チェルノボーグ編終わりです。
アーミヤ達はなんとか霧を抜け出し、視界が開けた広場へと走り込んだ。荒い呼吸のまま周囲を確認していると、前方の路地から重装備の影が現れる。
「アーミヤ!」
「ニアール隊……!助かりました!」
白銀の鎧を揺らし、堂々とした女性――ニアールが一歩進み出る。その存在感は、混乱の最中でも周囲を安心させるほど強い。
「ドクター、私はニアール。何卒よろしくどうぞ。」
「あ、ああ……」
レイヴンは、さきほどまで喉元に刃を当てられていた緊張がまだ抜けていないのか、わずかにぎこちなく返した。
だが、次の瞬間には表情を引き締め直し、周囲の気配を探るように目を細める。
脱出のため全員で広場を横切ろうとした、その時だった。
レイヴンの鼻孔がわずかに震えた。
「……匂うな。」
「何がですか……?」
アーミヤが不安げに問う。
「火の匂いだ。……嫌なほど生々しい。」
「火災……でしょうか……?」
アーミヤが周囲を見回すが、建物も道路も燃えた形跡はない。
だが、レイヴンの表情は変わらず険しい。
「いや……“これから燃える匂い”だ。」
その言葉の直後だった。
後方のビルの壁が、不自然なほど赤く脈打つように光り始め——
次の瞬間、内部から膨れ上がるように炎が噴き出した。
「避けろッ!」
レイヴンが叫び、全員を押し出すようにして広場へ飛び込む。
爆風が背中を叩きつけ、巨大な火柱が空を裂いた。
熱が肌を刺し、瓦礫が雨のように降り注ぐ。
「……な、なんだ……いきなり……っ」
レイヴンが身を起こして周囲を見渡すと、炎の幕の向こうに影が並んだ。
レユニオンの構成員たちが整然と列を作り、その中心に——ひときわ異質な存在が立っている。
灰色の髪は風に揺れ、豪奢な衣装が炎の光を受けて妖しく輝く。
彼女の周囲だけ、炎さえ道を空けているかのような異様さがあった。
明らかに、他の構成員とは“格”が違う。
「……アーミヤ。……あれもレユニオンの一人か……?」
レイヴンが低く問うと、アーミヤの表情が強張る。
声が震えているのが分かるほどだ。
「はい……あれは……レユニオンの暴君——タルラ……!」
その名が広場に落ちた瞬間、空気がひやりと凍りついた。
炎の熱さとは逆に、背筋を走るのは純粋な“恐怖”だった。
「………」
炎に照らされながら、タルラはただ静かにこちらを見下ろしていた。
その視線には焦りも怒りもない。ただ純粋な“断罪”だけが宿っているようで、レイヴンの背筋に冷たいものが走る。
「くっ……総員、撤退だ!」
ドーベルマンが叫び、近くの瓦礫の隙間を見つけて手で合図した。
「なんとか逃げ道を探して脱出するぞ!」
部隊が動き出す中、レイヴンだけは一歩前へ踏み出した。
「……くっ……ここはなんとかする!」
踏み込むと同時に剣を大きく振り下ろす。
だが、刃はタルラの手前で“何か”に弾かれた。
衝撃が腕に走り、火花が散る。
「……そうか。お前が――」
タルラが小さく呟いた瞬間、足元の炎が音もなく膨れ上がった。
次の瞬間、爆ぜるような熱波がレイヴンを襲った。
「ッぐ……!」
炎柱が真正面から叩きつけ、レイヴンの身体は軽々と宙に浮き、アーミヤ達の元へ吹き飛ばされた。
地面を転がる衝撃で視界が揺れる。
(……これは……勝てない……)
直感ではなく、骨の芯が告げていた。
この“暴君”とは今は到底渡り合えない。
レイヴンは苦味を噛み潰しながら立ち上がり、仲間を追って瓦礫の抜け道へと走った。
◆◆◆
しばらく全力で駆け、ようやく追撃の気配が薄れた。
「……ここが合流ポイントのようだな。」
「どうにか辿り着いたか……」
ニアールとドーベルマンが周囲を警戒しつつ短く言葉を交わす。
「aceさん……」
アーミヤの声は震えていた。
囮となったaceたちの姿を思い出したのだろう。
その時だった。
レイヴンの表情が一変する。
「……!」
気配を察知して、素早く後方へ下がった。
直後、空気を裂いて三本のクナイが飛来し、地面に突き刺さる。
屋根の上から、影が一つ、静かに降り立った。
狼の耳と尻尾を持つ少年。
その後ろからは、レユニオンの部隊がゆっくりと包囲網を敷いていく。
「お前がドクターだな?」
「誰だお前は?」
「俺はジェスター。」
まるで舞台の上の役者のように、彼は軽く一礼した。
「私はWよ。よろしく、ドクター?」
後方の女――Wが楽しげに笑みを漏らす。
「……ドクターの事を知っている……」
アーミヤが身構える。敵意がはっきりと向けられているのが分かった。
「俺たちはドクターに用があるんだ。少し、邪魔をさせてもらうぜ。」
ジェスターが双剣を抜いた瞬間、空気が揺れた。
レイヴンも応じて双剣を構え、睨み合う。
「さて……行くぞ!」
ジェスターの姿が掻き消えた。
「――ッ!?」
高速移動。
残像だけが斬撃の軌跡を描き、レイヴンは辛うじて剣で受け止める。
衝撃で足が滑る。
一撃ごとに腕が痺れる。
「くっ……強い!」
「まだこれからだぜ。」
ジェスターが後退すると同時に、低く叫んだ。
その髪が黒から、赤みを帯びた色へと変化する。
「何ッ……!」
殺気が跳ね上がる。
「行くぞ……!爆炎斬ッ!」
地面を抉るような衝撃波が走り、真っ直ぐレイヴンへ迫る。
レイヴンは咄嗟に双剣を交差させ、衝撃を受け止めた。
爆風が胸を突き抜け、身体が後ろへ吹き飛ばされる。
「ぐっ……!」
膝をつき、呼吸が乱れる。
ジェスターは満足げに笑みを漏らすと、剣をしまった。
「……攻撃を防いだ。少し楽しみが増えたみたいだな。」
「W、帰るぞ。」
「んっ……了解。」
二人はレユニオンの兵を連れ、そのまま霧の向こうへ姿を消した。
「……くっ……」
レイヴンの身体が限界を迎え、前につんのめるように倒れ込んだ。
「ドクター!?」
アーミヤたちが駆け寄り、脈を確認する。
レイヴンは筋肉疲労と熱傷の痛みで意識を手放していたが、呼吸は安定していた。
その時、空からプロペラ音が響く。
救助ヘリが広場上空に姿を見せた。
「アーミヤ、ひとまず脱出しよう。」
「……はい……」
アーミヤは眠るレイヴンを抱え、仲間と共に救助ヘリへと乗り込む。
チェルノボーグの炎はまだ燃え続けていたが、ようやく――彼らは地獄の街を離れた。
…………………………………………
「……………!」
喉の奥にまとわりつくような息苦しさと共に、レイヴンは弾かれたように目を開けた。視界に広がるのは、どこか機械的で無機質な天井。見覚えのない照明が静かに光を放ち、金属と薬品の匂いが鼻に刺さる。
「……何処だ、ここ?」
寝汗の残るシャツを手で押さえつつ、ゆっくりと身体を起こす。ベッドは医療用の簡易式らしく、無駄がなく硬い。周囲を見渡して、ようやく察する。
「……ロドスか。」
短い言葉に、彼は自分の置かれた状況を区切るような重みを込めた。
だが、状況を理解したところで心は落ち着かない。
「……で、どうすりゃいいんだ俺は。」
ぼそりと呟き、悩みをひとまず棚上げにして部屋を出る。
通路に足を踏み出すと、すれ違うオペレーター達が一様にこちらを意識しているのが分かった。横目で観察する者、ひそひそと囁き合う者、妙に丁寧に会釈してくる者までいる。
(……なんだよ、こっち見るなっての。怖いだろ……)
落ち着かない視線を背中に受けながらも歩みを進め、やがて甲板へ出た。
外に開けた空気が肺に流れ込むと、ようやく肩の力が抜ける。
その風景の中、アーミヤが一人、静かに外の空を見つめていた。優しい風に耳が揺れる。
「アーミヤ。」
名を呼ぶと、彼女は振り返り、安心したように微笑む。
「ドクター……起きられたんですね。」
レイヴンは彼女の隣へ歩み寄り、同じように外へ視線を向けた。
「何してんだ?」
「……外を眺めているんです。こうしていると、不思議と気分が落ち着くんですよ。」
「ふーん。まあ、分かる気もするけどな。」
短い風が二人の間を抜けていく。しばし沈黙が流れ、レイヴンは視線を水平線から外さないまま口を開いた。
「……アーミヤ。聞きたいことがある。」
「……なんでしょう?」
その表情は真剣で、どこか怯えるようでもあった。アーミヤは彼が次に発する言葉を待つ。
「記憶を失う前の俺は……どんな奴だったんだ?」
アーミヤは一拍置き、胸元のプレートを軽く握りしめるようにして答えた。
「……前のドクターは、とても博識で……どんな状況でも冷静で……任務では的確な判断を下し、皆から深く信頼されていました。」
「…………真逆だな。」
レイヴンは小さく呟いた。その声音には自嘲と戸惑いが混じり、風にさらわれていった。
「アーミヤ。」
レイヴンはゆっくりと彼女へ向き直った。風の音に紛れそうなほどの声だったが、その中に迷いと覚悟が入り混じっている。
「はい?」
アーミヤは静かに応じ、まっすぐ彼を見つめる。
「俺は……何も覚えてない。名前以外、全部抜け落ちてる。ただの空っぽな奴だ。」
指先が小さく震えた。彼はその震えを押し隠すように、両手を見つめる。
そこには過去の痕跡も、積み重ねた経験もない。ただ、戦いの痛みだけが薄く残る。
「……でも、それでもだ。ここで、自分が何者なのか……見つけたいと思うんだ。」
短い息が漏れる。覚悟はあるが、自信はまだ追いつかない。彼の言葉にはそんな揺れがあった。
「俺の戦う意味を知りたい。逃げずに……ここで、ちゃんとな。」
視線が再びアーミヤへ向けられる。
それは頼りなさと、かすかな期待が同居した、どこか少年めいた表情だった。
「でも……俺だけじゃダメだ。ひとりじゃ、多分また迷う。だから――」
ほんの一瞬、言葉が詰まる。
だが、彼は勇気を振り絞って続けた。
「……お前の力も、貸してくれないか?」
その問いは重く、そして真っ直ぐだった。
アーミヤは驚いたように目を瞬かせた後、そっとレイヴンの手に触れた。
拒むことなく、迷うこともなく、彼の手をしっかりと握る。
「――はい。私でよければ、いくらでも。」
彼女の手は小さく、温かく、芯のある強さを帯びていた。
「……ありがとな。」
レイヴンは照れ臭そうに目を逸らす。だが、握られた手だけは離さなかった。
「ドクター。これから、どうかよろしくお願いします。」
アーミヤは柔らかな声で告げ、そっと微笑んだ。
その横顔は、支える意思と未来への希望を宿したまばゆさを帯びている。
風が二人の間を優しく通り抜け、アーミヤの髪をふわりと揺らした。
その一瞬だけ、世界が静止したかのように思えた。