十二月四日、日曜日、午前十時。
攻略会議が行われていた噴水広場に四十五人のプレイヤーが集合していた。
現時点での最高戦力といえるこのメンバーが万が一にも敗北するようなことがあればそれがはじまりの街へと伝わり、SAOは攻略不可能であるという風潮が生まれかねない。
そのことを理解しているプレイヤーが緊張をにじませる中、あぶれ組の一応のリーダーであるキリトにユーマが突っかかっていた。
「昨日寝てないんじゃないの? 大事な一戦なのに真剣味が足りないよね」
「お前なぁ……」
キリトの眠りが浅いのは昨夜ユーマからもたらされた情報によるものではあるが、その情報を望んだのはキリト自身である。どう反論したものかと考えを巡らせていると、後ろから余り友好的とは言い難い声で話しかけられた。
「おい」
キリトの後ろに立っていたのはキバオウ。
剣の取引を断られ、口止めを突破されて名前も知られているにも関わらず話しかけて来たことにキリトがぎょっとしていると、キバオウは剣呑極まる目つきでキリトを睨めつけながら威圧するように言う。
「ええか、今日はずっと後ろに引っ込んどれよ。ジブンらは、わいのポーティーのサポ役なんやからな」
キリトであれば決して近づきたくない状況であるキバオウはまるでキリトが萎縮して当然とでも言うような態度で話すと憎々しげな顔を一層突き出して続ける。
「大人しく、わいらが狩り漏らした雑魚コボルドの相手だけしとれや」
おまけとばかりに唾まで吐き捨てて去っていくキバオウにしばしキリトは呆然としていたが、横からの声に気を取り直した。
「キリトならともかく姉さんまで腐すとか……乱戦中に後ろからぶった切ってやろうか……」
「俺ならってなんだよ。というか、戦力減るし、あいつも装備整えてるはずだし、背中を突いても」
「いや、見なよ。あいつ昨日から装備が変わってない。四万コルもあれば装備更新ぐらいしてもいいはずなのに」
「え……?」
先程までは予想外の威圧的な態度に呑まれ気づかなかったが、よく見ればキバオウの装備は昨日と変わっていなかった。
見た目には現れない強化を行った可能性はあるが、四万コルもあれば先を考え新しい装備を購入しているほうが自然であり、その違和感にキリトは動揺する。
なんとか思考を回すキリトだったが、ディアベルが噴水の縁に立ち声を張り上げ始めた。
「みんな、いきなりだけど―ありがとう! たった今、全パーティー四十五人が、一人も駆けずに集まった‼」
ディアベルの声に周囲が歓声をあげ、拍手が鳴る。
キリトの思考も中断され他のプレイヤーに追随していると、ディアベルは右拳をぐっと突き出し叫ぶ。
「今だから言うけど、オレ、実は一人でも欠けたら今日は作戦を中止しようと思ってた! でも……そんな心配、みんなへの侮辱だったな! オレ、すげー嬉しいよ……こんな、最高のレイドが組めて……まあ、人数は上限にちょっと足りないけどさ!」
ディアベルの声に楽しそうに野次を飛ばす者が現れる。
それに対し、B隊リーダーであるエギルの他にも数人が難しい顔をしていた。
何人かのプレイヤーがひとしきり喚いたところでディアベルが両手を上げて抑える。
「みんな……もう、オレから言うことはたった一つだ!」
そう言うと左腰に佩いた剣を抜き放ち、掲げると声を上げる。
「……勝とうぜ!」
リーダーの声に呼応し、鬨の声があがる。
ディアベルを先頭にして迷宮区への行進が始まった。
午後十二時半。
迷宮区最上階を踏破し、パーティー全員が揃ってボス部屋の前へと到達していた。
何度か長物持ちの部隊が奇襲を受け、対応に手間取った場面もあったが、ディアベルの指揮により危なげなく対応ができていた。これによってレイドパーティーはリーダーへの信頼を厚くし、団結していた。
この場で演説を行えば音に反応してモンスターが寄ってくるため静かに剣を掲げるとディアベルは頷き、それにレイドメンバーが頷き返したことを確認すると、短く告げる。
「行くぞ!」
その声とともにレイドパーティー四十五人の前でボス部屋の扉が開かれた。
扉の先は奥に向かって伸びる長方形の空間だった。
左右の幅は凡そ二十メートル、扉から奥の壁までが百メートルであり、これはボス部屋以外の迷宮区がマッピングされたことで割り出されたものだ。
パーティーが扉の前に立っていると、壁面の松明が奥へ向かって次々に灯されていく。
光源が生まれたことにより、ボス部屋の内装がはっきりと見えるようになる。
ひび割れた床や壁。各所に飾られた大小無数の髑髏。
そして、最奥部には粗雑だが巨大な玉座が設けられ、そこに人型の巨大な影が浮かび上がる。
それを確認してディアベルが掲げた剣を振り下ろすと、総勢四十五人の攻略部隊が一斉にボス部屋へと雪崩込んだ。
先頭がA隊、その後ろにB隊が続き、その右にはディアベル率いるC隊、D隊が並ぶ。更に後ろにキバオウ率いる遊撃部隊のE隊と長柄武器を装備したF隊、G隊が並走していた。
あぶれ者のキリト達が殿として進んでいき、A隊と玉座の距離が二十メートルを切ったタイミングでそれまで微動だにしなかった巨大な影が飛び上がった。
それは空中で一回転し、地響きと同時に着地すると、オオカミを思わせる顎をいっぱいに開き、吠える。
第一層のボス―イルファング・ザ・コボルドロードの姿は青灰色の毛皮を纏った二メートルを超える逞しい体躯であり、赤金色に輝く隻眼を爛々と輝かせていた。右手には骨を削って作られた斧、左手には皮を貼り合わせたバックラーを携えて、腰の後ろには差し渡しが一メートル程の刃物を差していた。
コボルドロードは右手の斧を高々と振りかざすと、A隊のリーダーへと力任せに叩きつける。A隊のリーダーが装備したヒーターシールドがそれを防ぎ、まばゆいライトエフェクトと強烈な衝撃音が広間を揺らす。
その音を合図とするかのように左右の壁の上部に空いていた穴から三匹のルインコボルド・センチネルが飛び降り、E隊とG隊がそれらを攻撃し始めた。
それを見てキリト達も一番近くのセンチネルに接近し、戦闘が始まった。
ボス戦は実に順調に進んでいった。
すでに四本あるHPゲージも三本目が半分ほどまで削られており、その間誰も自身のHPを赤色の危険域に持ち込まれずに回復と攻撃のローテーションができていた。
センチネルの対処もE隊とキリト達だけで十分に対処できており、G隊をボスの攻撃へと回す余裕ができていた。
今もキリトを置いてユーマがセンチネルの武器を跳ね上げ、アスナが細剣系ソードスキル《リニアー》で一点だけの弱点である喉元に剣を突き刺していた。
二人の練度はキリトから見てもとても高い。ユーマは剣の心得があるのが明らかな剣筋をしているが、そういったものがなさそうなアスナからは純粋な才能を感じさせた。
アスナの一撃でセンチネルのHPがゼロになり、ポリゴン片となって消滅する。それとほぼ同時にボスのHPの三本目が削りきられ、追加のセンチネルが飛び出してきた。
ユーマが後ろを見るとキリトとキバオウが話しており動く様子がないことから眉を顰めつつも目の前の敵に相対する。
その最中、目端で捉えた光景にわずかに疑問を抱く。
「ユーマ、前!」
「うわっと! ありがとう、姉さん。キリト、スイッチ!」
疑問に硬直する間に眼の前へと迫っていたセンチネルの攻撃を慌てていなすと後方のキリトを呼びつける。
その声に反応し、やや緩慢な動きでセンチネルにソードスキルを浴びせたキリトへユーマが問いかける。
「キリト、アルゴから聞いているのは第一層の情報だけなんだけど、ここから上層で刀ってあったりする?」
「刀? 第十層ぐらいでモンスターが持ってたけど、それがどうしたんだ?」
「……キリト、いまボスが引き抜いた獲物、どう見る?」
ユーマの疑問にキリトは振り向くことなく答える。
もし振り向いていれば、キリトの言葉を聞き、表情を変えたユーマを見て緊急性を理解したかもしれなかったが、ユーマの質問の意図を理解し得なかったキリトはセンチネルの攻撃を弾いてからボスへと視線を向けた。
「は?」
そして、愕然とする。
コボルドロードは攻略本の情報通り、三本目のHPバーが全損した時点で無敵モーションに入り、両手の武具を捨てて腰に差していた刃物を抜き放った。
ディアベル達はその間に予定通りにコボルドロードを囲んでいたが、ボスの右手に収まった武器はキリトの記憶にある武器と別のものに見えた。
表現するのであれば、まさしく刀。
そして、キリトの脳内には刀を持つモンスターが放つソードスキルが走馬灯のように流れていった。それが、今の状況が危険な状況だと判断させ、キリトを絶叫させる。
「だ……だめだ、下がれ!! 全力で後ろに跳べ!!」
しかして、キリトの叫びはソードスキルのサウンドエフェクトにかき消されディアベルには届かなかった。
直後、コボルドロードの巨体が垂直に飛び上がり、身体が捻り上げられる。
落下と同時に捻りによって溜め込まれた力が深紅の輝きとともに水平に、全方位へと放たれた。
それはコボルドロードを囲んでいたC隊全員へ浴びせかけられ、一気にHPを削り取ってく。
レイドを組んでいるときに表示される他のパーティーのHP平均値を示すゲージが半分を下回って黄色に染まる。
それと同時にC隊の全員の頭を回転する黄色の光が取り巻いていた。これは
事前に情報を得て作戦会議を行い、その通りに状況が推移していたことと、これまでリーダーシップを取っていたディアベルが一撃で行動不能に陥ったことが攻略組の動きを封じた。
無防備になったアスナに斬り掛かったセンチネルをユーマが迎撃する音に我に返った者達がディアベルの援護に動こうとしたが、それはあまりにも遅すぎた。
コボルドロードの吠え声とともに両手で握られた武器が床スレスレから高く切り上げられる。
狙われたのはディアベル。いまだスタンに囚われ身動きの取れない騎士はソードスキルのライトエフェクトが作る薄赤い円弧に引っ掛けられたように打ち上げられ、そこでスタンから解けたのかディアベルがあがき始める。
しかし不安定な体制から放とうとしたためかソードスキルは発動せず、ただ剣を掲げるだけに終わる。その抵抗の姿勢を嘲笑うかのようにコボルドロードは獰猛に笑うと再びソードスキルを発動する体制に入った。
深紅に染まった刃による上、下の連撃から一拍溜めての突きを受け、ディアベルの身体は最後方であるキリトのそばまで吹き飛ばされた。
これまでと同じようにユーマが隙を作り、そこにやや遅れてアスナが追撃を入れるのを横目にキリトがディアベルへと駆け寄る。
ユーマがアスナの攻撃によりセンチネルが消滅するのを見届け、周囲の残敵を確認して後方へと視線を向けるとディアベルがポリゴン片へと変わり消滅するところだった。
それを認識し、ほとんどのプレイヤーが現状を悲観し自らの武器をすがるように握りしめて震えていた。
攻略を諦め撤退かそれとも諦めずに続行か誰もが判断に迷う中、ユーマはコボルドロードへと斬り掛かった。
放たれたのは片手剣の突進技ソードスキルである《レイジスパイク》。
これまで前線に絡んでいなかったユーマにはコボルドロード注意は全く向いておらず、あっさりとその肉体に剣が突き立てられる。
ソードスキルの勢いそのままに後ろへと通り抜けたユーマにコボルドロードが向き直ったのを隙とみてリーダーを失って絶望一色のC隊の面々が這々の体で離れていく。
ユーマの行動はまるっきり自暴自棄によるものというわけではない。
最初から苦戦していたわけではなくこれまでの順調な攻略から一転して未知の行動を取るボスと、それによるリーダーの喪失によって精神面でも指揮系統の面でも崩壊した前線では撤退戦など出来ようはずもなく、多数の死者を出す可能性が高い。
中盤の攻略を目的としないプレイヤーの興味が最前線から薄れた頃であればまだ立て直しもできるかもしれないが、全プレイヤーが注目する第一層ボス攻略での潰走は攻略自体への諦念の蔓延につながる。
そうすれば誰もSAOからの脱出をすることもできず、何等かの終焉を迎えるまでただ傍観するだけになる。
それを防ぐのであれば方針は二つ。
ここでボスを倒すか―はたまた犠牲を少なく撤退を完遂するかだ。
どちらにせよ崩壊した前線を立て直す時間は必要であり、その時間を創る為にユーマは特攻に打って出たのである。
生存は度外視―もとより価値のない命を使い潰すことにためらいはなく。ただ最も大事な姉が現実へと帰還するのに最善の行動を取っているだけだった。
元前線が下がり、対面するのがユーマだけになると同時にコボルドロードは刀を両手持ちから右手で左の腰だめで構えるモーションに入る。
それを見たユーマは即座に僅かに右を向くと剣を構える。
ユーマが能動的に身体を動かしつつ発動したソードスキル《スラント》に僅かに遅れてコボルドロードからソードスキルによる視認不可能な速度の斬撃が走り、金属音と衝撃波を撒き散らした。
互いのソードスキルが相殺され、ノックバックによって彼我の距離が五メートルほど空く。
剣を持った手に残る手応えを感じながらユーマがボスの後方へと視線を送ると、今まさにキリトがコボルドロードに斬りかかる寸前だった。
ノックバックにより体制の崩れたコボルドロードはその一撃をまともに受け、ぐらりと揺らぐ。
「ユーマ、こっちに来い! センチネルと同じ手順で対処するぞ!」
それを聞き、ユーマは刀を避けつつ転がるように移動するとキリトの横に並ぶ。そこにアスナも追いつき剣を構えた。
「姉さんには後ろにいて欲しいんだけどな」
「家族を死線に置いて見ていた翌日がいい日なわけないでしょ」
「……了解」
アスナの言葉にユーマは口元を歪めながら頷いてコボルドロードへと向き直った。
大人数で回復のためにローテーションを組むという事実が示す通り、ごく少人数でのボス攻略は無謀と言わざるを得ない。
ボスの攻撃がプレイヤーのHPを何割と削り取っていくのに対し、プレイヤーの攻撃はボスのHPを数%削るのが精々なのだ。
その分プレイヤーには行動ルーチンなどの縛りが少なく柔軟な行動が出来るが、それにも集中力や体力といった制限がつきまとう。
逆にモンスターには消耗がない代わりに、行動ルーチンによる一定の隙があり、それを埋め合わせるかのように莫大なHPが用意されている。
ベータテスト期間でも十分に行動パターンを把握した上で遊びの範囲として行われる事が精々だった数人でのボス攻略はその破綻もあっさりと訪れた。
そのきっかけはコボルドロードのソードスキル《幻月》。
キリトによって共有されたそのソードスキルの特徴は同じモーションから上下ランダムに発動する剣戟。
これまでは《幻月》のモーションに入った瞬間、ユーマとキリトがそれぞれ上下にソードスキルを振って対応していたが、HPの損耗なく相殺する方法として共有された「ソードスキルのアシストに加えて意図的に身体を動かし威力をブーストする」システム外スキルの使用にユーマは慣れておらず、モーションの途中で動きが止まりまともに《幻月》を食らう。
ユーマが吹き飛ばされたことでほとんど重なる位置にいたキリトにもぶつかり、ともにコボルドロードから距離を取らされる。顔をあげたキリトが見たのは
しかし、《幻月》の技後硬直は短く、アスナの攻撃の前にコボルドは動き出した。
発動したのはディアベルをゲームオーバーへと追いやった三連続技《緋扇》。
「姉さん!!」
《幻月》をまともに食らったユーマがすぐに起き上がり走り出す。しかしもはや間に合わないタイミングであり、アスナの大ダメージをキリトが覚悟していると、太い雄叫びとともに刀へと両手斧が叩きつけられた。
連続技の初撃に大技をぶつけられたことでコボルドロードが大きくノックバックする。斧の持ち主は両足を踏ん張って一メートルほどの後退で留まると、ユーマへと振り返った。
「あんた達がPOTを飲み終えるまで、俺達が支える。ダメージディーラーにいつまでも
斧の持ち主はB隊リーダーのエギルだった。
彼とともに傷の浅かった者たちが回復を終えて復帰し、前線を構築していく。それを見ながらユーマは回復薬を飲み干し、回復が始まると同時にキリトが叫んだ。
「ボスを後ろまで囲むと全方位攻撃が来るぞ! 技の軌道は俺が言うから、正面の奴が受けてくれ! 無理にソードスキルで相殺しなくても、盾や武器できっちり守れば大ダメージは食わない!」
キリトの声に前線の者たちが応え、油断なく盾を構える。
それに苛立つかのようにコボルドロードが吠え、ボス攻略は佳境へと差し掛かった。