Fate/SamuraiRemnant異聞 伊×槍決闘譚 作:葛轍偲刳
拾三:南蛮船
揺れぬ大地の上で刀を振るうのと、高波に翻弄され木の葉の如く右へ左へと傾き揺れる船の上で振るうのとでは勝手も違う。
それが川の渡しで使うような小舟であろうと、あるいは大海をも渡る南蛮船であろうとも、大海原の上では五十歩百歩の極小の点に過ぎないことに変わりはない。
まして、それが神気すら感じるほどの大怪異、多頭八岐の大おろちに取り囲まれ、荒天で波打つ海原の上でのことともなれば、その中にあってなお平常心を保つことは至難を極めるであろう。
「――禁」
乗馬用と思しき鞭を手にした若き女魔術師が大おろちの頭上からアサシンと共に、さながら実験動物の挙動を観察する学者の如く冷徹な眼差しで見下ろす中、妖蛇の頭を長柄の棍の先端で貫いた鄭成功が道術の符を翳しながら呟くと、妖蛇の体が紅蓮の炎に包まれ、灰も残さず燃え尽きる。
「マスター、この数は異常だ。どうやら海から無限に湧いて出てくるような術式が組まれているぞ」
吸盤に覆われた触腕を操って海面から船腹を這い上がり、次々に甲板に姿を現す海魔を弓で撃ち抜きながらアーチャーが冷静に報告した。
「そんなことが出来るのか?」
「街中にも配置されていた魔力炉を船内の何処かに隠しておく。あらかじめ船の外壁面に複数の召喚の陣を刻んで、それを魔力炉で動かせば、魔力炉が稼働し続ける限り妖物を呼び寄せる罠になる。悠長に魔力炉を探している暇などないし、船ごと魔力炉と術式を破壊すれば、当然我らも海の藻屑だ」
「それはまた、豪勢だが思い切った手を使うものだ!」
自分の工房たる南蛮船を丸ごと海に沈めることも厭わぬ覚悟となれば、決して軽視は出来ない。
「盈月の儀における大同盟を組んだ三騎のうち、その二騎をマスター諸共に今ここで討てるのであれば、船の一隻ぐらい安いものだわ」
手にした鞭を一振りしながら優雅に嘯くドロテアの傍らで、アサシンが周囲に煙玉を放り投げる。濛々と立ち込める黒煙が視界を遮り、頭上から戦車で突っ込もうとしたライダーの突進を阻害する。
「ぬぅ…っ!」
迂闊に突っ込めば、その黒煙を切り裂いて迫る大おろちの顎に飲み込まれる。元より蛇は他の爬虫類に比べ視力に劣り、それゆえ視覚のみならず赤外線を探知する器官によっても獲物を捉える生き物である。ゆえに視界が塞がれても征服王を捕捉するのに支障はない。
「余の邪魔をするか、アサシン!」
「仕える主の守護をせぬ従者がどこにいる」
「それもそうだな! 余の影武者も、そう言って余にかけられた呪いだの何だのを、全部その身一つで背負い込みおって聞かなんだわ!!」
戦車と大おろちの頭上との間で声を交わしながらも、アサシンが投げ放った手裏剣を征服王のキュプリオトの剣が切り払う。
その間も、甲板上では戦いが続いている。倒しても倒しても終わりがない戦いは疲労を蓄積させる。
「こいつは、なかなかに…」
鄭成功が肩を上下させながら息をすると、その背中が別の誰かの背中に当たる。振り返って見るまでもなく、それが誰の背中なのかはわかった。
「どうする、伊織。このままでは埒が明かん」
「鄭、アーチャーの楼船で上から妖蛇と海魔を駆逐できるか?」
「出来はするだろう。だが、おまえはどうする?」
「俺とランサーで、この大おろちを討つ」
静かに、しかしはっきりと言い切る伊織の声に、鄭成功は目を瞬かせる。
「本気か?」
「無論だ。むしろ、そうするべきだと思う」
「理由を訊いても?」
「俺たちの前には三羽の兎がいる。妖蛇と海魔の群れ、大おろち、そして本体のアサシン。一見すれば、アサシンに集中するべきのように見える。アサシンさえ討てば、残りの二つは消えるのだから」
「だが、そうではない、と?」
「この大群と、大おろちに邪魔されながら、大本のアサシンを討てるか?」
再び頭上で甲高い音が連鎖する。アサシンとライダーの戦いが続いているのだ。ランサーとアーチャーも、二人のマスターが行動の指針を決めるまではと何も言わずとも雑魚の群れを切り散らし、束の間ではあるが僅かな猶予となる時間を稼いでくれている。
「…難しいか」
「俺も出来ないとは言いたくないが、それよりはまだ、ライダーがアサシンを押さえてくれている間に残りの二羽の兎を追うべきだと思う」
その声は穏やかだったが、そこには何か一本の硬い芯棒が通っているように鄭成功の耳には聞こえた。
「伊織、おまえ…何があった?」
「何が、とは?」
「男子、三日会わざれば刮目してみよとは言うが…。先だって赤坂で見送った時とは、おまえの中で何かが変わったような気がしてな」
ふっ、と、僅かに伊織が苦笑するような気配が背中越しに伝わってくる。
「そうだな。俺は盈月の儀を、放っておけば民に害を為す悪行だと捉えていたが…」
「違うと?」
「いや、違わない。儀そのものは、放置してはおけない悪には違いない。だが、儀に参加する英雄英傑と親しく言葉を交わし、また刃を交わすと言う得難い経験から学ぶことは大いにあると教えられた。剣士というのは、実に因果なものだな、鄭」
「そうか。もしおまえさえ良ければ、また酒を酌み交わしながらその辺りの話をゆっくり聞かせてもらいたいものだ」
「話し合いは終わりかしら?」
二人の青年の会話に、頭上からドロテアが割り込んでくる。
「どちらかが私に下って、残りの一人を切ると言うのなら考えてあげてもいいのよ?」
「商人らしい提案だな。俺も商人の子としてわからなくもないが、損得のみで人を割り切ろうとすると、そのうちに手痛いしっぺ返しを喰らうぞ」
鄭成功が笑って言い返すと、その横で伊織は小さく頷いた。手にした太刀の切っ先をドロテアに向け、真っ向から啖呵を切る。
「何より、俺たちのどちらかを犠牲にすることでしか生き残る目がないと思われているというのが片腹痛い」
「あら、もしかして今この状況から無傷で脱出できると本気で思っているの?」
「もちろんだ。俺たちは誰一人として欠けることなく、この死地を脱してみせる」
紫がかった茶色の瞳を剣呑そうに鋭く細め、女魔術師は口元を引き締める。
「どうする、れでい。あの程度の安い挑発に乗るのも癪だが…」
「その通りね。あんな挑発に乗るのは愚かなこと」
アサシンの主従は意見を一致させた。伊織がドロテアを挑発し、その目を自分に集中させることでアーチャー陣営を動きやすくし、膠着した事態の打開を狙っているのは明白だ。
「でもね。その安い挑発に乗ることもせず、黙って言われっぱなしで無礼者の横面を張り倒すことも出来ない臆病者と見られるのは、もっと耐えられないの。私は貴族として、あの放言に応じた報いを与えてやらねばならないわ」
「なるほど。それもまた道理だな」
気位の高い貴族令嬢らしい言葉に、アサシンは薄く笑った。挑発であるのはわかっている。しかし、それでも応じてみせるのが強者としての面子だ。
貴族とは畏れられるべきものである。敬われるべきものである。相手に舐められたままでいる者を、一体誰が貴族と認めてくれるものか。
腕にドロテアを抱えたまま、アサシンが大おろちの頭上から跳躍した。
「行け、鄭!」
「アーチャー!」
伊織に背を押された鄭成功が弓兵を呼び、すかさずそれに応じたアーチャーが宝具たる楼船を呼び出す。
「マスター、来るぞ!?」
アーチャーが抜けた穴を一人で受け持ち、伊織の背を海魔と妖蛇の群れから守る美丈夫が警告を発する。
帆柱の側面に着地したアサシンが、そのまま垂直に駆け下りてくる。その右手を蛇に変じさせて。
「――秘剣」
頭上を見上げた伊織は二刀を構え、迎え撃つ。
「二河白道!」
迫りくる蛇を右の太刀で切り払う。
「Mina ord kommer att vara ditt blod(我が言霊は汝の血に)――Förstärkning!(強化)」
――が、それと同時にドロテアの紡いだ魔術がアサシンを瞬時に強化する。手首から先を、確かに切り飛ばされたはずのアサシンの傷の断面から、しかし再び新たな蛇が生えてくる。
「な」
英霊とは超常の存在。道理や常識を無視して当然。まして、それを従えるのが正当なる魔術師の後継として研鑽を重ねてきた古き魔術の家系の裔ならば尚の事。
そうとわかっていたとしても、やはり伊織は剣士であり、自らが秘剣で切り飛ばした腕の、その傷口から即座に新たな別の手が生えてくるなどという目を疑う光景に一瞬ながら反応が遅れる。
「くっ…!」
残る左の脇差が再び蛇の頭を切り払うが、それよりも早く、伊織の左腕を妖蛇の毒牙が掠めていた。
伊織の視界が赤く、黒く明滅し、体が急激に重くなる。
「殺った」
アサシンは確信をもって呟いた。使役する妖蛇が毒すら並みの人間にとっては強力な蛇毒だが、自らの手足を変じた蛇の毒ともなれば更に強力なものとなる。
例え、契約したサーヴァントによっては毒に対する耐性を得るマスターがいるとしても、もとより多種多様な蛇の毒は治療が難しいことで知られる。血清による治療法が確立されたのも20世紀も間近になってからであり、それすら効果が確実ではない上に副作用の問題もある。
「貴様の命、もってあと半日と知れ」
「てめえっ!」
ゆえに、アサシンの宣告は事実上の勝利宣言にも等しいものだ。咄嗟に背後からランサーが振るった魔槍の穂先をかわし、別の帆柱に飛び移ってその側面に手をかけて体を支える。
「やったの?」
「無論」
「なら、あれはもういいわ。アーチャーを追いましょ」
「承知」
即座に死に至らしめられなくとも、既に伊織の余命は残り少ない。今すぐに撤退して治療にかかったとしても、それが果たして間に合うか。あるいは残った大おろちの始末に時間をかければ、それだけマスターの命はどんどん削られていくのだ。
どちらにしても、今の伊織に向けるべき優先度はそれほど高くない。であれば、残るアーチャーにリソースを割り振るべきだというドロテアの判断は極めて真っ当なものだった。冷徹なアサシンも、その判断に同意する。
「逃げるか、アサシン!」
「貴様の相手は後でしてやる」
追いすがろうとするライダーに言い捨てつつ大おろちの頭を踏み台に、湊の波止場へと飛び移ったアサシンとその腕の中のドロテアは、そのまま撞球の如く跳躍を繰り返して湊の上空から火矢の雨を降らせている楼船に向かっていく。
「おい、マスター!」
「問題ない…まだいける」
「その顔色で何を言ってやがる」
「ランサー!!」
日頃の穏やかな言動からは想像もつかぬほど荒々しく伊織が吼える。
「今が好機だ。アサシンの目が離れ、邪魔する者はいない。あれほどの大怪異、アサシンとてそう易々と喚べるものではないはずだ。横須賀の地の利も含め、マスターにとってもそれなりに手間暇をかけ、入念に仕込みと準備を重ねた必殺の罠を、今ここで完膚なきまでに潰されたとなれば!」
太刀を握ったままの右の拳を、槍兵の胸板に押し当てる。
「ドロテアとて、ここに引き篭もっているわけにもいかなくなる。根拠地を防衛するべき戦力となる手駒も大幅に減らされて、同盟を組んだ三騎も無傷。次の襲撃を凌げる保障などないのだから。そうなれば、アサシンもその護衛に注力する必要に迫られる。各地に出没する妖蛇の脅威も大幅に減じる。ゆえに、あの大おろちは討ち果たしておかねばならない。今、ここで!」
「…一応、こいつは念のために言っておくが。ライダーに任せるって手はねえか?」
「あれほど大きな獲物を前に、まさに死を賭けた戦いを目前にしておきながら、それを他人に譲る? 冗談にしても笑えないぞ、ランサー。貴殿がそんな殊勝な物言いをするような男ではないと、俺はもう知っている」
毒々しいほどに青黒く染まった顔で、それでも獰猛に笑ってみせた伊織に、美丈夫は小さく溜め息をついた。
「そんな顔色で、どうしてそこまで晴れ晴れと笑えるんだよ、てめえは」
「もちろん、俺の目の前に立っている男の影響だ。朱に染まれば赤くもなる」
「この大馬鹿野郎が」
憎まれ口を叩いたランサーは、甲板上の残りの海魔と妖蛇を後ろ手に振るった槍で一掃すると、頭上のライダーに向けて呼ばわった。
「おい、ライダー! 悪ぃが、またマスターを運んでくれや! 今度は吉原まで一っ走り、頼むぜ」
「余を使い立てすると高いぞ?」
「なら、オレの奥の手(とっておき)を見せてやるよ。その見物料と相殺ってことでどうだ?」
不敵に笑った美丈夫は、その手の魔槍を見せつけるように振りかざした。