Fate/SamuraiRemnant異聞 伊×槍決闘譚 作:葛轍偲刳
「ぶごぉっ…!」
実に聞き苦しい濁った悲鳴を上げて、強面のごろつきが顔面を両手で押さえて仰け反り倒れる。
朱槍の石突きでしたたかに顔面を殴られたせいで太い鼻っ柱は無惨に歪みへし折られ、無精髭を濡らす鼻血を鼻孔から噴き出しながら涙目で地面にうずくまる。
「なんだなんだ、もう終いか?」
快活な、聞きようによっては皮肉とも煽りともつかぬ明朗な声が響く。
身の丈を越える長竿を軽く振って肩に担ぎ、青い槍兵は嘆かわしげに首を振る。
「情けねぇなぁ、おい。数を頼みに嵩に懸かって襲ってきた挙げ句がコレとはな」
吉原の外れに近い空き地には、十数人にも及ぶごろつきどもが地面に転がっていた。苦痛に呻く声や弱々しく許しを請う声が途切れ途切れに上がるものの、命を落としている者は一人もいない。むしろ、多勢に無勢にあってなお、襲ってきた連中を一人として殺すことなく加減して済ませている辺りに、この槍兵の凄まじい技量が見て取れる。
「ランサー、こっちも終わった」
槍兵が振り向くと、彼の主が地面に転がっている男の着物を脱がせ、引き絞って縄のようにしたそれで拘束していた。
「あー、…なんつったっけか、そいつ」
「高札にも名前が出ていた、藤次とかいう吉原の町衆から追われていたお尋ね者だ」
宵越しの金は持たないというのが江戸っ子の気風とはいうが、逆に言えば短絡的で刹那的ということでもある。
無類の好色家のこの男も、吉原の女郎達から口八丁で小金をせびっては店には支払いもせずに逃げ回っていたとか。しかも、そうやって得た金も酒や博打で費消した挙げ句、同じように金のないごろつきどもとつるんで吉原の客を狙っての追い剥ぎ強盗にまで手を染めるようになっていたらしい。
「ま、それでオレたちを狙って返り討ちにされている辺り、何とも頭の悪い馬鹿だった、で話は終わるんだがな」
歩み寄った美丈夫が、石突きで鳩尾を突かれて真っ先に気絶したお尋ね者の懐を探る。
「ランサー、何をしている?」
「別に命までは取らねえが、こういう小悪党は金はなくても何かしら隠し持ってる宝の一つや二つはあるかと思ってな。いざという時に金に換えられるようなのを」
そう言いながら手元に戻した槍兵の指先は折り畳まれた一枚の紙片を挟んでいた。
「なんだこりゃ?」
開いた紙片を一瞥して小さく眉を寄せると、それが何かわからなかったのか伊織に向かって突き出す。
やむなくそれを受け取った伊織が見てみれば、生々しい筆致で描かれた肌も露わな女の後ろから、男が――
「……。春画だ」
深々と嘆息した伊織は、すぐにそれを元通りに折り畳んだ。
「ははぁ、なるほど。好色漢って噂に偽り無しか」
即座に突き返されたそれを、しかし当の美丈夫は受け取ろうとはせずに半ば笑いを堪えるような、あるいは笑うに笑えないとでも言いたげな、苦笑未満の何とも言えない表情で足元のお尋ね者を見下ろし、肩を竦めた。
「まあ、なんだ。この国の風俗事情までは詳しく知らねえが、そういう絵を買い求める男連中も少なくはねえんだろ?」
「そうだな。俺は別に買い求めたことはないが」
「それはそうだろうよ。もし万が一にもカヤの嬢ちゃんに見つかったらと思うとな」
「おい、ランサー、まるで俺が欲求不満を抱えているような、あらぬ誤解を受けかねない口ぶりはやめてくれ。誰が聞いているかもわからん」
「おっと、すまねえ。オレが言いたいのはそうじゃなくてな、欲しがるやつがいるんなら、そういう絵だってそこそこの値で売れるだろうってことだ。ねぐらに帰る前にどこぞで適当に売り飛ばして、その金で土産の一つも買っていってやればいいじゃねえか。さっきも言ってただろ? 先立つものがどうのって」
「いや、まあ、それはそう、だが……」
再び嘆息した伊織は、暫し悩み、考え、沈思した挙げ句に、ようやっと渋々と自分の懐に紙片をしまい込んだ。
「よしよし、これでマスターも少しは兄貴らしいことをしてやれるってもんだ。…で、だ。こいつらはどうする? このまま放っておくか?」
「いや、先ほど通りかかった男衆に駄賃を投げて番所まで走ってもらっている。もうすぐ誰かしらは来るだろう。そうすれば――」
「おーい!」
折良く、通りから駆けてくる墨染めの着物姿の同心の顔が見えた。
「助之進、先に奉行所に戻ったんじゃなかったのか」
伊織の顔見知りであり、友人でもある町奉行所の同心は僅かに息を切らし、肩を上下させていた。
「いや、なに、帰り道の途中で番所にたむろしていた岡っ引き連中から色々と話を聞いていたんだが、たまたまそこに眉目秀麗な色男の二人組がごろつきどもをのしたって知らせが来たから、もしやと思って俺が行くと言ってきたんだよ」
そうして、助之進は地面にうずくまり、あるいは転がっている追い剥ぎ連中を見下ろし、
「いやはや、さすがは伊織さんだ。俺じゃとてもこうは行かない。こいつらは吉原界隈じゃ札付きの悪どもだったから、同心の俺たちどころか与力でもそうそう手は出せなかったんだが、それをこうもあっさり…」
「褒めてくれるのは嬉しいが、これをやったのは俺じゃなくてランサーの方だ」
「へっ?」
が、伊織の声に目を丸くして美丈夫の顔を見上げる。
「す、すまねえ、そうだったのか。俺は、てっきり、こいつらは伊織さんが片付けてくれたものだとばかり…」
「今の俺は怪我をしているからな。気を遣ってくれたんだろう。まあ、怪我がなくても、ランサーは俺より強いが」
「え、ええ…っ!?」
友人である伊織が大剣豪・宮本武蔵の直弟子であることも、そのことをあまり大っぴらに語られたくないことも、その腕前がそこいらの腕自慢を歯牙にもかけないほどの域にまで達していることを助之進は知っている。その伊織がそこまで言うほどの相手がどれほど強いものなのかなど、剣に関しては至って人並みの心得しか持ち合わせてはいない助之進には想像もつかない。
「なんだよ、どっちが片付けたかなんざ、別にどうでもいいことじゃねえか。槍働きをした俺の功績は、その主に帰するもんだろ。だいたい、あのフダサシとかいう金貸しから報酬を受け取っている時に、オレたちに目をつけやがったこいつらに先に気付いたのはマスターの方だろ? で、人気の少ねえところに足を向けて誘ってみれば、ぞろぞろと雁首揃えて出てきやがったわけだ。そこまでお膳立てしてもらっておいて、マスターの手柄はオレのものだなんて言えるかよ」
「おい、ランサー。それこそ主が配下の手柄を横取りするようなものだろう。褒め言葉は大人しく受け取っておけ」
「なに言ってやがる。そっちこそ、いやみな澄まし顔で謙遜なぞするもんじゃねえぞ」
目の前で手柄を互いに譲りあって――というか、ここまでくると露骨に押しつけ合っているようにしか見えない主従二人のやり取りに、すっかり毒気を抜かれてしまった助之進は思わず破顔した。
「二人とも、とりあえず話はそれくらいにしてくれ。ひとまず、この連中は俺の方で片付けておく。きっちり牢の中に叩き込んでおくから、任せてくれ」
「ああ、よろしく頼む」
「おい、マスター。どうせなら帰りに何か買って帰ろうぜ。大門のところに出ていた屋台の団子と干し柿なんてどうだ? あれくらいなら、さほど値も張らねえだろ」
「…目敏いな。だが、目付けとしては悪くはない。そうするか」
それから暫くして、伊織たちが立ち去っていったはずの目抜き通りの方から怖気を震うような野太い叫喚が吉原中に響き渡って、ごろつきどもを捕縛していた助之進は思わずビクリと肩を竦ませ、怖々と天を仰ぐことになるのだった。
実はこの二人、昨夜遅くに初めて出会ったばかりなんですよ
助之進「ナ、ナンダッテー!?」
なお換金アイテムの破れた春画は万屋だけでなく若旦那も買い取ってくれる模様。
…ねぇ若旦那、そんなもの一体なんに使うんで(不敬