Fate/SamuraiRemnant異聞 伊×槍決闘譚   作:葛轍偲刳

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次回は25日頃に投稿予定です


三章:見えざる魔手(上)
壱:彫仏


 翌日の江戸一帯は朝から雨模様であった。

 魔術工房に改装した副産物として、古い長屋の屋根が雨漏りをすることもなく過ごせるのはささやかなる恩恵と言うべきか。

 障子越しにも聞こえる雨垂れの水音を耳にしつつも、伊織はそれに集中を切らせることなく手にした鑿を丁寧に振るい、木目に沿って木肌を削っていく。

 

「意外と器用だな、マスター」

「まあ、俺のような素人でも時間をかければ、このぐらいは出来るようになる」

 

 手持ち無沙汰に畳の上に寝転がったままそれを眺めている美丈夫の感想に、伊織は軽く応じながら手元の木屑を軽く払う。

 

「とはいえ、これも師匠が彫った像に比べればまだまだだが」

「そんなことないよ! 兄ちゃん、昔に比べたら随分上達してるし! そのうちお師匠様みたいな像も彫れるようになれるよ、きっと!」

 

 そう明るい声を上げたのは、このところの連日の遠出で傷んできている伊織の草履を、ついでに自分のと一緒に繕って手直ししているカヤで、今日は朝から雨ということもあり、伊織がずっと大人しく同じ長屋の中にいてくれているせいか機嫌も良いようだった。

 

「そうか。カヤがそう言ってくれるのなら、そうかもしれないな」

「!」

 

 そして、珍しくも素直に伊織がその言葉を受け入れたので、カヤは思わず胸元で拳を握って口元を緩ませた。

 

「えへ、えへへ…」

 

 だらしなく緩んだ口元を隠すのも忘れて笑み崩れている様子から、素知らぬふりでそっと目を逸らしながら、美丈夫は伊織に向かって『やるじゃねえか』とばかりに小さく口元だけで笑って見せる。

 伊織も義妹には気付かれぬように小さく微笑みながら、手元の像に再び目を落とした。

 

「…いや、でもよ。なんというか、こうして見ると、ものすげえ違和感があるんだがな。あの野郎がそんな顔をするか? どうしても想像できねぇ…」

「別に、どんな顔をしていようが問題はあるまい。そこまで細かい注文はされていない」

「…いや、まあ、それはそうなんだがよ…」

 

 美丈夫が指摘した通り、『巴比倫弐屋』の若旦那を模した像は、しかし観世音菩薩もかくやと思しき慈愛に満ちた穏やかな表情を浮かべている。これは、どちらかと言えば仏像を彫るのに慣れた伊織が手が動くに任せている間に、自然とこういった表情を彫ってしまったというべきだが。

 

「もし本当に客寄せにするなら、あまり恐ろしげな顔にするのもな」

「ハッ…、それで店に入って見たら、実物とのあまりの落差に幻滅するわけだ。ざまあねえな」

 

 鼻で笑って相変わらずの悪態をつく槍兵に、伊織は軽く笑って鑿を木肌に当てる。そうして、細かい部分を丁寧に彫り込んでいく。何分、こうして特定の誰かを意識して、その顔に似せて彫ったことなど一度もないだけに、彫る難易度は段違いに難しいのだが、これもまた一つの経験として見れば新鮮でもあった。

 

「こんなものか」

 

 台座の形を軽く整えてから、出来映えを見るように文机の上に置く。

 

「…あの野郎の像と思うと今すぐぶっ壊してやりたくなるが、まあ、マスターの力作をぶち壊すってのも気が引けるから我慢するか…」

「そうしてくれ。せっかく苦労して作ったものだ。それに、これで少しは金にもなる」

 

 そう言いながら、別の木塊を手にした伊織に槍兵は軽く眉を動かした。

 

「なんだ、二つ目か?」

「いや、同じものを彫ってもな。どうせなら別のものを彫る」

「そうかい。…いっそ仏師を目指しても良かったんじゃねぇのか?」

「いや、それはないな」

 

 あっさり否定してから、鑿を新たな木肌に押し当て、ガリガリと削っていく。

 

「俺は彫仏しか真似しなかったが、師匠は多芸な人だった。能筆でもあったし、絵も能く描いた」

「そりゃまた大したもんだ」

「おそらく、剣士として観察が巧みで、手も器用だったからだろうな」

「なるほどなぁ…」

 

 何気なく相槌を打った美丈夫は、しかしそこで別のことを思い出したように視線を上に向けて、

 

「…そうだな。確かにオレの師匠も器用と言うか、何でも出来たな」

「ランサーさんのお師匠様ですか? どんな人だったんですか?」

 

 その述懐に食いついたのは、伊織よりもカヤの方が先だった。

 

「どんなって…、あー…、そうだな、とりあえず、」

「はいっ」

「この世の誰よりもおっかねえ女だ」

「…はい?」

 

 思わずポカンと口を半開きにしてしまうカヤは、そのままの表情で小首を傾げた。

 

「女性の方、だったんですか?」

「おうよ。オレの師匠は槍も使う、魔術も使う。それもこれも全部が超一流でな。特に魔術の腕は大したもんだった。基本の18のルーンはもちろん、そいつを組み合わせるのがとにかく巧くて、どんなことでも出来た。出来ねえことは何もねえくらいにな」

「……」

 

 手放しでベタ褒めしているにも関わらず、槍兵の額に冷や汗とも脂汗ともつかぬものが浮いているのがカヤにとっては不思議である。

 

「ランサーさん」

「あん?」

「どうしてお師匠様のこと、そんなに怖がってるんですか?」

「……」

 

 無邪気に指摘された美丈夫は気付かぬうちに額に浮いていた汗をそっと手で拭い、あらぬ方を見遣った。

 

「…あー…、まあ、あれだ。昔、修行中に色々とあって、だな」

「色々と?」

「そう、色々と、だ」

 

 珍しく意気消沈している様子の槍兵に、伊織は仕方なく助け船を出す。伊織としても出来ればもっと聞きたいところではあるが、これ以上追い詰めるのも気が引けた。

 

「カヤ、それぐらいにしてやってくれ。ランサーにも色々とあるだろう。言いたくないことを無理に聞き出そうとすることもない」

「あ、うん。そうだね。――すみません、ランサーさん。不躾なことを伺ってしまい、申し訳ありませんでした」

「いや、いいんだ。気にしねえでくれ」

 

 ヒラヒラと手を振った槍兵は、寝返りをうって二人に背を向ける。そのまま、長屋の中には暫しの沈黙が落ちた。

 伊織が鑿で木を削り、手で木片を払う音。カヤが草履を繕う小さな音に混じって、雨垂れが落ちる音が長屋の中に響く。

 

「あ」

「どうした?」

 

 ふと、思いがけず上げてしまったような声をカヤが漏らしたので、伊織も顔を上げた。

 

「草履の鼻緒に使う分の端切れが無くなっちゃった。どうしよう」

「あとどれくらい必要なんだ?」

「私の草履の、片方分だけ…」

 

 しょんぼりとして、自分の草履を見せてくる。確かに、解いた鼻緒の穴がそのままになっていた。

 

「なんだ、それくらいなら万屋に行けばすぐに手に入る。ちょうどいい。出来た像を若旦那に納めるついでに買ってこよう」

「ごめんね、こんな雨なのに」

「カヤも暗くなる前に帰してやりたいからな。すぐに戻る」

「なら、オレも行くか」

「いいのか、ランサー。また若旦那と顔を合わせることになるが」

 

 そう言われると美丈夫は嫌そうに顔をしかめたが、

 

「何度でも言うが、あの野郎の前にマスターを一人だけで行かせるほどオレは不用心にはなれねぇってだけだ」

「つくづく、若旦那に対してだけは辛辣だな。…いや、先だって顔を合わせた神奈川湊のアーチャーにも、か?」

「ハンッ、どっちもいけ好かねえ野郎だって事には変わりはねえな」

 

 鼻で笑った槍兵が肩を竦めると、伊織もそれ以上は何も言う気にはなれず、手早く出かける支度をする。

 

「行ってくる」

「行ってらっしゃい、兄ちゃん」

 

 障子紙を張った木戸を引き開けて、伊織と槍兵の二人が出て行くと、長屋の中は急に静かになる。

 

「――…本の爺ちゃん…は、まだ寝てるのかな?」

 

 カヤが呟いても返事がないということは、そういうことなのだろう。少し手持ち無沙汰になって、奥の障子を僅かに開ける。外の雨は未だ降り止む様子がない。長屋にある唐傘は、自分が小笠原の屋敷から来る時に差してきた一本きりだ。

 

「そう言えば兄ちゃん、傘を差して行かなかったな。傘くらい、言ってくれれば貸すのに」

 

 この傘は小笠原家のものであって、その養女であるカヤだから使うことを許されているものだ。だから、自分にはこの傘は使う資格はない、とでも考えたのだろう。

 そういうところは、相変わらず融通の利かない堅物のままだ。

 

「雨に濡れたまま帰ってきたら体も冷えちゃうし、せめて白湯ぐらいは用意しておこうかな」

 

 そう思いついて、立ち上がって竈へと向かう。灰の中に埋めて残しておいた火種に、何本かの藁を差し入れて火を熾す。

 このところ、兄は色々と新しい稼ぎ口を見つけてきているようで、贅沢とまでは言わないがちょっとした甘味などの土産の品を買ってきてくれたり、魔術工房で使う素材の他にも細々とした品を持ち帰ってくる事が増えた。

 そのほとんどはカヤには使い道すら皆目見当もつかないものばかりだったが、たまに触ってみたくなるものも混じっている。いろは歌留多(カルタ)やら、名所双六やら。義兄に言えば、触るくらいは許してくれそうなのだが、あまり我が儘を言うのも気を引けて、興味をそそられつつも未だに何も出来ていない。

 

「今度、ちょっとおねだりしてみようかな」

 

 そんなことを思えるようになったのも、あのランサーという青年と伊織が行動を共にするようになってから。

 あの不器用な義兄も少しずつではあるが、自分に気を遣ってくれるようになり始めたせいもあるだろう。

 大名家の養女となった義妹に比べて、仕官も叶わぬ浪人という立場を引け目に思い、剣の稽古ばかりにかまけて自分の身を蔑ろにしがちで、とかく世渡りが下手だった義兄も、少しは成長して自分に頼り甲斐のあるところを見せてくれようとしてくれるようになったのだと思えば、カヤの口元にも自然と微笑みが浮かぶ。

 

 が、そう思ったところで不意に木戸が引き開けられたので、カヤは義兄がもう戻ってきたのかと不思議に思いつつ振り返る。と――

 

「? 兄ちゃん、何か忘れ――?」

 

 だが、そこにいたのは義兄とは似ても似つかない、汚れた布を巻いて面相を隠した怪しげな男だった。

 

「…っ!!」

 

 咄嗟に身を翻して、即座に逃げ出したのは武家の娘として上出来だったと言えるだろう。

 不埒者の傍らを駆け抜けるのではなく反対側の奥の障子から外に飛び出そうとし、さらには掌が火傷するのも厭わず竈から掴んだ熱い灰を一掴み分も後ろ手に撒き散らし、せめてもの目潰しと追跡の足を止めようとしたことも含めれば、およそ年頃の娘が望める限り最上級の対応であった。

 

 ――ただし。

 

「ぐ、っ…!」

 

 仮にもセイバーの霊基で現界した英霊にとって、その程度では全く足止めにすらならないという根本的な問題に対しては全くの無力だったが。

 

「……」

 

 首筋に打ち込まれた鞘の一撃で脳震盪を起こし、昏倒し倒れ込む少女の体を抱きかかえる剣士は、無言で主にそれを差し出した。

 地右衛門は少女の体を無造作に肩の上に抱え上げ、長屋の中を見回す。

 

「…不用心だな。こうもあっさり侵入を許すとは」

「魔術の心得があるとはいえ、あくまで剣士が本領といったところでしょうか」

 

 そう言う剣士は、しかし今回の侵入が成功した要因は伊織の魔術の腕とは無関係な別のところにあることを知っている。地右衛門の懐に仕舞い込まれた、小石川を根城とする逸れのキャスターから半ば押しつけられたも同然に手渡された護符。

 かの神代の魔女が手がけた護符を前にしては、当代の術者が施した結界術式など児戯にも等しい。とはいえ、工房の留守番に置いておくのが魔術の心得すらもない一人の少女、それも身内であるという時点で不用心の謗りは免れまいが。

 

「…そう、不用心にも程がある。だから、俺のような敵に隙を見せればどうなるか、きっちり教えてやらないとな」

 

 竈の中で赤々と燃える火を目に映す地右衛門は、耳まで引き裂けるような不吉な笑みで口の端をつり上げた。

 

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