「……随分、壊れてんな」
通路を進みながら、レイヴンは低く呟いた。
壁面の装甲には歪みが残り、仮補修の溶接痕がそのまま露出している。
配線も完全には隠しきれておらず、所々で警告灯が弱々しく点滅していた。
かつてのロドス艦が持っていた、整然とした安心感は、そこにはもう無い。
一年という時間と、その間に受けた損傷の重さが、無言のまま艦全体に刻み込まれていた。
「そりゃそうですよ」
隣を歩くテディスが、苦笑混じりに答える。
「応急処置しながら運行してるようなもんですから。本格的な修復なんて、正直まだ全然で……」
言葉の端々に、
彼がこの一年で背負ってきた苦労が滲んでいた。
レイヴンはそれ以上何も言わず、通路の奥を見据えたまま歩き続ける。
――俺がいない間に、
ここまで追い込まれていたのか。
その事実が、
胸の奥に静かに重く沈んでいく。
やがて、司令室の前に辿り着く。
自動ドアは健在だったが、開閉の動作がわずかに遅い。
機構のどこかが傷んでいるのは、素人目にも明らかだった。
「……」
レイヴンは一瞬、足を止める。
「一応、ケルシーさんに挨拶しておいたらどうですか?」
テディスは、
遠慮がちにそう提案した。
その言葉に、
レイヴンは小さく息を吐く。
「……まあ……確かにな」
避け続けるわけにもいかない。
それは分かっている。
だが――
会えば、何かが崩れる気もしていた。
レイヴンは一歩踏み出し、司令室へと入る。
ドアが閉まるまでの、ほんの数秒。
その時間が、妙に長く感じられた。
「……!」
中にいたケルシーは、書類から顔を上げた瞬間、目を見開いた。
「ドクター……帰って……来てたんだな」
感情を抑えた声。
だが、その一瞬の間に走った驚きと安堵を、レイヴンは見逃さなかった。
「一応、挨拶しに来た」
レイヴンは、それ以上踏み込む気は無いというように、淡々と言う。
「ただいま。それじゃあ……また」
言うだけ言って、彼は踵を返す。
それ以上、言葉を交わすつもりはなかった。
引き留められる前に、あるいは――
何かを問い詰められる前に。
司令室を出ると、ドアはまた少し遅れて閉まった。
「……」
廊下に出た瞬間、レイヴンは無意識に肩の力を抜いていた。
「ドクター……」
テディスが、気まずそうに口を開く。
「ケルシーさんのこと、嫌いなんですか?」
その問いは、直球だった。
レイヴンはしばらく黙り込み、通路の先を見つめる。
やがて、小さく首を振った。
「嫌いって訳じゃない。苦手なだけだ」
それは、憎しみでもなく、信頼でもないどうしようもない距離感。
レイヴンは、その距離を無理に縮めるつもりはなかった。
レイヴンはテディスと別れて技術部に辿り着いた。
技術部の区画は、ロドスの中でも比較的“生きている”場所だった。
損傷した艦内の中で、
ここだけは工具の音と稼働音が途切れない。
金属が擦れる高音、低く唸る発電機など…
「……」
レイヴンは、その空気に少しだけ安堵を覚えた。
中へ足を踏み入れると、まるで待っていたかのように、
一人の男が軽く手を振る。
ニールだった。以前よりも凛々しくなっている様子だった。
「やっほードクター。しっかり生きてて良かったぜ!」
相変わらず軽い口調。
だが、その奥にある安堵は隠しきれていない。
「……ああ。そっちも、順調そうだな」
レイヴンが視線を巡らせると、整備台やラックは以前よりも整理され、
無理な改造ではなく“実用”を重視した配置に変わっていた。
「おう。最近入った技術屋がな、マジで有能なんだ」
ニールは胸を張る。
「ドクターの武器も、ちゃんと修理しといたぜ。」
その言葉と同時に、作業台の上が照明に照らされる。
並んでいたのは、
見慣れた――だが、明らかに手入れの行き届いた装備群。
双剣は刀身が以前と異なり、バランスも再調整されている。
リコイルロッドは内部機構が刷新され、反動制御が滑らかになっていた。
チェーンロッドは接続部は新品同然。引き寄せ時のロスも最小限だ。
シールドブーメランは表面装甲が補強され、エネルギーフィールドの安定性も向上している。
「……」
レイヴンは、無言のまま一つ一つに視線を走らせた。
一年ぶりに再会した“相棒”たち。
それぞれが、彼の戦いの歴史を背負っている。
だが――
視線は、自然とその先へ向かった。
作業台の奥。
そこには、見慣れない装備が二つ置かれていた。
一つは、
分離機構を備えた大剣。
ロック構造があり、状況に応じて二分割できる設計だ。
そしてもう一つ――
レイヴンの目を引いたのは、手に装着するタイプの装備だった。
無骨だが、明らかに“掴む”ことを意識した形状。
「……これは?」
レイヴンが指差すと、
ニールはニヤリと笑った。
「それか。スナッチナックルだ」
彼は手に取って、
簡単なジェスチャーで説明を続ける。
「手に装備する近接装備でな。掌部に小型ジェネレータを内蔵してる」
軽く叩くと、低い駆動音が鳴った。
「敵の武器を“掴んだ瞬間”に、出力を瞬間最大まで引き上げる。相手の保持力を強制的に無効化して――」
ニールは、指を鳴らす。
「確実に奪う」
「……奪う、か」
レイヴンは、その言葉を反芻するように呟いた。
破壊ではない。
無力化でもない。
主導権を奪うための装備。
「中々、強そうだな」
率直な評価だった。
「だろ?」
ニールは肩をすくめる。
「ただし、まだ試験運用段階だ。理論値は申し分ないが、実戦データが足りねぇ」
そして、はっきりと告げる。
「だからさ。テストしてくれよドクター」
軽い口調だが、そこには信頼がある。
「いいデータが取れたら、制御系と出力調整をアップデートする。」
レイヴンはナックルを手に取り、ゆっくりと装着する。
フィット感は良好。
余計な遊びもない。
「……分かった」
短く、だが確かな返事。
「使ってみる。」
それは、戦場への復帰を意味する言葉だった。
……………………………………
〜○○視点.
「あ、ジェスター! Wー!」
機材の調整に集中していたアタシの耳に、
懐かしくて、忘れようとしても忘れられなかった声が飛び込んできた。
一瞬、手が止まる。
……まさか。
そんなはずはない。
頭ではそう否定したのに、胸の奥が妙にざわついた。
顔を上げると、
そこには見覚えのある男の姿があった。
「……レイヴン!」
ジェスターが、アタシよりも先に反応して歩み寄る。
その声には隠しきれない喜びが滲んでいて、それが無性に癪に障った。
「久しぶりだな」
「お前もな」
二人は短い言葉を交わすだけなのに、まるで長い時間が一瞬で埋まったかのように自然だった。
……何よ、それ。
ドクターは変わっていない。
ボロボロになって戻ってきたはずなのに、人の懐に踏み込む距離感だけは相変わらずだ。
ジェスターが嬉しそうに笑っているのを見ると、胸の奥に小さな棘が刺さる。
――なんでアンタがそんな顔するのよ。
「Wも久しぶりだな」
不意に、その声がアタシに向けられた。
……ああ、そうだ。
この人は、いつもそうだ。
距離も、立場も、過去も、全部まとめて同じ高さで話しかけてくる。
「……ふん」
思わず鼻で笑ってしまった。
「知らない?アタシ、もう“W”っていう死人から拾った名前じゃないの」
ドクターの表情が、僅かに止まる。
「……?」
その反応が、少しだけ愉快だった。
「アタシの名前は――ウィシャデルよ」
口に出した瞬間、胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
それは、アタシが初めて“自分のもの”として選んだ名前。
ドクターは一拍置いてから、いつもの調子で笑った。
「……ウィシャデルか。良い名前だな!」
――その一言で、
記憶の扉が、勝手に開いた。
………………
『ウィシャデルって、どう思う?』
柔らかな声。
あの人特有の、静かで優しい問いかけ。
『?……テレジア、何それ?』
当時のアタシは、意味が分からなくて首を傾げていた。
『貴女の新しい名前を、今考えていたの』
『……アタシ達傭兵に名前なんて……』
名前なんて…
呼び捨てられるための記号でしかなかった。
生き延びるための仕事に、
“自分”なんて要らなかったから。
『そうかしら?』
テレジアは、少しだけ困ったように笑っていた。
『いずれは貴女も、自分だけの名前が欲しくなるはずよ』
『……じゃあ聞くけどさ』
その時のアタシは、半分拗ねたように、半分試すように言った。
『そのウィシャデルって、どういう意味なの?』
『それはね……』
………………
「“家を願う”…か」
ドクターの声で、現実に引き戻される。
「良い意味だな。自分で考えたのか?」
……やっぱり、
アンタはそう言うのね。
アタシは、少しだけ視線を逸らした。
「ううん……」
ほんの一瞬、言葉に詰まる。
「……大切な人から、ね……」
それ以上は言わなかった。
言えなかった。
失ったものを、簡単な言葉にしたくなかったから。
ドクターは深く追及しなかった。
ただ、静かに頷いただけだった。
その態度が、無性に腹立たしくて――
ほんの少しだけ、ありがたかった。
……本当に、
厄介な男。
アタシは工具を持ち直しながら、
胸の奥で、まだ消えていない“名前の温度”を感じていた。
ウィシャデル。
それは、帰る場所を失ったアタシに残された、
たった一つの――願いの名だった。
ドクター――いや、レイヴンは、
一通り顔を出すと、それ以上留まることもなく、そのまま別の区画へと走り去っていった。
相変わらずだ。
急に現れて、急に消えていく。
背中が遠ざかるのを見送ってから、
ようやくジェスターがアタシの隣に戻ってきた。
「どうだった?久しぶりに会ったドクターは」
その問いは、探るようでもあり、
確認するようでもあった。
……ほんと、分かりやすい。
アタシは工具を置き、一拍だけ置いてから答える。
「変わった様子は無い。いつものレイヴンだ」
それは事実だった。
疲れ切っているはずなのに、余計な重さを背負わせると怒りそうな顔。
周囲の空気を一瞬で自分のペースに持っていく癖。
“ドクター”でありながら、
結局はただの人間――レイヴン。
ジェスターは、その答えに小さく息を吐いた。
「……あんたさ」
何かに気づいたように、ニヤリと笑う。
「いつの間にか、ドクター呼びからレイヴンになってるじゃない。心変わり?」
……あ。
言って、初めて自覚した。
アタシは、少しだけ目を細める。
「別に。ただ、事実を言っただけよ」
そう返しながらも、胸の奥がほんの少しざわつく。
名前で呼ぶってのは、距離を縮める行為だ。
それを、無意識にやっていたという事実が、
少しだけ癪だった。
ジェスターは肩をすくめ、視線を前に向けたまま言う。
「ああ。アイツを“以前のドクター”じゃなくてレイヴン個人として見るようにしたんだ」
その言葉は、思った以上に静かで、
妙に重みがあった。
「……俺なりの、けじめさ」
――けじめ。
その単語が、妙に耳に残る。
ジェスターは、過去に囚われ続けるタイプじゃない。
だけど、完全に切り捨てられるほど器用でもない。
だからこそ、名前を変えることで線を引いた。
ドクターという“役割”ではなく、レイヴンという“人間”を見るために。
……なるほどね。
「ふーん」
アタシは、それ以上踏み込まなかった。
代わりに、ほんの少しだけ口角を上げる。
アンタも、ちゃんと前に進んでるってわけか。
だったら――
アタシも、過去の名前に縋るだけじゃ、いられない。
作業台に視線を戻し、もう一度工具を手に取る。
遠くで、レイヴンの足音が消えていく。
……不思議な話だ。
再会しただけなのに、
胸の奥に、ずっと止まっていた歯車が
ほんの少しだけ、動いた気がした。
気のせいかもしれない。
でも――
その“気のせい”を、
アタシは、今は嫌いじゃなかった。
ウィシャデルちゃん爆誕回。
名乗るのが早い?……確かに(原作は14章から)