和人の向かった先は裏通りのカフェだった。
《Dicey Cafe》と刻まれた小さな看板の下の扉を押し開けると、入店を知らせるベルが鳴り響く。店内には客はおらず、カウンターの向こうに座っていた禿頭の巨漢が顔を上げる。
「よぉ、早かったな」
「……相変わらず不景気な店だな。よく二年もつぶれずに残ってたもんだ」
「うるせえ、これでも夜は繁盛しているんだ」
和人の言葉にエギルも気安く返す。
エギルー本名アンドリュー・ギルバート・ミルズは人種的には生粋のアフリカン・アメリカンだが、親世代からの江戸っ子でもある。そして、住み慣れた御徒町に店を開いた直後にSAOに囚われ、その間は妻が店を支えていたらしい。
店内は四つのテーブルとカウンターだけなのだが、手入れの行き届いた調度品が敷地の狭ささえも居心地の良さへと変えていた。
「で、あれはどういうことなんだ」
注文さえ放置して席に座り問いただす和人にエギルはすぐには答えず、カウンターの下から小さな長方形のパッケージを取り出した。見事なコントロールで手元に滑り込んできたそれを手に取り、和人は納得したという顔になる。
「《
「何か知ってるのか?」
「ちょっと調べる機会があってな。内容ぐらいは」
《
ほかにもVRMMOは多数販売されているが、このゲームが現在トップシェアと言える。
ゲームシステムとしてはレベルは存在せず、各種スキルが反復使用によって上昇する程度でHPに関してはほとんど変動しない。戦闘もプレイヤーの運動能力依存でSAOのようなシステムアシストのある動きはない。ただし、魔法が存在し、遠距離攻撃手段は豊富だ。グラフィックや動きの精度は群を抜いており、SAOに迫るレベルらしい。
内容はPK推奨。複数種族からアバターを選択し、異なる種族間でのPKによりグランドクエストの達成を妨害しあうことになる。
なかなかハードな内容だが、それ以上に人気を集める理由がある。人気の理由として最も大きいのは、プレイヤーが自ら飛行できるという点だ。妖精であるプレイヤーの背中から羽が生え、身一つで飛び回れるという他タイトルにはない特徴はプレイヤーの心を掴み、このゲームをトップシェアへと押し上げている。ただし、この飛行には時間制限があり、グランドクエスト達成を成し遂げた種族のみがその制約を無視できるようになるのだという。それも相まってプレイヤー間でのPKは推奨事項なのだ。
「あの写真について聞きに来た俺の前にこのパッケージを出したってことは、あれはこの世界の写真なのか?」
「ああ、グランドクエストの世界樹の上への到達-それを外側から強引に達成しようと、多段ロケット方式で五人のプレイヤーが肩車して飛び上がったらしい」
「なるほど、馬鹿だけど頭いいな」
「うむ。目論見は成功して枝にかなり肉薄できた。その証拠にしようと最高高度で何枚も写真を撮ったんだが、その一枚に奇妙なものが映り込んでいたらしい。この、枝からぶら下がる巨大な鳥籠がな……」
「そういうことか……」
和人の考えが確信に変わる。だが、漠然としている上証拠もない状況で菊岡ら総務省へ連絡しても意味がないと判断し、アルヴヘイム・オンラインのパッケージを手に取った。
「エギル、このソフト、貰っていいか」
「構わんが、行く気なのか」
「ああ、この目で確かめる」
アミュスフィアはナーヴギアの後方互換機ではなく、セキュリティ強化版であるため、アミュスフィア用のソフトもナーヴギアで起動できる。だが、ナーヴギアを被るということは、あの二年間のような事態が起こるのではという恐怖と対面するということだ。
しかし、和人はそれを笑い飛ばした。
「死んでもいいゲームなんてヌルすぎるぜ。それに、ここで動けなかったらあいつ絶対ダルがらみしてくるしな」
「たしかにな」
未だ復帰しないシスコンを幻視し、そろって苦笑する。和人は話の途中で出されていたコーヒーを飲み干すと、代金をカウンターへと置いた。
「じゃあ、俺は帰るよ。ご馳走様、また情報があったら頼む」
「情報代はツケといてやる。アスナを助け出せよ。そうしなきゃ俺たちのあの事件は終わらねえ」
「ああ。いつかここでオフをやろう」
エギルと拳をぶつけ合い、和人は家路を急いだ。
家に帰ると、ちょうど直葉が二階から降りてくるところだった。
見舞いにしては早い時間での帰宅に直葉は訝しんだようだ。
「お兄ちゃん、どこか行ってたの?」
「ちょっと知り合いのところにな。そうだ、俺今からちょっとVRMMOに潜るから、夕飯になっても出てこなくても心配するなよ」
「へ? VR?」
眼を瞬かせる直葉に和人はアルヴヘイム・オンラインのパッケージを見せる。すると今度は直葉の目は見開かれた。
「他のプレイヤーもたくさんいる流行りのゲームだから、事故ることはないはずだ。だから心配しなくても」
「お兄ちゃんもALOやるの⁉」
和人の言葉を遮り興奮した様子で直葉が言う。その途中に気になる部分があり、無意識に口を突いて出た。
「も?」
「あ……」
直葉が自分の言葉を思い返し、はっとした表情になる。しかし、すぐに諦めたのかわずかに語りだした。
和人がSAOに囚われ一年がたった頃-見舞いを繰り返す内に和人が夢中となっていた仮想世界というものがどんなものか知りたくなった。それは剣道を止めてしまった和人との間に空いてしまった溝を遅ればせながら埋めるためだったのかもしれない。
何はともあれ、知るためには自身がその世界に飛び込む以外にはないと考えた直葉はクラスメイトを経由してALOーアルヴヘイム・オンラインを始め、今ではその世界の虜となっていた。
そのため、退院した和人ともVRMMOについて話したいと思っていたが、SAOから目覚めないアスナのためにほうぼう手を使って調べている和人にVRMMOの話をすることはできず、後回しにしていた。
「それでね」
言葉を続けようとした直葉を着信音が遮る。身体を跳ねさせながら端末を確認した直葉はわずかに表情を歪めた。
「ごめん、お兄ちゃん。すぐ切るから」
「何かあったんじゃないか?」
端末を操作しようとする直葉を見ながら和人が尋ねると、ややあって気まずそうに答える。
「ALOで約束が……でも、そんなに重要なことじゃないし」
「俺の方は大丈夫だよ。後で話そう。それに、スグも気に入ったって言うALOに潜ってみたくなったしな」
和人がアルヴヘイム・オンラインのパッケージを見せながら言うと、直葉は表情を複雑なものにしながら頷いた。
「わかった。ちょっと行ってくるね。お兄ちゃんも慣れたら一緒に飛ぼ」
「ああ、スグに追いつけるように頑張るよ」
和人の答えに直葉はわずかに笑みを浮かべて階段へと戻っていく。その後ろ姿に和人は思い出したように問う。
「そういえば、スグのプレイヤーネームってなんだ?」
「そっか、アバターじゃ待ち合わせで困るもんね。えっとね、プレイヤーネームはリーファだよ。お兄ちゃんは?」
直葉に訊き返され、和人は言葉に詰まった。どうするべきか少し考え、意を決して口を開く。
「俺は、キリトにするよ」
「キリトね。じゃあお兄ちゃん、後でね」
「ああ、楽しんでこいよ」
「うん」
直葉は今度こそ階段を上っていく。それを見送って、和人は頭を掻く。しばらくしてからようやく動き出すと和人も部屋へ戻るため階段を上っていった。
部屋に戻るとラフな格好に着替え、アルヴヘイム・オンラインのROMカードを電源を入れたナーヴギアへと挿入する。
主インジケータが点滅から点灯に変わり、ROMカードをロードしていることを確認した和人は、不安と興奮を深呼吸で落ち着けながら、二年ぶりのキーワードを唱えた。
「リンク・スタート!」
意識が現実から切り離され、様々な感覚が次々に仮想世界へと接続されていく。
やがてアルヴヘイム・オンラインのアカウント作成用の仮想空間にたどり着くと、普段使いのIDとパスワードを流用してアカウント登録し、キャラクターネームには先ほど直葉に伝えた通り《Kirito》と打ち込む。
総務省がSAO内でのトラブルについて個人間での訴訟を起こさせないためにプレイヤーの情報については公表していないことを鑑みて使用を迷ったが、さほど目立つ名前でもないだろうと慣れたものを使うことにした。
性別の選択では男性を選択し、アバターの作成に入る。とはいえ出来ることは種族の選択のみであり、容姿は無数のパラメータからランダムに生成されるらしい。一応課金することで再作成することもできるようだ。
容姿に関してはどうでもいい部分なのですぐに了承示すボタンをタップし、種族の選択へ移る。
目的がアスナを探すことなので各種族ごとの特性については確認せず、初期装備が黒であり、なんとなくSAO時代の装備を思い起こさせたスプリガンを選択した。
全ての初期設定が完了すると光に包まれ、キリトの身体は落下を始める。説明では選択した種族のホームタウンに降りるらしい。
真っ白な光から徐々に世界が姿を現し、眼下には深い闇に包まれた小さな町が見えた。そしてゆっくりと町の中央の細長い城へと近づいていく。
二か月振りのフルダイブ型ゲームの感覚刺激がこれまでの経験を呼び起こしていくのを感じていると、突如としてフリーズした。
視界のあちこちでポリゴンが欠け、雷光のようなノイズが駆け巡る。とどめにオブジェクトの解像度が下がっていく、世界が溶けて崩れた。
「な、なんだ⁉」
真っ暗闇となった視界を振り回してわめくが、答えを得ることはできない。しばし間をおいて今度は身体が猛烈な落下を始める。
「どうなっているんだぁぁぁぁぁ」
キリトの悲鳴は虚無の空間に吸収され、消えていくのだった。
キリトが落下した先は森の中だった。
PK推奨を掲げるゲームで無防備な姿をさらすわけにはいかず、立ち上がると草陰に隠れ周囲を窺う。
事前情報どおりSAOにも迫るグラフィックは周囲の情報をクリアにキリトへと伝え、周囲の敵性存在がいないことを理解させた。
幸いにも周囲に敵影はなく一旦胸を撫でおろし、改めて先ほどの事象を思い起こす。
明らかな表示の異常に空間移動。明らかにホームタウンとは違う場所からのスタートにバグの存在を疑い、SAOサービス開始時のログアウトボタンのないメニューをバグと思っていたことを思い出して顔を青ざめさせた。
慌てて右手の人差し指と中指を揃えて振り、メニューを呼び出そうとするが、何も起こらない。
血の気が引くような思いで数度繰り返し、ALOでは左手でメニューを呼び出すことを思い出せた。
今度は何事もなくメニューが呼び出され、キリトはわずかに安堵する。そのまま目を走らせてログアウトボタンがあることを確認し、試しに押してフィールドでは即座にログアウトできないことに関する警告文を見て正常に動いていることを確認して、今度こそ安心してへたり込んだ。
ひとまず安全であることを確認し、現在地を確認しようとメニューウィンドウへ目を落として、そこに書かれている情報に絶句した。
ウィンドウ最上部には先ほど入力したキリトという名前とスプリガンという種族の表示。その下に
問題なのは、そのさらに下―習得スキル欄だった。ゲーム開始直後のキリトにスキル習得の機会はなかったのだが、なぜか八個のスキルが列挙されていた。
並んでいるのは《片手剣》、《体術》などの戦闘スキルに加え、《釣り》のような生活スキルがあり、選定理由に一貫性が感じられない。その上熟練度が高く、すでに
転移に加えてステータス異常と人気ゲームにも関わらず重大バグを放置している運営に不信感を抱きながらスキルを眺めていると、その並びと熟練度に既視感を感じた。
似ている。
表示されていないスキルもあるため一致しているわけではないが、記憶しているSAOで取得していたスキルとその熟練度と同じように見える。
不可解な状況にキリトは混乱するが、頭を振って疑問を一度意識の隅へ追いやると、アイテム欄を開いてみる。
そこに現れたのは文字化けしたアイテム群だった。下までスクロールしていくが正常に表示されるアイテム名はなく、すべて意味不明な文字の羅列だ。内容は定かではないが、おそらくはこれもSAO内で所持していたアイテムなのだろう。
これでキリトも確信を持った。
どういうわけかはわからないが、SAO時代のステータスが反映されており、おそらくは転移も最終の位置情報が読み込まれた結果だと結論付ける。
おそらくは基幹システムが同様のものなのだろう。アルヴヘイム・オンラインのリリースはアーガスの消失後、レクトが事後処理を引き受けた後だ。アーガスの持っていた資料などもメンテナンスのために移譲されたはずで、その情報を元に制作したと考えられた。そのためフォーマットが同じスキルはそのままSAO時代のデータに上書きされ、それ以外のHPなどは初期値になっているのだろう。
「ってことは、アイテムは捨てた方がいいんだろうな……」
異常ではあるがシステム上は正常に表示されているスキルと違い、アイテムは明らかに異常なものだ。プログラムに検出されてBANなどされては目も当てられないので、キリトは苦渋を飲みながらアイテム消去を行った。
二年間の積み重ねの一部を消し去り、キリトは深いため息を吐く。
気を取り直してステータスを確認すると、SAOとは違う点が多々見受けられた。
特に大きいのは魔法の存在と、各種パラメータがないことだろう。
武器の装備に関わるのは筋力などではなく各種武器スキルの熟練度のようだ。また、武器スキルを上げても威力には反映されず、ソードスキルは存在しない。
HPやMPの上昇幅も微々たるものであるため、SAOのように相手によっては棒立ちでも問題ないということはない。
そしてSAOに存在しなかった魔法だが、スキル欄にはキリトの選択したスプリガンの初期スキルであろう《幻属性魔法》が存在している。内容はわからないので一旦放置してマップを開くと、周囲に町はなく、完全に森の中だった。
移動には難儀しそうだと考えていると、ALOでは飛行が出来ることを思い出した。
「ええと、確か左手を立てて握ると補助コントローラが出るんだったか」
無意識に独り言を呟きながら調べていた操作をすると、左手の中にジョイスティック状のオブジェクトが現れる。
記憶を頼りに操作して上昇・下降を繰り返し、キリトは数分である程度飛行が出来るようになった。
「さて、どっちに行くか……」
空中から十分な視界を取って移動できるようになったため、町があることを祈って飛ぶことにした。
ゆっくりと上昇すると、遠くで一瞬爆炎のような光が見え、そちらの方へと飛んでいくのだった。
感想・評価・お気に入り等ありがとう御座います。
ユイがユーマのナーヴギア内なので、キリトが自力で頑張ることになりました。ついでにALOログイン前の直葉との会話を変更。盲目的になるほど焦っていないのでお話する余裕があります。