Fate/SamuraiRemnant異聞 伊×槍決闘譚 作:葛轍偲刳
それは、かつての戦国の世であれば別に珍しくもない光景ではあっただろう。
天下泰平の世を享受する江戸にあっても、日常茶飯事とまでは言わないが無頼の浪人だのが粗末な槍を手にしているぐらいはありえることだ。
刀を持つ剣士と、長い竿の朱槍を構える槍兵が打ち合うだけならば。ただ、それがただそれだけの光景であったならば。
「――っ!」
「ハッ、ハハハ…っ!」
槍の長い間合いを活かして、槍兵が間断なく鋭い刺突を繰り出す。その全てを、剣客の青年は紙一重でかわしていた。否、正確には避けているのではない。
「ハハッ! いいねえ! やるじゃねぇか!」
「くっ……」
手にした刀が舞うように回転し、繰り出される穂先を受け、捌き、流し、身を翻して間合いを取る。すかさず踏み込んだ槍兵は息つく暇すら与えずに攻め立てる。剣士の技量、技巧を発揮する余地を与えず、己の強みである無尽蔵の速度と持久力をひたすらに押し付け、押し通す戦術だった。そして、その片時も休まずに繰り出される剣戟の最中、まるで鐘を乱打するような甲高い金属音が休む間もなく鳴り響く。
剣士が伊織を相手取っていた時は、まだ手を抜いていたのだろうか。あるいはライダーとそのマスターをも狙っていたがゆえに、半ば片手間で相手をしていたせいもあるだろう。だが、今は違う。槍を縦横無尽に振り回せる開けた戦場で、そして相手は野を駆ける獣にも勝る敏捷と、それこそ神速とも呼べる反応速度を持ち合わせていた。
赤い魔槍が唸りを上げて、更に速度を増す。目で追うどころか、もはや連続する刺突音が弾けるように耳を塞ぐ始末。鼓膜を震わす衝撃を和らげる手段すらなく、全身から冷や汗が噴き出すのも構わず、伊織は瞬きも忘れたように眼前の死闘を注視した。見惚れていた、と言うべきかもしれない。今の自分では手が届かぬどころか、同じ土俵にすら立てないであろう魔人同士の立ち合いに、どうして目を奪われずにいられよう。
「そらそらそら! 気ぃ抜いてたら終わっちまうぞ!?」
振り回される槍が空を薙ぐ。そこからでは届くはずもない長屋の壁に深々と穴が穿たれ、飛び散った木屑が更に切断され、粉微塵に粉砕される。
獰猛な笑みを浮かべる槍兵の一撃を跳ね返すように、剣士もまた刀を切り返した。月光を浴びて冴え冴えと輝く白刃が舞い踊り、剣閃が閃き、火花を散らす。病み衰え、痩せ細った手足からは想像も出来ないほどに剣客の技は速く、疾く、ただ鋭い。
「ハァッ…!」
魔槍の猛攻を掻い潜り、踏み込みざまに突き出す刃が一閃。
「おっとぉ!」
しかし、その一撃を槍兵が槍の柄で受けた。そしてそのまま鍔迫り合いへと移行するや、互いに一歩も退かぬ力比べが始まる。刀と槍が交錯する。互いの得物から火花が散る。長い拮抗の果て、押し負けたのは剣士の方だった。
「どうした! もうへばったのか?」
「くっ……」
その隙を突いて繰り出された槍兵の蹴りが横っ腹を打ち抜き、体勢を崩した青年へと容赦なく追撃が入る。
「そらぁッ!」
「…っ!」
細い顎を狙った蹴り上げは辛うじて避けたものの、そこから更に槍の石突きを地面に突き立てて体を回転させた蒼い槍兵は全身のバネを活かして振り回した槍の柄で前方を広く薙ぎ払った。
細い刀など容易く折り曲げてしまえそうな一撃に、なんとか反応して後ろに跳んで衝撃を逃がしたものの、それすら待ちかねていたかのように刀の間合いの外まで逃げ延びた剣士へと、今度は頭上から槍が振り下ろされる。寸でのところで刀身で受け止めた剣士の膝が崩れ、地面に片膝を突き、血色の失せた紫色の唇の端から血泡が零れた。
「グッ……!」
槍の一撃で体勢を崩したまま、喀血する剣士を見れば勝負の趨勢は誰の目にも明らかだった。とどめを刺す絶好の機会を前に、しかし槍兵はつまらなさげに舌打ちする。
「弱えな。あー、いや、弱くはねえ…が、そんな半死半生の体ではな。技はともかく、肝心要の体がそれについてこれねえときた。勿体ねえな。そこまでの才能があるってのによ」
「…そう、ですね。全く、この体さえ思うように動いてくれれば…本当に、情けない」
力なく苦笑する剣士は二度、三度と続けて咳き込み、再び大量の血を吐いた。
槍兵は小さく肩を竦めたが、その眼光は見逃すつもりも容赦する気配もないと告げていた。彼の生きた時代と国では、弱いということはそれだけで罪であった。無慈悲な自然の暴威を前に、病弱な体に生まれついた者や柔弱な気性の者は簡単に命を落とす。単純な摂理として弱き者は淘汰され、強き者だけが生き残る。そこに善悪や理非の差など存在しない。ただそれだけのことである。
「とはいえ、弱った敵をわざわざ見逃してやる道理もねえ。…その心臓、貰い受ける」
魔槍の穂先が今度こそ剣士の霊核を穿つべく構えられ――。
「…ここまでか。撤退しろ、セイバー」
どこか虚ろな、それでいて根深く昏い情念が滲み出た声が聞こえた。即座に霊体化した剣士が姿を消す。首を巡らせた槍兵の視線の先では、声の主が長屋の影に消えていくところだった。
「ハッ、なかなか目端の利くマスターじゃねえか」
逃げていく敵の背を追わずに槍兵は視線を巡らせ、長屋の屋根に佇むライダー主従を見上げる。まだ別の敵が目の前にいるというのに、負傷している自分のマスターを放置したまま追撃に行くほど愚かではなかった。
「んで? そちらさんはどうするよ? オレは連戦でも全く構わねえが」
挑発とも取れるその言葉に、ライダーは呵々と愉快そうに笑い、その小脇に抱えられたままのマスターは今更のように憮然として声を上げた。
「ライダー、いい加減に下ろせ」
「ん? 余は構わぬが、どうせまた戻る時は余の腕を頼った方が早かろう? いちいち下ろすのは無駄ではないか?」
「私がどういう目で見られると思っているのだ!? 米俵のように担がれて運ばれる身になってみろ!」
本人は真剣に言い募っているつもりであろう声には苦情が半分、残り半分が叱咤であり。しかし、その程度でこのライダーの奇矯な振る舞いが変わるはずもない。赤い頬髯を太い指の先で掻きながら、朱槍を肩に担いでいる槍兵が面白げに見上げてくる目と目を見交わし、
「どうだ、ランサー。そちらのマスターも浅からぬ傷を負っておる。今日のところはお互い顔合わせも済ませたということで、引き分けということで一つ納めてもらえんか?」
「そうさな…、ま、いいか。あのセイバーを相手にしてオレも軽い肩慣らしにはなったしな」
背後の伊織の意志とは無関係に、勝手に話が進む。しかし、口を挟む隙はなく、そもそも巻き込まれた事態が事態だけに全く話が読めないというのが正しい。
「というわけだ。マスターよ、今宵は引き上げるとしよう」
「…私を抜きにして勝手に決めるな」
「良いではないか。どうせ貴様も、あのマスターをここで殺めるのは気が進まんかったのだろう?」
「……」
反論は無かった。少なくとも、声に出しては。再び笑うライダーの腕に抱えられたまま、正雪は地面にうずくまったままの伊織を見遣る。傷ついた左腕を押さえながら見上げる伊織と無言で目を見交わし、しかし正雪はすぐに目を逸らした。
「退くぞ、ライダー」
「うむ」
身を翻した偉丈夫の姿が長屋の屋根の向こう側に消えるまで、伊織は身じろぎもせず睨み続けていた。