「……ドクター。」
高層ビルが立ち並ぶ龍門の一角。
雨上がりのアスファルトはまだ濡れており、街灯や看板の光を鈍く反射していた。
「こんなとこに呼んで、なんだよ?」
レイヴンは周囲を一瞥しながら答える。
人通りはそれなりにあるが、どこか落ち着かない。
ここは戦場にもなり得る街だ。平穏な顔をしていても、その裏で何が蠢いているか分からない。
「任務は大丈夫なのか?」
ジェスターはいつもの軽口ではなく、妙に真面目な声音だった。
「……この後、20時辺りに任務がある。それまで自由時間だ。」
そう答えながら、レイヴンは自分でも意外なほど淡々としていることに気付く。
“自由時間”という言葉が、今の自分にはどこか現実味を欠いていた。
ジェスターは腕時計に目を落とす。
13時44分。
「雨も止んだしな。ちょっとブラブラと。」
「………なあ、折角だからちょっと歩かないか?」
一瞬の沈黙。
レイヴンはその誘いの裏を考えかけて、やめた。
「いいね。賛成。」
そうして二人は、売店で買った安っぽいアイスクリームを片手に並んで歩き始める。
甘さが舌に広がる。
だが、味を楽しむ余裕はどちらにもなかった。
「……レユニオンは、どうするつもりなんだ?」
何気ない歩調のまま、核心に触れる質問が投げられる。
「……どうやら龍門を攻めるらしい。コンバットフレームでな。」
その言葉に、レイヴンの眉がわずかに動く。
「あのグラモスタイプか……大分壊したと思ったが……」
「……20機中、4機破壊されてる。全然だな。」
数字として突きつけられる現実。
“削った”程度で、戦況は何も変わっていない。
二人は会話を続けながら、遊園地のゲートをくぐる。
平和の象徴のような場所。
それが、近い未来に戦火に巻き込まれるかもしれないという皮肉。
「レユニオンは何をしようとしてるんだ?龍門を乗っ取るつもりか?」
「そうみたいだな。」
回転するメリーゴーランド。
子供の笑い声と軽快な音楽の中で、二人は無表情のまま残酷な話をしていた。
この街が燃える未来を、誰も知らない。
「任務の内容を知らされているのは、どうやらほんの一部の幹部クラスのようだ。」
「お前も幹部だろ?知られてないのか?」
ゴーカートに乗り込み、エンジン音の中で会話が続く。
「俺は残念ながらな。」
「それに、Wも知らなかった。」
レイヴンは一瞬、あの爆弾魔の女の顔を思い浮かべる。
あいつですら知らされていない――それは、相当根の深い計画だ。
「他に知らないのは……あっ、来た。」
ジェスターが言い切る前に、観覧車が目の前で停止する。
二人は無言でゴンドラに乗り込んだ。
ゆっくりと上昇する視界。
龍門の街並みが、まるで模型のように小さくなっていく。
沈黙が、先ほどよりも重い。
ジェスターは外の景色を眺めながら、ぽつりと口を開く。
「ドクター。」
「……なんだ?」
「アンタは、どれだけ昔の事を覚えてる?」
その問いは、探るようでいて、どこか怯えを含んでいた。
「……全然だ。」
レイヴンは正直に答える。
「何も、思い出せねぇよ。」
嘘はなかった。
誇張もなかった。
過去は、深い霧に包まれている。
自分が何者だったのか、誰と何を誓ったのか――何一つ掴めない。
ジェスターはそれを聞き、少しだけ目を伏せる。
(……やっぱり、か)
胸の奥で何かが沈む感覚を、レイヴンは見逃さなかった。
観覧車は、静かに頂点へ向かって回り続ける。
まるで、この街と彼らの運命を嘲笑うかのように。
「……とにかく、レユニオンの動向にはお互い気をつけよう。」
観覧車が地上へ近づくにつれ、ジェスターの声は少しだけ硬さを帯びていた。
それは忠告であり、同時に――別れの言葉でもある。
「お前もレユニオンだろ?なんでそんな事……」
レイヴンの問いは率直だった。
敵であるはずの男が、味方の身を案じる。その歪さが引っかかる。
「……ロドスや近衛局以外にも……」
「レユニオンに疑問を持ってる奴が居るって事だ。」
ジェスターはそれ以上を語らなかった。
語れなかったのか、語る資格がないと思っているのか――それは分からない。
ゴンドラが止まり、二人は何事もなかったかのように降りる。
観覧車の外では、相変わらず平和な喧騒が広がっていた。
二人は互いにスマホを取り出し、さっき撮った写メを確認する。
「……写り悪いなお前。」
「うるせぇ!」
短い悪態。
だがそのやり取りは、不思議と心を軽くした。
それぞれスマホをしまい、視線を合わせないまま、
二人は違う道を選び、背を向けて歩き出す。
(……次に会う時は)
その先の言葉は、どちらの胸の中にも留められたままだった。
――――――――――
数時間後。
レイヴンはアーミヤたちと共に、廃棄された移動都市の縁に立っていた。
巨大な都市構造物は、かつて人々の生活を乗せて動いていたとは思えないほど静まり返っている。
軋んだ金属、風に舞う埃、沈黙。
この場所が「捨てられた」という事実を、嫌というほど突きつけてくる。
「ドクター!何処行ってたんですか?」
アーミヤの声が、沈んだ空気を切り裂く。
「集合時間より少し遅れてるみたいですが……」
「わりぃわりぃ……で?なんだっけ。」
軽く返しながらも、レイヴンの視線は既に都市の内部構造をなぞっていた。
戦場として見た時、この場所は――嫌な予感しかしない。
「もう!この移動都市で仲間の救援をするんですよ。」
「……なるほど。簡単だな。」
その一言に、アーミヤは一瞬だけ不安そうな顔をする。
だが、それはドクターなりの“大丈夫だ”という意思表示だと分かっていた。
「ドクター!今回もよろしくお願いします!」
テディスが、いつも通りの明るさで声を上げる。
「テディス、今回もいい活躍期待してるぜ。」
その言葉に、テディスの背筋が自然と伸びる。
期待されることが、彼にとって何よりの原動力だった。
「……我々はロドスとは別行動だ。いいな?」
チェンの声は簡潔で、揺るぎがない。
「はい。」
アーミヤが頷いた、その直後だった。
重い足音と共に、一人の女性が近づいてくる。
大柄な体格。
緑色の髪。
そして頭に生えた、明確な“鬼の角”。
そして巨大な盾……
その存在感だけで、周囲の空気が一段引き締まる。
「あなたが、ドクターですか?」
低く、落ち着いた声。
「テディス、コイツは?」
レイヴンは即座に確認する。
初対面の相手ほど、情報は早く欲しい。
「ホシグマさんです。チェンのご友人でもあるんです。」
「ホシグマです。」
「よろしくお願いしますね、ドクター。」
その視線は鋭いが、敵意はない。
むしろ、戦場で信頼できるタイプの“圧”だった。
「おう。」
短く返す。
余計な言葉はいらない。
そうして、レイヴンたちは廃棄都市の奥へと歩き始めた。
…………………
しばらく歩き続けたところで、レイヴンはふと足取りを緩めた。
理由もなく、背筋に冷たいものが走ったからだ。
「……さみぃ……」
思わず漏れた声は、自分でも驚くほど実感を伴っていた。
装備に問題はない。防寒が足りないわけでもない。
それなのに、体の芯から冷やされるような感覚がある。
「確かに寒いですね……」
アーミヤも周囲を見渡しながら言葉を続ける。
「今日は気温自体は、そこまで低くないはずなんですが……」
風は弱く、曇天ではあるが凍えるほどではない。
にもかかわらず、空気だけが異様に冷たい。
それは気温というより――感情を削ぐような冷えだった。
「……なんなんでしょうね……」
誰の言葉だったかは分からない。
だが三人とも、同じ違和感を共有しているのは確かだった。
その時。
廃墟の奥、崩れかけた高架の影から、複数の人影が現れる。
「……来たな。」
レユニオン。
その姿を確認した瞬間、レイヴンの意識は一気に戦闘へ切り替わる。
大剣を構え、踏み出そうとした――その刹那。
「!?」
頭上から、何かが落ちてきた。
重く、鋭い衝撃音。
地面が砕け、粉塵が舞い上がる。
少女が一人、ハルバードを地面に突き立てて立っていた。
「……誰だ?」
反射的にレイヴンが問い、警戒を解かない。
「フロストリーフさん……?」
アーミヤが、驚きと安堵の入り混じった声で名前を口にする。
「誰ですかね……」
テディスは首を傾げ、
レイヴンは小声で返す。
「……ロドスじゃないの?」
三人がひそひそと確認し合っている間に、少女――フロストリーフは淡々と口を開いた。
「ジェシカとメテオリーテと逸れた。」
「おそらく無事だろうが……今、メフィストが近くに居る。」
その名前を聞いた瞬間、空気がさらに冷えた気がした。
「あのクソガキか……」
レイヴンの声には、はっきりとした敵意が滲む。
「絶対ぶっ飛ばしてやる……」
怒りというより、本能的な拒絶。
あの敵の存在そのものが、嫌な予感を連れてくる。
その時、テディスの通信機が鳴った。
「はい……チェン隊長?」
通信越しでも分かる、冷え切った声。
『……お前は龍門近衛局の自覚が無いのか……?』
『私の部隊はそちらでは無いぞ。すぐ戻ってこい。』
「……あー!!」
テディスは頭を抱えた。
「そうだった!ドクター、アーミヤちゃん……ごめん!」
「俺、戻るね!」
慌ただしく言い残し、彼は全力で駆け出していく。
その背中を見送りながら、レイヴンは思わず口を開いた。
「……なあアーミヤ、アイツやっぱバカじゃ――」
「ドクター。」
遮るような、少し強めの声。
「…………」
レイヴンは言葉を飲み込んだ。
「……とにかく、アーミヤ。着いてきて。」
フロストリーフはそう言い、迷いなく歩き出す。
その背中は小さいが、揺るぎがない。
レイヴンとアーミヤは顔を見合わせ、軽く頷き合う。
(嫌な予感しかしねぇな……)
しばらく無言で進んだ先、三人は広い空間へと足を踏み入れた。
天井の高い広間は、かつて人が集い、生活の音で満ちていたであろう名残を残している。
しかし今は、崩れた柱と瓦礫、そして静まり返った空気だけがそこにあった。
「……なんだか、チェルノボーグの時を思い出すな。」
レイヴンの声は低く、どこか遠い。
あの街で見た光景――崩壊、混乱、そして救えなかった命。
無意識のうちに、その記憶が重なっていた。
「……それは、そうかもしれません。」
アーミヤも同じ景色を見つめながら答える。
「ここは元々、ウルサス政府から切り離された区域ですから……」
「人の手が届かなくなった場所ほど、悲劇が溜まるものです。」
「だからか……」
レイヴンは鼻を押さえ、顔をしかめた。
「……だが……臭いな。」
空気に混じる、甘ったるく、鼻に張り付くような匂い。
火薬や鉄の匂いとは違う。
もっと生々しく、拒絶反応を引き起こす臭気。
「……この匂いは……」
レイヴンの声が一段低くなる。
「死んでる奴の匂いだな。」
その一言で、アーミヤの肩がわずかに強張る。
レイヴンは二人の少女の前に立つように歩み寄り、視線を巡らせた。
すると、瓦礫の影から小さな声が聞こえた。
「あっ……アーミヤさん……」
怯え切った声。
ジェシカだった。
アーミヤはすぐに駆け寄り、その視線に合わせるように膝をつく。
「ジェシカさん……」
「メテオリーテさんも……無事だったんですね。」
「来てくれたのね、アーミヤ。」
メテオリーテは安堵しつつも、表情は硬いままだ。
「でも……ここは危険よ。」
「嫌な予感しかしない。」
「……私が、皆さんを置いていけると思いますか?」
アーミヤの言葉は静かだったが、迷いはなかった。
その声音に、覚悟が滲んでいる。
一瞬、メテオリーテは何も言えず、視線を逸らす。
「……ところで。」
レイヴンが割って入る。
「メフィストは?」
その名を口にしただけで、空気が一段重くなる。
メテオリーテは無言で指を前方へ向けた。
そこには――
壊れかけた建造物の前に立つ、白い仮面の少年と、その取り巻き達の姿があった。
「……そろそろ出てきたらどうだい、ロドス〜?」
甲高く、楽しげな声。
人の死を前にしているとは思えない軽さ。
「僕らはここに用があって来たんだヨォ?」
「知りたいだろぉ?」
次の瞬間、部下達が大きなビルの前にガソリンを撒き始める。
そして、迷いなく火が点けられた。
炎が一気に立ち上り、黒煙が天井へと広がる。
「……見ろぉ!」
メフィストは両手を広げ、歓喜するように叫ぶ。
「これが、僕らを見捨てたゴミ達の末路だぁ!!」
燃え盛る建物。
中に残されていたであろう命。
その全てを“見せ物”として扱う狂気。
「……なるほどな。」
レイヴンの声は、氷のように冷たかった。
「コイツら……逆恨みで死んだのか。」
大剣を背に戻し、双剣を抜く。
刃が鈍く光り、殺気が自然と滲み出る。
「……」
アーミヤは炎から目を逸らさず、ただ立っていた。
胸の奥が締め付けられる感覚。
それでも、逃げなかった。
「アーミヤ。」
レイヴンが、少しだけ柔らかい声で言う。
「見たくないなら、見なくていいぞ?」
「……いえ。」
アーミヤは静かに首を振った。
「今は……見届けたいです。」
「逃げたくありません。」
「……そか。」
レイヴンはそれ以上、何も言わなかった。
三人は、ゆっくりと前に出る。
「さて……」
レイヴンはメフィストを睨み据える。
「おい、ガキ。」
「龍門にレユニオンが攻めるって話……本当か?」
一瞬、メフィストの笑みが歪む。
「……何故、君がそれを知ってるんだい……?」
「とある奴から聞いたんでな。」
「……チッ……」
舌打ち。
「……あの
その言葉に、レイヴンは確信した。
レイヴンが一度、大きく息を吐いた。
その吐息は――白く、霧のように空中に留まり、次の瞬間、細かな氷の粒となって散った。
「……!?」
思わず自分の口元に手を当てる。
ここは屋内に近い構造で、先程までそこまで冷え込んではいなかったはずだ。
「こ、これは……」
アーミヤも気づいたように、震える指先を見つめる。
空気が、明らかに変質していた。
レイヴンが周囲を見回す。
床。
柱。
瓦礫の表面。
じわり、じわりと――
まるで生き物のように、氷が広がっていく。
「……冗談だろ……」
建物そのものが、静かに、しかし確実に“凍結”していく。
音もなく、抵抗もなく、ただ世界の温度が奪われていく感覚。
背筋を冷たいものが走る。
「……これは……!?」
レイヴンは直感的に理解していた。
これは装置でも、自然現象でもない。
“誰か”の力だ。
反射的に背後を見る。
そこには――
氷霧の向こうから、規則正しく歩いてくるもう一つの部隊の影があった。
足音は静か。
しかし、その存在感だけで空間を支配している。
「あ……あれは……」
フロストリーフの声が、かすれた。
顔色は明らかに青ざめ、目を大きく見開いている。
恐怖と、そして――確信。
「まさか……」
その瞬間、場の空気を楽しむように、メフィストが両手を広げた。
「さぁ!」
「今夜の主役の登場だぁ!」
舞台役者のような誇張された声が、凍てついた空間に響く。
「雪原の悪魔……」
「スノーデビルのプリンセス……」
そして、宣告するようにその名を叫んだ。
「――フロストノヴァ!!」
霧が晴れ、その姿がはっきりと見えた。
白銀の装束。
氷を思わせる冷たい気配。
そして、周囲の温度を支配する“絶対的な存在”。
レイヴンは、無意識のうちに呼吸を止めていた。
視線が――合う。
フロストノヴァの目は、こちらを真っ直ぐに捉えていた。
敵意はある。
しかしそれ以上に、そこには奇妙な静けさがあった。
怒りでも、狂気でもない。
ただ、深い孤独と、諦念を孕んだ目。
それが――
なぜか、レイヴンには怖かった。
(……ヤバいな、コイツ……)
氷がさらに軋む音を立てる。
この瞬間、レイヴンは理解していた。
目の前にいるのは、ただの幹部ではない。
この戦場そのものを凍らせる存在。
そして――
ここから先は、引き返せない。
静まり返った広間で、
雪原の悪魔が、ゆっくりと歩みを進めていた。
書いてる途中、フロストノヴァとの邂逅よりも男二人で実質デート行ってる構図でシリアス回なのにシュールな回みたいになってしまったなって思いました。