Fate/SamuraiRemnant異聞 伊×槍決闘譚 作:葛轍偲刳
特に霊脈陣地戦で共闘ゲージ使い果たしてたし、大仏前の戦闘で秘剣まで使ってたせいで苦戦しまくり…
わかってたら玉縄の屋台で回復してから行ったのに!
後にして思えば地図から街の外に出れない時点で察するべきだったのか
江戸は浅草から南へ南へと進み、相模国は玉縄へ。その距離は既に10里は軽く超えている。
伊織は鍛錬によって足腰は並みの人よりは丈夫であり、槍兵は人ならざるサーヴァントである。これほどの長距離を踏破してきたとはいっても、それだけで戦えなくなるほどではないが、時間の流れだけは如何ともしがたく、時刻は既に夕闇が迫りつつあった。
黄昏時。あるいは大禍時。すなわち逢魔が時である。
高徳院が大仏像の眼前で民を惨殺する狼藉を働いた御家人どもを討伐せんとすれば、そこに加勢してきたのは火器を携えた異国の船乗り達だった。
討ち果たした御家人連中の首筋には悉く蛇の噛み跡が残されており、そこには明らかな魔力の痕跡までも。ゆえに、横須賀に潜むはアサシンであることが確定。
いよいよ敵の本拠地に乗り込まんとした伊織たちであった、が――。
「!? おい、マスター、伏せろ!」
何の前触れもなく、突如として怒声を張り上げた槍兵が朱槍を振り抜き、咄嗟に頭を下げた伊織の背後を薙ぎ払う。何もないはずの虚空で火花が散り、そこでようやく伊織は我が身に危険が迫っていたことを悟った。
「――ほう、これを見切るか」
片手の拳で槍の長柄を跳ね上げて、その軌道を軽く逸らし、泰然自若としてゆったりとした歩法で二歩、三歩と間合いをとる老爺は、口元に微笑みすら浮かべながら伊織と槍兵の二人と向き合う。
「てめえ、何者だ」
「生憎と、ぬしらに名乗る名は持たぬ」
「ああ、そうかよ。まあ、これから殺す相手に名を聞いても仕方ねえやな。こいつはオレの間違いだった」
「呵々、威勢がいいのう」
色眼鏡を傾けて、いかにも好々爺然とした口元の微笑とは裏腹に鋭い眼光を覗かせる。
「異人が根城にしているという横須賀の近辺を散策してみれば、やはり物見高い連中がうろついていると見たのは間違いではなかったな」
「貴殿、一体何を…」
「ここで見えたのも何かの縁。老骨の戯れに、暫し付き合うてもらおうか」
あっさりと、縁側で茶にでも誘うのと何一つ変わらぬ口調と声音。にもかかわらず、伊織の背に戦慄が這い登ってくる。
「では…覚悟は良いかな、若造らよ。――我が拳は、ちいと痛いぞ?」
「おい、マスター! こいつは洒落にならねえ相手だぞ!?」
何の所以もなく、何ら予兆もなく、心の準備すら整える暇もないままに、唐突に遭遇戦が始まった。
「一撃。それで事足りる」
拳を緩く握った老爺が踏み込んでくる。前足を水平に近いほど高く上げ、その前足を振り下ろす勢いで体を前に。
後ろ足で地面を蹴るのではなく、鍛え上げた体幹の芯で体を前に進める八極拳の前足箭疾歩。
「っ…!」
あまりにも速すぎる。いや、違う。ただ速いというだけなら、槍兵の敏捷ほどの速さではない。
ただ、動きに溜めがない。刀を振り下ろす前に頭上まで持ち上げるといった、その後の動きを予測するための予備動作がない。水が高きから低きに流れ落ちるように、自然に、ただ自然に音もなく拳が迫る。
前進の一動作と拳を突き出す動きが連動し、そこに槍兵が割り込む隙もなく、そして伊織が回避する暇もなく、トンと軽く伊織の胴体に拳が撃ち込まれる。
「が、はっ…!?」
その軽い音とは裏腹に、信じがたいほど重い衝撃が内臓を打ちのめす。文字通り、腹の底にまで響くほどの。どれほど鍛え上げた筋肉という鎧があっても、あるいは堅牢無比な金属の鎧を身に着けていてさえも無意味とさえ思える、衝撃のみを体内に透す技法。
これぞ絶歩冲捶。深遠なる中国武術の術理が一端である。
「マスター!? 死ぬなよ、おい!?」
美丈夫が叱咤の声を上げながら槍を突き出した時には、既に老爺の姿はそこにはない。圏境の極意に達した老武術家は、瞬き一つで姿を消す。
「ちぃぃ…っ!」
それでも、瞬時に反応してのけたのは槍兵の神速の反応速度がなせる業か。
すかさず打ち込んだ槍の穂先を紙一重で見切り、応じた拳を槍兵が辛うじて長柄でいなす。
「てめえ、槍の間合いを知ってやがるな。それでどうしてランサーじゃねえんだよ」
「呵々、若い頃は槍も得手としておったが、あまり重い得物は老いた身には酷でな。拳の方が気も楽であろう?」
「ハッ、どの口でほざきやがる」
言の葉で応酬しながらも、二人は互いの隙を窺いあう。槍の長い間合いで戦おうとしても、老爺の変幻自在の歩法がそれを許さない。懐に入り込もうとする鼻先に穂先を突き付けて接近を阻もうとすれば、拳一つで槍の柄を跳ね上げられて構えを崩される。
が、防戦一方と見えても、槍兵の目に焦りの色はない。マスター不在の逸れのサーヴァントが召喚の要石となっているのが各地の霊脈であり、それゆえに紐づけられた霊地から長くは離れられない。今は優位に立っているように見えても、時間の経過と共に不利になるのは相手の方だ。マスターが動けるようになるまで引き付けておき、戦線を維持し続けるのが槍兵の役目である。
「ぐっ、う…」
そうしている間に、打たれた腹を抱えて悶絶していた伊織が辛うじて顔を上げる。
「ほう?」
一撃。それで十分と判断していた相手がなおも戦いを続行するだけの気力体力を維持していると見て、手を止めた老爺は興味深げにそちらを見る。
「爺さん…大丈夫か?」
「そう思うなら、もう少し老人を労わらんか」
伊織の懐から、半ばひしゃげたように変形した紅玉の書がフラフラと浮遊する。
「なるほど、咄嗟に紅玉の爺さんを盾にしたか。やるじゃねえか、マスター」
「褒めてどうするんじゃ!? 我が身を以て貴重な知識の集積を庇い守るというならまだしも、これでは逆ではないか! なんと嘆かわしい…!!」
笑みを含んだ美丈夫の声に、憤然として赤い目をつり上げる紅玉の翁は、フラフラと伊織の背後に回り込む。さすがに二度も庇ってくれるつもりはないらしい。
「…銀の癒しを、我が身に…」
貴石を握った拳を、伊織は腹に押し当てる。手の内で砕け散った貴石から溢れた魔力が伊織の体に溶け込み、その傷を癒していく。
即座に体力が全回復するわけではないが、何とか体を動かせる程度には傷も癒えて伊織は一刀を握りしめて体勢を立て直す。
「おい、マスター。無理すんなよ」
「…だが、俺だけが休んでいるわけにもいくまい」
そうか? 本当にそうだろうか?
今もなお重く鈍痛が腹の底に残っているのに、どうして自分は立ち上がろうとしているのか。
ランサーへの義理立て? この苦痛への復讐? それとも、あるいは――。
「呵々、随分と猛っておるではないか」
「何…?」
「気付いておらぬか? ぬしら、若き日の儂を見ているようだぞ。強い者と見れば牙を剥く、命を賭しても死合わずにはいられぬ野生を持て余していると見える」
色眼鏡越しに見据えられて、その色眼鏡に映っている伊織の顔は、苦痛ゆえにか、あるいは他の要因によるものか、僅かに口元が引き攣っていて。その顔は、まるで笑っている、ように――
「おいおい、オレを放って余所見してんなよ」
不意に、老爺の首に腕が巻き付いた。先ほどの奇襲のお株を奪うかのように、持ち前の神速で老爺の背後をとった槍兵がその腕で首を絞める。
もとよりクー・フーリンの名は、幼き少年時代の彼が鍛冶屋クランの館の猛犬として名高い番犬をたった一人で素手で絞め殺したことに由来する。槍を捨てての徒手空拳であっても彼の武勇に陰りはない。
「この儂を、縊るか」
片手で美丈夫の腕を掴むも、その程度で絞める力が緩むはずもなく。しかし背後に回した手がランサーの腹に添えられた瞬間、その足下で爆音にも似た音が轟いた。
「ガハッ…!」
八極拳が使い手の震脚からの寸勁は、例え両腕を縛られ体の動きを止められていようとも、震脚によって体の重心を急激に沈下させ踏ん張ることの反作用により、その全身の力を一点に集中させることにより成木ですら容易く薙ぎ倒す。達人中の達人たる老爺であれば、その一撃は英霊、サーヴァントにとってすら必殺となりうる。
「ランサー!?」
口から血を吐いた美丈夫が首を絞めていた腕を解きつつ、たたらを踏んで後ずさると、代わりに立ち上がった伊織が前に出て、それを背に庇う。
「ふぅむ…」
しかし、絞められた首を労わるようにゆっくりと手で撫でる老爺は、今の衝撃で地面に落ちた色眼鏡を拾い、それを軽く夕陽に翳した。
「やれやれ、ちと戯れが過ぎたか」
「何?」
「いや、何、こちらの話だが。一撃で事足りると大口を叩いておいて、この有様。これではあの娘が何と云うか…」
「全くだぞ、アサシン。これはただの散策だったはずだが、一体いつまで遊んでいるつもりだ?」
そこに響いた涼やかな、凛とした聞き覚えのある声に、伊織はそちらを振り向く。
「正雪殿」
「また会ったな、伊織殿」
背後に偉丈夫を従えた若き烈士は、祖父を叱る孫のような口調で老爺に声を飛ばす。
「すぐ戻ると言っていたではないか。なのに貴殿がなかなか戻って来ぬせいで、ライダーは暇を持て余して勝手に遊山を始める始末だ」
「そう言うでない。ほれ、おかげで玉縄の屋台で外郎(ういろう)も買えたではないか。余の幸運ステータスの高さは伊達ではないのだぞ?」
「呵々、ならば今宵の食後の茶請けはそれで決まりだな」
まるで野放図で奔放な父親の行状に悩む生真面目な孫娘と、その父娘のやり取りを穏やかに見つめる祖父のように、三人は違和感もなく言の葉を交わしている。
「そうそう、ならばこの若造どもも一緒にどうだ?」
そして、それに置いてけぼりにされた形の伊織と槍兵にも水が向けられる。
「……。アサシン、この者らは敵なのだぞ? まして、今の今まで他ならぬ貴殿と刃を交わしていたところではないか。それを夕餉に招待しようと言うのか?」
「いかぬ、と?」
道理を以て諭そうとする正雪に、しかし逸れのアサシンは真顔で問い返す。
「死合うのはいつでも出来る。それこそ、夕餉の後に再戦しても儂は一向に構わんがな」
「…っ!」
「まあ、しかし、それはそれ。老骨の戯れに付き合うてくれた礼の一つぐらいはしてやっても良かろうと思ったまで。特に、そちらのランサーとは他人のような気がせんのでな」
互いに肩を貸し合いながらようやく立っているような有様の伊織と槍兵にとって、ここで戦闘を再開するというのは論外であった。逸れの霊基でありながら恐るべき使い手のアサシンに加え、無傷のライダーまで控えている。勝てる見込みは極めて低い。
「…はぁ」
そんな二人にちらりと目を向け、正雪は溜め息を漏らした。ここでライダーをけしかければ勝ちを拾うのは容易い。その程度のことは正雪にも理解は出来ている。だが、しかし――
『その願いは、とても美しいな』
自分に向かってそう言ってくれた伊織を、今ここで討ち果たすと言うのは気が進まなかった。儀で勝ち抜くことを最優先にするのであれば、むしろそうするべきだと理性ではわかっていたとしても。
「伊織殿」
「…何か」
「貴殿は、横須賀の地に根付く術者について何かご存知か。かの地の術者はなかなかに手強い。私も各地の霊脈を押さえようとはしているが、かの地から湧き出る蛇の群れには苦慮している」
「……」
伊織は槍兵と顔を見合わせた。正雪が何を求めているかは明白だった。敵の情報を対価とするならば、この場を見逃しても良いということだ。
「ああ、知っている。俺の知る限りの事であれば、話しても構わない」
「良かろう。ならば、その情報と引き換えに一宿一飯ぐらいならば提供するもやぶさかではない」
「ほう? ほうほう、それはそれは」
「なんだ、ライダー。妙な笑いをするな。気持ち悪い」
どこか面白がるように、あるいは微笑ましくもからかうように、正雪の頭を撫でようとする偉丈夫の手を避けながら正雪は言い返した。
「ここから神田や浅草までは遠い。ライダーの戦車であればすぐに戻れる。が、乗れる人数には限りがある。御者役のライダーに私と伊織殿が乗り、アサシンとランサーには霊体化してついてきてもらうが、構わないな?」
「……。それは、俺たちにとっては非常に、この上もなくありがたいが…いいのか?」
傷ついた身で、ここから浅草まで徒歩で帰還するというのが不可能とは言わぬまでも体力的に厳しいのはわかっていた。しかし、他に手がないとなれば仕方ない。そう思っていたのだが、まさか正雪の方から申し出てくれるとは夢にも思っていなかった。
「…ここから私たちが先に戻ったところで、いつ来るかもわからぬ貴殿らが来るまでずっと待ち続けるのも時間の無駄と判断したまでのことだ」
正雪は伊織の顔から目を逸らし、もっともらしく理屈を捏ねた。ただし、それが本当に理由の全てであったかどうかについては、正雪自身にとってさえ自信はなかった。