Fate/SamuraiRemnant異聞 伊×槍決闘譚   作:葛轍偲刳

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弐:神田

 とっぷりと夜も更けて町民のほとんどが寝静まった神田、連雀町。墨痕も鮮やかに『張孔堂』と記された標札が掲げられた門扉も、今は堅く閉ざされている。

 その数3000にも上ると言われる門下生を抱える私塾の堂とはいえ、それらの大半は行き場を失った牢人達である。禄を食むことも叶わぬ彼らは、まず自らの糊口を凌ぐためにそれぞれの生業に励まざるを得ず、それゆえに彼らが一堂に会するという機会は滅多にあるものではない。

 また、塾長たる由井正雪は才識において江戸に名だたる軍学者ではあるものの、その外見は未だうら若き女性の身の上である。江戸の町民の中に不埒な企みを胸に夜這いを図ろうとする者がいたところで不思議はなく、それゆえ戸締まりに用心するのはむしろ当然であった。

 

 とはいえ、今が例え陽が高く昇った日中であったところで、顔に汚れた布を巻いて面相を隠した如何にも怪しげな風体の男が果たして歓迎されるかと言えば、まず無理な話だろうが。

 

「退け、ライダー」

「断る」

 

 にべもなく、けんもほろろに拒絶されて、地右衛門は忌々しげに舌を打つ音を隠そうともしない。

 目の前に仁王立ちしている巨躯の偉丈夫は、その背後で門扉を堅く閉ざしている重い閂よりもなお厄介な難敵である。

 

「いいから退け。俺は正雪に話がある。今は戦いに来たわけではない。邪魔をするな」

「断る。貴様の用向きが何であれ、ここを通すつもりはない」

 

 分厚い胸板の前で両腕を組み、上背という極めて物理的な高低差ゆえに地右衛門を見下ろすライダーは、招かれざる客の影に潜むようにひっそりと佇む幽鬼の如き剣士を油断なく見据えながら、一切の譲歩を認めぬ断乎とした声音で断じた。

 

「余のマスターと貴様とでは、水と油よりもなお悪い。ただ正反対というだけではなかろう。何もかもが噛み合わぬ」

「知った風な口を…」

 

 実のところ、地右衛門には正雪を話に食いつかせる材料を持ち合わせていた。それは単に話に引き込むのみならず、交渉の主導権を握るに足る切り札ともいうべきものだ。

 正雪の師たる森宗意軒は、かの天草島原の大乱にて一揆勢に与した男である。海を越えて大陸の妖しげな術をも学んだという彼は、乱の首謀者と目された天草四郎時貞に協力し、その死に至るまで奉行として尽力した。娘も同然に可愛がっていた正雪の前では人格者ぶって醜い素顔を秘め隠していたようだが、まだ少年の時分に彼を見知る機会に恵まれた地右衛門は、正雪の知らぬ森宗意軒の一面をも垣間見ていた。

 

 澄まし顔で綺麗事を口にする正雪が何も知らずに慕っている師の実像を知ったら果たしてどんな顔をするか、そんな下卑た興味すら抱いていた地右衛門だったが、彼の計算は出だしから狂いっぱなしであった。

 そもそも、ライダーが殺し損ねた標的を横合いからセイバーが仕留めることで半ば無理矢理に恩を売り、なおかつ此方の有用性と脅威を高く見積もらせるつもりだったのだが、当のライダーは標的たる宮本伊織に剣を向けるどころか逆に己が配下に誘う始末。

 ならばと次にセイバーをけしかけサーヴァントを召喚する前の無防備なマスターを殺し将来の脅威を取り除こうとすれば、逆に土壇場で召喚されたランサーにセイバーが返り討ちにされるときた。

 

 もとより生来の魔術師というわけでもない地右衛門は、武術はもとより魔術についても素人に毛が生えた程度の心得しか持たない。幼少の頃より新免武蔵守の薫陶を受け、その師の没後には奇怪なる異国の魔術書から手ほどきを受ける機会に恵まれた伊織よりも腕前は更に劣る。

 当然、そんな未熟な魔術使いが喚び出せる英霊が強力であるはずもなく、幸運にも三騎士の一角たるセイバーを引き当てたものの、その実情はといえば無駄に高い病弱スキルの影響で頻繁に血を吐いては常に弱体化の恐れを抱え、未来の英霊ゆえに日の本に生まれながら知名度の恩恵は皆無に等しい。

 加えて地右衛門自身の未熟さゆえにランサーから受けた傷を手当てするのにも手こずったせいで、正雪が神田に帰り着く前に接触する機会すら失ってしまった。二重三重に事前の計画を狂わされた地右衛門としては、まさに踏んだり蹴ったりの有様である。

 

「…サーヴァント風情が、マスターに諮りもせず独断でことを決めるか。後で正雪の不興を買うことになるぞ」

 

 が、ここで下手に出るわけにもいかない。地右衛門が望むのは、いかに本音が見え透いていたとしてもあくまで対等な立場の同盟であり、一時の共闘関係である。膝を屈して媚びへつらい、助力を願い出るなどというわけにはいかないのだ。

 ランサーから受けた傷と喀血による弱体化の影響が今も尾を引いているセイバーでは、神田明神からの地脈の後押しを受け、かつ『張孔堂』という正雪の工房に立て籠もることも可能なライダーと正面から立ち会うというのはあまりに分が悪い。ゆえに、地右衛門は立ち塞がるライダーを何とかして弁舌のみで排除する必要があった。

 

「脅しにもなっておらんな、小僧。それは、余と、余のマスターの問題である。貴様が口を差し挟む問題ですらない」

 

 ギリギリと歯を軋らせる地右衛門がいかに地団駄を踏もうとも、ライダーは小揺るぎもしない。

 稚気を感じさせる普段の快活な笑みを引っ込め、仏頂面にすら見える無表情で佇む巨漢は、まさに厳粛な王の威風をすら身に纏っている。

 鋭い眼差しで地右衛門を見据え、ふと嘆息にも似た小さな鼻息を漏らし、呟くように言の葉を紡いだ。

 

「なあ、小僧。…復讐とは、己のためにやるものだぞ」

 

 一瞬、地右衛門の顔から一切の表情が抜け落ちた。

 そして次の瞬間、全身から噴き上がる激昂と憤懣に双眸を血走らせ、憤激のあまり我を忘れて背後に控えるセイバーに対し、失言を吐いたライダーを誅するよう命令しようと口を開きかけ――。

 

「剣呑、剣呑。こんな夜更けに騒ぎを起こして頑是無い幼子の眠りを妨げようとは、些か短慮の謗りを免れぬのではないかな?」

 

 飄々とした第三者の声が響き、思わぬ狂態を晒しかけた地右衛門の瞋恚は即座に鎮火した。

 肩越しに背後を振り向けば、いつの間にか抜き放った刀を手にしたセイバーが主の背中を守るように立ちはだかっている。

 白毛皮の襟飾りがついた長外套を袖も通さず肩に羽織り、夜更けにもかかわらず目元に黒い色眼鏡をかけた白髪の老人。その出で立ちは異様というほどに場違いではないが、今の今まで全く気配を感じさせることなく、そして今もただ自然体で悠然と立っているだけだというのに全く隙を感じさせぬ立ち振る舞いといい、見るからに達人の風格を漂わせている。

 

「…アサシンか」

 

 ぽつりと呟くライダーの声に、老人は一笑して軽く応じる。

 

「呵々々、…左様、儂は主を持たぬ一介の兇手。ま、今はただ何やら不穏な気配を察して物見に来ただけのことだが」

 

 内心で歯噛みした地右衛門は、この時点で己の目論見を放棄せざるを得なかった。

 敵か味方かさえも定かならぬ、はぐれのアサシンを背後に置いたままライダーと事を構えるなど、考えるまでもなく論外である。そして、今はまだ敵と決まったわけでもないアサシンを無駄に警戒する素振りを見せて、相手から無意味な敵意を買うのもまた愚かな話である。

 どちらにせよ、ここでこのまま押し問答を続ける意味すら失った以上、三十六計逃げるにしかずが上策であろう。

 

「セイバー、剣を納めろ。ライダー、今日のところは退いてやる。だが、いずれまた来るぞ」

「好きにするがいい。その時に余が大人しく通してやる保証はどこにもありはせんが」

「チッ…」

 

 負け惜しみの舌打ち一つを残して立ち去る地右衛門の背を見送って、ライダーは軽く破顔した。

 

「やれやれ、なかなかしぶとい小僧だったわぃ。あの諦めの悪さだけは認めてやっても良いが、実に良い頃合いで姿を見せてくれたおかげで大人しく退いてくれた。ここは礼を言うべきところかな? はぐれのアサシンよ」

「儂が勝手を働いたまでのこと。礼など不要」

 

 目線を隠していた黒眼鏡を傾け、老いてなお炯々と輝く双眸を覗かせたアサシンは端然としてライダーの礼を謝絶した。

 

「いかなる縁があって儂がこの地に喚ばれたかは知らぬが、ぬしの主があまりに無垢でいたいけなのでな、この爺も老婆心ながら少しばかり手を貸してやりたくなったのよ」

「そうか…」

 

 ライダーは胸の前で腕を組んだまま、太い吐息を漏らした。

 

「全く、痛ましいほどに純真な小娘よ。どのような生まれと育ち方をすれば、ああなるものか」

「さてな。そこまでは儂も知る由もない」

「まあ、あの小娘はともかくとして、その周りの若造どもは些かならず血気に逸りすぎておるようだ。余としては、むしろそちらが気にかかる。現状に満足せず、己の無力さに切歯扼腕して不平不満を口にするのも大いに結構。が、それで考え無しに暴発して周りに迷惑をかけるようでは目も当てられん」

「ふむ? ならば如何とするね、征服王?」

 

 特に興味を惹かれた様子もなく、ただ何気なく相槌を打つのみのアサシンの促しに、ライダーはニヤリと悪戯っぽい笑みで応じた。

 

「無頼を気取る向こう見ずな連中をいっぱしの兵に鍛え上げるのは余の得意とするところでな。どうだ、はぐれのアサシンよ。余と貴様とで、一つ血の気を持て余した若造どもの性根を叩き直してやろうとは思わんか?」

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