Fate/SamuraiRemnant異聞 伊×槍決闘譚   作:葛轍偲刳

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ストックが尽きましたので土曜と日曜は投稿をお休みします


弐:型稽古

「いやー、飲んだ食った、そして飲んだな」

「…貴殿も底なしだが、その貴殿に付き合って平然としている将帥殿も相当な蟒蛇(うわばみ)だな」

 

 鄭成功の屋敷を辞して赤坂の通りを歩きながら美丈夫は満足げに大きく伸びをした。

 

「なんだなんだ、飲める時に飲み、食える時に食っておくのは戦士として当然の嗜みじゃねえか。次にいつ食えるかわかんねえんだぜ?」

「それはそうだが…」

「とはいえ、テイ・セイコウ、だったか? あの兄ちゃんの場合は、単なる蟒蛇とも少し違うだろうとは思うが、な」

「どうしてそう思う?」

 

 伊織の何気ない問いに、夜空の月を見上げた美丈夫は、答える前に数拍の間を置いた。

 

「明の再興、だったか?」

「…ああ。そう言っていたな」

 

 それは若き将帥の悲願であり、しかし人が一人で背負い込むにはあまりにも過酷な重荷だ。

 日ノ本においても没落した、あるいは傾いた家の再興を目指す者は少なくはなかったが、その多くが道半ばにして果てた。一例を挙げれば、世に尼子三傑が一人と謳われた山中鹿介は武勇に優れ麒麟児とさえ讃えられたが、肝心の尼子家の再興は果たせずに敗死している。史書に名も残せず斃れた敗者の列に至っては、その長さは一体どれほどのものか。

 一家ですら、それなのだ。国家の再興ともなれば、その規模は更に想像を絶する。当然、そこに関わる人の数も。

 

「虐殺、侵略に怯えずにいられる国を、とも言ってたよな。そいつはつまり、知ってるってことだ。今も怯えて暮らしている連中のことを。知り合ったそいつらの顔を、おそらく一人残らず今も覚えてるんだろうよ」

「……」

 

 思わず、その場に足を止めた伊織は肩越しに背後を振り向いた。既に鄭成功の屋敷は他の家屋の影に隠れて見えなくなっている。その屋敷に戻っているはずの若き将帥の手には今も酒杯が握られているのだろうか。飲まずにはいられない。けれど、幾ら飲んでも酔いに身を任せることも出来ない。それは、どれほどに救いのない苦しみか。

 

「まあ、あくまでそいつは抱え込んだそいつの問題だ。オレたちが軽々に立ち入って良い問題じゃねえだろうよ」

「…そう、だな」

「それより、せっかくもらった土産は忘れんなよ、マスター。どっちも今のオレたちにとっちゃ貴重品だ」

 

 懐に仕舞った二つの品を、改めて伊織は確かめる。

 一つは鄭成功が大陸の福建で道士から入手したという杯珓という名の念話礼装。もう一つはやはり鄭成功が手ずから拵えたという結界護符。どちらにしても伊織では入手不可能で万金を積んでも代えの利かないものだ。アーチャーが明かした真名の情報だけでも十分だが、この二つを手に入れられたのは盟を結んだ結果として得られた大きな収穫と言えるだろう。

 

「よろしいでしょうか、宮本伊織殿」

 

 前方から投げかけられたその声に応じて向き直った伊織は、さりげなく槍兵が半歩前に出ていることに気付いた。何も言わずとも自分の背中は守られていた。

 

「貴殿は?」

「道士の蔡玉蓮と申します。以後、見知りおきを」

 

 大陸風の着物に身を包んだ黒髪の女性は、丁寧に拱手の礼をする。

 

「鄭の部下か。用向きは?」

「稼ぎ口のご紹介を」

 

 江戸の怪異、妖物魔物の討伐を求める彼女の依頼は伊織にとっても好都合なものだった。いずれにせよ怪異は襲ってくるものだし、それを討つだけで金になるとなれば言うまでもない。

 

「解った、受けよう」

「多謝します。伊織殿」

 

 改めて頭を下げる女道士と別れ、二人は浅草へと戻る。

 幸いにしてその帰路においては目立った騒ぎに巻き込まれることもなく、難敵と言えるほどの厄介な怪異にも出会うことなく長屋まで帰り着けたのは幸いだった。

 

 ――ただ。長屋の寝床に潜り込んで瞼を閉ざしても、伊織は眠りには就けなかった。

 

 目を閉ざせば、まざまざと脳裏に浮かぶ鮮明な光景。何度も何度も、繰り返し繰り返し、そして繰り返し瞼の裏で再生される。

 

「眠れねえのか、マスター」

 

 何度目かの寝返りをうった時、そんな声が耳を打った。今宵も不寝番を務めてくれている槍兵の声は、穏やかに優しく響く。

 

「…疲れてはいる。腹は満たされ、酒も飲んで眠気も感じている。そして休息の必要があることもわかっている。だが…」

「ああ、ああ、わかってる。わかってるさ。そうだろうよ。てめえの気持ちはよくわかる」

 

 くつくつと喉を鳴らす音がする。

 

「まあ、そうだろうとは思った。だが、さすがに今はダメだ。今は、寝ろ」

「…そう、だな」

 

 瞼を閉じたまま、優しいほどの叱咤に思わず微笑む。

 自分に兄がいたことはない。義妹の前で良き兄たらんとはしてきたつもりだが、自分の前に兄はいなかった。しかし、もし自分に兄がいたとしたら。こんな風に自分を優しく、時に厳しく導いてくれたのだろうか。

 

「感謝する、ランサー」

「応よ。せいぜい感謝しろ。そしてこれからもオレに最高の戦いをさせてくれりゃいい」

 

 そして、夜明けまで伊織は横になったまま動かなかった。朝一番の鶏が鳴くまでは。

 

「…もういいか、ランサー?」

「仕方のねえ野郎だ。わかったよ。いいぜ」

 

 槍兵の承諾に起き上がり、即座に二刀の鞘を掴む。大股に歩き、長屋を出る。

 

「…ったく、宝物を見つけたガキみてえに目ぇキラキラさせやがって」

 

 聞こえよがしの呟きを漏らす美丈夫は、まだ夜も明けきらぬ中で刀を抜き、日課の型稽古を始める伊織を眺める。

 

「ふんっ…はっ…せっ…」

 

 体をゆっくりと温めるように、肩、腕、腰、足回りの動作を一つ一つ確認するように、慣れ親しんだ型を繰り返すことで体の調子を確かめ、同時に手足の動きを精密に調整していく。

 たらふく飯を食えば体重も変わる。体重が変われば体幹もずれる。体幹がずれれば刀の振りもブレる。畢竟、剣術とは無駄の削ぎ落としの繰り返しだ。最短の経路で、最良の効率で、速く無駄なく敵を斬る。そのためには、己の体を徹底的に見極め、その意を爪先、指先、刀の切っ先にまで隅々に行き渡らせる必要がある。

 

「…ふーっ」

 

 ゆっくりと息を吐き、脇差しを鞘に納める。一刀のみを両手で持ち、正眼に構える。

 目を閉じる。

 脳裏に浮かぶのは、昨夜のセイバーの動き。

 構え、踏み込み、突く。ただ一つの無駄もない。ありとあらゆる関節、筋肉、骨を駆動させ、最短距離を踏み込む。その全身の動きに連動した刀が、最短距離で敵を突く。まさに、絶技。まさに、美技。まさに、神業。

 

「……」

 

 ゆっくりと刀を引き、平晴眼に構える。

 満身の気合いを刀身に行き渡らせる。

 

「――…セェィッ!」

 

 突き出された切っ先が虚空を抉り貫く。

 

「……」

 

 残心に呼吸を静かに整えながら、伊織は目を開く。

 

「っ!? ランサー? いつからそこに?」

 

 すぐ目の前。突き出した一刀の切っ先が触れるか触れないかといったところに美丈夫が立っていた。

 

「あ? てめえが集中してた時からに決まってんだろ。何やってんだ、とは訊かねえよ。オレも剣を使ってたことがあるからな」

 

 クー・フーリンの光の剣、その銘はクルージーン。ランサーのみならずセイバーの適性も持つ大英雄は、微苦笑混じりに言った。

 

「アレは…まあ、再現なぞ、やろうと思って出来るもんじゃねえだろうよ」

「ああ、そうだな」

 

 セイバーの奥義『無明三段突き』。人の身で到達可能な限界を、さらに越えた魔剣。物理法則という、世界そのものの理をさえ捩じ曲げる異端にして異常。

 

「それでもやっぱり、剣士なら…そうなるよなぁ」

「ああ」

 

 二人は互いの顔を見交わして、お互いに似たような笑顔を見合わせる。

 

「すげえよな。アレ」

「ああ、凄かった」

 

 それだけで、互いの意は通じた。それが敵であるにも関わらず。それで死にかけたにも関わらず。

 

「こうか? 腕は、もっと伸びていたか?」

「それよりも、刀を持つ指は、もっと、こう…」

 

 伊織は一刀を構えながら、その様を槍兵は眺めながら、昨夜の剣士の美技を繰り返し、繰り返し何度も話し合う。子供のように無邪気に。玩具で遊ぶように。心から楽しそうに。

 

「兄ちゃん! ランサーさんも!」

 

 楽しい時間は瞬く間に過ぎ去って、飽きもせず話し合っていた二人は子供を叱りつけるような声に思わず肩を竦めた。

 

「もうっ! いつからやってるの!? いつまでやるつもりなの!? もうとっくに朝餉の支度は出来てるのに!!」

「え? あ、ああ、すまない」

 

 いつ義妹が来ていたのかも、いつ朝餉の支度を始めていたのかも、全く気付かなかった。それほど夢中になっていたのだ。

 

「おい、マスター」

「え?」

「『え?』じゃねえよ、馬鹿。ほれ、何のために昨日はあっちこっちふらついたと思ってやがる」

「あ、ああ、そうだった」

 

 美丈夫に頭を小突かれて、伊織はようやく思い出す。

 

「カヤ」

「ん? どうしたの、兄ちゃん」

「別に、何があったというわけでもないが、その…いつも、日頃から世話になっている礼だ」

 

 笹の葉で包まれた腹太餅を取り出す。

 義妹が余計な気を回さないように、あまり高すぎず、かといって適当に選んだとも思われないように、普段はあまり口にしないような、少し物珍しさを感じられるものを。

 

「あ、うん。ありがとう」

 

 義妹は思いのほか素直に受け取ってくれた。が、その後で何かを考え込むように目を伏せ、そしてじっと義兄の顔を見つめる。

 

「カ、カヤ? もしや、気に入らなかったのか?」

「違う。そうじゃない」

 

 控え目な胸の前で腕を組んだ少女は、こういう時は察しの悪い義兄を睨む。

 

「兄ちゃん、何か隠してることがあるでしょ」

 

 それは疑惑という段階を通り越して、完全に確信した者の断定口調だった。

 

「隠し事?」

「そう。こんな風に兄ちゃんが気を利かしてくるなんて、絶対に何かあるに決まってる!」

「……。いや、何もないぞ?」

「ほら! いま少し言葉に詰まった!」

 

 傍らの槍兵は顔を片手で覆って俯いた。「馬鹿兄貴が…」と小さく呟く声が聞こえた。

 

「そもそも、ランサーさんが来た時の経緯だって肝心のところは妙にぼかしてたし。仮にも二天一流を継いだ兄ちゃんがあんな怪我をするなんて、普通はあり得ないでしょ! お師匠様が相手だったならともかく」

「……」

「絶対、良からぬ諍いに巻き込まれてる。私に心配かけさせたくないから、こうやってご機嫌とって、さりげなく遠ざけようとしてるんじゃないの?」

 

 一から十まで、何から何までその通りだった。

 

「い、いや、…その、だな」

「わけを聞かせて。それまで私、今日は帰りません」

「おい、カヤ…」

「絶対に、帰りません」

 

 梃子でも動かないとばかりに断乎として繰り返す剣幕に、真っ先に折れたのは義兄ではなく美丈夫の方だった。

 

「おい、マスター。どうすんだ、これ。もう諦めた方がいいんじゃねえか?」

「だが…」

「無理だって。よく考えなくてもわかるだろ? てめえ、この状態の嬢ちゃんを言いくるめられるほど器用なのか?」

 

 肩に手を置かれた伊織は思わずカヤの顔を見遣る。

 勝ち誇ったような顔でフンと鼻を鳴らす少女は、もうこの時点で勝ちを確信しきっている。そして、それを覆すだけの方策の持ち合わせは無かった。

 

「…はぁ」

 

 伊織は深々と溜め息をついた。どうしてこうなった、と自問するものの、日頃の行いのせいだ、という至極もっともな答えが自然と頭に浮かんで、さらに気が重くなった。

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