Fate/SamuraiRemnant異聞 伊×槍決闘譚   作:葛轍偲刳

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日付が変わる前ですが一足早く投稿
ストックが出来たので、金曜までは毎日投稿予定です
ただし水曜日はNFFサービス業務記録を投稿する予定なので、こちらは月火と木金の投稿予定です


幕間
張孔堂


 夜間は堅く閉ざされている『張孔堂』の門扉も、日中は塾長たる由井正雪を慕って集まってくる門下生達のために大きく開かれている。

 門を潜ると、その先には広い庭がある。日によっても集まってくる門下生の数は異なるが、時に数が多すぎて堂の中に入りきらぬ場合、屋外で講義が行われることもある。

 また、軍学とは机上の空論であってはならず、当然ながら状況が刻々と変わっていく中で人を指揮する必要がある。そのため、数百という単位でこそないが、十数人ほどが二手に分かれて模擬戦をする程度であれば十分に事足りるほどの広さは確保されている。

 

「まあ、一献どうだ」

「呵々、ならば征服王の気遣い、ありがたくいただくとするか」

 

 そんな庭の隅で、庭石に腰掛けて酒杯を傾けているライダーと逸れのアサシンの周囲では、疲労困憊、気息奄々、死屍累々といった有様で門下生達が地面に転がっていた。反対側の庭の隅では、疲労のあまり嘔吐している者すらいる。

 

「全くだらしがないのぅ、この程度でもう音を上げるか」

 

 あえて挑発するように偉丈夫が声高に諷しても、誰も反発する余力すらない。尤も、ここで顔を上げるほどの気力がまだ残っていたところで、すぐに逸れのアサシンに見つかって厳しい指導を食らうことになるだけのことだったが。

 

「呵々、まあ一日や二日で苗木が大樹に育つはずもなし。日々これ修練。研鑽が実を結ぶまでには幾ばくかの時がかかろうよ」

 

 白磁の徳利から猪口に注がれた銘酒の香りを鼻先で楽しみながら、老師の風格を漂わせる兇手は穏やかに応じる。それだけを見れば如何にも好々爺といった塩梅ではあるが、その見かけに侮ってかかった門下生は、むしろ死んだ方がマシではとさえ思わせるほどにコテンパンに叩きのめされて今や半死半生で情けなく呻くばかり。

 

「しかしなぁ、こやつら二言目には『おのれ幕府め』などと文句を垂れておるようだが、これでは口先ばかりではないか?」

「んぐっ…」

「くそう…」

 

 しかし、さすがに征服王が口にした放言には負けん気やら土性骨を刺激されたらしく、庭のそこかしこから憤懣の呻きが上がる。

 

「うむ、まだ余の声を聞くだけの力はあるか。ならば逸れのアサシンよ。一つ酒席の問対でもどうだ?」

「ほう…李衛公≪注≫に倣うか。良かろう。この国で言うなれば、禅問答といったところか?」

「ゼンモンドー。なかなか響きの良い言葉ではあるな。ふむ、ならばここは一つ掛け声から始めるとしよう。確か…こうか? ソモサン!」

「受けよう。…説破」

 

 これは余がまだ広い世界を知らぬ幼少のみぎりに、揺籃の師であった賢人から出された問題である。

 

 あるところに100人の民が住む国があった。国と呼ぶには小さすぎるから、村と言っても良い。

 そこの長は100人のうち、10人を虐げていた。財を奪われ、働いた成果を奪われ、家族は餓えと乾きに苦しみ、それでも牛馬の如くに働かされていた。

 しかし、それらの労苦と引き換えに、残りの90人は安楽な暮らしを送ることが出来ている。

 虐げられていた10人は遂に耐えかね、隣の村に助けを求めた。自分達を救ってくれ、とな。

 

 …さて。余は、その隣村の長である。

 果たして10人を救うために隣村を攻めるべきか、否か。

 

「一つ確認しよう。10人から救いを求められた隣の村だが、住人の数は同じかな?」

「うむ、同じ100人とする」

「ならば救うべきであろう。そして90人から奪ったものを110人に分け与えるべきである」

 

 老兇手は悩む素振りもなく、あっさりと即答した。周囲の門下生達は言葉も無く、唖然として目元に色眼鏡をかけた老人の顔を見つめる。

 

「その心は?」

「10への暴虐をもって90の安寧を是とする。多数の幸福のために少数の犠牲を許容する。その論には一つの理がある。ゆえに圧政を認めるのであれば、90から奪った財貨によって100と10が潤うのも同様の理である。数の差はあれども、少数の貧苦によって多数の繁栄を支える道理に変わりはない」

「然り、然り」

「であるならば、かつて己が幸福を論理によって正当化していた者が、同じ道理によって自らが犠牲となる時に前言を翻すは理に合わず。其は詭弁に他ならぬ」

 

 淡々と、数理の公式を解くように語る老人に向かって征服王は両手を打ち鳴らして讃える。

 

「見事、見事。まさに中立、合理そのもの。その論理には真っ直ぐな芯が通っておる。反論の余地はないな」

 

 静かに手元の猪口を傾ける逸れのアサシンは偉丈夫からの手放しの賛辞にも動じず、周囲の門下生達を見回す。それぞれが思考に没頭している様子を確認してから、ライダーへと視線を戻す。

 

「では、征服王。次は、ぬしの答えを聞こうか」

「余の答えか。恥ずかしながら、師に問われた時は答えを持ち合わせてはおらんでなぁ」

 

 太い腕を組んで空を見上げる偉丈夫は、面映ゆそうに過去の己を省みた。

 

「しかして、余の生き様を以てその答えに代えられるものかと言えば、どうにも微妙ではある」

「呵々、かの征服王イスカンダルがその生涯を以て答えに代えるというのであれば、それはそれで実に興味をそそられる話ではないか」

「――その答え、私も伺いたい」

 

 凛とした声が私塾の堂から響き、倒れ伏していた門下生達は慌てて居住まいを正して庭に座り直した。

 

「正雪先生!」

「先生…!」

 

 偉丈夫を見据える正雪の視線は、ただひたすらに直向きだった。

 

「ライダー、虐げられし者を救うという私の理想を貴殿は否定した。そうであるならば、それに代わる答えを呈するべきではないか」

 

 重ねて問いを投げられて、征服王は太い首をゆっくりと振った。

 

「余は、救わなかったのだ。マケドニアの民も、隣国のギリシャの民も」

「しかし、それでは…」

 

 正雪がその続きを口にするよりも先に、征服王の言葉がそれを上塗った。

 

「余は、マケドニアとギリシャの民を糾合し、より強大な、強壮な、そして何より富み栄えた東方へと遠征した。そこには余に従った二国を足し合わせたよりも広く、そして多くの民を抱えたペルシアがあった。東方の富は凄まじかったぞ? 戦場で余と相対した軍こそ我が方の数倍ほどであったが、かの王が持てる富を全て吐き出せば、その十倍の軍を集めるのも容易かったであろうな」

「ほほう? 波斯の底力、それほどのものか」

「応とも、それほどさ。何しろ、余と、余に付き従った兵ども全てに持てる限りの財貨を分け与えても、まだ有り余るほどであったからな」

 

 空の猪口を手にした逸れのアサシンに酌をしてやりながらライダーが笑い、注がれた銘酒を口に含みながら老いた兇手は小さく頷く。

 

「ふむ。10人の財産を90で分けても一人が手にするのは僅か9分の1。90の財貨を110で分けても一人頭は11分の9。そうであるなら、いっそ十倍の民がいる富国を攻めて2000人から劫掠するか。さすれば、例え200を奪っても2000の側からすれば被害は一人頭でたった10分の1。痛いは痛いが、犠牲と言うほどのものでは無し。奇を衒っているようで、存外、勘所は外してはおらぬと見た」

 

 門下生達は思わず互いの顔を見合わせる。これを現実味に欠けた暴論というべきか、あるいは想像の斜め上をいく奇想天外の発想というべきか。判断に迷うところではあった。

 

「し、しかし、そうも公平に被害が分散されるとは限らぬであろう。力ある者は奪われずに済み、あるいは奪われたとしても力なき者から自らの損失を補填するのではないか?」

「然り。余の手はそれほど長くはない。ペルシアから略奪するにしても、結局のところ手の届く範囲での話。手持ちの財を根こそぎ奪われた者は当然いたとも」

 

 正雪の追及にも、征服王は泰然として己の不備を認めた。

 

「だから、余はそのペルシアの民も麾下に加えた。財を奪われたのであれば、更に彼方の国から奪えば良い。余が共にいる限り戦に負けはしない。ゆえに、余が勝利し、率いた兵らと共に征服する。そして征服した国の民をも新たに麾下の軍に加えて、また次の国を目指す。そのまた次の国でも同じように」

「……」

「遂には、『もう十分です。もうたくさんです。もうこれ以上は要りません』と、全ての兵が異口同音に余を制止し、西へ連れ戻すに至るまで。余は、生涯にわたってそれを続けただけのことだ」

 

 そう言い終えた偉丈夫に、逸れのアサシンは愉快そうに笑う。

 

「痛快よな。故国を離れ、ただひたすらに東へ、東へ。世界の果てまでも目指して駆け抜けたか。惜しむらくは、ぬしはともかく、ぬしに付き従う兵らの全てが故国への想いを捨て切れはしなかったか」

「是非もあるまい。いかに余とて、単身ではどうにも征旅は続けられぬゆえ、な」

 

 互いに相手の猪口へと酌をし合って、二人は共に苦み走った笑みを交わした。

 

「が、知っておるかね、征服王。ぬしの時代はともかく、儂が生まれた頃にはこの星が球の形に丸く閉じておると誰もが知っておる」

「うむ。それが?」

「であれば、だ。ぬしが例え途中で引き返すこと無く東へ東へと旅を続けておったところで、いずれは元の場所へと戻るが道理。勝ちに勝ち続け、奪いに奪い続けても、ぬしの旅はそこで終わるのではないかな?」

 

 その鋭い指摘に、正雪も門下生達も思わず内心で膝を打った。その通りで、誰かから略奪を続けるというのは、その奪う対象がいなくては成り立たぬ、いわば自転車操業である。勝ち続けるという実現困難な課題はさておくとしても、終わりが最初から見えている事業は、その時点で既に破綻している。

 

「ふぅむ…、そう思うか」

「違うとでも?」

 

 ゆっくりと顎を撫でる偉丈夫は口に出しては答えずに、無言で空を見上げた。しかし、それは答えに窮しているようにも、あるいは韜晦しているようにも見えなかった。その視線を追うように門下生達も空を見上げ、そして一人がポツリと呟いた。

 

「拙者も…この国の外に、出ることが叶えば。あるいは」

 

 その呟きが呼び水となったように、門下生達が口々に言った。

 

「そうだ。何が御禁制だ。何が国を鎖すだ」

「こんな狭い国に閉じ込められているよりは」

「ここで無駄に腐っているよりは」

「もはや戦のないこの国では、どうしたところで立身出世は望めぬ。であるならば、いっそのこと」

 

 幕府への不満。現状への憤懣。太平の中にあってなお満足できぬのは、果たして贅沢というべきだろうか。

 

「良い、良いぞ! そうでなくてはならぬ。貴様らが今、口にした願い、その尽きぬ欲求こそが覇道の兆しなのだ。狭い枠の中に己を閉じ込める必要などない! 枠の外を見よ、もっと視野を広げ、果てなき彼方を見よ! そこにこそ栄えはある!!」

 

 腰掛けていた庭石から立ち上がった偉丈夫が檄を飛ばす。門下生達も次々に立ち上がる。

 

「ライダー殿!」

「我らも!」

「この日ノ本よりも広き世界を!」

 

 気炎を上げる門下生達を、しかし正雪は喜びよりもどこか複雑な面持ちで眺めやる。

 由井正雪の名は軍学者として江戸に鳴り響いてはいるものの、だからといってその門下で学ぶ牢人達が全て仕官の望みを叶えられるかと言えば、必ずしもそうではない。

 かつての戦国の世であれば、相次ぐ戦で次々に人が死んでいく中、その抜けた穴を埋める意味でも、軍学を修めた牢人はどこであっても喜んで迎え入れられたことだろう。

 しかし、今は太平の世。無論、教養という意味でなら兵法の一つも諳んじられる方が良いに決まっているが、それだけで仕官が叶うとは限らない。まして、幕府によって改易を強いられ困窮する大名家すら少なくない中、むしろ仕官の間口はそれだけ狭く、そして競争相手の数は多い。

 

 盈月の儀によって真に平らかなる世を実現することが叶えば、あるいは彼らにも平穏なる暮らしを送らせられるかと思っていた。いや、そうなって欲しいと願っていた。だが、彼らに必要なのは、あるいは平穏などよりもむしろ新しい地平を目指す希望であり、その夢を実現させるための道を指し示す指導者であったのだろうか。

 

「ところで、娘よ」

 

 ふと気付くと、いつの間にか正雪の傍らには逸れのアサシンが立っていた。

 

「何か?」

「うむ。外なる国というので思い出したが、何やら異国の船が港に訪れているそうだな? 何でも昨今は異人が江戸の街を闊歩しているとか、神田の町人達も盛んに噂しておったぞ?」

「ああ、それか。事実だ。昨日は品川にまで船が来ていたらしい。異人の娘が湊を歩いていたのを見た者が、それを声高に自慢して噂になっていた」

 

 正雪の門下生は江戸中に散っている。そして彼らが持ってきた情報を分析することで、正雪は情報戦で他のマスター達よりも遙かに優位に立っていた。

 

「昨日は、ということは今は違うのか?」

「どうやら横須賀に移動したようだ。それを見物しようと海沿いに物見高い連中が群れなしていたとも聞いた」

「ふむ…」

 

 逸れのアサシンは顎を撫でた。そして、

 

「広い世界とは言わんが、儂も神田の地にずっと縛られているというのも少々飽きてきた。少しばかり外に出て、もそっと手応えのある相手と手合わせをしたいとも思っておる。…どうだ、娘よ。ここは一つ老人の道楽に付き合ってはくれぬかな?」

 

 そんな軽い口調で、剽げた風に提案をしたのだった。




≪注≫
李衛公:隋~初唐期の名将、李靖(571~649)のこと。彼が唐の太宗(李世民)との対話録の形式で記述された『李衛公問対』は兵法書として後世に伝わる
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