Fate/SamuraiRemnant異聞 伊×槍決闘譚 作:葛轍偲刳
「――…なんだ、来ちまったのか」
その高さは足首までも届かない、川の浅瀬のような広大な水が無限に広がっている空間。
その水面には錆びた剣や折れた槍が、ぽつりぽつりと突き立っている。まるで墓標か何かのように。
遙か遠くには、点々と太い石柱が幾つもそそり立っている。
「来るさ。来るに決まってるだろう」
飄々としたその声に、伊織は静かに応じた。
呪いの魔槍、真紅の長槍を手にした美丈夫が、孤独に一人で立っている。どこまでも広がる戦場の如き茫漠とした世界に、ただ一人きりで。
「仕方のねえ野郎だ。こんなところまで来ちまいやがって」
そう言って、振り向いた槍兵の双眸は今もなお赤一色に染まっている。サーヴァントを操る術の影響は、まだ解けてはいない。
「死ぬかもしれねえとは思わなかったのか?」
「貴殿の心の中に断りも無く勝手に土足で踏み込むとなれば、殺される覚悟ぐらいは当然あって然るべきだろう」
「いい覚悟だ。なら、今ここで入場料を払ってもらおうか。お代はてめえの命だ」
無造作に槍を構える美丈夫に、伊織は二刀を抜いて応じる。
「…ランサー」
「なんだよ。いまさら命乞いか?」
「違う。一つだけ言っておきたい」
「いいぜ。言い残すことがあるなら遺言ぐらいは聞いてやるよ」
獲物に飛びかかる寸前の獣のように長身を撓める槍兵に、伊織は短く言の葉を投げた。
「貴殿は、独りではない」
「……」
「俺がいる。ここにいる。昔がどうあれ、今の貴殿には俺がいる。貴殿を独りになどしない」
槍兵は暫し無言。その赤く染まった双眸を閉じ、そして開いた。
「よくぞほざいた。なら、この槍をその胸に受けてもなお生き延びられたら、その戯言を信じてやってもいいぜ」
「上等だ!」
ここは槍兵の、英雄クー・フーリンの心の世界。全ては互いの意思の力のみが決する。精神が死を受け入れれば肉体も死ぬ。しかし、その魂が魔槍の呪いをすら撥ね除けるほどに強靱ならば、あるいは――
「行くぜ?」
「来い!」
二人は同時に水面を蹴り、互いに向かって駆け出す。
「ランサー!」
突き出された穂先を左の刀で受け、右の刀で切り返す。跳ね上がった長柄で刀身を弾き、同時に真下から長い脚の爪先が伊織の顎を蹴り砕こうと振り上げられる。上体を反らして蹴りを避けると同時に、右手の太刀で相手の喉を切り払う。伊織と同様に上体を反らした槍兵が素早く後方に一回転。
互いに崩れた体勢を整え、双方が再び同時に前に出る。
「ランサー!!」
左の脇差しで眉間を突く。頭を振って避けられる。反撃の石突きが上から肩口に振り下ろされる。右手の太刀で受けるが、あまりの重さに片手では支えきれずに肩に長柄が激突する。崩れそうになる膝を必死に支える。左の脇差しを手元に引いて、胴へと目がけて二段目の突きを入れる。
長身を捻り、半身の体勢で突きを避けた槍兵が膝を跳ね上げ、手首を狙う。咄嗟に脇差しを手放すと、柄を蹴り上げられた刀身が回転しながら高々と上に飛んでいった。空いた左の掌に袖口から転がった赤い貴石が転がる。おはじきのように親指の爪で弾き飛ばされた貴石が槍兵の顔面のすぐ目の前で破裂。小爆発を起こす。
「チッ…!」
直接的なダメージは皆無に等しいが、白兵戦闘の間合いで視界を遮られることを嫌って槍兵が後退。落ちてきた脇差しを伊織の左手が受け止め、握り直しながらさらに前進。長柄武器である槍の間合いを許さず、息つく間もない追撃を仕掛ける。
肩口を狙っての袈裟切り。胴への切り払い。一刀に比べて一撃一撃の重さはないが、その分も手数で補う連撃が続く。槍兵は後退し続けながら槍の柄を風車のように回転させ、それを弾き、受け、切り返す。繰り出された牽制の刺突を回避することで後退の余裕を与えることを許すまいと、無茶を承知で伊織は前へと踏み込んだ。
「…っ!」
避けきれなかった槍の穂先が頬の肉を深く抉る。食いしばった歯を鋭利な穂先がガリッと削り取っていくのがわかる。しかし、痛みにも怯まず伊織は前進。返礼とばかりに右手の太刀が閃き、槍兵の左肩を狙って突き出される。やむなく左手を槍の柄から放し、切っ先を掌で受ける。半ば左手の平を切断されつつも、切っ先を無理やり下へと逸らす。水面に触れるほど下を向いた伊織の太刀を槍兵の足が踏みつける。
一刀を封じられた伊織は躊躇わずに太刀を捨て、傷ついた槍兵の左手を右手で掴む。体を捻り、背中を槍兵の胸板に当てるようにしながら、太刀を封じるために片足を上げた槍兵の軸足を足払い、柔の術における一本背負いの体勢で己よりも長身の体を放り投げる。
盛大に水飛沫が上がって、槍兵の体は水面に叩きつけられた。しかし、それだけでは戦闘不能にはまだ至らない。すかさず起き上がった槍兵は指先で水面に『ᚨ』のルーン文字を描く。
「ANSUR」
水面から噴き上がる紅蓮の炎という、魔術ならではの本来ありえざる光景。未熟な伊織の術では明らかに不可能なほど広範囲に、大波と化した灼熱の壁が背の丈ほどの高さにまでそそり立ち、迫ってくる。
別々の場所にある二刀を拾う暇はない。躊躇わずに太刀を拾い上げた伊織は炎の壁に向かって刀を引き、平晴眼に構える。
細く息を吸い、ほんの一瞬だけ瞼を閉ざす。
『すげえよな。アレ』
『ああ、凄かった』
脳裏に、そんな雑念(よぶん)が過る。
「――…秘剣・光芒一閃」
次の瞬間、目を見開いた伊織は迫り来る炎の壁に正面から体ごと突っ込んだ。
「ランサァァァァァァッッ!!!」
裂帛の気合いと共に、突き出した切っ先が炎を突き抜ける。熱気が肌を焼く。目が乾く。喉が痛む。しかし、構うものかと前へと進む。
視界が滲む。ぼやける。乾いた眼球が生理的反射で分泌した涙のせいか。それとも、あるいは。
何故か動かない、動こうとしない目の前の影に向かって、伊織は体ごとぶつかるように両手で握った刀を突き出した。