Fate/SamuraiRemnant異聞 伊×槍決闘譚 作:葛轍偲刳
同じ頃、神田明神――大己貴命、あるいは大国主神を祀る江戸総鎮守として尊崇された神社の境内には、互いに向き合う二つの影があった。
「頃合いだ。そろそろ召喚の儀に臨むがいい」
尊大な口調でそう告げたのは、顔を雑面にも似た覆面で隠した狩衣姿の陰陽師であった。
かの平安の世にその名を知られた安倍晴明の末裔、土御門家の第33代目当主、泰広。
しかし江戸の世にあってはかつてほどの権勢は得られず、亡き父は政敵に陥れられ陰陽頭の地位を失った。昔日の栄華を取り戻すため、家の再興を望む野心家である。
「言われずとも」
か細くも凛とした応答を返したのは、うら若き女性。その中性的な美貌には、未だ元服前後と見まがうほどの幼さすら残っている。あるいは、人にあらざる純粋無垢の本質が容貌にまで影響を及ぼしているのだろうか。
神田連雀町の『張孔堂』なる私塾に、その数3000とも言われる門下生を抱える江戸に名高き軍学者、由井正雪。外見に見合わぬ胆力は、三十路を超えた実年齢による経験の賜物か。
「人払いは済ませてある」
雑面越しの視線はどこか高圧的なものであり、さらには余裕と自信に満ちている。その自信は、決して自惚れではない。泰広は自らが行った人払いの術による成果に絶大なる信を置いていた。今宵、この地で執り行われる神秘に余人の目が届くことはあり得まい。
泰広が左の腕を横に振るえば、境内の上空に張られた結界によって遮音・隠蔽効果が発生する。さらに大きく腕を振れば、境内全体を包み込む不可視の障壁が発生した。『張孔堂』の敷地はもちろんの事、外部からは欠片ほどにもこの陰陽術による結界の存在を察することが出来なくなったのだ。
「これは……何とも」
感嘆と驚愕の声を漏らした由井正雪だったが、当の泰広は己の成果を然程気にした様子もなかった。この程度、かの偉大なる先達に比べれば児戯にも等しい。そう言わんばかりに小さく頷き、開いた手を無造作に横に差し出す。
「隆俊」
兄の短い呼びかけに、傍らに立つ弟が無言で手の上に大太刀を乗せる。柄の拵えといい、鞘に納められたままでも見て取れる刀身の長さといい、常人が振るえる大きさでは断じてない。それ程に長大な大太刀であった。それ以上に、この一振りを武家に縁ある者であれば知らぬ者はないであろう。
「その拵え、もしや…」
「そうとも。かの大江山の酒呑童子退治で名高い源頼光が佩刀、童子切よ」
平安の世において、京の都を跋扈する無数の怪異、強大なる妖魔、神秘の数々を斬滅せしめた源氏の棟梁。およそ日ノ本において、武に生きる者としての『格』は最高位にも位置づけられるであろう。かの平安武者が佩刀の威容は、正雪をして警戒の念を起こさせるに十分なものであった。
「正雪よ、真に平らかなる世を望むお前の理想、私は高く買っている。ゆえに、この宝剣を預けてやろう。この一振りをもって日ノ本最高の英霊を召喚し、この儀を見事勝ち抜いてみせるがいい」
激励とも挑発ともつかない泰広の言葉に対して、正雪は僅かに沈思する。
なるほど、これほどの業物を触媒とすれば必ずや盈月は目当ての英霊を召喚せしめるだろう。例外はあれど、強力な英霊とはすべからく強力なる神秘をその身に帯びる者。およそ天と地の境において神秘魔性と縁を結ばぬ者などおらず、そして人の身で、神秘魔性と縁を結ばず己が技量のみで英霊の座に至るほどの者がどれほどいるものか。そして、それほどの武辺者ですら果たして源氏の棟梁たる平安武者の前に敵おうものか。であれば、およそ儀に参加する英霊のほとんどに対し優位に立てるであろう。
――が。しかし。
「いえ、それには及びませぬ。土御門殿のご助力は痛み入りますが、そこまでしていただいては我が信条に悖りましょう」
それほどまでに強力な手札を、何故わざわざ他人に手渡すような真似を土御門がするのだろうか。それが、正雪の疑問であった。
もとより盈月の儀それ自体、土御門が幕閣の要人に開催を持ちかけたものと聞き及ぶ。家の再興を目論む野心家が何の下心も無しに儀を開くとも思えず、故に土御門泰広の行動には裏があると考えるのが自然。
――そう、例えば…あらかじめ、他の喚び人が使役するサーヴァントを己が意のままにするような式神術の奥義が家伝の秘術にあれば、それを使って予め他の参加者たちを抑えつけることも可能だ。そして、大太刀の宝具を持つ大江山の酒呑童子退治で知られる源頼光とは、おそらくは土御門家の祖たる安倍晴明とも縁浅からぬ人物であろう。となれば考えられるは一つ――この触媒を受け取っては、土御門の思惑に乗せられる可能性が高い。
「ほう? この私の助力が不要だと?」
泰広の声の調子には嘲りの色が含まれているように思えなくもなかったが、泰広本人にはさしたる悪意もなくむしろ純粋に興味本位の問いかけであったのだろう。少なくとも正雪にはそう受け取れたのだが、仮にも陰陽師の長たる者を相手に腹芸で渡り合うには、彼女の性根は真っ直ぐに過ぎた。
「私はただ、貴殿のご助力に報恩で返すまで」
慇懃無礼な言葉を返す正雪に対し、泰広は肩を震わせて低く嗤う。厚意を無下にされてなお激昂にまで至らぬのは、それこそ彼に余裕が――あるいは、余裕を装うだけの力量があるからであろうか。
「そこまで言うからには、勝算あっての物言いであろうな?」
「もとより神田明神の祭神は大黒天。縁結びを司る神霊なれば、必ずや私の理想を叶えるに相応しき英霊を導きましょう」
正雪の返答に、泰広はさも愉しげに肩を震わせた。不興を買ったわけではなさそうだ、と正雪は小さく安堵する。
「くく、大黒天の縁結びか。なれば、いささか強力すぎる英霊が喚ばれるやも知れんな」
「さて、それこそ今は亡き森宗意軒先生と、そして神(でうす)様の御心次第でしょうな」
「なるほど。よかろう、好きにするがいい」
大太刀を弟の手に返した土御門が兄弟揃って境内から立ち去っていく背を見送り、正雪は小さく息を漏らした。
「…かの平安最強の武者をも超える英霊、か」
果たして本当にそれが可能かと自問すれば、正直なところわからぬとしか答えようがない。とはいえ、全くあてがないというわけでもなかった。
懐から取り出した袱紗包みを白い指先が丁寧に解き、中から取り出したのは干乾び、半ば朽ち果てた一片の布。それはかつて、彼女の恩師である森宗意軒が大陸を旅した時に、病床で死に瀕した名も知れぬ老宣教師から譲り受けたものであったという。
かつて大陸の西から東へと、ひたむきに最果ての海(オケアノス)を目指して遠征を敢行した偉大なる王がいた。彼は遠征の途上で倒れ、そして王が残した大帝国は部下達の諍いによって分裂し、やがて滅亡への道を辿った。
かの王が死去した時、彼は未だ30代の半ばにも達していなかったという。若くして夢の道半ばで倒れ伏した己が身を顧みて、王はどれほど無念であったことだろう。ホムンクルスとして残り少ない自らの命数を考え、正雪は古の王に共感せずにはいられなかった。
「…果たして王自身が召喚に応じてくれずとも良い。王の麾下で戦った勇将、智将の一人でも、我が呼びかけに応えてくれれば良い」
王の下で戦い、その死を見送って、乱れた国の末路に涙したであろう英雄なれば、正雪の望む真に平らかなる世の理想も理解してくれるやもしれぬ。そう考える正雪は、やはり純真にして一途であった。
境内に刻まれた召喚の魔法陣に錬金術によって生成された水銀を垂らし、正雪は英霊を招来するための詠唱を始める。
「――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」
聖遺物たる触媒を手に、朗々とその呪文を詠唱する。清廉たる烈士の言霊に導かれ、魔法陣から虹色の光が溢れ出す。手甲に覆われた右手の甲に刻まれた令呪を中心に、魔術回路に焼き鏝を押し当てられたような激痛が走った。
しかし、正雪は己の苦痛など気にも留めない。ただ呪文を詠唱し続けるのみである。彼女は魔術師の家系に生まれたわけでもなく、人間の女性を母体として生み出された人造生命体――ホムンクルスである。魔術回路の質こそ一流の魔術師にも劣らぬが、血を積み重ねて量を増やすことに腐心し続けてきた古い魔術師の家系に生まれた者らに比すれば明らかに劣る。まして、短命なホムンクルスゆえの寿命の限界が近い彼女の体は大魔術の負荷に耐えきれず、今にも全身が自壊しそうな程に悲鳴を上げていた。
「この意、この理に従うならば応えよ」
身を蝕む激痛に耐えながら紡ぐ詠唱が終盤に差し掛かり、自身の魔術回路を焼き切る寸前まで魔力を循環させてその体は小刻みに痙攣しているものの、意志の力だけで正雪は己が理想を成就せんと声高らかに呼びかけた。
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」
そして、魔法陣から溢れ出した虹色の光の柱が境内の空を埋め尽くす。あらかじめ土御門が張り巡らせていた人払いの結界がなくば、あまりに幻想的なその光景に野次馬が集い騒ぎとなったことは疑いようがない。
召喚の儀は成った。その光の奔流の中から姿を現したのは、威風堂々たる偉丈夫である。正雪とて日ノ本の女性として決して小柄というわけではない。その正雪が背伸びをして手を伸ばしても、なお届かぬであろう巨体を誇る偉丈夫は、その威風に相応しい野太い声で一言告げた。
「貴様が、余のマスターか」
「そうだ」
酷使された魔術回路が軋み、今すぐにでも座り込みたいほどの疲労感に襲われながらも、強いて己を律した正雪はただ静かに威厳ある王を見上げて名乗りを上げる。
「私は由井正雪。烈士たらんと志す者である。真に平らかなる世を創らんがため、どうか力を貸して欲しい」
「ほう?」
少なくとも頭ごなしに否定はすることなく、偉丈夫は太い両腕を組んで低く相槌を打った。
「平らかなる世を創ると言ったな。小娘よ、その意は何だ。何故、そんなものを求める?」
「無論、過ちを糾すためだ。世人は戦国の世は終わったと嘯き、天下太平を謳う。そうでありながら今なお弱き者は奪われ、虐げられ、苦しみに喘いでいる。どうしてそれを見過ごせよう」
「どうやって、それを糾す? 幾ら法で縛り、教育を与えようとも所詮知恵ある獣に過ぎん人の世を、どうして平らかにするのだ?」
「人の世は、人が人である限り過ちを繰り返す。だが、願望機たる盈月の奇跡をもってすれば、きっと――」
正雪の声は、眉間に皺を寄せた偉丈夫が漏らした深々とした溜め息によって遮られた。
「やめておけ、小娘。それは理想と言う名の呪いの類いだ」
それは、諭すような口調だった。あるいは忠告であったろうか。
「余は、貴様のように理想と言う名の呪いに縛られた小娘を知っている。なるほど、例えば余が世界征服を成し遂げたとすれば、少なくとも国同士の諍いは無くなるであろう。しかし、だ。貴様の言う『真に平らか』とは、そんなものではあるまい。この地、この時代は、大きな戦のない治世なのであろう? それでも満足できぬというのであれば、民草の一人一人に貴様が一人ずつ見張りについて、これをしろ、あれはするなと一々指図でもしてやる他はあるまい。そんな窮屈な世を誰が望む?」
「っ……」
痛烈な物言いに、正雪は返す言葉もなかった。その無言を肯定と受け取ったのだろう、偉丈夫は大笑した。
「小娘よ。貴様の思い描く理想は確かに素晴らしくもあるやもしれん。だが、所詮は力なき夢想家に過ぎず──そんな都合の良い話などこの世には存在しないのだ。盈月とやらにどれほどの力があろうとも、な」
「ならば、こちらからも問おう。征服王、貴殿が盈月に望むものとは何か。私の召喚に応じたのであれば、貴殿にも奇跡に縋るだけの願望があるはず。それすら叶えられないのに、何が世界征服だ」
正雪は気丈にも口答えをしてみせたが、偉丈夫は大きな手と太い指で赤い髭に覆われた顎を撫でながら、むしろ面映ゆそうに苦笑した。
「ふむ、そうさな……端的に言えば『受肉』だ」
「受肉?」
「うむ」
照れくさそうに、まるで年端もいかぬ少年が子供っぽい夢を恥ずかしげに物語るように、古代の英雄は夜空の月を見上げた。
「余は征服王イスカンダルである。何処の時代、国へと召喚されようとも、それは変わらぬ。ゆえに、余は一時の客人、儀が終われば夢幻の如く消え失せるサーヴァントとしてではなく、一個の人間としてこの地に根を下ろしたい。そうであってこその征服であり、そうでなければ征服など始めることすらできん」
「それが、貴殿の願いか」
ふと、その願いに正雪は僅かな共感を覚えた。これほど偉大なる英雄も、短命に過ぎた己の人生を嘆き、その続きを望まずにはいられぬと知って。
自分もまた、この理想を叶えられずに道半ばで斃れるとすれば、その理想を望むがあまり誰かの召喚にも応じてしまうのだろうか。
「だからな、小娘」
そう黙考していた正雪の頭に、偉丈夫の大きな手が乗せられた。
「まずは、その無駄に清廉潔白に過ぎる理想は早々に断念しておけ。貴様に必要なのは、そんな呪いの類いではない。もっと広い世界を夢見ることだ」
「広い、世界……?」
「そうだ。その目で見て、その手で触れ、鼻で嗅ぎ、舌で味わい──そして心を震わせよ。世界は広く、人は小さい。ただ一つの理想しか見ぬ、見えぬというのは実に窮屈でつまらん人生であるぞ?」
言いながら偉丈夫は太い腕で正雪の体をひょいと持ち上げて脇に抱えると、まるで幼子をあやすかのようにゆっくりとしたリズムでポンポンとその背を叩く。
「子供扱いはやめてくれ。こう見えても、私はもう小娘という年ではない。貴殿とも、さほど変わらぬのだぞ?」
「何、余から見れば貴様はまだまだ小娘よ。視野の狭い未熟な小娘はそう意固地にならんで、さっさと広い世界へと目を向けてみろ。貴様が見るべきなのは過去の過ちではなく、未来だ」
それはまるで我儘を言う娘が父親に優しく諭されでもしているかのようで、正雪はその気遣いに気づかぬふりをしつつ問いかけた。
「では、私が見るべきものとは何だ?」
「うーむ、それは余の口からは言えんな。貴様が自ら気付くべきことだ」
そこまで言ってから、赤毛の偉丈夫はくつくつと笑った。
「さて、小娘。まずは書庫に案内してもらおうか。戦の準備はそれからだ」