第六十二層郊外―目的のプレイヤーホームの敷地内に入った瞬間、大きな音が鳴る。システムの防音を超える音に警戒していると突然扉が開いた。
「ユーくんのバカァァァッ!」
悲鳴のような声と共に小柄な人影がキリトの横を駆け抜けていく。よく見れば見知った顔―アルゴだった。
走り去っていく後ろ姿を見送り、恐る恐る玄関から中を伺うと、散乱した家具に囲まれたユーマが木刀で派手にどつかれた後のポーズのような体勢でウィンドウを広げていた。
「お、お〜い」
「ちょっと待って」
声をかけたキリトを遮り、ユーマはウィンドウを睨み続ける。数分そのままだったが、一つ息を吐いてウィンドウを消し、そこでようやくキリトに気づいたように目を瞬かせる。
「あれ? いつの間に来たの?」
「アルゴが飛び出したぐらいにな」
ユーマは立ち上がると家具を収納し、再び設置していく。あっという間に片付けが済むと、キリトへと席を勧めた。
「それで、何の用? 姉さんを泣かせて粛清をお望み?」
座るなりユーマは銀のナイフを取り出して弄ぶ。ここで答えを間違えれば自分に飛んでくることを確信しながら、キリトは口を開いた。
「何かあったわけじゃないんだが、ちょっと噂話について聞きたくてな。今はもっと気になることが出来たけど……」
そう言いながらキリトの視線は玄関へと向かう。ユーマは珍しく気まずそうに頬を掻くとナイフを仕舞って席を立った。
「まぁ、キリトならいいか……」
ユーマは奥側の扉へと向かう。ノックして顔を入れると中へと声をかけた。
「ちょっと、こっちに来てもらっていい?」
「は~い」
聞き覚えのない女性の声での返事にキリトが眉根を寄せる。ユーマは警戒心が高く、そうそう他者を招き入れることはない。交友関係は狭く深くというタイプだ。そんなユーマが連れてきたのは一人の少女だった。
薄紫の髪に赤い瞳で、身長は百七十センチほど。小柄なユーマと比べると大分背が高く見えた。
「このコは昨日、帰る途中で拾ったんだ。行き先もないってことで流石に女の子を放置は出来ないし、部屋のロックは掛けてたはずだったんだけど……疲れてたのかそのまま寝ちゃってたみたいなんだよね。で、気づいたらストレアに抱きつかれて眠ってたんだけど、ちょうどそこにアルゴが帰ってきてさ……」
「ああ……」
ちなみにここはアルゴのホームではなくユーマのホームである。アルゴのホームは不定で、情報屋が定宿を構えるのは攻略を邪魔したい勢力からすれば格好の的になるということで、定期的に場所を変えている。だが、ユーマはこの家を購入しており、アルゴは割と頻繁に通っていたりする。要は住所不定なのはここに来る建前なのだ。
付き合っている訳では無いが、感情の方向性を感じ取れないほどユーマは鈍感というわけではない。優先順位がアスナの帰還であるためそれ以外全て利用するスタンスのユーマからすれば好都合で、報いは現実で受ける心積もりである。
今回の件で何が問題だったかといえば、運が悪かったのだろう。
ユーマとしては翌朝には事情を聞き、適正な階層へと送る予定だった。そのためにゲストルームへと泊まらせていたのだが、何故か朝には同衾していた。
アルゴからすればユーマが知らない間に女を連れ込んでいたわけだ。今一度明言するが、付き合っているわけではない。そういう気持ちはあるし、いろいろとあったが、責める謂れはない。だが、それで納得できるほどアルゴは平静ではいられなかった。
同衾していたのがピトフーイであったならばまだ不機嫌になる程度で済んだかもしれない。しかし、ストレアは見過ごせない相手だった。
冒頭で示した通り、アルゴは小柄だ。スタイルとして均整は整っているが、逆にいえば体躯に対して不相応に育っていたりはしない。ピトフーイも小柄であり、発育具合に関してはアルゴの方に分があった。
しかし、ストレアは肉感的な美少女であった。アルゴやピトフーイでは及びもつかぬ身長に相応以上に実った肢体は、ユーマの嗜好を知るアルゴの精神の均衡を崩すには十分過ぎる威力を持っていた。
結果としてアルゴは暴れ、ユーマはストレアを避難させてから宥めることにした。しかし、ストレアの避難を優先したことが火に油を注ぎ、キリトがやってきた瞬間の惨事につながったのだった。
「お前……そりゃさすがに」
説明を聞き、キリトは目を細める。
ユーマは苦々しい顔で頭を掻く。
「わかってるよ。ボクだって、普段ならアルゴを優先するさ。それぐらいの分別はある。だけど、今回はそうせざるを得ない事情があったんだよ」
「事情?」
訝しむキリトにユーマはストレアへと視線を向ける。
つられてキリトもストレアを見るが、何も変わらなかった。
「まぁ、キリトじゃそんなもんだよね」
肩をすくめるユーマにキリトは僅かに苛つきつつも先を促す。
「カーソルが出ないんだよ」
告げられた言葉にキリトは苛つきも忘れて、ストレアをまじまじと観る。言葉の通り、プレイヤーやモンスターの頭上に表示されるはずのカラー・カーソルは表示されず、キリトは混乱する。
「いろいろ試したけど警告とかも出ない。移動は出来たからNPCってことはないだろうし、何かしらのバグの可能性が捨てきれないんだよね。何かの拍子にHPが減るかもしれないからストレアの安全を優先したんだ」
SAOではNPCは一定の範囲内から移動させることは出来ず、不用意に触るとハラスメント警告とともに弾かれることになる。
それを知るキリトは納得とともに自身の記憶を探る。ユーマに心当たりがない以上、自分が知っているということはないとは思いつつも考えを巡らせるが、やはり有効な回答は出なかった。
「まぁ、アルゴもすでに圏内には入ってるし、今日はピトのカーソルをグリーンに戻してから情報収集に出るつもり。だから、とっとと帰って欲しいんだけど」
やや余裕のない声で告げるユーマに圧され、キリトは早々に退出する。
途端にバタバタと準備を始めるユーマにキリトは微笑みつつ現在の住まいがある二十二層へと帰宅した。アスナと夕食をともにしながら目的の情報を何も得ていないことに気づき、メッセージを送るのだった。
翌日の朝。
朝食の用意をするアスナを眺めていたキリトの視界にメッセージの受信を示すアイコンが灯る。確認すると昨夜送信したメッセージへの返信であり、ストレージや所持金がアスナと共有されたことで毟れないことに対する恨み節のあとに得たかった情報が記されていた。
情報を読み切る頃には朝食の準備も済み、食事を終えるとアスナへと声をかける。
「なあ、今日はここに行かないか?」
マップを広げたキリトが指したのは家からは少し離れた森の一角。少々奥まった場所だが、何かあるとはされていない場所を指したキリトを訝しむアスナにキリトは意味深な笑みを浮かべた。
「噂で聞いたんだけどな……この辺の、森が深くなっているとこ……出るんだってよ」
「何が?」
「幽霊」
キリトの言葉にアスナは絶句する。しばらく間を置いてからおそるおそる確認する。
「それって、アストラル系のモンスターってこと? レイスとかバンシーみたいな?」
「いいや、本物さ。プレイヤー……人間の、幽霊。女の子だって」
キリトの語りにアスナは顔を引きつらせる。アスナはこのての話が苦手であり、ホラー系のフロアだった六十五、六十六層は攻略にも消極的になっていた。それをカバーするようにユーマが八面六臂の活躍を見せ、最速を塗り替える勢いで攻略がされたりした。
アスナは消極的ではあったが、どうせどこかにいくなら何か起きそうな場所のほうがいいと言うキリトを否定しきれず、結局その地点に赴くことになった。
聞きたいわけではないが、何も聞かないのも不安なのか、噂の内容を気にするアスナにキリトはニヤつきながら話し始めた。
それは一週間程前のこと―
この森で採取できる木材は品質がいいらしく、夢中で集めている内に日も落ちていった。
暗い中で森を動く危険性は理解しており、慌てて帰ろうとしたその視界の隅、少し離れた木の陰に、ちらりと、白いものが見えたという。
モンスターとの遭遇を考え、とっさに護身用の武器を手にとって警戒していると、姿を表したそれは小さな女の子に見えた。
長い、黒い髪に、視界に映ったのであろう白い服。ゆっくりと木立の向こうを歩いていく少女に肩の力を抜きながら視線を合わせるが―カーソルは出なかった。
そんな事態はありえない。そう考えて、周囲を警戒しながら近づいていく。声をかけ、少女が立ち止まり、ゆっくりと男の方を振り向き始めたとき、男はふと気づいた。
少女の身体を隔てた先、木の幹が、透けて見える。
白い服が重なる場所は薄く、そこから伸びる足には僅かに濃く、その向こうの光景が映る。
男は恐怖し、女の子が完全に振り返る前に逃亡した。必死に走り、森を抜け、遠くに村の灯りが見える頃になってようやく安心し、ふと後ろを振り向くと―そこには誰もいなかった。
妙におどろおどろしく語られた話にアスナは震え上がる。話の最中に止めようとしても聞かなかったキリトへと文句を言おうと息を吸い込んだところで、視界の隅―かなり離れた針葉樹の幹の傍らに、白いものがちらりと映った。
見たくはないと思いつつも、二年近い強制的なゲーム漬けで染み付いたクセが白い何かへと視線を集中させる。索敵スキルが対象物への解像度を補正し、その正体を明らかにする。
白い何かは、布だった。シンプルなラインのワンピースがゆっくりと風にはためき、その裾からは二本の細い足が覗いている。
先ほどキリトから聞いたばかりの情報と一致する容姿の少女は、こちらを見ていた。
意識が薄れそうになる中、震える声でどうにか言葉を紡ぐ。
「き……キリトくん、あそこ」
そのかすれ気味の声を訝しみながらもキリトはアスナの視線を追って、少女の姿を確認し硬直した。
「う、嘘だろおい……」
情報源がユーマとはいえ、あくまで噂話を集めたもの。信憑性は低く、キリトも肝試し程度の認識でここに来ていた。
しかし、実際に目にしたことで緊張していたわけだが、少女はふらりと体を揺らし、受け身を取ることもなくその場で横倒しになった。その際にドサリと重い音が鳴り、それはかすかにだがキリトの耳まで届いた。
「幽霊なんかじゃない!!」
音から少女が実体を持っていることを認識し、すぐに駆け出した。
「ちょ、ちょっとキリトくん!」
アスナが呼び止めるもキリトは振り返ることなく走っていき、アスナは軽く悪態を吐きながら追いかけた。
幽霊の可能性を捨てきれず少々怖がりながらも数秒の遅れで少女のもとにたどり着くと、キリトが抱え起こすところだった。少女に意識はないようで、長い睫毛に縁取られた瞼は閉じられ、両腕はだらりと投げ出されている。念のため確認するが、身体のどこも透けている様子はなかった。
「だ、大丈夫なの?」
「うーん……。この世界じゃ、息とかしないし、心臓も動かないからな……」
アスナの確認はややキリトに比重をおいた両者への心配だったが、キリトは少女の容態だけを見ている様子だった。
SAOでは、人間の生理的活動の殆どは省略されている。自発的に息を吸い込むことはできるが、無意識呼吸は行われず、心臓の鼓動も自身以外に伝わることはない。
「でもまあ、消滅していない……ってことは生きてる、ってことだよな。しかしこれは……相当妙だぞ……」
「妙って?」
「こうして触れられるし、幽霊じゃないだろう……けど、カーソルは出ない……ストレアと同じだ」
「ストレア?」
少女を注視し、カーソルが出ない事を確認していたアスナは聞き覚えのない固有名詞に首をかしげる。疑問が第一でありつつも圧を感じる表情に、キリトは頬を引くつかせつつも答える。
「ユーマがフィールドで会った人で同じようにカーソルが出なかったみたいなんだ。あいつも色々調べてるみたいだし何か知ってるかもな」
やや口早になりながらも説明すると、アスナは納得した様子を見せる。ホッとした様子のキリトから少女へと視線を戻すと、頭を撫でた。
「とりあえず、放ってはおけないわ。目を覚ませばいろいろ判ると思うし、家まで連れて帰りましょう」
「うん、そうだな」
立ち上がったアスナに続き、キリトも立ち上がる。周囲を見回しても、近くには朽ちかけた切り株があるだけで、少女が一人でここにいる理由になりそうなものは何もなかった。
あまり揺らさないよう気をつけながらも全速で家に戻る間、少女は目を覚さなかった。アスナのベッドに少女を横たえ毛布をかけると、向かいのベッドに腰を下ろして考えを巡らせる。
状況としては、やはりストレアに似ている。NPCではありえない挙動をしている上、イベント開始のクエストログも出ない。そのためあり得る可能性としては道に迷ったプレイヤーとなるのだが、少女は幼すぎた。
ナーヴギアに設定されている年齢制限は十三歳以上だが、少女は十歳にも満たないように見える。であれば保護者とともにログインしたと考えるのが自然だが、今度は一人でフィールドにいる理由がわからなくなった。
消滅せずにいるため、少女はゲームオーバーになっておらず、現在は睡眠状態に近いと推測できる。そのため時間をおけば目を覚ますと考えられるが、希望的観測の意味合いが強かった。
昼食を済ませ、ユーマにも協力を仰いでキリトは二十二層の村へと向かうが、情報は得られなかった。
ユーマもストレアの様子を見なければならないためあまり追加の情報は得られず帰ることになり、簡単な夕食を食べて情報紙を漁っていく。
探し物・尋ね人についての項目を重点的に探すが少女に関係しそうな情報はなく、一度諦めて二人は眠りにつくことにした。
こんなときでも寝付きのいいキリトにアスナは苦笑する。少女の精神状態を慮り、あの時と同じように一緒にいることが救いになることを願いつつ、少女を抱きしめながら眠りにつくのだった。
ストレアに関しては今のところフレーバー程度の役割しかありません。
ALO以降で閑話を書く際に何かできるといいのですが。