見開いたまま暫し呆然としていた。

 

「――…ハッ」

 

 が。

 

「…ヒ、ヒ、ハ、ハ」

 

 歪んだ口の端から零れ落ちた笑い声は、おおよそ正気のそれではなかった。

 

「ヒィーッハハハハハ!! あァ…漸く! 漸くだッ!!」

 

 なんと愉しげで邪悪な笑顔であろうかと、セイバーは思った。笑っているようで、泣き叫んでいる幼子のような、そんな歪な笑顔。

 

「これで漸く、俺は――」

 

 そして、唐突に狂奔は凪ぐ。突如として冷徹な態度に豹変した地右衛門は、ゆっくりとセイバーに背を向けた。

 

「セイバー、俺は必ず、この江戸を地獄に変える」

「地獄、ですか」

 

 感情の欠落した静かな相槌に、地右衛門は喜悦の滲む声で告げる。

 

「ああ。燃やし尽くすぞ……何もかもを」

 

 開いた右手の平に紅蓮の業火を宿し、地の底から響くような怨嗟の声を吐きながら、復讐者は儀の始まりを告げる。

 小さな咳をしたセイバーは、血の気の失せた青紫色の唇の端に血痰が滲むのを指先でぬぐい取り、血がこびりついたそれを一瞥してから気だるげに頭を下げた。

 

「ご随意に」

 

 くつくつと地右衛門は笑い、自らが呼び出したサーヴァントに背を向けたままゆっくりと歩み去る。

 冴え冴えとした蒼い月光を浴びながら、これから二百余年の後に江戸で死ぬことになる未来の英霊は、己が運命の皮肉に人知れず微苦笑していた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。