Fate/SamuraiRemnant異聞 伊×槍決闘譚 作:葛轍偲刳
「逸れのバーサーカー…! 流石に、きついな」
その咆哮は聞き違えようもなく、またその巨躯を見誤りようもない。
連戦に次ぐ連戦、強敵に次ぐ難敵の襲来は、伊織の気力と体力の双方を情け容赦なく削いでいく。あるいは、それこそがこの事態を操る者の狙いだろうか。
アサシン、アーチャー、ライダー、そしてバーサーカー。七騎の逸れのサーヴァントのうち、実に過半数が神奈川湊に集ったことになる。
「…まだ動けるか、マスター」
「脚を動かすだけなら、辛うじてだが」
「その腕じゃ、カヤの嬢ちゃんを抱えるのは無理か。さて、どうするか」
確実に追い詰められつつあることを理解しつつも、互いの目を見交わす二人の顔には未だ絶望の色は浮かんではいない。全てを諦めるにはまだ早すぎる。
「宮本伊織。そしてランサー」
「アーチャー? 何故ここに?」
そこに駆けつけてきたのは、昨日浅草で別れたはずの鄭成功のサーヴァントである弓兵。
「マスターの手の者がおまえの名を使って吉原に入りこもうとしたら、この巨人が脇目も振らず猛然と南下していくのを見かけたそうだ。その知らせを受けたマスターと私がそれを追っていると――」
「急患はこちらですか」
弓兵の言葉の途中で、赤い女傑が姿を現す。
「バーサーカーの姐さんか。こいつはありがてえな。悪いが、先にオレのマスターの治療を頼めねえか」
「…いいでしょう」
ちらりと伊織の腕を一瞥した婦長が手を翳し、虚空から取り出した消毒液と包帯で治療を開始する。
「で、アーチャー。バーサーカーの姐さんと一緒に逸れのバーサーカーをここまで追いかけてきたってことか?」
「…そうなるな。全く、どちらのバーサーカーも人の話を全く聞かないせいで、マスターの気苦労は増す一方だったぞ。終いには、この女の相手を私に任せて自分は一足先に湊に入り、民を避難させる役目を買って出る始末だ」
「そりゃまたご苦労なこったな」
美丈夫が思わず同情の呟きを漏らすと、弓兵もまた軽く苦笑を浮かべた。
「דְלִילָה――!!!」
だが、それをする目の前では猛り狂う巨人が咆哮しているのだ。軽口を叩いているようであっても、二人に油断も隙もありはしない。
「治療が終わったら、私とバーサーカーに任せて先に退け。妹御を安全な場所に連れていくのはそちらの仕事だろう?」
「すまない、アーチャー。恩に着る」
「もしも恩を感じているなら、私ではなくマスターに返してやってくれ」
さらりと謝辞を流した弓兵に黙礼のみを残して、婦長の治療が終わった伊織は槍兵と共に義妹の体を抱えて立ち去っていく。
「本格治療を開始します」
それを見送ることすらせず、女傑は巨人の前に恐れも怯みもせず一人で立ちはだかる。
「バーサーカー、無用かもしれんが援護はする。勝手をするなと言うつもりはないが、無理はするなよ」
どうせ聞く耳など持ってはいまいと最初から諦めてはいるものの、それでも一応は形ばかりの忠告を投げる弓兵の声が聞こえているのか、いないのか、婦長はその小さな繊手を巨人に向かって差し出した。
「大人しく、動かずに。精神を負傷している貴方には、治療が必要でしょう。さあ、こちらに。……通じて、いませんね?……仕方ありません、実力行使です」
「דְלִילָה――!!!」
「飛将も斯(か)くや、といった威勢の良さは結構だが――さて、斧を振り回す蟷螂(とうろう)はどちらかな」
弓兵が放つ火矢が巨人の肩に、脚に、腕に、立て続けに突き刺さる。しかし、全く怯んだ様子もなく拳を振るう巨人の一撃を、女傑は恐れもせずに前に出て受け止める。
圧倒的な巨躯による驚異的な間合いの広さを有する巨人からは、幾ら逃げたところでいずれ追いつかれ、その暴威に打ちのめされる。ならば前に出て、逆にその全力を出しにくい懐に入り込むというのは、一つの選択肢としては確かに有効ではあるだろう。
尤も、そうと頭でわかっていたところで、本当にそれを実現できるかどうかは全く別の問題だ。並みの人間なら恐怖に身が竦み、心が怖じ気づく。理性を持たぬ狂戦士ゆえの蛮勇か、あるいは婦長の肉体が覚えている勘による人体理解の賜物か。その両方か。
「消毒!」
「דְלִילָה――!!!」
「殺菌!」
「דְלִילָה――!!!」
「滅菌!」
決して大柄でもなければ長身ですらない、むしろたおやかな外見ですらある女傑が見上げるほどの巨人と正面から徒手空拳と蹴りで殴り合う。ある意味では喜劇的なほどに馬鹿げた光景ですらある。
が、そうして女傑が引き付けている間に、湊の住民たちは恐ろしげな咆哮を上げる鬼の如き怪異な巨人から少しでも距離を置こうとてんでに逃げ去っていく。
「マスターが上手くやってくれている、か。無人になった南の港あたりに誘い込めれば、あるいは――」
弓兵は戦場のみならず、より広い地形を俯瞰するように目を周囲に配りながら矢を放つ。巨人の腕の付け根に、足の爪先に、あるいは目にも矢が突き刺さり、それでも痛みすら感じていないように見える巨人の戦闘力を少しでも削ぐように援護の矢を放ち続ける。
「がっ…!」
正面から渡り合っていた女傑の顔面に巨碗が叩き込まれ、続いて腹部を両手で掴んで頭上に振り上げ、跳躍してその腕を振り下ろす勢いのまま地面に叩きつける。
「まだ……まだよ!」
「そこまでだ、バーサーカー。それ以上戦えば、霊核に傷が付きかねんぞ。大人しく下がっていろ」
制止する弓兵の声も届かないのか、それでも婦長は起き上がろうとする。
「全く、マスターの言い草ではないが。この話の通じなさは、まさに狂戦士だな」
小さく嘆息する弓兵は立て続けに弓の弦を鳴らし、矢の雨を降らせて巨人の注意を己に引き寄せる。地面に倒れている婦長を放置して弓兵に吶喊する巨人の拳から身を躱して立ち並ぶ建屋の上へと飛び移り、さらに矢を射て挑発する。小癪な敵に苛立つように吼える巨人は地響きを立てるほどの勢いで地面を踏み鳴らす。
「半進半退する者は誘う也、とも云う。我ながら粗末な策ではあるが…正気を失った相手には、これでも十分。――既に、その両脚は泥濘の中と知れ」
弓兵は南の港へと徐々に後退しつつ矢を放ち、巨人を引き付けつつ間合いを保つ。小癪な相手に怒りを煽られた巨人は咆哮と共に手近な瓦礫を投げつけて応戦するものの、そんな見え見えの投擲に直撃を喰らうほど弓兵は愚かではない。幾ら矢を射かけたところで全く痛痒を感じてすらいない、という点だけが唯一にして最大の問題なのだが。
「まあ、こちらの矢が尽きる前にいずれ押し負けるのだろうが――」
そう低く呟く弓兵は、しかし港の波止場の上空に停めた己が楼船の甲板に佇む自らの主の視線を受けて、小さく頷いた。
「――風は吹いた。機は満ちた。ならば後は、火を放つのみ!」
強く引き絞った弓の弦に矢を番え、一息に放つ。巨人がその太い腕で矢を薙ぎ払うも、その鏃が炸裂して紅蓮の炎が巨体を飲み込んだ。周囲の建屋すら飲み込む火球は、崩落した瓦礫の中に巨人を埋める。
「…やったか?」
低く呟く鄭成功に、しかし船の舳先に飛び乗った弓兵は首を横に振った。
「安心するには些か早いぞ、マスター」
その声が呼び水になったように、無数の瓦礫を撥ね退けて巨人が再び姿を現す。これほどの痛打を浴びてなお、瞋恚に低く唸る巨体から噴き出す凄まじい魔力に衰えは微塵も感じられない。
「不死身か?」
「さて、どうだろうな。確かに特定の弱点を突くか、あるいは一定の手続きを踏まねば倒せぬ、という英雄もいるにはいるが」
改めて、サーヴァントとなるほどの英雄豪傑の不条理さをまざまざと思い知らされる鄭成功に対し、弓兵は冷静に応じる。
「例え不死身であろうと問題はない。死なないというだけで、今はただ動けなくなってくれればいいだけだ。別にこちらから敵対したいわけでもない。問題は、今この事態に至った要因の方にあるのだから」
もともと吉原から動くことなく、ただ専守に徹していただけのバーサーカー陣営である。話の通じない女傑にしても、巨人を倒すというより無力化して治療しようとしていただけだった。なら、ここで倒してしまわねばならないわけでもない。
「まあ、その、動けなくするだけ、というのが何よりの無理難題ではあるのだがな」
「やりようはあるとも。手札をここで一つ切る許可をもらわねばならないが。――機を見誤るなよ?」
どこか試すように、あるいはからかうように微かな笑みと共に弓兵が横目で流し見てくるのを、その主たる鄭成功は明朗快活な笑みで即答した。
「ああ。力を見せてやれ、アーチャー!」
「背中を押してやる必要もなかったな」
フフッと愉快そうに喉を鳴らす弓兵は、主の右の拳で弾け飛んだ令呪から流れ込む莫大な魔力による高揚感のままに言の葉を紡ぐ。
「剛毅果断、進取果敢、それでこそ、我が主だ」
「דְלִילָה――!!!」
「轟け、――『赤壁戦禍・揺籃獄』!」
孫呉の大都督・周瑜の宣言と共に、神奈川湊は古の長江流域、赤壁の地へと塗り替えられる。それは固有結界とは似て非なる大魔術。曹操の大船団を打ち破った火計の具現化。咆哮する巨人ですら、一瞬で周囲一帯を変容させた異常事態に思わず周囲を見回すほど。
「鉄鎖連環」
三国志演義に曰く、船酔いに苦しむ曹操軍の将兵を案じて連環の計を龐統が献策し、これによって曹操は逆に火計から逃げる術を失ってしまったという。
巨人の腕ほどもある太い鉄鎖が周囲の楼船から次々に伸びる。一本、二本を拳で打ち払おうと、次々に伸びてくる鉄鎖は巨人の手足に絡みつき、その自由を奪う。
「דְלִילָה――!!!」
だが、逸れのバーサーカーもやられてばかりではない。手足に絡みついたその鎖ごと逆に手近な楼船を引き寄せ、その両の腕で頭上に抱え上げ、あろうことか弓兵に向かって投げつける。
「連環とは、ただ船を繋ぎ止めるばかりにあらず」
兵法の三十六計に云う第三十五計、連環計とは、複数の策を組み合わせてそれらを連結させることで大きな効果を上げることこそが真髄である。
かの司徒・王允が用いた美女連環の計もまた、傾国の美女である貂蝉によって董卓と呂布を魅了した美人計の上で、離間計によって二人を仲違いさせ、最終的に呂布を説き伏せて董卓を殺害させるまでの一連の計略をもって連環計と成している。
連なる鉄鎖を操り引き絞って投げつけられた楼船を停止させると同時に、周瑜はその陰から新たなる鎖を伸ばして巨人を捕らえる。更に鎖が赤熱して、巨体を灼く。
「דְלִילָה――!!!」
縛鎖に囚われた憤怒にか、身を焼かれる苦痛にか、巨人が吼える。
十重二十重に絡みついた鉄鎖ですらその身を捕らえきるには至らないのか、恐るべき膂力によって縛める鎖を引き千切る巨人が自由を取り戻す。咆哮と共に再び走り出す巨人を前に、しかし弓兵は満腔の自信を秘めて断じた。
「痛い目を見てもらおうか、狂戦士」
踏み出した巨人の足下が爆裂する。一つ、二つ、三つ。その爆炎に反応して新たな爆裂が連鎖する。四つ、五つ、六つ。更にその周囲にも爆炎が連鎖していく。
それはまさしく百花繚乱が咲き乱れるが如し。無限にも感じられる火炎と爆裂の連鎖によって、ついに巨人は白く染まる光の中にその姿を消していった。