SAOの万能者   作:篠白 春夏秋冬

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圏内事件―後編

 小柄なユーマよりも小さく視えるほどに縮こまったシュミットが建物へと小走りに飛び込むのを見送り、圏内へと戻った三人は顔を突き合わせた。

 

「さて、今ならまだ降りられるよ。これ以上踏み込めば、推定グリムロックのレッドに命を狙われる可能性もある。まだ死にたくないっていうなら、止めないけど」

 

「行くさ。絶対にこの事件を解決する。そうじゃないと、ヨルコさんに申し訳が立たない」

 

「わたしも行く。一緒に、最後まで突き止める」

 

「ん、了解。じゃぁ早速問題のレストラン……に……」

 

 二人の意思を確認し、ユーマが羊皮紙を広げる。

 

 ざっと眺めたユーマが絶句するのを見て、先程のヨルコと同じ状況を想起したアスナが泡を食ってその肩を揺する。

 

「ユーマ!」

 

「あ、あぁ、ごめん。ちょっと気になる事があって」

 

 そう言いながらユーマはゆっくりと羊皮紙の一点を指す。

 

 そこには、《黄金林檎》のメンバーの名前が記されている。グリゼルダやシュミットに続き、そこにはカインズの名前があった。

 

 そこに書かれていた綴は《Caynz》。

 

 一方、アスナとキリトが聞いた綴は《Kains》であり、大分違う。

 

 五文字中三文字も違うとなればシュミットの勘違いという線も薄く、混乱していたのだ。

 

 情報を整理していき、おぼろげながら状況が見えてくる。

 

 ユーマがメッセージを送り確認したところ、ヨルコとカインズ(Caynz)は生きている。

 

 これは死亡を偽装するためにカインズ(Kains)が殺されたというわけではなく、同日同時刻に死んでいたのである。

 

 生命の碑に刻まれる死亡表記の日時は月日時刻である。つまり、年までは表記されない。カインズ(Kains)は昨年死亡していたのだ。

 

 そこに合わせてカインズ(Caynz)が死を偽装し、ヨルコがカインズ(Kains)の名を告げれば、時刻と死因の一致した圏内殺人の出来上がりである。

 

 死亡したかに見えたのも、槍によって鎧の耐久値が全損し砕け散った瞬間に転移結晶でテレポートすることにより、ポリゴン片を撒き散らしながらプレイヤーが消失するという死亡の演出だったのだ。

 

 ヨルコの場合は訪ねる前にダガーを背に刺し、待ち構えていたのだ。窓枠へと移動する際に後ろ歩きだったのもダガーを隠すためであり、落ちたのは転移のための発声を聞かれないようにするためだと思われた。

 

 黒いローブの人物はおそらくカインズ(Caynz)で、演出のため待機していたのだろう。

 

 ここまで手の込んだ芝居をしたのは、指輪事件の真相を突き止めるため。

 

 不可能なはずの圏内でのPKを行う幻の復讐者を作り出し、疑わしい相手―唐突に大幅な装備更新を行い攻略組へと躍進したシュミットを追い詰め、解決の糸口を探るのだ。

 

 共犯者がいればシュミットはコンタクトを取りに行くはずで、ヨルコ達にとってもそちらが本線だろう。

 

 その他の場合に備えてDDAの本部はマークされており、シュミットのリアクションに応じて行動するはずである。

 

 何にせよ圏内でのPKのからくりを突き止めるという部分では出来ることはない。

 

 安全の確保が成ったことでユーマが興味をなくし始めていると、アスナが眉を寄せながら呟く。

 

「じゃあ、シュミットさんが指輪事件の犯人だった、ってこと……? あの人がグリゼルダさんを殺して、指輪を奪ったの……?」

 

「う~ん……僕の所見だけど、シュミットがレッドだとは思えないかな。多分、強制トレードのつもりで睡眠PKに加担したとかそういう、てい、ど……」

 

 そこまで言って、ユーマが俯くと長考に入る。今度は何が引っかかったのかと答えがでるのを待つと、一気に顔を上げてアスナを見た。

 

「姉さん、ヨルコさんの現在地は?」

 

「へ?」

 

「死亡による登録解除はされてないから位置追跡が出来るはず。今どこにいる?」

 

「ええと……十九層のフィールドにいるわ。主街区からちょっと離れた、小さい丘の上みたいだけど」

 

「急にどうしたんだ?」

 

 唐突に詰め寄るように尋ねたユーマに二人揃って困惑する。

 

 キリトの問いに答えるか、ユーマは一瞬迷った。

 

「もしかしたら、三人とも殺されるかもしれない」

 

「どういうことだ!?」

 

 突然の宣告にキリトが食って掛かる。

 

 ユーマが両手を上げたのを見て僅かに冷静さを取り戻したのをみて、ユーマは考えを語り始めた。

 

「これから話すのはあくまで仮定っていうのを頭の隅に留めておいてほしいんだけど、グリゼルダが睡眠PKをされたってことは実行犯は絶対にいる。ここまではいいよね?」

 

 確認に二人が頷く。

 

 それを確認して、続きを語り始めた。

 

 ユーマの所見が正しかった場合、シュミットには何者かから指示が下っていたはずである。その場合、シュミットは共犯者が誰かを知らず、追い詰められた彼の行動は墓前にて罪を懺悔し、許しを請うこと。

 

 ヨルコの現在地はおそらくはグリゼルダの墓標であり、懺悔の内容から指輪事件の真相へと迫ろうとしているのだろう。

 

 肝心の指示の内容はグリゼルダの部屋の座標を登録した回廊結晶を作成すること。大抵の場合、宿屋の個室は寝る時以外は「フレンド/ギルドメンバー解錠可」にされる。それを逆手にとってシュミットに登録させた回廊結晶でグリゼルダの睡眠中に侵入する。受け渡しはギルド共有のストレージと考えられるため指示をしたのはギルドメンバーである。

 

 回廊結晶を受け取った者はそれをレッドに渡し、グリゼルダ殺害を行わせる。その際に指輪の強奪も行った可能性もあるが、レッドにレアアイテムを素直に差し出すような倫理観を期待するのは無駄なので、強奪の依頼はされていないというのが濃厚だ。

 

 であれば、アイテムはどこに行ったのか。通常、プレイヤーが死亡した場合ストレージのアイテムはその場にドロップする。だが、グリゼルダは結婚していた。

 

 SAOにおいて結婚には様々な処理が付随するのだが、その一つにストレージの共有化があるのだ。

 

 結婚した両者は同じストレージを使用する事になり、隠し立てはできない。

 

 離婚は基本的に両者の合意が必要であり、その際には互いのストレージにどのアイテムを送るのかを交互に選択、ないし割合を決めた自動分配を行う。

 

 ただし、アイテムをすべて相手に渡すように割合設定をすれば一方からの申請だけで離婚が可能となる。その際にストレージからあふれるアイテムは足許へとドロップすることになる。

 

 そして、一方が死亡した場合には、自動的にアイテムストレージの内部が生存者側に統合され、この場合も溢れたアイテムは足許へドロップする。

 

 であれば、指輪はグリゼルダを殺したプレイヤーの手に渡るのではなくグリムロックの手に残ることになるのである。

 

 ここで終わればグリゼルダに対する怨恨による殺害だが、シュミットは大幅な装備更新をしており、大金を手に入れたことは確定である。つまり、指輪の売却は行われており、それが可能なのは指輪が手元にあるグリムロックということだ。

 

「そこここに穴はあるけど、可能性は高いと思う。それで、推論があっていた場合どうなるかって言うと」

 

「指輪事件の真実が明るみに出るとグリムロックには不都合ってことか……」

 

「うん。しかも、武器を用意したのがグリムロックなら、ヨルコさん達の計画をすべて知っている可能性が高い。なら、グリゼルダ殺害の依頼ルートを使って口封じを狙うかも」

 

 ユーマの言葉を聞き、二人の顔が青ざめる。

 

 中層プレイヤーのヨルコとカインズはともかく、前線でタンクを張るシュミットを殺せるレッドとなると相当の猛者となる。迷ううちに救援の段取りを最初に組み上げたのはユーマだった。

 

「姉さんは前線プレイヤーに声をかけて集められるだけ集めて十九層に向かって。キリトと僕は先行して足止めするから」

 

 そう言うとユーマは耐毒ポーションをキリトへと投げつけ走り出す。

 

 キリトもすぐに追い始め、残されたアスナは軽く悪態をついて連絡の吐くプレイヤーへとメッセージを送るのだった。

 

 全力で走り、転移門へと飛び込むと十九層へと移動する。

 

 そのままヨルコのいる座標へと走りながらユーマは首だけで振り返った。

 

「キリトはこのままグリムロックを探して。多分、事件を闇に葬れるか確認しに来てるだろうから」

 

「いや、だが」

 

「逃がしたら追うのに時間がかかる。それに、いくらレッドでも攻略組との多勢に無勢なんて避けるよ」

 

「死ぬなよ」

 

「当たり前」

 

 キリトは小さく言い残して道を逸れて周囲を探っていく。

 

 それを尻目に加速すると、まもなく目的地が見えてきた。

 

 そこにいたのは六人のプレイヤー。

 

 オレンジカーソルのプレイヤーにエストックを突きつけられたヨルコとおそらくカインズ。

 

 そして、オレンジカーソルのプレイヤー二人に挟まれて倒れるシュミット。

 

 隠す気もなかった足音を警戒したのか人質のようにエストックを首に添えるプレイヤーを無視して、ユーマはシュミットを挟む二人のうち黒いポンチョを着込んだプレイヤーへと視線を合わせた。

 

「やぁ、《PoH(プー)》。随分と久しぶりだ」

 

「なんだ、来たのか。お前は興味ないかと思ったんだが」

 

「興味はないんだけどね。姉さんは気にするから」

 

「……相変わらずだ」

 

 ユーマの物言いにPoHは肩を竦める。

 

 殺気を放って構えながらも旧知のように話す二人は異様な光景だった。

 

「それと、一つ文句を言いたくなってさ」

 

「何だ?」

 

「よくも曰く付きの品を贈らせてくれたよね」

 

「お前に届いた時点で曰く付きだっただろ? 贈ったのもお前の勝手だ」

 

「知らない曰くが付いているとは聞いてないんだけど」

 

「仕入先が悪かったと諦めるんだな」

 

 可笑しそうに笑うPoHにユーマが舌打ちする。

 

 その反応に満足したのか手にしていた肉切り包丁をしまうと今度は不機嫌そうに問う。

 

「で、この後は誰が来るんだ?」

 

「結構な人数来るんじゃない? 姉さんを旗印にレイド戦のつもりかもよ」

 

 相手が武器をしまうのに合わせ、ユーマも構えを解く。

 

 PoHはため息を吐きながら頭を振ると左手の指を鳴らし、オレンジ二人を退かせた。黒いポンチョを翻し背を向けたところで、思い出したように首だけで振り返る。

 

「じゃあな、同類(きょうだい)。また遊ぼうぜ」

 

「お前と一緒にするな、狂人。僕は必要のないことはしない。お前と遊ぶなんてまっぴらだ」

 

 突き放すような返答に鼻を鳴らすとPoHは今度こそ去っていく。

 

 ユーマは剣をしまいつつも、三人の背が視界から消え去るまで視線を逸らすことはなかった。

 

 三人を見送ると、ユーマはアスナへとメッセージを打ち始める。

 

 PoH達が撤退したことを伝えるメッセージを打ちながら後ろ手に解毒ポーションをシュミットへと放り、送信すると大きく息を吐いた。

 

「間に合うかどうかは正直賭けでしたけど、運が良かったですね。御三方」

 

 振り返りながら柔らかな笑顔で話すユーマにヨルコとカインズは言葉に詰まる。

 

 そんな中、麻痺から回復し状態を起こしたシュミットが口を開いた。

 

「ユーマ、助けてくれた事には礼を言うが……何で判ったんだ。あの三人がここを襲ってくることが」

 

「来るのがあの三人だと知っていたわけじゃないよ。でも、この場にレッドが来るという確信はあった」

 

 そこまで言って、一度言葉を切ると、ユーマは推測を話す。

 

 すなわち、指輪事件をグリムロックが首謀し、口封じを狙っていたという推理を。

 

 話を聞いて、ヨルコの身体から力が抜け、カインズがそれを咄嗟に支える。しかし、当のカインズの表情も蒼白となっていた。

 

「グリムロックさんが……私達を殺そうと……? でも……何で……そもそも……何で結婚相手を殺してまで、指輪を奪わなきゃならなかったんですか……?」

 

「さあ? シュミットに半額あげたってことは、指輪ほしさではないだろうし、金遣いが派手になったわけでもないなら動機は解らないかな。詳しいことは本人に聞こうか」

 

 ユーマが視線を向ける先から三人が歩いてくる。

 

 メッセージを受け取って駆けつけたらしいアスナと剣を片手に構えたキリト、そして、つばの広い帽子を被っり眼鏡をかけた長身の男がその切っ先に追い立てられるように歩いてきていた。

 

 男は少し離れた位置で止まるとシュミット、ヨルコとカインズ、苔むした墓標―おそらくはグリゼルダの墓標としているオブジェクトの順番に視線を移してから言葉を発する。

 

「やあ……久しぶりだね、皆」

 

「グリムロック……さん。あなたは、ほんとうに……」

 

 ヨルコの言葉にグリムロックはすぐに答えない。

 

 事件への関与を問うていることは伝わっているはずだが、答えるにはしばらく時間をかけた。

 

「誤解だ。私はただ、事の顛末を見届ける責任があろうと思ってこの場所に向かっていただけだよ。そこの少年の脅迫に素直に従ったのも、誤解を正したかったからだ」

 

 これに反駁するのはキリト。

 

 茂みの中に身を隠し、動こうとしていなかったことを示すが、鍛冶屋にすぎない自分にレッドの前へ立つ勇気が出なかっただけで責められるいわれはないと返す。

 

 では、行動に関しては脇に置き、事件への関与という点では推理は間違っていないはずだと問うと、再び沈黙が訪れた。

 

 雲間からさす月光に眼鏡を光らせ、口を奇妙な形に曲げると先程までと比べやや硬い声でグリムロックは話し始める。

 

「なるほど、面白い推理だね、探偵君。……でも、残念ながら、一つだけ穴がある」

 

 それを聞き、ユーマが小さく舌打ちした。

 

 グリムロックは口の歪みをやや深めると続ける。

 

「確かに、当時私とグリゼルダのストレージは共有化されていた。だから、彼女が殺されたとき、そのストレージに存在していた全アイテムは私の手元に残った……という推論は正しい。しかし、もしあの指輪がストレージに格納されていなかったとしたら? つまり、オブジェクト化され、グリゼルダの指に装備されていたとしたら……?」

 

 アスナとキリトが小さく声を漏らす。

 

 これがユーマの語る時間のなかった穴。

 

 装備しているアイテムは死亡時にその場にドロップする。

 

 その場合は睡眠PKを起こしたプレイヤーが指輪を奪う事が出来るのだ。

 

「グリゼルダはスピードタイプの剣士だった。あの指輪に与えられた凄まじい敏捷力補正を、売却する前に少しだけ体感してみたかったとしても不思議はないだろう? いいかな、彼女が殺されたとき、確かに彼女との共有ストレージに格納されたアイテムは全て私の手元に残った。しかしそこに、あの指輪は存在しなかった。そういうことだ、探偵君」

 

 現場を見ているわけでもないユーマ達には真実がどうだったのか知るすべはなく、趨勢は決したかに思われた。

 

 ユーマが憮然と、キリトが歯噛みする前へ、ヨルコが進み出た。

 

「それは、あり得ないのよ、グリムロック」

 

「何を根拠に?」

 

 反証などありえないと思っているのかやや呆れたようにグリムロックは返す。

 

 ヨルコはそれに取り合うことなく墓標の前にしゃがみ込むと土を掻き始めた。

 

「リーダーを殺した実行犯は、殺害現場となったフィールドに、無価値と判断したアイテムをそのまま放置していった。それを発見したプレイヤーが、幸いリーダーの名前を知っていて、遺品をギルドホームに届けてくれた。だから私達は、ここを……この墓標をリーダーのお墓にすると決めたとき、彼女の使っていた剣を根本に置いて、耐久度が減少して消滅するに任せた。でもね……それだけじゃないのよ。皆には言わなかったけど……私は、遺品をもう一つだけ、ここに埋めたの」

 

 そういって掘り出したのは銀色の小さな箱。

 

 それは《永久保存トリンケット》というアイテムで、耐久力無限という耐久値の減少による消滅が起きない保存箱だった。

 

 保存箱のため中身の耐久値も減少することなく名前の通り永久保存を可能にするアイテムだが、マスタークラスの細工師しか作成できず、容量も最大で十センチ四方程度と大きくない。

 

 その小箱が開かれるとそこには二つの指輪があった。

 

 片方は銀製の林檎の彫刻が施された指輪。そして、もう片方は黄金に輝く細身の指輪だった。

 

「リーダーがいつも手に装備していた、《黄金林檎》の印章(シギル)とあなたとの結婚指輪。この二つがここにあるということは、リーダーが殺されたその瞬間、両手にこれらを装備していたという揺るぎない証拠よ!」

 

 ヨルコの涙ながらの言葉に誰も言葉を発することなく対峙する二人を見守る。

 

「その指輪……確か葬式の日、君は私に聞いたね、ヨルコ。グリゼルダの結婚指輪を持っていたいか、と。そして私は、剣と同じく消えるに任せてくれと答えた。あの時……ほしいと言ってさえいれば……」

 

 グリムロックはそれだけ言うと俯き、糸が切れたように膝をつく。

 

 それは自白に違いなく、犯行を認めたグリムロックによるコは悲しげに問う。

 

「……なんで……なんでなの、グリムロック。なんでリーダーを……奥さんを殺してまで、指輪を奪ってお金にする必要があったの」

 

「……金? 金だって?」

 

 膝立ちのままのグリムロックはメニューウィンドウを触り、実体化させた革袋を無造作に放った。重量物が草地に沈む音とともに金属音が重なり、その中身が多額の硬貨であることを想起させた。

 

「これは、あの指輪を処分した金の半分だ。金貨一枚だって減っちゃいない」

 

 グリムロックは言葉の意味を理解しきれず戸惑うヨルコを見上げ、次いでキリト達へと視線を移し、最後に墓標を見ると乾いた声で独白を始める。

 

「金の為ではない、私は……私はどうしても殺さねばならなかった。彼女がまだ私の妻でいる間に。彼女は現実世界でも私の妻だった。一切の不満のない理想的な妻だった。夫唱婦随という言葉は彼女のためにあったとすら思えるほど、可愛らしく、従順で、ただ一度の夫婦喧嘩すらもしたことが無かった。だが、共にこの世界に囚われたのち……彼女は変わってしまった……強要されたデスゲームに怯え、恐れ、竦んだのは私だけだった。いったい、あの彼女のどこにあんな才能が隠されていたのか……戦闘能力に於いても、状況判断能力に於いても、グリゼルダ……いや、ユウコは大きく私を上回っていた。それだけではない。彼女はやがて、私の反対を押し切ってギルドを結成し、メンバーを募り、鍛え始めた。彼女は……現実世界にいた時よりも、遥かに活き活きとし……充実した様子で……その様子を傍で見ながら、私は認めざるを得なかった。私の愛したユウコは消えてしまったのだと」

 

「……私の畏れが、君達に理解できるかな? もし現実世界に戻った時……ユウコに離婚を切り出されでもしたら……そんな屈辱に、私は耐える事ができない。ならば……ならばいっそ、まだ私が彼女の夫である間に、そして合法的殺人が可能な、この世界にいる間に。ユウコを、永遠の思い出の中に封じてしまいたいと願った私を……誰が責められるだろう……?」

 

 独白を終え、再び沈黙が降りる。

 

 それを割いたのはユーマのため息だった。

 

「時間の無駄だった。ユウコさんを下に見て、所有欲を満たすための道具にしていた。それが一人の人間だと気づいて、自分がいなければ輝かない月ではないと知って、自分の行動を鑑みて勝手に怖がっていただけじゃないか」

 

 グリムロックはユーマを睨み上げ何か反論をしようとするが、口を開けしめするだけで言葉が出てこない。

 

 長身の鍛冶師を冷めた目で見下ろしながらユーマは追撃する。

 

「どうせ、その左手にはもう指輪をしていないんじゃない? 存在を思い出にしまい込んで、自分が夫だと示すための象徴はいらなくなったんだから」

 

 その一言にグリムロックは左手に視線を走らせ、革手袋ごと握り込む。

 

 そのまま黙り込むグリムロックとユーマの間にシュミットが進み出た。

 

「ユーマ、この男の処遇は、俺達に任せてくれないか。もちろん、私刑にかけたりはしない。しかし罪は必ず償わせる」

 

「ご自由に」

 

 少し前までの怯えなど微塵も感じさせないシュミットの言葉に、ユーマはもはや興味はないとばかりにグリムロックから視線を外す。

 

 シュミットはグリムロックの右腕をしっかり掴んで立たせると、そのまま丘を降りていった。

 

 ヨルコとカインズも謝罪と礼を述べてシュミットに続き、やがてカーソルが消える。

 

「やれやれ、とんだ狂言に巻き込まれたね」

 

 ぐっと身体を伸ばしながらユーマが集結を宣言する。

 

 頭上に上げられた手の左手薬指から光が反射し、キリトの目に光を送った。

 

「ユーマ、お前それ……」

 

「ん? ああ、これ? つけておくように言われててね。指輪のスロットは空いてたから」

 

 ユーマがつけていたのはシンプルな銀色の指輪でさしたる効果はない。自分自身の姿とはいえアバターを扱うゲームである以上、見た目に気を使うプレイヤーもいるのだが、ユーマは基本的に実利主義だった。

 

 攻略時の装備に関しては基本的に制服であり違和感はないが、レベリングや縛りのない情報収集の際にはチグハグさのある装備でいることが多い。

 

 アクセサリ類も同様で、キリトが以前見た時には若干の敏捷補正のついた装飾の入りの金色の指輪をしていたはずである。

 

 そのためキリトもすぐに差異に気づいたのだが、当のユーマは頭を掻きながら指輪を眺める。

 

「当人と結婚はしてないんだけどね。つけておけって言われてて」

 

「はぁ……」

 

 続きを聞きたそうにするキリトだったが、ユーマは何も言わずに手袋を取り出すと左手に嵌める。無言の拒絶にこれ以上の説明を諦めると最後にグリゼルダの墓標を振り返った。

 

 そこにはいつの間にやら最低限の金属鎧に身を包んだ女性の剣士の姿があった。

 

 薄っすらと金色に輝き、半ば透き通った身体の女性は暫くユーマ達を見つめた後、何かを差し出すように開いた右手を伸ばす。

 

 それに合わせるようにキリトとアスナが右手を伸ばし、手を握り込むと大事そうに胸の前へと持っていく。

 

「あなたの意思は……俺達が、確かに引き継ぐよ。いつか必ずこのゲームをクリアして、皆を解放してみせる」

 

「ええ。約束します。だから……見守っていて下さい、グリゼルダさん」

 

 キリトとアスナの言葉を聞いて女性は微笑むとふとした瞬間にその姿が消えた。

 

 そのまま暫く立ち尽くすと、アスナが口を開いた。

 

「帰りましょう。明日から、また頑張らなくちゃ」

 

「……そうだな。今週中に、今の層は突破したいな」

 

 キリトが頷いて答えるとアスナも頷きを返し、二人は丘を降りていく。

 

 ユーマはその後に続こうとして、もう一度振り返ると深く礼をしてから二人を追いかけるのだった。

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