SAOの万能者   作:篠白 春夏秋冬

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 朝―アスナの一日はクラシックによる起床アラームで始まる。

 

 聞き慣れたメロディーがいつものようにゆっくりと意識を覚醒させるはずだが、ふと違和感を感じて目を開ける。

 

 自身にしか聞こえないはずのアラームに合わせ、腕の中の少女が目を閉じたままメロディーを口ずさんでいた。

 

 聞こえないはずのメロディーに合わせて歌っていることに一瞬違和感を感じたが、それは無視してもう一つのベッドへと声をかけた。

 

「き、キリトくん、キリトくんってば!!」

 

 アスナの慌てた声で寝付きのよさに反してゆっくりと意識を覚醒させ、キリトが起床する。

 

「……おはよう。どうかした?」

 

「早く、こっちに来て!」

 

 やや寝ぼけた様子のキリトにあらためて声をかけるとベッドを降り、アスナの手の中を覗き込む。少女の歌に気づき、キリトは目を見張った。

 

「歌ってる……!?」

 

「う、うん……ね、起きて……目を、覚まして」

 

 無意識とはいえ反応があったことに喜びつつ、アスナは祈るように少女を揺り起こした。

 

 外的刺激に少女の歌は止まり、長い睫毛が僅かに震える。やや間を開けて、少女はゆっくりと目を開けた。

 

 濡れたような黒い瞳が、至近距離からアスナを射抜く。数度の瞬きの後、色の薄い唇が開かれた。

 

「あ……う……」

 

「……よかった、目が覚めたのね。自分がどうなったか、解る?」

 

 小さな声を上げた少女とともに身体を起こしつつ、アスナが問う。少女は数秒口をつぐむと、小さく首を横に振った。

 

「そう……お名前は? 言える?」

 

「……な……まえ……わた……しの……なまえ……」

 

 少女が首をかしげると艷やかな黒髪が一筋頬にかかる。

 

 どこかを見るようにぼうっとした後、ポツリと答えた。

 

「ゆ……い。ゆい。それが……なまえ……」

 

「ユイちゃんか。いい名前だね。私はアスナ。この人はキリトよ」

 

 紹介とともに振り返ったアスナの視線を追って、ユイの目がキリトを捉える。そして二人を交互に見て、口を開ける。

 

「あ……うな。き……と」

 

 たどたどしい滑舌にアスナの嫌な予感が膨らんでいく。見た目からしてユイは八歳程度。ログインから二年が経過しているため現在は十歳と予測される。

 

 しかし、ユイの話し方は物心ついたばかりの幼児のようで、記憶の中の大切なものを失った少年の姿とダブった。

 

「ね、ユイちゃん。どうして二十二層にいたの? どこかに、お父さんかお母さんはいないの?」

 

 アスナの問いにユイは目を伏せて黙り込む。しばらく沈黙を続けた後、ふるふると首を振った。

 

「わかん……ない……なん……にも、わかんない……」

 

 予想していた回答ではあるが、アスナは血の気が引いた気がした。

 

 

 

 温めて甘くしたミルクを手渡すと両手で持って飲み始めたユイを見ながら、二人は考えを巡らせる。

 

 おそらく、ユイは両親ないし保護者とこの階層に来て、それを失ったと推測された。その際の状況は定かではないが、精神には多大な負荷がかかったことは明らかだ。それが記憶に封をしてしまったのだろう。

 

 少女を襲った悲劇を想い、キリトの表情が苦悩に歪む。

 

 泣き出す寸前にも見えるキリトを、アスナは強く抱きしめた。

 

「大丈夫だよ、キリトくん。……わたしたちに、できることだって、きっと……あるよ」

 

「……そうか。そうだな……」

 

 キリトは顔を上げるとアスナの肩に手を置き、ユイの座る食卓へと向かう。それにアスナも続いた。ユイの隣に座ると、明るい声で話しかける。

 

「やあ、ユイちゃん。……ユイって呼んでいい?」

 

 顔を上げたユイが、こくりと頷く。

 

「そうか。じゃあ、ユイも俺のこと、キリトって呼んでくれ」

 

「き……と」

 

「キリト、だよ。き、り、と」

 

「……」

 

 ユイは難しい顔でしばらく黙り込むと、意を決したように口を開く。

 

「……きいと」

 

「ちょっと難しかったかな。何でも、言いやすい呼び方でいいよ」

 

 そうキリトが笑顔で告げると、ユイは再び黙り込む。ミルクのおかわりを注いでも反応しないまま考え込んでからゆっくりと顔を上げた。キリトの顔を見ながらおそるおそるというふうに口を開く。

 

「……パパ」

 

 次いでアスナを見上げて、言う。

 

「あうなは……ママ」

 

 アスナの身体が震える。無意識下で失った保護者を欲しているかのようなその呼称に目を潤ませつつも、それを抑えて笑顔で頷く。

 

「そうだよ……ママだよ、ユイちゃん」

 

 それを聞き、ユイは初めて笑顔を浮かべた。切りそろえた前髪の下で、表情の乏しかった黒い瞳がきらりと輝き、一瞬、人形のようなその整った顔に生気が戻ったように見えた。

 

「ママ!」

 

 差し出された手を見て、アスナの涙腺が緩む。堪えながらユイを抱きしめ、ようやく様々な感情の乗った涙を零したのだった。

 

 

 

 ホットミルクと小さな丸パンを食べるとユイは再び眠りに落ちた。ベッドに移動させたユイを見守りながら、アスナは思考を巡らせる。

 

 心の中は非常に複雑だ。本音で言えば、このまま二十二層でユイの面倒をみてやりたい。しかし、攻略組でもトップレベルの戦力である二人が長く離れていれば攻略はそれだけ遅れてしまい、ユイが現実へと復帰するのが遅れてしまう。

 

 最善策はどこか預け先を見つけてしまうことだが、それに納得出来ないのだ。

 

 とはいえ、ユイが寝ている現状できることはない。既にユーマがキリトによるメッセージを元に新聞へ尋ね人に関する記事を載せている。

 

 結局、ユイは午前中ずっと眠り続け、目覚めなくなるのではという二人の心配をよそに昼食前には目を覚ました。

 

 アスナがユイに用意したのは甘いフルーツパイだった。しかし、ユイはキリトがうまそうにかぶりつくマスタードたっぷりのサンドイッチに興味を示し、二人を慌てさせた。

 

「ユイ、これはな、すごく辛いぞ」

 

「う〜……。パパとおんなじのがいい」

 

「そうか。そこまでの覚悟なら俺は止めん。何事も経験だ」

 

 キリトがサンドイッチを差し出すと、ユイは躊躇わず小さな口を精一杯開けてがぶりと齧りつく。

 

 二人が固唾をのんで見守る中、難しい顔で咀嚼していたユイはサンドイッチを飲み込むとニッコリと笑った。

 

「おいしい」

 

「中々根性のある奴だ。晩飯は激辛フルコースに挑戦しような」

 

「もう、調子に乗らないの! そんな物作らないからね!」

 

 笑ってユイの頭を音出るキリトにアスナが怒る。

 

 その瞬間、ドアがノックされた。キリトにメッセージが届き、来訪者の正体を告げる。

 

「お、ユーマか」

 

「ゆーま?」

 

 ウィンドウを操作したキリトに反応し、ユイが復唱する。発音の問題からか、ユーマの名前がすっと口に出たことにキリトはなんだか悔しくなる。しかし、ふといたずらを思いついたのか不敵に笑いながらユイへと語りかける。

 

「ユーマは、そうだな。いうなれば、おじさんだ」

 

「おじさん?」

 

「アスナの弟だからな。叔父で間違いはない。そう呼んでやるべきだろう」

 

 悪巧みをするキリトの声を聞いてあきれつつもアスナが扉を開くと、そこにはキリトの予告通りユーマがいた。

 

「や、姉さん」

 

「いらっしゃい。何かあったの?」

 

「ユイって子に少し聞きたいことがあるのと、第一層に子供を集めているところがあるから顔つなぎにね。攻略中の預け先は必要でしょ?」

 

 ユーマの周到さにアスナは苦笑しつつ部屋へと招き入れる。

 

 首を巡らせたユーマはユイを見つけると目線を合わせて話しかける。

 

「君がユイかな? 僕はユーマ。よろしくね」

 

「ゆーま……おじさん?」

 

「おじ……」

 

 キリトの言葉を素直に聞いたユイの言葉にユーマは頬を引きつらせる。目を細めつつ視界の隅で笑うキリトへと視線を移した。

 

「キリト?」

 

「パパ?」

 

「ぱぱ?」

 

 断定するユーマに続き、ユイが首をかしげる。その際の呼称にユーマの視線がユイとキリトを行き来し、最終的にユイへ戻る。

 

「ままは?」

 

「あうなが、ママ」

 

 ユイの答えにゆっくりと視線がアスナを捉え、再びゆっくりとユイへ戻る。そのまますっと立ち上がるとキリトへと歩み寄った。

 

「表に出ろ」

 

 限界ギリギリまで声量を抑えた殺気の籠もった声に今度はキリトの表情が引き攣る。どうやら子供が出来るのは許容範囲を超えていたらしい。無理やり外に出そうとしないのは幼いユイに配慮しているのだろう。

 

「待て待て、俺とアスナの子供にしちゃ大きすぎるだろ」

 

「はぁ? 誤魔化すの? 姉さんとの子供が可愛くないっていうの?」

 

「めんどくせえな、お前!」

 

 極度の混乱にあるのか、もはや何を言っても切れる状況のユーマにキリトは内心で頭を抱える。それを仲裁したのはユイだった。

 

「ゆーま。どうしたの?」

 

 服の裾を引きながら紡がれた言葉にユーマの目から殺気が霧散する。ユーマは最後にキリトに流し目を送ってユイへと向き直り、膝を曲げてユイと目線を合わせた。

 

「なんでもないよ。ちょっとパパに用事があっただけ。もうだいじょうぶ。それより、左手を振ってみてもらって良いかな? こんなふうに」

 

 手本をみせるようにユーマが右手を振ると、いつも通りウィンドウが現れる。それを見たユイがおぼつかない手つきで左手を振ると、同じようにウィンドウが出現した。

 

「ちょっとごめんね」

 

 ユーマはユイの後ろに回り、手を取って指をウィンドウへと走らせる。ユイの指を介した操作によりユイのステータスが他者にも見えるようになり、三人がそれを覗き込んだ。

 

「な……」

 

「なに、これ」

 

 横から覗き込んだキリトとアスナが絶句する。

 

 というのも、ウィンドウが既知のものとは明らかに違っていたからだ。

 

 メニューウィンドウを開いた段階の画面は最上部に名前の英語表示とHPバー、EXPバーの順に並び、その下の右半分が装備フィギュア、左半分にコマンドボタン一覧が並んでいる。アイコンのデザインは変更可能だが、配置は変えられない。

 

 しかし、ユイのウィンドウは最上部には《Yui-MHCP001》という名前の表示がされるのみでHPバーやEXPバーどころかレベル表示もない。装備フィギュアは存在するが、コマンドボタンは極端に少なく、《アイテム》と《オプション》の二つだけだった。

 

 ウィンドウを確認し、ユーマは唸る。

 

「やっぱりこうなってるのか……」

 

「やっぱりってことは、何か当てがあるのか?」

 

「当てってほどじゃないよ。ストレアもレイアウトが同じだったってだけで、解決策はないんだよね」

 

「そうか……」

 

 難しい顔で頭を掻くユーマに横から訊いたキリトは顔を伏せる。それを見たわけではないが、ユーマは切り替えるように手を叩くと自分とユイのウィンドウをいじっていく。

 

「とりあえず、今日の予定はないと思うし。託児先との顔合わせでもしようよ。もしかしたら解決策も見つかるかもしれないし」

 

 トレードが出来ないためユーマは服を実体化させ、ユイのアイテム欄に放り込んでいく。どうやらここに来る前に仕入れていたらしい。それを装備フィギュアに移動させ、ユイの服装を初冬にふさわしい姿へと変えていく。

 

 姿見の前で数着切り替えていき、特にユイが気に入ったらしい淡いピンクのセーターを基調とした服装をまとめるとウィンドウを消して立ち上がった。

 

「よし、準備OK。じゃぁ、出発しよっか」

 

「行き先は?」

 

「第一層《はじまりの街》その教会だよ」

 

 

 

 アスナとキリトが《はじまりの街》に降りるのは数ヶ月ぶりだった。

 

 実のところこの街が最も施設が充実しており、最初の階層だけあって宿屋などの価格も安い。そのため攻略を考えるとこの街を拠点にするのが最も効率的なはずなのだが、高レベルのプレイヤーは大概がこの街を出ている。

 

 大きな理由は二つ。広い天井がゲーム開始時の絶望を思い出すのと《軍》の専横である。

 

 七十四層でのコーバッツのように他のプレイヤーに横柄な態度で接する《軍》のプレイヤーは多い。中には徴税と言い張って金品を接収しようとする者までいる始末だ。

 

 ちなみに現在のこの街の人口はおよそ二千。ただし、《軍》の徴税を嫌がって出歩く者は極端に少ない。また、一般プレイヤーの大半は戦う事を極端に怖れており、圏内で完結するお使いクエストや時折落ちる街路樹のきのみなどで生計を立てている。

 

 キリト達はそんな説明を受けながらユーマの先導に従って教会へとたどり着いた。

 

 教会は各街に必ず一つは存在し、内部の祭壇で特殊攻撃の《呪い(カース)》の解除や対アンデッドモンスター用の武器に祝福を受けることができる。また、料金を支払う事で宿屋のように使う事も出来る。

 

 この教会はあるプレイヤーが子供のプレイヤーを集めて暮らしている場所らしい。今は大体二十人程が暮らしているという。

 

 ユーマは扉に手を置くと一気に開け放ち、中へと声をかけた。

 

「おらー、ガキ共! ユーマさんが遊びにきてやったぞー!」

 

 一見して建物内は無人であったが、ユーマは中へと進んでいく。呼びかけに反応したのか物陰から子供がわらわらと出て来た。

 

「ユーマ!」「ユーマだ!」

 

「なんかよこせ!」「知らない人がいる!」

 

 騒ぎ出す子供達にユーマが囲まれる。案外慕われている様子にキリトとアスナが目を瞬かせていると、奥から眼鏡をかけた女性が顔を出した。

 

「ユーマくんは時々こうして子供達の相手をしてくれているんです。と、すみません。私はサーシャといいます」

 

「あ、はい……私はアスナ、この人はキリトです。で、この子がユイ」

 

 優しげに子供達を眺めるサーシャに挨拶を返し、改めてユーマを見る。子供達に集られながらも笑顔を浮かべるユーマに感慨深く思っていると、サーシャが声をかけた。

 

「事情はある程度聞いています。こちらへどうぞ」

 

 サーシャの案内に従い、キリト達は小部屋へと移る。後ろではユーマが子供達を相手にする声が響いていた。

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