Fate/SamuraiRemnant異聞 伊×槍決闘譚 作:葛轍偲刳
再び増上寺の境内に足を踏み入れた伊織は、真っ先に大殿に参拝した。先だっては境内で騒ぎを起こしながら、結局それを詫びる事すらせずに立ち去ってしまったからだ。
「また来たのか、宮本伊織」
その参拝を終えるのを待っていたかのように、白髪痩身の青年が姿を現す。
「ああ。今日は貴殿の無事を確かめに来たのと、頼みがあってきた」
無言のまま、その眼差しで先で促してくる逸れのランサーに、美丈夫は不躾とも取れる問いを投げつける。
「昨夜、クソろくでもねえ支配と強制の術式がてめえにも向けられたはずだ。他の逸れのサーヴァント連中が揃って従わざるを得なかった程度には強力な代物だ。よく逃れられたもんだな?」
青年は何でもないことのように答えた。
「ああ、あれか。別に応じても良かった」
「!?」
さらりと言われた言の葉に、思わず反射的に伊織は腰の刀の柄に手をかけた。この真正の大英雄が敵に回るかと思うだけで、警戒するのは当然のことだろう。
「なら、何故だ?」
「寺の小僧に言いつけられて境内を掃除していたからな」
「――…は?」
思わず唖然として、伊織は口をポカンと開く。その間抜け面に向かって、青年は大真面目に付け加えた。
「引き受けた仕事を途中で投げ出すものではない」
「…プッ」
思わず美丈夫が小さく噴き出す。慌てて顔を背けるも、その肩が小さく震えているのまでは隠せない。
「ランサー」
「…い、いや、すまねえ。だけどよ…あれだけの大魔術を仕掛けた連中が今の言い草を聞いたら、一体どんな面をするかと思うと…」
よりにもよって、年端もいかぬ寺の小僧に言いつけられたであろうつまらない雑用を自分達の秘術よりも優先されたと聞けば、さぞ落胆することだろう。あるいは激昂するだろうか。どちらにしても、術者の面目は丸つぶれであることに変わりはないが。
「…本当に、貴殿は大英雄なのだな。いや、聖人と言うべきか」
この青年にとっては、誰から乞われたものであってもその頼み事は等価であり、遍く人にその手を差し出すことを躊躇わない気高い精神性はまさに聖人と呼ぶ他にない。
「先だっても言ったが、過分な評価だ」
「いや、貴殿ほどの聖人などそうはいまい。そんな貴殿なればこそ、頼みたいことがある」
伊織は手短に、義妹である小笠原カヤが盈月の儀に巻き込まれて拐かされてしまったことを説明した。
「本来であれば何を差し置いても俺がこの手で守らねばならない。それは承知している。だが、俺は未熟で、例えランサーの力を借りたとしても手が足りない。貴殿にしてみればいい迷惑だろうが――」
「そんなことはない」
逸れのランサーは小さく頭を振った。
「おまえが戦士(クシャトリヤ)なのは知っている。その手が振るう剣に驕りも邪心もないこともわかっている。そんな男から乞われて手を貸さぬなど、オレ自身の義と信条に反する」
「では…」
「浅草、だったか? その地におまえが不在の間はオレが守りを請け負う、ということで良いか?」
対価すら求める素振りも見せず、白髪の青年は何でもないことのように言った。
「…あ、ああ。だが、それでは貴殿の負担が大きすぎるのではないか? 俺たちは必ずしも毎日戻れるとは限らないし、その上、もし俺の身に何かあれば…」
「その時はその時だ。オレはオレに可能な限り、おまえが守るべきものを護ろう」
その言の葉は静かであったが、この青年が口にしたのであれば全幅の信頼を寄せていいと確信できる。
「それに、だ。オレはおまえのように、自らの手で守り手たらんとする者を好ましく思う」
それは伊織にとって意外な言葉だったが、同時に嬉しくもあった。
「では、改めて頼む。俺が留守の間、カヤを守ってくれ」
「承知した。この身に代えても必ず護ろう」
快く引き受けてくれた逸れのランサーに一礼すると、伊織は美丈夫と共に増上寺を後にする。
「これで後顧の憂いも一つ減った。ランサー、貴殿の提案のおかげだ」
「いや、本来ならオレがどうにか出来るなら、そうするべきなんだろうが…」
この件になると妙に憂愁の色を露わにするランサーに、伊織は笑いかける。
「どうした、ランサー。貴殿らしくもないぞ。今日はカヤも小笠原の家で終日お説教だろう。どこかの屋台で酒でも飲むか? 幸い、若旦那から受け取った金で懐も温かい」
「…そうだな」
強いて明るく振る舞う伊織の気遣いに、ようやく槍兵も笑みを浮かべてみせた。
――…だが。
『随分と大掛かりな陣を敷いたものだ』
『魔力さえ溜まり切れば、呪を唱える必要さえない。盈月が本来持つ力を行使するだけでよい』
『成る程、容易いな』
そんな聞き慣れぬ男たちの声が槍兵の脳裏に響いた。
「…な、んだ…?」
美丈夫がその長身を折り曲げ、傾ける。
「ランサー? どうした?」
彼を案じる主の声すら遥か彼方へと遠ざかっていく。
『しかし、よくもまあ、あの断片的な記録からそこまで編み上げたもの。編纂の美麗さよりも、その執念に感服するよ』
『土御門(われら)が執念を侮らぬことだ、キャスター』
『とはいえ、そう誇れるものでもないだろうよ。盈月の儀には欠陥が多すぎる。何故逸れが召喚される? あれは儀の進行を遅滞させるだけの存在だろう』
『白璧の微瑕というものよ。召喚は防げぬ。ならばむしろ、大いに利用すべき存在だ』
その声が頭蓋に反響し、どうしようもないほどの不快感と嫌悪感をもたらす。まるで無数の蟲に全身を這い回られているかのような。
「っ、ぐ」
歯を食いしばる。それだけでは足りず、自らの唇を噛み切る。口の中に広がる腥(なまぐさ)い鉄錆の味すら、この不快感を消すにはまだ足りなかった。
『盈月には、召喚された英霊どもの霊基に干渉、支配する権限を仕込んである』
『逸れどもを操った術式か。すべてのサーヴァントを操れるものでもないと見えるが?』
『くく、案ずる必要はない。見ておれ』
その声は、まるで己が意に反した令呪を用いられた時のように、美丈夫の手足に纏わりつき、その自由を奪っていく。
『では…戯れは、これにて幕引きよ』
その一言が決定打となった。美丈夫の脳天に、太い釘を打ち込まれたような激痛が走る。
「ランサー!?」
「…ぐ、…っ…!!」
美丈夫は、その強制と支配の呪力に懸命に抗った。あの若旦那が、あの増上寺の逸れのランサーが抗って見せたのだ。逃れて見せたのだ。どうして自分が、自分だけがそれに堕ちるなどという醜態を晒せようか。
――だが。嗚呼、だが、しかし。ふと脳裏を過った一つの想いが、邪念にも等しい魔の誘惑が、その意思を捻じ曲げた。
「に、げろ…」
「ランサー!!」
「いいから、オレから離れろ!!」
美丈夫は愛用の槍を取り出すや、こともあろうに自分の足にそれを突き刺した。地面に縫い付けられた足から鮮血が広がっていく。
「何を呆けておるか、伊織!」
混沌の坩堝に墜ちかけている意識の片隅で、紅玉の書が叱咤している声が微かに聞こえる。
「ランサーの云う通り、一旦退いて態勢を整えよ! 狂を発した逸れどもと同様、こうなれば言の葉なぞ届かんぞ!」
そうだ。もうこうなってしまったら自分だけの意思ではどうにもならない。それこそ、同じキャスターの霊基を持つサーヴァントであれば、あるいはそれでも抵抗する術を心得ているかもしれないが。
「いや、マスターとサーヴァントは魔力によって精神が繋がっているはずだ」
「何じゃと?」
「爺さん、俺をランサーの精神(こころ)へ届けられるか!」
「やってできなくはない、が――」
一瞬、口篭もるような間があって。
「仕損じれば己が魂と肉体がたちまち死ぬぞ、伊織!」
「ここで仕損じるものか。頼む!」
「ええい、まったくお前は聞かん坊じゃな。相解った――行けい!」
その声と共に、まるで魔力を帯びた刃で心臓を貫かれるような――かつて、生前にも味わった懐かしささえ覚える感触を最後に、槍兵の意識は音もなく暗転した。
次章「呪いの魔槍」は4話構成になりますが、出来れば一気に読んでいただきたいため、明日の昼頃に4話連続投稿します。
もし望めるのであれば、お時間に余裕がある時にお読みいただければ幸いです