アークナイツ リザレクション   作:サツキタロオ

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第二部。ヴィクトリア編です。


Vol.2:悪性変異(前編)
STORY.20:DEPARTURE


レユニオン。

 

感染者たちによって構成された、怒りと絶望の集合体。

世界に拒絶され、居場所を奪われ続けた末に生まれた組織は、

その理念と衝動のままに暴走し、数え切れないほどの過ちを重ねた。

 

だが、その終焉は唐突に訪れた。

 

リーダー――タルラの逮捕。

それは象徴の喪失であり、思想の核を失うことを意味していた。

組織は急速に瓦解し、統率を失い、レユニオンは事実上の崩壊を迎える。

 

ロドスは、彼らによる大規模なテロ行為を阻止した。

多くの犠牲を払いながらも、確かに「戦争」は終わったはずだった。

 

……だが。

 

終戦の安堵が広がるよりも早く、

新たな敵意が牙を剥いた。

 

ヴィクトリア。

 

その正規兵による、計算された奇襲。

混乱に乗じ、狙い澄ましたように放たれた攻撃によって、

ロドス艦は深刻な損傷を受けた。

 

そして――

その混乱の只中で、一人の男が選択を下す。

 

ロドスのドクター。

レイヴン。

 

彼は、囮となることを選び、

誰にも止められぬまま、ロドスを離脱した。

 

守るために。

帰る場所を、仲間を、生き残らせるために。

 

…………………

 

――それから、一年。

 

アーミヤたちと別れてから、あまりにも長く、そしてあまりにも短い時間だった。

ヴィクトリアの追撃は止まることを知らず、執拗で、冷酷で、徹底していた。

 

逃げ場はない。

安全な土地など、どこにも存在しない。

 

痕跡を消しても、

彼らは必ず追ってくる。

 

まるで、世界そのものが彼を拒絶しているかのように。

 

レイヴンは、生きていた。

だがそれは、安息とは程遠い生だった。

 

眠る時間は削られ…

食糧は奪われ…

戦いは日常となった。

 

それでも、心の奥底では――

常に、ロドスのことを想っていた。

 

アーミヤは、無事だろうか。

艦は修復されたのか。

皆は、前を向けているのか。

 

考えれば考えるほど…

胸の奥に、重たい痛みが積もっていく。

 

だが、立ち止まることは許されない。

 

今、目の前にある火の粉を振り払わなければ…

未来の再会など、あり得ないのだから。

 

…………………

 

荒野。

 

見渡す限り、命の気配はない。

乾ききった大地と、ひび割れた空。

吹き荒れる砂塵が、視界と呼吸を容赦なく奪っていく。

 

レイヴンは、ローブを深く被り、風に逆らうように歩き続けていた。

 

足取りは重い。

体は限界に近い。

 

それでも、歩みを止めない。

 

やがて――

砂塵が、ふっと弱まった。

 

視界が開けると同時に、背後に、異物の気配を感じ取る。

 

足音。

規則正しく、訓練されたそれ。

 

――来たか。

振り向かずとも分かる。

ヴィクトリア兵だ。

 

レイヴンは、静かに立ち止まった。

 

そして、ゆっくりとローブを脱ぎ捨てる。

 

布切れは風に煽られ、くるくると舞い上がり、

やがて砂嵐の中へと消えていった。

 

露わになったその姿は、以前の面影すら薄い。

 

装備は欠け、衣服は裂け…

身体には無数の傷跡。

 

――長い戦いを、生き抜いてきた証だった。

 

「全く……」

 

乾いた声で、レイヴンは呟く。

「しつこい奴らだぜ!」

疲労は、確かにある。

だが、諦めはない。

 

手元に残った双剣を握り直す。

刃は欠け、傷だらけだが…

それでも、まだ戦える。

 

いや――

戦うしかない。

 

レイヴンは一歩踏み込み、迫り来るヴィクトリア兵へと視線を向けた。

そして、迷いなく、踏み出す。

 

「来いよ……」

双剣が風を裂き、次の瞬間――

彼は、再び戦場へと身を投じた。

 

薙ぎ倒しても、薙ぎ倒しても――

ヴィクトリア兵は止まらなかった。

 

倒れたはずの影の向こうから、

新たな隊列が現れ、

まるで砂漠そのものが兵士を吐き出しているかのように迫ってくる。

 

「……チッ。キリが無い……」

 

レイヴンは歯噛みしながら判断を下す。

この場で戦い続けるのは、消耗戦に他ならない。

勝ち負け以前に、生き残れない。

 

彼は即座に進路を切り替え、

荒野のさらに奥へと駆け出した。

 

肺が焼ける。

脚が悲鳴を上げる。

それでも止まらない。

 

――止まれば、終わる。

 

通信端末に手を伸ばす。

無意識に、ロドスへの回線を探す指。

 

だが。

 

画面は暗いまま、

どれだけ叩いても、どれだけ祈っても、

電源は入らなかった。

 

「……壊れてやがる……」

 

その事実が、胸に重くのしかかる。

今の自分は、完全に孤立している。

 

――いや、最初からそうだったのだ。

 

考える暇もなく、

前方から新たな気配が現れる。

 

視界の先に、

ヴィクトリア兵の一団。

 

「……チッ……」

 

挟撃。

逃げ場を塞ぐ、完璧な布陣。

 

瞬間――

空気が震えた。

 

「――!?」

 

耳を裂く轟音。

次の瞬間、視界が白く染まる。

 

背後から放たれたミサイルが、

前方のヴィクトリア兵へ直撃した。

 

爆炎。

衝撃波。

兵士たちは悲鳴を上げる間もなく、

粉々に吹き飛ばされていく。

 

砂と血と鉄の破片が、

荒野に降り注ぐ。

 

レイヴンは反射的に身を伏せ、

爆風が収まった先を見る。

 

岩陰から、

異形の影が現れた。

 

――コンバットフレーム。

 

それも、

見覚えのある型。

 

「……グラモス……タイプ……」

 

コンバットフレーム・グラモスタイプ。

 

だが、その姿は明らかに異常だった。

装甲は剥がれ、

関節部は露出し、

各所に応急処置の跡が見える。

 

まともな整備など、

受けていない。

 

それでも、

無理やり動かしている。

 

『見つけたぞ!ロドスのドクター!』

 

スピーカー越しに響く、

憎悪に満ちた声。

 

『同胞達の無念ッ!

ここで晴らしてやるッ!』

 

その瞬間、

レイヴンはその言葉をよく思い出す。

 

――レユニオン。

 

確かに、彼らは敗れた。

タルラを失い、組織としては崩壊した。

 

だが、すべてが終わったわけではない。

 

ウルサス、炎国、その周辺――

噂では、今も残党が暗躍しているという。

 

目の前のコンバットフレームは、その「亡霊」の一つだった。

 

復讐。

憎悪。

行き場を失った怒り。

 

――そして、その矛先は、自分に向けられている。

 

ガトリングが唸りを上げる。

弾幕が、容赦なくレイヴンの周囲を削り取っていく。

 

地面が抉れ、岩が砕け、砂が弾け飛ぶ。

 

レイヴンは歯を食いしばり、弾道を見極めながら跳ぶ。

 

一瞬の隙を突き、

倒れていたヴィクトリア兵の槍を掴み取る。

 

金属同士が激しくぶつかる音。

即席の武器で、ガトリングの銃身を叩き弾く。

 

腕に、衝撃が走る。

骨まで痺れる。

 

「……っ、重てぇ……!」

レイヴンは槍は、迷いなく放った。

 

砂を裂き、風を貫き、

一直線に――コンバットフレームの右腕へと突き刺さる。

 

金属が悲鳴を上げ、関節部が破壊される。

『ば、馬鹿な……!動け!コンバットフレーム……!』

操縦席から、焦燥と恐慌が滲み出る声。

 

だが、もはや応えはなかった。

機体は、限界を超えていた。

 

修復の跡は粗雑で、内部配線はむき出し、動力炉は悲鳴を上げている。

 

火花が散り、駆動音が不規則に乱れる。

 

『そんな……!これでは、同胞達の無念を……!』

 

その声には、

もはや憎しみよりも――絶望が混じっていた。

 

次の瞬間。

 

『ぐわぁあぁぁぁぁ!!』

 

ショートした部位が爆発。

白熱した閃光が荒野を染め、

衝撃波が砂を巻き上げる。

 

機体は自らを引き裂き、

炎と破片となって空へ散った。

 

レユニオンの亡霊は、

叫びと共に消え去った。

 

レイヴンは、その爆風を背に受けながらも、

辛うじてその場を潜り抜けた。

 

だが。

脚が、動かない。

肺が、空気を拒む。

視界が、滲む。

 

「……くそっ……」

声は掠れ、自分のものですらないように聞こえた。

 

一歩。

また一歩。

 

だが、それ以上は――無理だった。

 

「……そろそろ……限界、だな……」

 

レイヴンは、

そう呟いてから、

膝をついた。

 

支えようとした腕も、

力を失い――

 

そのまま、彼は前のめりに倒れた。

荒野に、再び砂塵が舞い上がる。

 

世界が、遠のいていく。

 

――ここまで、か。

 

アーミヤの顔が、

一瞬、脳裏をよぎった。

 

ロドスの甲板。

仲間たちの声。

帰ると言った言葉。

 

意識が、闇に沈みかけた、その時。

 

低いエンジン音が、砂塵の向こうから聞こえた。

 

一定のリズム。

近づいてくる、確かな存在感。

 

砂煙を割って現れたのは、一台のバイク。

 

その上に跨る、小柄な影。

フードを深く被り、風に揺れる赤い髪。

その姿を見た瞬間、もし意識が完全にあったなら、レイヴンは眉をひそめていたかもしれない。

 

――クラウンスレイヤー。

 

かつてはレユニオンの幹部で、数多の戦場で、ロドスと刃を交えた存在。

だが、彼女はもう、そこにはいない。

 

レユニオンを脱退し、消息を絶っていた女。

彼女はバイクを止め、砂を踏みしめながらレイヴンへ近づく。

 

倒れ伏す男を見下ろし、しばらく無言のまま、観察する。

 

「……ロドスのドクター……」

その声には、敵意も、嘲りもなかった。

ただ、淡々とした事実確認のような響き。

 

「どうやら……本当に、ロドスから離れて……囮になっていたようだな……」

彼女の視線が、ボロボロの装備、血と砂に汚れた身体をなぞる。

 

一年前なら、この男は確実に「敵」だった。

倒すべき存在。

許されない象徴。

 

だが、今は違う。

 

目の前にいるのは、ただの――限界を迎えた一人の人間だった。

 

クラウンスレイヤーは、静かに息を吐く。

 

――助けるべきか。

――見捨てるべきか。

 

 

彼女は、目を逸らさなかった。

 

…………………

 

ここはロドス。

かつては移動する要塞艦として、大地を縦横に駆けていたその巨体は、今や痛々しいほど静かだった。

 

ヴィクトリア区域周辺に停泊してから、すでに長い時間が経っている。

一年前の襲撃によって負った損傷は深刻で、

修復は続けられているものの――それは「回復」と呼べる段階には到底至っていなかった。

 

装甲は仮設のまま。

内部区画の一部は閉鎖。

動力系統も常に綱渡りのような運用。

 

それでも、

ロドスは止まらなかった。

 

動かなければ、

この大地では生き残れないからだ。

 

「……はあ……」

 

静かな甲板に、小さな溜息が落ちる。

 

アーミヤは手すりに両手を置き、

遠くの地平線を見つめていた。

 

視線の先には、

砂と鉄と煙の混じる、ヴィクトリアの空。

 

何度見ても、

そこに“彼”の姿はないと分かっているのに、

それでも目が探してしまう。

「また、溜息か?」

少し呆れたような、それでいて柔らかい声。

 

振り向くと、そこにはチェンが立っていた。

 

片手には缶ジュース。

もう片方はポケットに突っ込み、ロドスの制服をきちんと着こなしている。

かつての龍門近衛局の隊長は、今ではすっかりロドスの一員だった。

その姿が、アーミヤにはどこか不思議に映る。

「はい……。気にするなって言われそうですけど……」

アーミヤは小さく笑い、

それでもすぐに視線を落とした。

 

「……未だに、ドクターが心配で……」

言葉にした途端、

胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。

 

一年。

 

たった一年。

それなのに、

あまりにも長い時間だった。

 

生きていると信じている。

死なないと、彼は言った。

必ず帰ると、約束した。

 

それでも――

音沙汰のない時間は、

希望を静かに摩耗させていく。

 

チェンはその表情を見て、何も言わずに肩に手を置いた。

 

「……気持ちは分かる」

低く、落ち着いた声。

 

「ロドスを離れてから、もう一年だ。心配しない方が無理だろう」

それは慰めというより、

事実の共有だった。

 

「……そういえば」

アーミヤは、ふと思い出したように顔を上げる。

 

「タルラは……今、どうしていますか?」

その名前を口にする時、

アーミヤの中には、

もはやかつての敵意はなかった。

 

代わりにあるのは、理解しきれない距離感と、

整理しきれない感情。

 

タルラは逮捕後、ロドスによって拘束された。

 

しかし現在は、厳重な監視のもとではあるが、

艦内での自由行動が許されている。

 

チェンは、少し考えてから答えた。

「よくやっているよ。雑務を任せているが……文句一つ言わず、黙々とこなしている」

 

「……そうですか……」

 

アーミヤは小さく頷く。

 

「……なんだか、不思議な気分だ」

チェンは視線を空へ向け、ゆっくりと言葉を選ぶように続けた。

「あれほど憎んでいた相手なのに……今は、私だけが先に進んでしまったような……そんな気がする」

 

声は静かだったが、

そこには確かな痛みがあった。

 

憎しみを燃料に走り続けていた者ほど、

それを失った後の虚無は深い。

 

「……ケルシー先生から聞きました」

アーミヤは、そっと言う。

「タルラは、コシチェイに乗っ取られていた間の記憶が……ほとんど残っていない、と」

チェンは、静かに頷いた。

「そうだ。あの時の事は、彼女の中では“空白”だ」

 

それは、

罪を免れる理由にはならない。

 

だが同時に、向き合うべき“過去”が、

本人の中に存在しないという事実は――

あまりにも残酷だった。

 

「……私からしたら」

チェンは、拳をわずかに握りしめる。

「……自分だけ、あの地獄に取り残されたままな気分だ」

 

タルラは、

何も覚えていない。

 

だが、

チェンは覚えている。

 

炎。

叫び。

失われた命。

交わらなかった想い。

 

すべてを、今も胸に抱えたまま。

アーミヤは何も言えなかった。

慰めの言葉は、この場には軽すぎる。

 

ただ、

同じ喪失を抱える者として――

隣に立つことしかできなかった。

 

ロドスの甲板に、重たい沈黙が落ちる。

 

その沈黙の中で、二人はそれぞれ、

帰ってこない誰かの背中を思い浮かべていた。

 

そして…

誰も口にしなかった。

 

――もし、もう二度と会えなかったら。

 

その問いを考える勇気は、まだなかった。

 

すると、甲板の空気を切り裂くように、慌ただしい足音が響いた

「はぁ……っ、はぁ……っ!」

振り返るより先に、その声の切迫さが異常事態を告げていた。

 

息を切らしながら駆け込んできたのは、テディスだった。

 

彼もまた、かつての龍門近衛局を離れ、

今はロドスの一員として独立遊撃部隊Bのリーダーとして行動している。

 

新しい制服は体に馴染み、以前よりも少しだけ精悍な雰囲気を纏っていたが、

今はそれを気にしている余裕などなかった。

「大変です!大変です!大変です〜!!」

 

「……どうした、テディス」

チェンが低い声で問いかける。

 

「チェン隊――」

勢いよく言いかけて、チェンに睨まれる。

テディスは一瞬だけ言葉に詰まった。

「……あ、いや……そうでしたね……すいません、チェンさん」

立場が変わったことを、本人が一番意識しているのかもしれない。

 

だが、そんな細かい区別をしている場合ではない。

「アーミヤちゃん!!」

テディスは今度はアーミヤに向き直り、息を整えることすら忘れたまま叫んだ。

 

「大ニュースだよ!!この近くで――ドクターが倒れてるって!!」

その言葉が、空気を凍らせた。

「……え?」

 

一瞬…

意味を理解できなかった。

 

理解したくなかった、と言った方が正しいかもしれない。

 

「……今、なんて……」

問い返すよりも早く、心臓が強く脈打つ。

胸の奥で、一年間押し殺してきた感情が、一斉に暴れ出した。

 

期待。

恐怖。

不安。

歓喜。

そして――

失うかもしれないという、耐え難い恐れ。

 

「……どこ……ですか」

声が、震えた。

 

「ロドスの捜索班が見つけました!荒野の外れで……生きてはいますが、消耗してて…」

その先を聞く前に、アーミヤは走り出していた。

 

「アーミヤ!」

チェンが呼び止めるが、その声はもう届かない。

 

足が、勝手に動いていた。

考えるより先に、体が答えを出していた。

 

――会いたい。

――今すぐ。

 

それ以外の感情は、すべて後回しだった。

 

……数十分後。

 

ロドス艦内、メディカルルーム。

静寂と、規則正しい機械音だけが支配する空間。

そこに、彼はいた。

 

長い時間の逃亡と戦闘が刻まれた身体は、想像以上に痛々しかった。

 

包帯。

治療痕。

擦り切れた装備。

 

それでも――確かに、生きている。

 

それだけで、胸がいっぱいになる。

 

十分な治療を受けられない状況が続いていたはずだ。

感染していてもおかしくない。

最悪の事態も、何度も想像した。

 

だが、検査結果はそれを否定していた。

 

感染反応なし。

傷は深いが、ロドスのメディカルルームの治癒機構により回復傾向。

 

まるで、この場所に帰ることが前提だったかのように。

 

「……ん……」

 

小さな、

かすれた声。

 

アーミヤは息を呑んだ。

 

「……んん……」

レイヴンの瞼が、ゆっくりと持ち上がる。

 

意識が、現実に戻ってくる。

 

彼は天井を見上げ、一瞬だけ状況を把握できずに眉をひそめた。

 

そして、ゆっくりと体を起こそうとして――

「……っ……」

わずかな痛みに顔を歪める。

 

「ドクター!!」

 

その瞬間、

アーミヤの感情は、堰を切った。

 

彼の名を呼ぶ声は、一年分の想いを詰め込んだ叫びだった。

レイヴンは、その声に反応して視線を向ける。

 

目が合う。

ほんの一瞬の沈黙。

 

そして――

彼は、かすかに笑った。

「……ああ……」

喉を鳴らすように、掠れた声で。

 

「……ただいま……アーミヤ」

 

その言葉を聞いた瞬間、アーミヤの視界は滲んだ。

涙が、止まらなかった。

 

恐れていた再会ではなかった。

失う再会でもなかった。

 

これは――

帰ってきた人の言葉だった。

 

アーミヤは何も言えず、ただ、彼の手を強く握った。

 

離れていた一年分を、その一瞬で埋めるように。

 

レイヴンは、その小さな手の温もりを確かめるように、

静かに握り返した。

 

――生きて帰ってきた。

 

「……言っただろ?」

 

レイヴンは、まだ少し掠れた声でそう言った。

無理に張り上げたわけではない。ただ、事実を確かめるように、静かに。

 

「ちゃんと、帰ってくるって」

 

その言葉は、約束というよりも、

彼自身が一年間、何度も自分に言い聞かせてきた呪文のようだった。

 

「……はい……はいっ……」

 

アーミヤは、まだ泣いていた。

 

声を抑えようとするが、

堪えきれずに嗚咽が漏れる。

 

一年。

生死も分からず、

名前を呼ぶことすら叶わなかった時間。

 

それが今、

目の前で、息をしている。

 

涙が止まる理由など、

どこにもなかった。

 

レイヴンは何も言わず、

ただ彼女の頭に手を置いた。

 

乱れた髪を撫でるその動作は、

以前と何一つ変わらない。

 

――帰ってきた。

本当に。

 

「……おかえり、ドクター」

 

少し照れたように、

だがはっきりと、テディスが言った。

 

「信じてましたよ。

絶対に戻ってくるって」

 

その言葉に、

レイヴンは一瞬だけ視線を逸らした。

 

信じてくれる人がいることが、

嬉しくて、

同時に、少しだけ胸に刺さった。

 

「……ああ。テディスも、元気そうだな」

 

言葉を誤魔化すように、

彼はベッドの縁に手をつき、ゆっくりと体を起こす。

 

筋肉が、

遅れて痛みを訴えてきた。

 

一年間、

休むことなく戦い、逃げ、斬り続けてきた身体だ。

 

「……っ」

 

小さく息を吐き、

肩を回し、指を握る。

 

「……調子は、まあ大丈夫だな」

 

自分でも意外なほど、

動く。

 

「ただ……」

 

一度、深く息を吸う。

 

「しばらくは、本格的な戦闘は無理だな。

体が、正直すぎる」

 

それは、

敗北宣言ではなかった。

 

むしろ――

生き延びることを選んだ人間の判断だった。

 

「……まあまあ!」

テディスは明るく笑いながら、

ぽん、とレイヴンの肩を叩く。

「一年も戦いっぱなしだったんですから!今は俺達に任せて、ちゃんと休んでくださいよ!」

 

その言葉に、

レイヴンは少しだけ目を細めた。

 

任せる。

その一言が、

胸に静かに染みていく。

 

「あ、そうだ!」

思い出したように、テディスが声を上げる。

 

「クロージャさんたちが、ドクター用の新しい服、用意してくれてましたよ!」

そう言って差し出されたのは、見慣れない――だが、どこか懐かしさを感じる衣装だった。

 

機能性を重視したロドス仕様。

それでいて、以前のドクターの面影も残している。

 

「……お」

レイヴンが感心したように声を漏らす。

「……アーミヤ」

ふと視線を向けて、少しだけ気まずそうに言った。

「悪いけど……ちょっと、外で待っててくれ」

 

「あっ……!」

アーミヤは一瞬、理解が追いつかず、

そして次の瞬間、顔を真っ赤にした。

 

「は、はいぃっ……!!」

勢いよく踵を返し、ほとんど逃げるように部屋を出ていく。

 

扉が閉まった後、

レイヴンは苦笑しながら、

ボロボロになった服に視線を落とした。

 

砂と血と火薬の匂い。

一年分の記憶が染みついた衣服。

 

それを脱ぎ捨て、新しい服に袖を通す。

布の感触が、異様なほど柔らかい。

 

――戻ってきたんだ。

そう、実感する。

 

「……」

 

鏡代わりの金属面に映る自分を見て、

レイヴンは小さく息を吐いた。

 

「……カッケェじゃねぇか」

思わず、素直な感想が口をつく。

「でしょ?」

 

テディスが誇らしげに笑う。

「……なあ」

レイヴンは、ふと真顔に戻った?

「ロドスはどうなった?」

その問いには、軽さはなかった。

 

一年間、

自分が囮になっている間、

何が起きていたのか。

 

それを知る覚悟が、ようやく整った。

「……それは」

テディスは一瞬、言葉を選び、それから微笑んだ。

 

「とにかく、見てから判断してください」

そう言って、彼は扉に手をかける。

「行きましょ!ドクター」

レイヴンは、一度だけ深く頷いた。

 

こうして――

囮として消えた男は…

再び“ロドスのドクター”として、艦内を歩き出した。

 




遂に第二部開幕。次回からヴィクトリア編です。
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