Fate/SamuraiRemnant異聞 伊×槍決闘譚 作:葛轍偲刳
「この戯け者が!!!」
万屋で端切れを買い求めた帰りに伊織と槍兵が『巴比倫弐屋』の敷居を跨いだ瞬間、二人の全身を若旦那の怒声が打ち据えた。
「雑種よ、もとより貴様が愚かであるとは知っていたが、よもやこの我(オレ)の予想をすら外すほどに愚かであったとはな! 見損なったというべきか? それとも、いっそ褒めてやるべきか? 道化の愚行は一笑に付すのが王の度量だが、それも度が過ぎれば興醒めというものだぞ?」
両腕を胸の前で組み、ひどく嘆かわしげに頭を振る若旦那を二人は唖然として見遣る。
「おい、てめえ、前々から気に食わねえと思ってはいたが、とうとう難癖やらイチャモンまでつけてくるようになりやがったか?」
「黙れ、狗。貴様の相手は後でしてやる」
美丈夫の抗議を一言で切り捨て、若旦那は伊織を正面から睨み付けた。
「雑種、ここで貴様は何をしている?」
「若旦那、すまないが、俺には何の事か全く…」
「戯け。大戯け。まだわからぬか、この底抜けの戯け者が」
矢継ぎ早に罵倒され、伊織は逆に真顔になった。
「若旦那。すまないが急用を思い出した。この像はひとまず貴殿の手にお納め願いたい。手抜かりがあれば後日、作り直す。この非礼は平にご容赦を」
懐から出した木彫りの像を押しつけるように手渡すと、即座に踵を返す。
「おい、マスタ-!?」
「急げ、ランサー! すぐに長屋に戻るぞ!!」
雨の中を駆けていく二人の背中が靄で見えなくなってから、若旦那は手の中の木彫りの像を見下ろし、軽く弄ぶように回し見た。
「――…ふむ。まあ、悪くはない出来だ。前払いの報酬をいささか弾みすぎたかと思わなくもないが…まあ、どうせ間に合うまいな。さて、その上でどう踊ってみせてくれるのだ?」
若旦那が低く呟いたのと、長屋街の方向で赤々とした火の手が上がったのとは、ほとんど同時の事だった。
「おい、マスター!」
「わかっている!!」
その火の手は、まさに長屋を目指して走る二人の行く手で上がっていた。
「くそっ…!!」
わかっていたはずだった。盈月の儀に参加するということは、当然、誰かに命を狙われるということであり。少しでも隙や弱みを見せれば即座に食いつかれるということでもあると。
だからこそ、長屋に工房を構え、少しでも防御を固めたはずだった。そして、今の今まで長屋が怪異の群れに襲われることはあっても、長屋そのものに被害が及ぶことはなかった。そのはずだった。
――今までは、だが。
「カヤ…っ!!!」
降りしきる雨の中にあっても弱まる気配すらない紅蓮の炎に包まれ、無惨にも炎上する長屋の前で、挑発するようにカヤの体を肩に抱え上げ、伊織を嘲笑する地右衛門を前にして、伊織の堪忍袋の緒は一瞬で弾け飛んだ。
「マスター…っ!?」
それに続こうとする槍兵の行く手を剣士が阻む。
「てめえ…っ!!」
「どうしました? 先だってに比べると些か攻め手が鈍いようですが。ああ、そういえば何処かで騒ぎがあったそうですが、どこか手傷でも?」
窶れきった顔で、それでも涼しげに言ってのける剣士の指摘は正しい。
確かに傷は癒えた。損壊した右腕は元通りになった。しかし、人間は機械では無い。壊れたパーツを取り替えたからといって即座に元通りに動くとは限らない。再生した神経、筋肉、関節などが馴染み、元の感覚が戻るまでには多少の時間がかかるのは当然だ。そうでなければ医学の分野にリハビリテーションなど必要とはされない。
まして、長柄の槍を使うのは両腕である。左腕に比べて僅かに、ほんの一瞬だけ右腕の反応が遅れ、槍を手繰る指先の動きが遅れ、手首を捻り肘を回すのが遅れる。それは、精密な剣技を使いこなす剣士に対抗する上で絶対に必要な繊細な槍捌きにとって、傍目にはごく僅かな、しかし決定的なまでの一瞬の差を生む。
「地右衛門…! カヤを、返せ!!」
「間抜けにも塒を空にしていた阿呆に、わざわざ奪った獲物を黙って返す馬鹿がどこにいる?」
せせら笑う地右衛門に、伊織は剣を向ける。が、肩に担がれたカヤを盾にする地右衛門に対しては迂闊に踏み込むことも出来ず、歯噛みする。
『わけを聞かせて。それまで私、今日は帰りません』
自分の愚かさを今になって悔いる。
あの時、自分は何としても義妹を遠ざけるべきだった。例えカヤが拗ねようと臍を曲げようと、嫌われ、最悪あるいは兄妹の縁を切られることになろうとも、断じて長屋に置くことを肯んじるべきではなかった。
本当に、自分は愚か者だ。もし若旦那の叱責、否、警告がなければ、自分は焼け落ちて灰になった後の長屋に帰り着いて呆然とした挙げ句、そこには既に居もしない義妹を探してひたすら雨に濡れた灰と工房の残骸を掻き分けるばかりの無様を晒し、ただでさえ貴重な時間を更に無駄にしていただろう。
そして長屋を襲った下手人が誰かもわからず、その行方すら見当もつかず、ただただ当て処も無く八百八町を彷徨うばかりで、カヤを救うことも叶わなかっただろう。そんな自分に、八つ裂きにしても飽き足らぬほどの殺意をすら抱く。
「カヤを、返せ!!!」
「何とかの一つ覚えか。もうちょっと捻りのある口上を使うくらいの知恵を見せたらどうだ?」
元より大人しく返すつもりなど毛頭ありはしないのだろう。歯を剥き出して嘲笑する地右衛門がじりじりと後退していく。頼みのランサーもセイバーに押さえられている。
そして肝心の自分は、手をこまねいて黙って怨敵を見送ることしか出来ずにいる。なんたる無様さか。何が二天一流か。大切な義妹一人をすら守れずに、何が天下一の剣士か。
「カヤ…!!!」
業を煮やして踏み込むも、すかさずカヤの体を盾にする地右衛門を前に足が止まる。その手に握った二刀を振ることすら出来ない。
「どうした、宮本伊織。そのご大層な二刀流はただの飾りか? 宮本武蔵が草葉の陰で泣くぞ?」
「地右衛門…!!」
ニタニタと笑う地右衛門の顔が燃え続ける炎の向こうに消えていく。咄嗟に伊織はそれを追いかけようとして、しかし追えなかった。ここで迂闊に追えば、カヤが火に巻かれる恐れすらある。地右衛門は身を守る何らかの手立てを有しているのだろうが、その守りの効果がカヤにまで及ぶかどうかはわからない。
よしんば追ったところで、その先の手立てがない。つまりは、完全なる手詰まり。迂闊にも長屋を留守にして、その隙にカヤの身柄を奪われた時点で、もはや伊織には打つべき手が存在しなかった。
「では、私もこれで」
「待ちやがれ!」
「おや? 今度は負け犬の何とやらですか。主の足を引っ張るサーヴァントの強がりは、実に見苦しいですね」
「…っ!」
憫笑に近い嘲笑を浮かべる剣士に、美丈夫の額に青筋が浮く。ここぞとばかりに、わざとらしく剣士が咳き込んで見せるも、それが見え透いた挑発だとわかっているだけに動けない。
「待て、地右衛門…! カヤを、…返せぇぇぇぇぇぇぇぇ…っ!!」
伊織の咆哮が長屋街に響く。しかし、地右衛門とセイバーは悠々とそのまま姿を消す。
指を銜えて黙ってそれを見送るしかなかった無力な男の、ただの遠吠えに過ぎなかった。