Fate/SamuraiRemnant異聞 伊×槍決闘譚   作:葛轍偲刳

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拾六:矜恃

 赤坂から、再び浅草へと戻る帰途。日本橋のたもとに足をかけた二人は、雨靄の中を傘も差さずに独り早足で歩を進める人影を視界に入れる。

 

「あれは――」

 

 唐人屋敷から立ち去って以後は会話の絶えていた二人だったが、美丈夫が漏らした低い呟きを聞き咎めたように人影は足を止め、首を巡らせた。

 袖を通さず肩に羽織った濃紺の外套の裾から雨水の雫を滴らせながらも、近づいてくるその優雅な足取りに変わりはなく。

 

「奇遇ね。宮本伊織とランサー」

 

 アサシンのマスター、ドロテア・コイエットは他に人影の絶えた日本橋において二人と向かい合う。

 

「こんなところで、貴殿は一人で何を?」

「アナタに云う必要があるかしら?」

 

 問いに対して問いで返してきた女魔術師を他所に、美丈夫は周囲を油断なく窺っている。これまでの経緯からして、もしや霊体化したアサシンが周囲に潜んでいるかもしれないと警戒するのは当然だった。

 

「ランサー」

「妙だ。サーヴァントの気配がねえ。いや、もちろん潜んでいればオレに悟らせずにいることも可能なんだが…それにしては、嬢ちゃん一人をオレたちの前にポツンと立たせておく理由はねえ」

「殺したければ殺しなさい」

 

 あっさりと言ってのけたドロテアは、その覚悟の程を示すように動じない。

 

「一人で敵と会してしまったのは私のミス。もちろん足掻かせてはもらうけれど――」

「いや、待て」

 

 放置すればすぐにでも殺し合いが始まりそうな気配に、伊織が割って入る。

 

「俺は、貴殿を策士と見ている。何の由もなく己の身を晒すとは思えない」

「罠か。裏か。どちらかがあるか、あるいは両方か。まあ、この嬢ちゃんなら、それくらいのことはしてくるか」

「或いはな」

 

 その懸念は槍兵の手を止めさせるには十分で、しかし逆に当のドロテアにとってはこの場での諍いを止めるためだけの見え透いた口実にしか思えなかったらしい。

 

「相変わらず甘いようね、アナタは。いいわ、教えてあげる」

 

 自分の未熟を晒すことと、敵に情けをかけられること。どちらがマシかを天秤にかけて。高慢さと同時に、他ならぬ自分自身への峻厳さをも併せ持った貴族令嬢はあえて前者を選択した。

 

「私は――アサシンの支配権を奪われたのよ」

「!」

 

 ランサー、アーチャーに続いて、今度はアサシンまでもがマスターからの離反を強いられた、と。立て続けの凶報に、伊織たちが息を飲む。

 

「契約が書き換えられたわけじゃないわ。きっと、精神操作の術式の一種でしょうね」

 

 淡々と、女魔術師は目前の事態を分析する。その視点は、生粋の魔術師ではない伊織には持ちえないものだ。ランサーとアーチャーが陥った状況を思い返してみれば、その分析には説得力もあった。

 

「だから私は一人きり。消えたアサシンの行方を追っている最中ってわけ」

「話の筋は通っている、か。しかし配下も連れずに一人でいるのは?」

 

 伊織自身もカヤの捜索で鄭家の私兵の手を借りたように、誰かを探すなら人手は幾らあっても困ることはない。横須賀の防衛戦でかなり削られたとは言っても、よもや一人の私兵も手配できないほどではあるまい。

 

「それが私の務めだからよ。アサシンを奪われたのは私の落ち度。これを云うのは憚られるけど…今のアサシンは、恐ろしく危険な状態にあるわ」

 

 狂乱したアーチャーをその手で始末してきたばかりの二人にとって、それはもはや言われるまでもない事実として認識されていた。

 

「その始末に、他者を巻き込むわけにはいかない」

「魔術師の矜持か」

「そういうこと。貴族の矜持でもあるわね。貴族の家系の一員として。そして同時に、魔術師の家系の次期当主として」

 

 その行為がもたらすであろうこの上ない危険を知りつつ、その無謀を理解していながらもドロテアは不敵に宣言した。

 

「私は、責務を果たす。絶対にね」

 

 伊織は僅かに黙り込んだ。

 鄭成功といい、ドロテア・コイエットといい、その気骨と器量は自分を遥かに凌駕しているように思えてならない。多少は剣に秀でているとはいえ、所詮は一介の浪人でしかない我が身に比べ、なんと気宇壮大であることか。

 片や国の再興という大望を胸に苦難の道を不屈の気概でもって突き進む偉大なる将帥。片や魔術師としての研鑽に励む傍ら、交易商としても貴族としても一人前以上に力量と覚悟をその生き様でもって示してみせる才色兼備の令嬢。

 

「事情は解った」

「そう、なら――」

「解ったが、貴殿を放逐はしない。同行させてもらう。いいな、ランサー」

「それがマスターの判断なら、オレに否やはねえよ」

 

 てっきり、これで話は終わると思いきや、勝手に話を進める二人に女魔術師は不審げな目を向けた。

 

「待って。どういうつもり?」

「俺たちもアサシンを追う、と云っている。それだけだ。確証はないが――」

 

 ランサーも、アーチャーも、それぞれ別の場所で自らのマスターに刃向かった。だが、配下も連れず一人きりで行動していながら今なおドロテアが五体満足で、全くの無事でいるというのは一体どういうことか。これはアサシンのみに存在する何がしかの理由があっての事態なのか。

 

 ――それとも、あるいは。この事態の黒幕に、あえてそういった行動を特に命じられたのか。

 

「アサシンの行く先に、俺たちの求める黒幕がいるやもしれん。故に貴殿を利用する。悪いな」

 

 一瞬だけ目を伏せた女魔術師は、しかしそれを拒む理由も、己が拒める状況にないことを認めたように小さく嘆息した。

 

「…そう。なら、好きにしなさい」

「ああ。それで、アサシンの行き先に心当たりはあるのか?」

「もちろんよ。マスターとサーヴァントは、魔力のパスで繋がっているもの。彼がいるのはあちらの方向。確か、神田という町があったかしらね?」

 

 先頭を切って進むドロテアの背に続く二人は、しかし見知った地名に思わず互いの目を見交わす。

 

「正雪ど――由井正雪が、この件に関わっていると?」

「どうだろうな。ありゃ確かに、キャスターについて何か勘付いていてもおかしくはねえ感じではあったが…」

 

 半信半疑から六信四疑ほどの間で揺れ動くように低く潜めた言葉を交わし合う二人に構わず女魔術師は優雅に、しかし堂々と雨の江戸の町並みを早足で突っ切っていく。その後ろ姿に迷いは見受けられず、確かに何がしかの導きに沿っている様子ではあった。それこそがアサシンとの間に繋がっている魔力を辿っているという証なのだろうが。

 

「……」

 

 そのドロテアが、とある街角で立ち止まる。いつしか一行は神田の地に足を踏み入れていた。

 紫がかった茶色の瞳を警戒するように細め、女魔術師は周囲を検分するように見回す。

 

「この先で間違いないわね。人払いの結界も張られてる。ああもう、匂って仕方がないわ」

「わかるぜ、嬢ちゃん。この先に複数のサーヴァントがいる。精確な数は…匂いが混ざって、よくわからねえが」

 

 神田明神の境内へと続く石段を見上げ、美丈夫が低く鼻を鳴らした。その横でドロテアがさらなる異変に気付いた。

 

「ちょっと待って。アサシンの魔力が消えたわ。私の接近に気付いて離れた? それとも――」

 

 途切れた魔力の流れを追うように首を巡らせる女魔術師に、伊織は声をかける。

 

「何にせよ、まずは神田明神を確かめる。急ぐぞ」

 

 敵であるはずの伊織に仕切られることに内心で反発なり何なりがあったとしても、それを今ここで表に出して不和を表面化させるほどドロテアは愚かではなかった。

 三人は肩を並べて石段を足早に駆け上がり、境内の手前で神域を守護する隨神門を抜ける。そこで視界に入った光景に、伊織は声を上げた。

 

「正雪殿! ライダー!!」

 

 そこに居並ぶのは神田を根拠地とする逸れのアサシンのみならず、神奈川湊でも剣を交えた逸れのアーチャーとタマモアリアの計三騎。

 

「やれやれ、助けに来てくれたのありがたいが、少しばかり遅いぞ。余でなければ持ち堪えられんところであったわ」

 

 赤髪の偉丈夫は唇の端から顎に伝う血を拳で拭いながら太い息を吐いた。その胴丸には幾つもの凹みや傷がつき、太い腕や脚にも浅からぬ複数の傷が刻まれている。3対1――いや、先ほどまでアサシンがこの場にいたのであれば、4対1の状況でありながら今の今まで孤軍奮闘していたことになる。例え神田という地脈の恩恵を受けられる利があり、かつ背後に庇うマスターである正雪の援護を受けられたとしても、その不撓不屈の戦いぶりは流石に征服王と称するだけのことはあった。

 即座にランサーと伊織の二人がその両脇を固める。

 

「伊織殿!? 貴殿、なぜ!」

 

 何故ここに、という意味か。それとも、何故助けるのか、という意味か。どちらにせよ、今はのんびりと会話を交わしている余裕はない。

 

「ドロテア殿、目くらましの術に心得は?」

「私にも手を貸せ、と? 別にアナタたちの仲間になったつもりもないのだけど?」

「ならば、ここで一つ貴殿にとっても耳寄りな話を教えよう。――アーチャーこと三国志の孫呉の名将、周瑜は先ほど儀から脱落した。俺とランサーが赤坂で討ち果たしたぞ」

「な…!?」

 

 驚いたのはドロテアのみならず、由井正雪とライダーも例外ではなかった。

 

「…へえ、そう。それは良い事を聞かせてもらったわ。いいでしょう、今ここで一度だけ手を貸してあげる」

 

 女魔術師は手から何かを境内に向かって放り投げた。それは伊織の使う赤い貴石に似て、しかし明らかに異なるもの。世に生み出され長き時を経て、多くの人の手を巡り、最早それ自体が一つの神秘としての地位を確立した大粒の宝石――紅玉(ルビー)が音もなく砕け、そして周囲一帯に高濃度の魔力の赤い霧が撒き散らされる。

 

「急ぎなさい。長くは保たないわよ」

「承知した!」

「こいつはオマケだ、取っときな!」

 

 偉丈夫が正雪の体を抱え上げ、伊織と共に脱兎の如く駆け出す。殿を務めるランサーが槍の穂先で境内の石畳に素早くルーンを刻む。視界を塞ぐ魔力の霧にも構わず突っ切ろうとした逸れのアサシンとアーチャーの二人の足を、アンサズのルーン文字によって呼び出された炎が止める。

 

「――…よい。深追いはするな」

 

 逸れのサーヴァント達の手綱を引き絞ったのは、強制と支配の術式を操る土御門泰広。

 

「ふん…こちらの思惑通り最初から源頼光を召喚してくれていれば、今少しは長生きも出来たであろうものを。四騎がかりでも討ち果たし切れんとは、やはりいささか強力に過ぎる英霊を引き寄せるだけの触媒を隠し持っていたか」

 

 互いの情報提供と形ばかりの協力関係も、逸れのサーヴァントらの大半を手中に収めた時点で、事ここに至ればもはや不要である。この先、余計な邪魔だてをされる前に早めに障害となりうる相手を排除しようと目論んだが、それもランサー陣営によって邪魔された。なかなか思い通りにはいかないものだと、土御門は軽く息を吐いた。

 とはいえ、今は亡き父が政敵に陥れられて陰陽頭の地位を失って以来、土御門家は長らく逆境の中にあり続けている。今さら事の全てが順調に運ぶと思うほど楽観的ではない。だからこそ、入念な準備と仕込みを重ねて盈月の儀に臨んだのだ。この程度は未だ失着の内にも入らぬと、土御門は己を慰める。

 

「野暮な茶々を入れてくれたもんだな」

 

 そんな土御門の頭越しに、神田明神から素早く撤退していくライダーとランサーらを御社殿の瓦屋根の上から見送るのは、セイバーのマスターである地右衛門だった。

 

「お陰で、烈士様の哀れな死に様が拝めず終いだ」

 

 吐き捨てるように呟く彼の影には、ひっそりとセイバーが立っている。

 

「神奈川湊に続いて、ここでも失敗ですか。なかなか上手くはいかないものですね」

「知ったことか」

 

 失敗したのはどちらも土御門の企みであって、地右衛門は高みの見物をするついでに、その代価として少しばかり手を貸しただけ。成功させてやる義理も責任もありはしない。

 

「殺す、殺してやる、殺さねばならない」

 

 ただ、復讐の一念に執着する彼は、歯軋りしながら吐き捨てる。

 

「宮本伊織。――…あの顔は、地獄には相応しくない」

 

 地獄を生きる悪鬼には、それに相応しい顔というものがある。

 まるで自分が真人間であるかのような、あの分厚い面の皮だけは。何としても、引き剥がしてやらねばならない。

 そうでなければ、この江戸を地獄に変えてやったとしても、あの善人ぶった建前ばかりを振り翳して邪魔をしてくることだろう。

 

 自分と同類の、あの血の匂いと人斬りの味を占めた外道の徒は、その秘め隠した薄汚い本性を表に引きずり出してやってから必ず殺してやる。それでこそ地右衛門の思い描く地獄に相応しい、血みどろの殺し合いになるのだから。

 

 

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