時は流れ、四月。
キリトは隣に眠るアスナを眺めてため息を吐いていた。
そもそもは、偶然にも気候パラメータが好条件で噛み合った天気にキリトが攻略への意欲を無くし、昼寝へと洒落込もうとしていたところにアスナが突っかかったことだった。
今日はいい気候だ。これを堪能しない手はないと攻略をサボり寝転がるキリトに天気などいつも変わらないというアスナ。
それに対し、寝転べばわかるとキリトは反論し、アスナは言葉に詰まって、何を考えたのかキリトの口車に乗った。
アスナの行動に驚きつつもキリトがうたた寝をしていると、その間にアスナは熟睡していた。
屋外で熟睡するアスナに引きつつも、どうせユーマが近くに待機しているだろうと去ろうとすると、首元に刃が添えられた。
「これから僕はクエスト情報の更新にいくんだよ。姉さんに何かあったら殺す。姉さんに何かしても殺す」
それだけ言うとキリトが振り返る前にユーマは転移結晶で消えていき、眠るアスナと呆然とするキリトが残された。
二人のいる広場は《圏内》なので、プレイヤーによって危害を加えることは基本的にできない。
しかし、眠っているプレイヤーの指を動かしてHP全損まで続く《完全決着モード》によるデュエルを勝手に承諾させて殺す《睡眠PK》や、《
それを避ける為に鍵のかかる場所で眠るのが常識だし、キリトも《索敵スキル》の接近警報をセットしたうえで熟睡まではしていなかった。
だが、アスナがそんな事をしていた様子はなく、なんなら熟睡している。ユーマも予定をすっぽかすわけにはいかず、かと言って疲労から眠る姉を起こすこともできず、ちょうどそこにいたアスナが眠る原因となった男に守りを押し付けたわけである。
キリトは深いため息を吐くと、いつの間にか置かれていたサンドイッチとボトルを手に眠るアスナを眺めることにした。
アスナが目覚めたのは日も落ち始めた頃。
およそ八時間しっかり眠ったアスナは周囲を見回すと隣に座るキリトを認識すると百面相しながら距離を取った。
「おはよう。よく眠れた?」
キリトのからかい混じりの言葉にアスナの右手が腰のレイピアに伸びるが、それを抜くには至らず、苦々しい顔で告げる。
「……ゴハン一回」
「は?」
「ゴハン、何でも幾らでも一回奢る。それでチャラ。どう」
アスナは隣に座っていたキリトがユーマの残したガード役ということを察し、不義理を働くわけにはいかないと考えたのだ。
「五十七層の主街区に、NPCレストランにしてはイケる店があるから、そこ行こうぜ」
「……いいわ」
やや不機嫌そうにアスナは立ち上がると大きく伸びをした。
キリトの案内に従い五十七層主街区《マーテン》には上下の階層から来ているプレイヤーによって賑わっていた。
注目に晒されながら移動し、気疲れしたキリトはアスナが奥まった窓際の席を目指したことにホッとしつつ席につく。
注文を終え、キリトが何か話題でもと考えていると外から悲鳴が聞こえ、二人して剣を取り全力で現場へと向かう。
現場は教会のある円形広場。
そこでは教会の二階中央の飾り窓から一本のロープで男が一人吊り下げられていた。
狩りの帰りなのか分厚いフルプレート・アーマーで全身を包み、大型のヘルメットを被っている。首にはロープが食い込んでいるが、SAOではロープアイテムによる窒息で死ぬことはない。悲鳴の原因は別のところにあった。
それは男の胸を深々と貫く一本の黒い短槍。
男は槍の柄を両手で掴み、表情を引きつらせている。
胸の傷口からは赤いライトエフェクトが吹き出る血液のように明滅していた。
一部の貫通系武器には《
よく見れば短槍の柄の途中に無数の逆棘が生え、継続ダメージに特化しているらしい。
「早く抜け!!」
驚愕からいち早く抜けたキリトの叫びに男はノロノロとした動きで槍へと手を掛けるが、短槍は抜ける様子を見せない。
それを見てキリトは男への誤投を覚悟で
「きみは下で受け止めて!」
「わかった!」
アスナの狙いが教会内部を駆け上がり、直接ロープを切ることだと察し、キリトは男の真下まで走る。
しかし、距離を半分ほど詰めたところで男は青い閃光に包まれ、無数のポリゴン片とともに消失する。
拘束していたものを失ったロープが壁面に垂れるとともに短槍が重い金属音を響かせながら突き立つ。
目の前の光景にプレイヤーが悲鳴を上げる中、キリトは周囲へと目を走らせた。
探すのは《デュエル
圏内でプレイヤーを殺害するに至るにはデュエルによるHPの全損しかないと考え、三十秒しか存在してくれないシステムメッセージを必死に探す。
周囲のプレイヤーにも呼びかけるが発見の報告はなく、ロープの垂れる先から顔を出したアスナにも問うが、ウィンドウはおろかプレイヤーも発見できなかったと返答がくる。
そうこうする内に三十秒が過ぎ、ウィンドウの捜索は打ち切られた。
現場に遺っていたのは移動不可能なテーブルに結ばれたロープのみ。
出入り口を人で塞いだ上で索敵スキルと目視で誰も潜んでいないことを確認すると、現場の検証を始めた。
状況だけを見ればデュエル中にロープを男の首に結び、槍を突き刺して窓から突き落としたように見える。
だが、メッセージは表示されておらず、デュエルによるPKとは考えづらい。しかし、圏内でプレイヤーのHPを減らすにはデュエル以外にはなく、思考は暗礁に乗り上げた。
しかして、圏内でのPKが実際に可能であれば問題であり、放置することはできない。睡眠PKのように対抗策を講じなければ攻略組にも影響が出る。
そのため、アスナとキリトは原因究明へと動くことにするのだった。
まず行ったのは現地での情報収集。
全貌を見ていたプレイヤーを探すと一人の女性が手を挙げる。
プレイヤーの名前はヨルコ。
原因不明のPKをされたプレイヤ──カインズとともに食事に来たところ人混みで逸れ、周囲を見回して探していたところ、槍を刺されたカインズが宙吊りにされたところを目撃したという。
その後ろに人影を見たそうだが、見覚えも心当たりもなくその正体はわからないようだった。
突き落とした人物がいるということは下手人は教会から脱出しおおせたということにだ。宙吊りのカインズという異様な光景から注目された教会から気づかれずに出ていけるという事は、
その上、圏内での犯罪を防止するアンチクリミナルコードを無効化するような未知のスキルが存在するという可能性を考え、キリトはわずかに身震いした。
聞き取りを終え、ヨルコを宿に送ると新たな手法による圏内PKの可能性があるとして注意喚起をして解散する。
次は証拠品の検証ということで鑑定レベルを上げている知り合いをあたることになった。
訪れたのは五十層主街区《アルゲード》。
プレイヤーショップを営むエギルに鑑定を頼むことにしたのだった。
その結果わかったことは、ロープはNPCショップで売っている汎用品。問題のカインズに刺さっていた短槍はPC
固有名は
貫通継続ダメージはモンスター相手には効果が薄い。
何故なら簡単に引き抜かれてしまうからだ。プレイヤーであれば恐怖心から引き抜くのに必要な力が出せない場合が多く、ダメージ判定を複数発生させることもある。しかし、モンスターはアルゴリズムに従い恐怖もなくあっさりと引き抜くのである。
この場で得られる情報がある程度出揃ったことで、次の情報を集めることになる。
とはいえ、エギルの店から動くわけではなくメールを送って思考に時間を使うのだった。
送り先はユーマ。情報屋の助手であり、シスコン甚だしい弟であればアスナからの要請へのレスポンスは大きな事件が新聞に載るよりも早い。
手に入れた情報を送信し、ものの十数分で夥しい量の返信が返ってきた。
要約すると以下の通り。
カインズは死亡済み。日時は四月二十二日、十八時二十七分。死因は貫通属性攻撃。これはアスナ達の認識と一致する。
グリムロックは生存。かつて黄金林檎という中層ギルドのサブリーダーをしていたという。黄金林檎は半年ほど前に解散しているが、判明している何人かはメンバーリストも添えれていた。解散直前にリーダーのグリゼルダが死亡しており、死因は貫通属性ダメージ。時期的に睡眠PKの手口が広まる前だという。
貫通継続ダメージについてだが、圏内に入った時点でダメージは停止するが、刺さった武器はそのままで五秒ごとのダメージエフェクトも発生し続ける。また、貫通された感覚は残っており、武器が接触していれば防具の耐久も減り続けるという。
最後にユーマ本人の所感。
デュエルによるウィナー表示は決闘者二人の中間位置もしくは決着時に距離が十メートル以上あいていれば双方の至近にウィンドウが表示される。一方が死亡した場合は死亡した地点ともう一人の位置関係が参照されることになる。
外部にウィナー表示の目撃者がおらず、突入したアスナも見ていない以上、デュエルによるPKとは考えづらい。
圏内でプレイヤーをゲームオーバーにする方法としては圏外でHPをすべて削り切る威力の攻撃を加えた上で圏内へと放り込む事が考えられるが、回廊結晶を使ったとしても、重装備のプレイヤーの首にひもをくくりつけ、教会から吊り下げる手間を考えると非現実的ということだった。
特殊なユニークスキルや武器の可能性はシステム的な不平等が許されることはないとのことで否定されていた。
結論として可能性としてはシステムの抜け道を疑うところだが、ユーマの知識では不可能ということだった。
「相変わらずだな。アイツ」
短時間で得られた情報量にキリトは苦笑する。
アスナを経由しているためタダで知ることができたが、買っていればいくらかかるのやらと考えていると、アスナがメッセージをスクロールする手を止めた。
「『追伸―情報料に関しては姉さんとキリトで折半。今回は護衛の件を斟酌して検証一回で手をうってあげる』ですって」
「なっ!?」
思いがけない横槍にキリトは絶句した。
ユーマがキリトを必要とするような検証など厄介事に違いなく、その上野良マルチで仲良しパーティーに入ってしまったような気まずさがあるのだ。
せめてエギルを道連れにできないか思案するが、単にキリトを目の敵にすることが多い故の嫌がらせである場合、なんのかんのと理由をつけてキリト一人に標的を絞り要求が増える可能性があった。
キリトはため息を吐くとぐったりとうなだれ、それを見たアスナはユーマへと承諾の意味を込めた返信を送るのだった。
情報収集を終え、ひとまず解散となる。
翌日の待ち合わせ時間を指定しさっそうと去っていくアスナを見送り、キリトも現在定宿にしている階層へと移動した。
宿までまっすぐ戻るか、NPC酒場に入るか考えながら転移広場から出たキリトは突如七人のプレイヤーに囲まれた。
その顔ぶれは見知ったものであり、聖竜連合のプレイヤーだった。
プレイヤーを取り囲んで動けなくするのは《ボックス》と言うハラスメント行為に当たるのだが、彼らの間隔は若干開いており、無理に出ることは可能である。ただし、相手の体に無暗に触れるのは非マナー行為であるため脱出はためらわれるところである。
その中でもキリトが注目したのはシュミットというプレイヤーだった。
このプレイヤー名は先程ユーマが送信してきた情報にあった名前であり、「黄金林檎」の元メンバーという記述があった。
そのためカインズの死亡した状況について知りたいのだと思い至り、ため息を吐くと壁に背を預けた。
「アンタは確か、カインズさんと同じギルドだったんだよな? 少なくとも、俺達が見た死んだ瞬間と黒鉄宮の表示に矛盾はなかった。使われていた
そう言うとキリトは短槍を実体化させ、石畳へと突き刺す。
シュミットはキリトが黄金林檎のことを口にしたときにも反応を示したが、それ以上にグリムロックの名に目を見開いて驚愕を露わにした。
「持っていきたいなら好きにしろよ。証拠品をガメているようで気分も良くなかったし、調べられるところは調べたからな」
キリトの言葉にシュミットは顔を歪めながらぎこちなく短槍を引き抜き、アイテム欄へと放り込み、そのまま勢い良く振り返る。
「……あまりコソコソ嗅ぎ回らないことだ。行くぞ!」
捨て台詞とともに去っていく聖竜連合にキリトは再びため息を吐くのだった。