オペレーター物語:フロストノヴァ
「ドクター……」
かすれた声で名を呼ぶ。
返事があるのかどうかも分からないまま、それでも言葉を紡がずにはいられなかった。
「……私と君は……また……会えるだろうか……?」
問いかけは、風に溶けるように弱々しく宙へ消えていく。
「待ってる」
彼のその一言だけが、確かに耳に届いた。
それを最後に、私は静かに目を閉じた。
正直なところ、生きているという実感はほとんどなかった。
身体の感覚は曖昧で、全身を貫く激痛だけが現実として存在している。
内側から引き裂かれるような痛みに加え、アーツの残滓が肺を締め付け、息を吸うことすら困難だった。
(……ここまで、か)
そう思った瞬間すら、意識は途切れ途切れになり、やがて完全な暗闇へと沈んでいった。
――次に目を覚ました時。
視界に飛び込んできたのは、見覚えのない天井だった。
無機質で、やけに静かだ。
ゆっくりと視線を動かす。
周囲には整然と並べられた治療器具、稼働音を抑えた医療機械、そして壁際には包帯の予備や点滴が用意されている。
ここが、医療施設であることはすぐに理解できた。
「……私……は……」
声を出そうとすると、喉がひどく渇いているのが分かる。
身体を動かそうとした瞬間、全身に鈍い痛みが走り、思わず息を詰めた。
その微かな物音に気づいたのだろう。
部屋の端にいた人物が、はっとしたようにこちらを振り返る。
「……!
次の瞬間、慌てた声が廊下へと響いた。
「ケルシー先生! フロストノヴァさんが目を覚ましました!」
その呼びかけを聞きながら、私はぼんやりと天井を見つめ続ける。
(……生きている……のか)
確かな痛みと、重たい身体の感覚が、それだけは否定しなかった。
「……よし。このまま経過観察だ。臓器のドナーと、安定剤を……」
誰かの指示する声が聞こえる。
だが、内容を理解する前に、意識はふっと別の方向へ引きずられていった。
(……今、龍門は……? チェルノボーグは……)
思考が、現実から逸れていく。
あの戦いの後、世界はどうなったのだろうか。
あれから、いったい何時間が経過したのか。
それとも、もう日付すら変わってしまったのか。
答えは分からない。
ただ、そのことだけが妙に気に掛かり、意識の底に引っかかり続けていた。
――そして、
再び眠りに落ちている間に、どうやら多くのことが終わったらしい。
「フロストノヴァ。大丈夫か?」
その声に、意識が浮上する。
「……うっ……」
喉から漏れた微かな呻きと共に、重たい瞼を開く。
視界はまだぼやけているが、白い照明と人影がゆっくりと輪郭を持ち始めた。
「私はケルシー。ロドスの医療リーダーだ」
淡々とした自己紹介だった。
感情を挟まない声音が、かえって現実感を強める。
「……ロドス……そうか……ここが……」
断片的だった記憶が、少しずつ繋がっていく。
「感傷に浸るのは構わないが」
ケルシーは間を置かず、続けた。
「ひとまず、診断室に来てくれ」
そうして、私は医療スタッフに付き添われる形で診断室へと移動した。
しばらくして、各種データが揃ったのだろう。
ケルシーは端末を確認しながら、報告を始める。
「……ひとまず、経過報告をしよう」
静かな口調で、事実だけを並べていく。
「元々低かった体温は、現在二十五度まで安定している。移植した臓器の影響による副作用も、今のところ特には見られない」
それを聞きながら、自分の身体が“まだ動いている”ことを、遅れて実感する。
「だが」
一拍置いて、ケルシーは視線を上げた。
「その身体で無理にアーツを酷使した影響だろう。現状、万全と言える状態とは程遠い」
淡々とした言葉が、確実に胸へ突き刺さる。
「アーツは、当面使えないものと思ったほうがいい」
「……そうか……」
短く返すしかなかった。
失ったものの重さを、ようやく理解し始めたのは――
この時だったのかもしれない。
「……だが、症状自体は安定している」
ケルシーは淡々と、しかし確かな調子で言葉を続けた。
「リハビリを継続すれば、いずれ自然に動けるようになるだろう。アーツも、完全ではないにせよ、使用可能なレベルまでは回復する見込みだ」
その言葉に、胸の奥で張り詰めていたものが、わずかに緩むのを感じた。
「……私の扱いについては、どうなる?」
思わず口をついて出た問いだった。
患者として寝かされている間、意識の隅でずっと引っかかっていた問題だ。
「……私は、今は患者とはいえ……元々は敵だった」
言葉を選びながら、続ける。
「あまり考えないようにしていたが……気になってな」
ケルシーは少しだけ間を置き、視線を外してから答えた。
「君の処遇については、ひとまず“保留”になっている」
「今は、皆が混乱している。即断できる状況ではない」
「……そうか」
それ以上、踏み込むつもりはなかった。
少なくとも、今この場で裁かれることはない――それだけで十分だった。
「分かった」
「それと」
ケルシーは話題を切り替える。
「これから移動する際には、松葉杖を使ってくれ。車椅子は、再び症状が悪化した場合に使用する」
「……分かった」
そう答え、私は差し出された松葉杖を手に取る。
初めて触れるそれは、思っていた以上に重く、持ち方ひとつにも戸惑った。
(……まだ、こんなものか)
身体が思うように言うことを聞かない現実を、改めて突きつけられる。
ふと、気になっていたことを思い出す。
「……そういえば」
声をかけると、ケルシーは足を止めた。
「スノーデビル小隊の……皆は……?」
その問いに、ケルシーはゆっくりと答える。
「安心しろ。君と同じく、現在はリハビリ中だ」
「君ほど重症ではないため、今はどこかで自由行動をしているだろう」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に溜まっていた不安が、静かに溶けていった。
「……そうか」
小さく息を吐く。
それだけで、随分と救われた気がした。
やがて、そのまま診断室を出る。
廊下に出た瞬間――
そこに、見慣れた人影が二つあった。
「……!」
思わず足を止める。
W。
そして、アーミヤ。
二人とも軽傷のようで、こちらの姿を認めると、すぐに駆け寄ってきた。
「フロストノヴァ!」
Wは驚きと安堵が入り混じった声で叫ぶ。
「アンタ、生きてたのね!」
「フロストノヴァさん……!」
続いて、アーミヤが息を切らしながら声をかけてくる。
「良かったです……本当に……!」
二人の表情は、はっきりと“心配していた”それだった。
その事実に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
(……私は、まだここに居ていいのかもしれない)
そう思えたのは、この再会があったからだろう。
「……そういえば」
ふと、気になっていた名前を口にする。
「ドクターは……?」
その瞬間だった。
アーミヤの表情が、はっきりと曇った。
言葉を探すように視線を伏せるアーミヤを見て、Wが一歩前に出る。
「……説明するわね」
軽く息を整え、淡々と、しかし隠さずに話し始めた。
「レユニオンは、タルラが逮捕されて正式に壊滅。そこまでは、まあ無事に終わったわ」
だが、と言葉を区切る。
「“無事に終わり”って訳にはいかなかったのよ」
私の胸が、嫌な予感に締め付けられる。
「その直後、ヴィクトリアの勢力が突然介入してきた」
「混乱の中で……ドクターの奴が、一人で囮になったの」
その言葉に、思考が一瞬止まる。
「それからは、音沙汰なし」
Wは肩をすくめた。
「ロドスは今、ヴィクトリアにはあまり近付かないようにしてる。下手に動けば、被害が広がるからね」
「……そんな、ことが……」
言葉が、うまく繋がらなかった。
あの戦場で、確かに交わした約束が、遠くに感じられる。
その時、アーミヤがそっと前に出てきた。
震える手で、何かを差し出してくる。
それは――一通の手紙だった。
「ドクターが……」
声が、かすれる。
「……パトリオットから、受け取ったもののようです……」
その表情は、はっきりと落ち込んでいた。
無理に笑おうとするが、うまくいっていない。
「……ごめんなさい……」
視線を逸らし、続ける。
「少し……席を外します……」
そう言い残し、アーミヤは足早にその場を去っていった。
残された空気は、重い。
「……アイツ、色々あってね」
Wが、少しだけ声を落とす。
「ちょっと落ち込んでるの。ごめんね」
そう言ってから、彼女も自分の傷口を押さえつつ、踵を返した。
「アタシも、ジェスターの様子見てくるから…またね」
その背中が遠ざかり、廊下には私一人が残された。
静けさの中で、手紙の存在がやけに重く感じられる。
(……ここでは、読めないな)
通路で広げるには、あまりにも内容が想像できすぎた。
私は松葉杖に体重を預けながら、ゆっくりと甲板へ向かうことにした。
潮風に当たりながらなら――
少しは、心を整理できるかもしれない。
「……パトリオット……」
甲板に吹く風が、冷えた頬を撫でる。
手の中の封筒は、思っていた以上に重く感じられた。
「……私に、何を伝えたかったんだ……?」
答えは分かっているはずなのに、問いかけずにはいられなかった。
私はゆっくりと封を切り、手紙に目を落とす。
⸻
『エレーナ。この手紙を読んでいるというのなら、私は既に死んでいるだろう。』
最初の一文で、胸が締め付けられる。
『私は過去に妻と子を亡くし、何をしているのかも分からなかった。』
『そんな時に、お前を見つけた。』
記憶が、否応なく蘇る。
氷と瓦礫の中で差し伸べられた、あの大きな背中。
『私は君を守り抜こうと思った。』
『じゃじゃ馬な娘に成長し、立派な一人の戦士として育った……』
思わず、苦笑が漏れそうになる。
厳しく、不器用で、それでも誰よりも優しかった。
『だが……私はもう限界だ。』
『お前を守るのは、私にはもう無理のようだ。』
文字が、滲んで見え始める。
『だが……ドクター……レイヴンという男になら、お前を託せんと思った。』
その名を見た瞬間、心臓が強く脈打った。
『彼は、リーダーというものには決してなれない。』
少しだけ、あの人らしい厳しさが滲む。
『だが、誰に対しても隣に走り、支えていく強さを持っていると、私は思った。』
その言葉は、不思議なほど的確で――
そして、温かかった。
『彼に、全てを託す事にした。』
『この大地の運命と、その結末を……』
手紙を持つ指が、小さく震える。
『エレーナ。』
『君も、彼の元で生き、支え、そして共に運命を見て行ってくれ。』
『未来は……お前が選べ……』
『――ボジョカスティ』
⸻
そこまで読み終えた瞬間、視界が完全に歪んだ。
涙が、溢れ出す。
拭っても、拭っても、止まる気配はない。
嗚咽は漏らさない。
ただ、静かに、静かに――零れ続ける。
「……父さん……」
甲板に立つ私の声は、風にさらわれて消えていった。
だが、確かに思った。
(……私は、まだ生きていい)
守られる側としてではなく。
誰かの背に隠れる存在としてでもなく。
託された意思と共に、自分の足で、未来を選ぶために。
「父さん…私も行くよ。この大地をもう少し生きてみるよ。仲間と…一緒に…」
涙を拭ってそう夕陽に向かって呟く。
私は死んでいった仲間たちや父さんの分まで、生きていかなかればならないから。
フロストノヴァ回でした。
短編について…
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書いて欲しい
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書かなくていい