Fate/SamuraiRemnant異聞 伊×槍決闘譚   作:葛轍偲刳

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作業BGM:スパイラル・ラダー「陸劫輪廻 (feat. Yuriko Kaida)」


序章:眩き夜に(前)
壱:襲撃


 江戸、浅草。

 町外れの長屋街の裏路地を駆け抜ける青年の左右の両手には二刀が握られ、時おり肩越しに振り向いては、追い縋る隠密の姿を確認する。

 前方の長屋の瓦屋根を踏んで黒装束に身を包んだ二人の隠密が苦無と手裏剣をそれぞれ投げ放ち、飛来するそれらを左右の二刀が次々に切り払い、あるいは体捌きで回避し、あるいは足運びを変化することで易々と躱してのけた。

 

「――水の型」

 

 低く呟いた青年は、背後から音もなく忍び寄ってきていた隠密を振り向きざまに横薙ぎの一刀で斬り払い、さらに左右の刀を乱れ舞わせて次々に襲い来る隠密を大波で押し流すように撃破する。

 

「ぬっ…!」

「くっ!」

 

 切り裂かれた黒装束から血煙を上げて次々に倒れ伏す隠密達は、しかし不退転の覚悟で向かってくる。

 

「貴殿ら、何者だ。これほどまでに数を頼んでの襲撃、俺の身に覚えはないが?」

 

 仕官の道を諦め、浪人として糊口を凌ぐ日々の中でやむなく切り捨てた命もまた数知れないが、その彼でもここまで執拗に追い立てられるほどの恨みを買ったかと言われれば首を傾げざるを得ない。ましてや相手は隠密、かつての戦国の世ならばいざ知らず、天下泰平の世にあっては大枚を払って召し抱える者もそう多くはあるまい。

 まさかとは思うが、この襲撃者が本当にご公儀の隠密衆であるとするならば、やはり今は亡き養父、宮本武蔵に関わる何かがあるのだろうか。

 命を懸けた死地にあっても冷静に思案を巡らす青年の名は宮本伊織。かの大剣豪、宮本武蔵の弟子にして養子である。かの新免武蔵守が代名詞ともいうべき二刀流の使い手ではあるが、師が創始した二天一流の奥義を会得する前に養父が鬼籍へ入ってしまい、それ以後に自らが修練を続けた二天の道がどれほどの域に達しているかは本人も自覚していない。

 

「…ともあれ、カヤが小笠原の家に帰った後で良かった」

 

 義妹を危険に晒さずに済んで内心で密やかに安堵の息を吐く伊織だが、それも束の間。長屋街の外れにある開けた空き地に出たところで足を止める。周囲には小ぶりな忍刀を構えた黒装束の隠密が十数人。声もなく、夜闇に紛れ音もなく密やかに襲い来る隠密達を打ち払う二刀のうち、左手の甲に浮き出た痣が月明かりに照らし出され、伊織はぴくりと眉を僅かに動かす。

 何処かの家紋にも似ているようにも見えるが、古い火傷の痕か何かのように歪な形の謎めいた痣をしみじみ眺めている余裕もなく、左右の手から繰り出される剣技は苛烈にして流麗。一対多数の不利をものともせず、むしろそれを逆手に取り、相手の連携を乱し、同士討ちを誘うような変則的な足運びで敵を翻弄する様はまさに圧巻である。

 

「…?」

 

 最後の一人を切り伏せ、伊織がごく僅かに首を傾げた。

 右を見て、左を見る。周囲に死体が、ない。目を離した一瞬に、すぐ目の前にいたはずの隠密の姿すら消えている。忍びの技に姿や気配を隠す遁術なるものがあると聞くが、それだろうか。

 ふと、見上げた夜空の月を背にした影に気付く。長屋の屋根の上に威風堂々と仁王立ちした巨躯の男だ。逆光で顔は伺い知れないが、恐らくは新たな敵だろう。左の脇差を腰の鞘に戻し、太刀を両手で握り直した伊織は細く長く息を吐き、大立ち回りで僅かに乱れた呼吸を静かに整える。

 長屋の屋根から跳躍し、重たげな音と共に着地した偉丈夫は明らかに日ノ本の人間とは異なる。燃え上がるような赤毛と頬髯、豪奢な毛皮の襟飾りのついた袖なしの外套に、見慣れぬ異国の造形の胴丸と脛当。そして、その腰から提げた一振りの剣。

 何よりも、伊織よりも遥かに背が高い。背丈6尺にも届かぬ伊織に対し、7尺はあるその背丈に相応しい筋骨逞しい巨躯。天下泰平の世を享受して久しい江戸の街並みには明らかに似つかわしくない、乱世と戦場と死線を幾つも潜り抜けて来たであろう武骨な偉丈夫は、しかし無邪気なまでに稚気に満ちた笑顔で告げた。

 

「余は征服王イスカンダル。ライダーの霊基を得て現界したサーヴァントである。どうだ、小僧。余の配下となる気はないか?」

「――…は?」

 

 伊織の目が丸く見開かれた。

 

「…いすかん…だる? らいだー…? さーばんと?」

 

 意味不明の単語の連続に、伊織は混乱する意識のままに問い返す。

 

「ライダー、戯れはそこまでだ」

 

 しかし、偉丈夫が再び口を開く前に、涼やかな声が二人の間に割り込む。

 月光を浴びて冴え冴えと輝く白い総髪の若武者は、静かな足取りで伊織の前に立った。

 

「戯れなどとは心外だ。あの数を相手取って怖じることなく立ち向かい、正面から堂々と切り伏せる益荒男ぶり。余は大いに気に入った。その二刀の技も実に見事なものであった。是非とも余の配下に加えたい」

「本気で言っているなら、なお悪い。そこにいるのは討ち果たすべき敵であろう」

 

 すぐ後ろの偉丈夫と並び立つと随分と小柄にも見えるが、これは比較の対象が悪すぎるだけであって、実際は伊織とさほどの差はあるまい。

 

「貴殿らは…」

 

 二人の会話を前に置いてけぼりにされた伊織が戸惑ったように呟くが、中途半端に緩んだ空気を引き締めるように若武者が小さく咳払いをした。

 

「宮本伊織殿。私は由井正雪。烈士たらんと志す者である。この度は誠に申し訳ないが、故あって…」

 

 静かに佩刀を抜いたその立ち居振る舞いからして相手は明らかに手練れであり、続いた次の言葉に伊織は一刀を改めて構え直した。

 

「…お命を頂く」

「俺は、まだ…」

 

 しかし、伊織が言い切るよりも早く、偉丈夫がその太い腕で正雪の体を小脇に抱え、跳躍した。

 

「なっ…!?」

 

 果たして驚きの声を上げたのは、伊織か、正雪か。あるいは両方か。

 どちらにしても、伊織は剣士としての本能で一刀を振り上げ、柄で喉を、刀身で眉間を庇った。

 その次の瞬間。

 

「――…っ!」

 

 トス、という余りにもあっけない、軽い音。鍛造された鋼の切っ先が人の柔肉を貫く音。

 伊織の左腕の、その骨にまで届くほどに深々と、刀が突き立っていた。そこにもし左腕がなければ、確実にその突きは心の臓を抉っていただろう。

 

「おや。仕留め損ねましたか」

 

 か細い声は末期の病人のように頼りなく、しかしてその技の冴えは降り注ぐ月光すら切り裂くほどに凄まじく。

 伊織が紙一重のところで命を拾ったのは、二天一流が地の型による堅牢な防御によるものだ。市井の浪人や破落戸の振り回す素人に毛を生えた程度の剣撃ならば鉄壁の護りを誇る構えをもってなお、その剣先は心の臓を穿つ。

 

「二段…どころか、俺の目が瞬く暇すら与えずに三段の突きを放つ…とは」

 

 血脂の糸を引いて抜いた刀を無造作に振って血糊を払う剣士に、伊織は戦慄と賞賛の入り交じった声を発した。貫かれた左腕は力なく垂れ下がり、指先から血が滴り落ちて地面を濡らしている。残りの右手にも未だ重い痺れが残っていた。刀身と、柄と、それぞれに刺突の衝撃が伝わったせいだ。地の型の本領は相手の攻撃を見切る観見の目付あってこそ。その見切る余地すらも与えず瞬時に三段の刺突を放つ絶技は、本来ならば余人に防げるようなものではない。

 

「驚きました。サーヴァントですらない市井の剣客に防がれてしまうほど衰えてしまっているとは…全く、この身が恨めしい」

 

 瘦せ衰えた青年は、苦みを帯びた微笑で自嘲しながら刀を正眼に構える。伊織は唇を噛んで傷の痛みを堪えながら、相手の一挙手一投足に細心の注意を払いつつ後ずさった。

 

「卑怯な…! 英霊ともあろう者が名乗りすら上げず、物陰から闇討ちとは…ライダー!?」

 

 長屋の屋根に避難した正雪が思わず声を上げて、自らを抱えたままの偉丈夫を見上げるも、しかし征服王は小さく頭を振った。

 

「駄目だ。今は動けん。余があの中に割って入ろうと動いた瞬間、アレは標的をこちらに切り替えるぞ。いかに余といえど、腕は二本。足も二本。出来ることには限りがある。口惜しいが、余のマスターの安全と引き換えには出来ん」

 

 サーヴァントではなくマスターを狙うは聖杯戦争の常道。指揮官を狙うのは軍略の基礎中の基礎。そして、物陰から奇襲を仕掛けてくるようなサーヴァントに正々堂々などという無意味な拘りなどあるまい。

 

「しかし、このままでは……」

 

 正雪がそう呟いた横顔を、ライダーは興味深そうに見下ろしていた。伊織を討ち果たすべき敵であると口にし、実際に敵を討つ覚悟も確かに持ち合わせているにも関わらず、妙なところで潔癖というか、おかしなところで誠実であろうとするマスターを。殺すべき相手なら誰が手を下そうと同じであろうし、敵に名乗るも名乗らぬも個人の勝手というもの。それを自分どころか他者にまで求めるのは筋違いというものだろうに。

 

「あの剣技、やはりセイバーか。まさかアサシンではなかろうな?」

 

 ライダーの見下ろす先で、伊織は右手一本で必死に愛刀を操り、相手の攻めを辛うじて耐え凌ぐ。ひらりひらりと羽毛のように軽やかに、しかし一息の間に幾重も繰り出される刃の嵐を。

 一手でも受け損ねれば頭を割られる。一手でも隙を見せれば胴に刃が食い込む。今の伊織には、詰め将棋のように敗勢が決するまでの僅かな時間を先延ばしにすることしか出来ない。それでも、いずれ落命する結末は目に見えていた。そう、あと四手、そして三手、もう次で――。

 追い詰められた伊織の血に濡れた左手が懐を探り、赤い貴石を取り出した。自らの血で触媒の貴石に籠めた魔力を暴走寸前にまで増幅させ、

 

 ――ドォォン!

 

「くっ…! ゲホゲホ、ゴホッ…!」

 

 己自身をも範囲に巻き込んだ小爆発で、半ば自爆に近い形で伊織がようやく死地から逃れる。そして衝撃と爆風に咳き込み、より開いた左腕の傷口から血潮を滴らせながらも、伊織は煤けた顔を上げ、そして見た。

 

「なるほど。ただの剣士ではなく、魔術にまで心得があったのですか。つくづく手を焼かせてくれるものです。あなたも武士なら、もっと潔くあるべきでは?」

 

 まともに爆風に巻き込まれたはずが、そよ風にでも当てられたかのように涼しげな顔をしたままの痩せぎすの青年を。

 地面にうずくまる伊織は返事もせずに荒い息を吐き、失血に震える左腕を右手で支えて敵を睨む。

 

「俺は…」

 

 その双眸には、まだ闘志が燃えている。爆風で吹き飛んだ刀はどこかに飛んだか、近くには見当たらない。

 

「俺は、まだ…」

 

 反撃はもとより、身を護るすべも逃げる手立てもなく、それでも伊織ははっきりと宣言した。

 

「俺はまだ、死ぬわけにはいかないっ!!」

 

 養父から、師から継いだ剣の道を極めることなく、あの日、あの夜、あの時に見た至高の剣技に達することなく、道半ばにして命を落とすなど――。

 心からの、魂の咆哮が迸る。伊織が握りしめた左手の拳に刻まれた痣がその色を濃くし、確かなカタチを刻んで赤色の光を放った。先ほどの小爆発とは比較にならぬ衝撃と光の旋風が江戸の夜空に轟く。

 長屋の屋根の上では正雪とライダーが掲げた腕で顔を庇い、より爆心地に近い位置にいたセイバーは衝撃で後方に吹き飛んだ。

 

 そして、ようやく光が収まった時。顔を上げた伊織は『彼』を見た。

 

 虎狼の如く剽悍な、一分の無駄も贅肉もなく鍛錬され尽くした引き締まった長身を、群青の戦装束で包み込んだ精悍な益荒男を。

 つり上がった野性味のある面構えに、ギラリと光る紅い双眸が宿すのは紛れも無い獰猛な殺意。瑠璃を思わせる髪を首の後ろで一つに束ね、手にした長竿の朱槍を肩に担ぎ上げ、その口元で不敵に笑って見せる。

 

「あー…察するに、テメエがオレの喚び人ってことでいいのか?」

 

 地面にうずくまったままの伊織と、紅の魔槍を携えたサーヴァントの視線が斜めに交差する。

 驚きのあまり何も言えずにいる伊織から視線を外すと、槍兵のサーヴァントは目前の敵に向き直った。

 

「ま、挨拶だの何だのは後でもいいやな。召喚早々、目の前に主持ちの三騎士がいるとは幸先がいい。──先ずは目の前の敵から狩らせてもらうぜ!」

 

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