Fate/SamuraiRemnant異聞 伊×槍決闘譚 作:葛轍偲刳
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小石川に再び足を踏み入れた伊織たちだったが、出くわすのは地脈から漏れる魔力に誘われて彷徨う小物の怪異ばかり。残された痕跡も古いものか、あるいは打ち捨てられたようなガラクタの類い。
「こりゃあ、外れだったか」
「ああ。もしかすると、もうここには戻らぬつもりやもしれん。少なくとも当面は」
篠突く雨の中、手がかりすら得られぬ空振りに終わった探索の手を止めた二人は徒労感に襲われる。
必ずやカヤを救い出すという決意に変わりはないが、では次にどうするかという妙案も浮かばない。
「一度、浅草に戻るか。あるいは鄭が何かしらの手がかりを得ているやも…」
「ふふ、そこ行くお兄さんたち。こんな街外れに何の用だい?」
伊織が辛うじて搾り出した声を打ち消すように、奇妙に明るい声音の異形の女が声をかけてきた。
日ノ本の服飾からするとあまりに肌を露出し過ぎているように見える、涼しげで放埓な薄い布地で控えめな胸元から細い腰回りを覆い、その目の色は見る角度によって薄緑から橙、そして薄桃色へと虹のように多彩に色を変える。
耳は長く、平べったく水平に広がり、背中から肩を覆うように広がる鷹のように大きな翼。
「…ランサー。あれは」
「おやおや、そう怯えないでくれるかな。取って食べようというわけじゃないんだから」
そして何よりも。これほどの異形を隠しもせずに公然と晒してのけていながら、伊織とランサーの二人にここまで気付かせることなく接近して見せたこと。それ自体が、彼女がただの人などではありえないことを雄弁に物語っていた。
「ああ、間違いねえな。こいつは魔女だ。それも、とびっきりの」
「――まあ、魔術は使っているけどね」
「……」
「あまり怖い顔で見ないでおくれよ。参ったな、歓待のご馳走も用意していたんだが」
ただでさえ、今はカヤを拐かされたばかりで殺気立っている伊織に、この状況で警戒するなと言う方が無理があるだろう。
それがわかっている槍兵は一歩前に出て暴発を制すると同時に警戒するが、――しかし。
「例えば、そう、私の作る麦粥なんて――」
「やべえ」
「ランサー?」
ポツリと漏れた呟きを聞き咎めた伊織は美丈夫の肩越しに、その横顔に雨とは別の一筋の汗が流れるのを見た。
「一口食べればたちどころに傷が塞がり、老人だろうと若さを取り戻す。何より美味しい。君たちのような戦士には、ぴったりの品だと思うんだけれどなぁ」
「マスター、オレには決して破れねえ誓いというか、禁忌があってだな。そいつを犯すと災いがある。で、そのうちの一つが…」
早口で説明する槍兵が皆まで言わぬうちに、有翼の魔女は決定的な一言を放ってしまっていた。
「一口、食べてみないかい?」
「!」
英雄クー・フーリンのゲッシュの一つに、『身分が下の者からの食事の招待を断らない』というものがある。
そして、彼の父親は光の神。母親は王の妹。半神にして王族である彼と対等の、あるいは身分が上の者など、この世にそう多くいるはずもない。それゆえに、その破滅の遠因ともなるのだが、この場合、魔女からの誘いは明らかにそれに抵触していた。
「く、そ…」
「さあ、お食べ?」
いつの間にか、魔女の手には麦粥を満たした碗と匙が握られ、自らの意思とは無関係にその口を開かされた美丈夫の口元へと匙を運んでいく。
「ランサー!?」
「うんうん、素直でよろしい」
匙を口の中に入れられた瞬間、精悍な美丈夫の体の輪郭が崩れる。崩れた輪郭は即座に再構成され、ずんぐりとした四つ足の獣の形を成した。
「な…?」
「ふふっ、どうだい! 私のキュケオーンの味は! 豚になってしまうほど、美味しかったろう?」
得意げに控えめな胸を張る魔女は、愉快げに喉を反らした。
「あーっはっは! ほら、可愛い姿になったじゃないか。渡さないよ? 彼はもう、私の愛豚(ピグレット)だからね」
青みがかった体色に、つぶらでありつつも赤い目が何処となくランサーの面影があるのが、これが幻術の類いではなく真に迫った感があった。
豚は人間と生物学的、生理学的、解剖学的に類似している部分が多く、後の世においては異種間の臓器移植にすら用いられるほど適合性が高い。実際に豚の心臓を人間に移植した例すら存在する。
だが、だからと言って人間の体を一瞬にして豚へと変化させてしまうというのは、実際にこの目で見てさえも信じがたい離れ業と言えるだろう。
「……ぶひ」
「おお、よしよし。――…さ。何もかも諦めて、一人でとぼとぼ帰るがいいさ。きみを守るべきサーヴァントはもういない。盈月の儀なんて早々に脱落した方が、むしろ身のためだ」
豚と化した槍兵を足元に従えて、有翼の魔女は冷ややかに告げた。
それはそれで、噓偽りなく魔女なりの誠実な忠告ではあるのだろう。わざわざ太平の世で好き好んで命懸けの戦いに、しかも一介の浪人が身を投じる必要など本来ありはしない。江戸の平穏を守らねばならぬ責務や義務があるというわけでもない。自分の身一つの安全のみを考えれば、今この時点で儀から脱落してしまった方が良いというのは、確かにその通りである。
「ご忠告、痛み入る。しかし、それは出来ない」
「へえ?」
その杖を一振りして、槍兵に続いて伊織も豚に変えることも容易いであろう有翼の魔女は口元に狡猾で残忍な笑みを浮かべている。
「俺には義妹がいる。今は亡き養父と共に幼き頃から家族として、兄妹として育ってきた、何よりも守らねばならぬ大切な存在だ」
「……」
「その義妹が、俺の目の前で拐かされた。何としても取り戻す。救い出す。その為ならば何でもする」
「他人の縄張りにずかずか踏み入ってきて、よく云うな悪漢め!」
ぷいと顔を背ける有翼の魔女に向かって、伊織は深々と頭を下げる。
「頼む。どうかランサーを戻してくれ。俺では、俺一人の力だけではどうにもならない。どうか力を貸して欲しい」
「……」
即答しない魔女に向かって、伊織は頭を下げ続ける。暫しの沈黙を破ったのは、伊織の懐から現れた紅玉の書だった。
「待て、伊織。目の前でカヤが拐かされたというのであれば儂も同罪。ならば、少しは儂にも頼らんか」
「爺さん」
「鷹の大魔女よ。希臘(ギリシャ)の太陽神に連なる偉大なる女神よ。その深遠なる叡知に敬意を表し、儂が蓄えた秘奥の術の一端を明かそう。それと引き換えに、伊織に助力を願いたい」
礼節に則った呼びかけと、取引の利をも差し出す提案に、有翼の魔女も心惹かれたように背けていた顔を戻した。
「へーえ、勘がいいんだ。知性ある本(インテリジェンス・ブック)なんて久しぶりに見た気がする。それも、かなり長い時間にわたって自意識を保ち続けているタイプだね」
「儂のことは、今はどうでも良かろう。それで、どうじゃ?」
「いいともさ。でも、ちょっと念入りに豚にしたからね。今から教える薬草『モーリュ』を採ってくるんだ。でないと、彼は元に戻らない」
「伊織や、ランサーを連れて薬草を採ってくるんじゃ。豚の鼻は鋭い。特殊な薬草の匂いも嗅ぎ分けよう」
「わかった」
「儂はその間に、この魔女と話がある。採取を済ませたら、疾く戻って参れ」