(……終わったな…)
ロドスの甲板に立ち、アタシはぼんやりとそう思った。
風は相変わらず冷たく、遠くで機械音が低く響いている。それらすべてが、やけに現実離れして感じられた。
振り返ってみれば、生まれてからずっと戦ってばかりだった。
休む、という概念すら曖昧なまま、次の戦場、次の命令、次の死体へと進んできた。
バベルでは、テレジアが死んだ。
理由も、正しさも、結局は全部途中で置き去りにされたまま。
レユニオンも同じだ。
理想を掲げて、怒りでまとまり、内側から壊れていった。
気づけば誰も信じられなくなり、誰のために戦っていたのかすら分からなくなっていた。
「……これから、どうしよ……」
無意識に、ナイフを指先で弄ぶ。
刃の冷たさだけが、妙に確かな感触として残る。
サルカズ傭兵。
それがアタシの肩書きで、呪いみたいなものだった。
奪うこと、壊すこと、生き残ること。
それ以外を考える余地なんて、最初から与えられていなかった。
(……未来、ね)
そんなものを考える価値が、自分にあるのか。
誰かのために生きる資格が、今さら残っているのか。
答えは出ない。
考えれば考えるほど、胸の奥が重くなるだけだった。
「どうした?」
不意にかけられた声に、思考が中断される。
反射的に顔を上げると、そこには見慣れた男が立っていた。
「……ジェスター」
「隣、座るぞ」
断りも待たず、ジェスターはジュースを片手に腰を下ろす。
その距離感が、やけに自然で、少しだけ居心地が悪い。
横目でこちらを見る視線は、露骨なほど心配そうだった。
(……その目、やめてよ…)
心配される資格なんてない、と言いたくなる。
同時に、その視線が向けられていること自体が、胸の奥を微妙に刺激した。
胃のあたりが、きりりと重くなる。
居心地の悪さと、逃げ場を塞がれたような感覚。
それでも、立ち上がる理由が見つからず、アタシはただ、ナイフを指先で転がしながら、黙って隣に座り続けていた。
(……終わったはずなのに)
なぜか、まだ何かが続いている気がしてならなかった。
「……アンタは……これからどうするのよ」
声に出した瞬間、自分でも驚くほど、問いは弱々しかった。
答えを聞きたいようで、聞きたくない。そんな曖昧な感情が喉に絡みつく。
「俺は、ここに残って加入する事にした」
「……え……?」
言葉の意味が、すぐには頭に入ってこない。
耳には届いているはずなのに、どこか遠くで反響しているみたいだった。
「レユニオンの戦いが終わってから、決めてた事だ。正直、傭兵に戻る道もあったが……ここで働いた方が、有意義そうだしな」
有意義。
その単語だけが、やけに鋭く胸に刺さる。
(……何、言ってんのよ)
理解しようとする前に、思考が拒否していた。
ロドスに残る? 加入する?
それはつまり——ここで、続けるということだ。
声がよく聞こえなくなる。
いや、正確には、聞きたくない音だけが霞んでいく。
ジェスターの言葉は、冷静で、現実的で、そして当たり前だった。
だからこそ、余計に残酷だった。
「Wは……傭兵に戻るのか?」
その一言で、意識が現実に引き戻される。
心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
(……アタシ?)
問い返された瞬間、頭の中が真っ白になる。
未来。進路。選択。
どれも、今まで考えないようにしてきたものばかりだ。
「あ、アタシ……わかんない」
言葉が、勝手にこぼれ落ちる。
「そんな事……考えた事、ないし……」
嘘じゃない。
明日を考える余裕なんて、今まで一度もなかった。
生き延びるか、死ぬか。
それだけで精一杯だった。
それなのに——
ジェスターは、もう次を見ている。
(置いていかれる……)
その考えが浮かんだ瞬間、胸の奥が一気に冷えた。
「……アンタも……アタシから、離れちゃうの……?」
自分でも情けないと思うほど、声が震える。
縋るみたいな言い方になっているのが、はっきり分かった。
「い、嫌よ」
拒絶とも懇願ともつかない言葉。
理屈も誇りも、全部置き去りにして、感情だけが前に出ていた。
(また一人になるのは……)
言葉にしなかったその続きが、喉の奥で詰まる。
戦場でなら、孤独には慣れているはずだった。
でも今は違う。
「大丈夫か?」
その一言が、やけに遠く感じた。
「……大丈夫……じゃない……」
喉が詰まる。
否定するつもりなんてなかったのに、言葉は勝手に弱音になって溢れた。
「アンタが居ないと……アタシ……」
続きを言う前に、胸が苦しくなる。
認めたくなかった言葉ほど、口に出る直前で暴れ回る。
「……駄目になるかも」
自分の声が、ひどく情けなく聞こえた。
震えている。
ナイフを握ってきた手が、今は何も持っていないのに。
(……こんな事、今までなかった)
仲間が死んだ時も、裏切られた時も、「次」があった。
怒りか、殺意か、生存本能か——何かしらが、前に進ませてくれた。
でも今は、違う。
(……もしかして)
ふと、よぎる。
(あの時のアタシとは……もう、違うのかも)
何も感じなかったはずだった。
人が去ることも、世界が壊れることも、全部「当然」だと思っていた。
なのに今は——
失うことを、怖いと感じている。
「……俺は、お前の道を決める事はできない。
ジェスターの声は、優しかった。
だからこそ、逃げ場がなかった。
「でも、俺は……お前の芯の強さについては、よく知ってる」
それは励ましだった。
同時に、突き放しでもあった。
(……強い?)
心の中で、乾いた笑いが浮かぶ。
(強いから、平気だって?)
ジェスターは立ち上がる。
甲板に影が落ち、そして離れていく。
引き止める言葉が、浮かばない。
声を掛ければ、縋ってしまうのが分かっていたから。
足音が遠ざかる。
「……アタシの……道……」
呟いた言葉は、誰にも届かず、甲板の空気に溶けた。
これまでの人生で、
「道」なんて考えたことはなかった。
選ぶ余地なんて無かった。
生きるか、死ぬか。
従うか、殺されるか。
でも今は違う。
誰も、命令しない。
誰も、引き金を突きつけない。
(……だから、怖い)
初めて、自分で立たされている。
守るものも、憎む対象もない場所で。
ジェスターの背中が消えた後、
甲板には、風の音だけが残った。
その音が、やけに広くて、
アタシは初めて——
「自由」というものの重さを、実感していた。
「……殿下……」
その名を口に出した瞬間、胸の奥が、きゅっと縮んだ。
今はいないと分かっているのに、呼べば振り返ってくれる気がしてしまう。
(こういう時……テレジアなら、何て言うんだろ)
励ますだろうか。
それとも、あの静かな目で、全部見透かした上で叱るだろうか。
あるいは——何も言わず、ただ隣に立つだけか。
思考が、自然と過去へ沈んでいく。
⸻
『ウィシャデルって、どう思う?』
柔らかな声。
耳に残る、あの人特有の静けさを含んだ問いかけ。
『……? テレジア、何それ?』
当時のアタシは、本当に意味が分からなくて、間の抜けた返事をしていた。
『貴女の、新しい名前を考えていたの』
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥に、ちくりとした違和感が走ったのを、今でも覚えている。
『……アタシ達、傭兵に……名前なんて……』
言い切ろうとして、言葉が途切れた。
名前なんて——
呼び捨てられるための記号。
命令を飛ばすための目印。
生き延びるための仕事に、
「自分」なんて、邪魔でしかなかった。
だからこそ。
『そうかしら?』
テレジアは、少し困ったように、でも否定はせずに笑った。
『いずれは貴女も、自分だけの名前が欲しくなるはずよ』
その言葉が、当時は理解できなかった。
欲しい?
何を?
生きるのに必要もないものを?
『……じゃあ、聞くけどさ』
アタシは、半分拗ねて、半分試すように言った。
信じていないからこそ、試した。
信じたら、壊れそうだったから。
『その“ウィシャデル”って、どういう意味なの?』
『それはね……』
少し間を置いて、テレジアは言った。
『“家を願う”って意味よ』
その言葉に、当時は鼻で笑ったはずだった。
——家?
帰る場所?
そんなもの、血と硝煙の中には無い。
『きっと、貴女の大事な家ができたら……この名前を、気に入ると思うわ』
その時のアタシは、何も言わなかった。
言えなかった。
⸻
「……アタシも……」
現在に戻る。
胸の奥が、じわじわと熱を帯びる。
「……新しい……家……」
ようやく分かった気がした。
テレジアは、
「善人になれ」とは言わなかった。
「過去を捨てろ」とも言わなかった。
ただ——
居場所を、願ってもいいと言っただけだった。
甲板を蹴る。
考える前に、体が動いていた。
ジェスターの背中が、まだ遠くに見える。
(今更、善人にはなれない)
それは分かっている。
血も、裏切りも、消えない。
(でも……)
それでも。
(……何か、できる気がする)
名前を持つということは、「どこに立つか」を自分で選ぶということだ。
アタシは、息を切らしながら走る。
過去から逃げるためじゃない。
誰かの後ろに隠れるためでもない。
——選ぶために。
ウィシャデルとして、
自分の足で立つ場所を。
ウチの作品のサブヒロインはメンヘラかヤンデレにでもなるジンクスがあるかもしれない…
次書いて欲しい短編
-
オペレーター物語
-
ギャグ編
-
新作
-
それより本編だ本編!