Fate/SamuraiRemnant異聞 伊×槍決闘譚 作:葛轍偲刳
壱:吉原
「太夫がわざわざ改まって話があるからと来てみれば、これは一体どういう事だね?」
吉原でも屈指の大店として知られる三浦屋の楼主は、高価な螺鈿細工の長い煙管の吸い口を銜えて、静かに一服してから詰問口調で問いかけた。
「上客の旗本が暴れて刀を振り回し、ウチの太夫を傷物にする刃傷沙汰にまで及んだからと鉄砲で撃ち殺した。…それだけでも全く頭が痛いが、まあ、それは向こうにも明らかに落ち度があっての事だ。ご公儀に幾らか金子を積んで、どうにか話を丸く収めることも出来なくはない。その出費だけでも果たしてどこから工面したものかと困り果てているところだが、ね」
座敷の隅に正座する高尾太夫をじろりと横目で睨んで見せてから、改めて正面の見慣れぬ異国の装いをした女を見据える。
「『さーう゛ぁんと』だの、『ばーさーかー』だのと、何を言っているのかさっぱりわからんが…、まあ、それも、一先ず脇に置いておこう。流れ者を店の用心棒にしたいという太夫の酔狂も、危うく殺されかけるところだったのを救われたと聞けば無下にもできん」
煙をくゆらす煙管の先端を傍らの木箱の灰皿に軽く叩きつけて真っ赤な灰を落とすと、深々と溜め息をついた。
「…で、本題の話に戻ろう。何かと思えば、病にかかった女達のために金を出せ、だって?」
「ええ」
一切の後ろめたさも躊躇もなく、それが必要であり絶対の正義であると確信しきった者の断固たる態度でバーサーカーたる女傑は頷いた。
「太夫から話は聞きました。吉原の商品たる女達が使い捨てにされている現状を」
「なんだね、人聞きの悪い。こちらも商売でやっている事だよ。売れなくなったものを店に置いておくわけにはいかない。ましてや、他の商品にまで病を移されてはたまらない。だったら、捨てるしかないじゃないか」
楼主は心外だと言わんばかりの苦笑で悠然と言い返した。青臭い正義感で文句を言うのは勝手だが、それに一々取り合ってなどいられない。さっさと話を切り上げたいという心算を隠しもしない言い様だった。
高尾太夫は無言のまま静かに目を伏せた。幾ら持て囃されようと、自分も生身の女。今は人気の絶頂期であろうと、あと数年もすれば容色にも衰えが見えてこよう。いわば賞味期限も間近に迫っている。そんな女の言の葉に聞く耳を持ってくれる商人がいるはずもない。
「商売人としては二流の発言ですね」
「なんだって?」
女傑の手厳しい批評に、楼主の額に青筋が浮いた。商売のことなど何も知らない門外漢が口を差し挟んでくれば当然の反応である。
「あなたは庭師であり、花屋です。苗木を仕入れ、育て、咲かせた花を高値で客に売るのが商売です」
が、そんな怒気を孕んだ眼差しにも構わず女傑は静かに続けた。
「しかし、ここの土地には問題があり、せっかく仕入れた苗の半分もまともに育たない。次から次に病にかかり、仕入れた端から捨てている。見事に大輪の花を咲かせ、高値で売れるのは数百から千に一つ。これでは当たりくじを引くのを待っているようなものです。賭博も同然の商売は確実性に欠け、継続性に難があります。これを二流と言わずして何と言うのですか」
「む…」
鋼の芯を思わせる背筋を真っ直ぐに伸ばして正座する女傑は、後に産業革命で空前の繁栄期を迎えることになる大英帝国の、それも上流階級の生まれである。いわば国家を挙げて貧者から搾取し繁栄した帝国の主である女王その人にすら正論と弁舌をもって説き伏せ、己の後ろ盾としてのけた女が、たかが極東の島国の一商人ごときに気後れする理由は何一つとして存在しなかった。
「年季奉公とは人身売買および搾取の仕組みとして、とても良く出来たシステムです。しかし現状の運用ではいかにも効率が悪い。いいですか、まず第一に母数を増やさずして収穫は得られないのです。そして母数を増やすのに必要な投資を手控え、目先の小銭を惜しんで将来の宝を切り捨てている。実に愚かです。そんな愚か者が商売を上から目線で語るなど、笑止千万」
嘲笑でも、愚弄でもなく、淡々と語る女傑の眼差しに思わず楼主は気圧される。確かに腹立たしくはあるが、言われていることは一々尤もな正論である。目先の情に血迷うようでは商人として失格だが、道理の通った説得に耳を貸さない商人に店を大きくすることなど出来ようはずもない。
「なかなか言うじゃないか。それで? そこまで言うからには、その母数を増やす方策とやらを聞かせてもらいたいものだね」
あっさりと掌を返すように前言を翻した楼主の口ぶりに、思わず太夫が目を見開く。自分がどれほど言を尽くしても聞く耳を持たなかった頑迷な老人とて、これほど簡単に説得を可能とするとは。
その言い分は、ある意味で吉原における搾取を積極的に肯定し、その仕組みをより洗練させようとしているようにも聞こえる。しかし、現状の吉原で切り捨てられている女達は、その搾取の対象にさえなれずに死んでいるのだ。
奴隷の身分を嘆くことが叶うのは、あくまで奴隷として生きていられる者のみ。奴隷としてさえ生きられずに死に瀕する者は己が身を嘆くことすら叶わない。まず生きる環境を整えてもらわねば、その奴隷の身から這い上がろうと足掻くことすら望めない。
「太夫」
「ええ、ええ! どうか、聞いておくんなまし」
女傑が与えてくれた貴重な機会。これを逃せば吉原の女達は今のまま、延々と屍を晒し続けることになる。苦界に堕ちてなお生にしがみつこうとする、精一杯に生き延びようとする自分の輩(ともがら)が。
必要なのだ。この世の地獄においてもなお、そこに差し伸べられる手が。例え自分にはそれが掴めずとも、ただそこに救いの手があるというだけで、救われる者が確かにいるのだから。
「三浦屋のみに金を出せとは申しません。吉原の大店、中店らが金を出し合えば良いのでありんす。足抜けを許さぬ掟が女を吉原の外には出せぬと仰せなら、吉原の中に新たな医者を、薬師を育てましょう。男手が足りぬとあらば、女の医師を。子を生むに産婆の手を借りるのであれば、どうして病に女が手を出してはならぬという法がありましょう」
後に、八代将軍吉宗公が小石川の療養所に先駆けること70年余り。吉原の外れに設けられる医の砦は、ここに始まる。