とある荒野。
風に削られた岩肌と、果ての見えない砂塵の向こうに、巨大な影がゆっくりと移動していた。
崖の縁に、一人の少女が立っている。
細身の体躯に不釣り合いなほど落ち着いた佇まい。
その視線は、遠くを進む移動艦――ロドスを正確に捉えていた。
「へぇ……」
喉の奥で、小さく息が漏れる。
驚きでも感嘆でもなく、興味。
まるで面白い玩具を見つけた子供のような、純粋で危うい光が瞳に宿る。
「あれが……ロドスかぁ……」
伝聞でしか知らなかった存在。
争いと救済、理想と現実が交差する場所。
「……もしかしたら、会えるかもね」
誰に向けた言葉でもない。
それでも、その一言には確信めいた響きがあった。
次の瞬間。
少女は一切の躊躇なく、崖から身を投げ出す。
風を切り、落下する感覚すら楽しむように、身体をひねり――
着地と同時に地面を蹴り、ロドスへと走り出した。
…………………
「やっほー! リーダー! 久しぶり!」
甲高く、よく通る声が艦内に響いた瞬間、空気が一気に明るくなる。
振り向いたレイヴンの視界に、見慣れた天使が飛び込んできた。
「エクシア……!」
弾けるような笑顔。
その後ろには、落ち着いた佇まいのテキサスと、腕を組んだままのデュークが立っている。
ペンギン急便。
ロドスにとっては馴染み深い存在だが、こうして揃って訪れるのは一年ぶりだった。
「やっぱりロドスはいいね! 空気が違うよ!」
「久しぶりだな、みんな」
レイヴンの声にも、自然と力が入る。
「デューク! 久しぶりだな!」
「レイヴンこそ、元気そうだな」
二人は迷いなく近づき、がっしりと腕を組む。
言葉は少なくとも、互いに無事を確認するには十分だった。
「ん? テキサス〜」
エクシアがひょいと顔を覗き込む。
「もうちょっと嬉しそうな顔したら?」
「……いや」
テキサスは視線を逸らし、低く答える。
「なんだか、嫌な予感がしてな……」
冗談とも本気とも取れない口調。
だが、その瞳は妙に鋭く、艦内のどこか――まだ姿を見せていない“何か”を警戒しているようだった。
レイヴンは一瞬だけ、その言葉を胸に留める。
すると、レイヴンの携帯端末が短く震えた。
表示された名前を見た瞬間、胸の奥がわずかに締まる。
「……ケルシー?」
応答した途端、相手の声はいつも以上に切迫していた。
『ドクター。そちらに誰かが向かっている』
「誰かって――」
『非常に速い。通常のオペレーターではない。警戒を――』
言葉の途中で、通信が切れた。
「……?」
意味を噛み砕く間もなく、空気が変わった。
次の瞬間。
デュークの身体が紙屑のように宙を舞い、床を滑って壁に叩きつけられた。
「へあっ……!」
室内が一瞬で静まり返る。
銃に手を伸ばす者、咄嗟にアーミヤを庇う者、状況を把握しようとする者――
全員の視線が、破壊された入口へ集中した。
そこに立っていたのは、一人の少女。
白銀の髪。
鋭くも楽しげな瞳。
獣のような笑みを浮かべ、血の匂いすら楽しむような気配。
「……やあ」
軽い調子で、しかし確実に場を支配する声。
「久しぶりだね。何年ぶりかな?」
デュークが息を荒げながら目を見開く。
「お、お前……まさか……!」
少女はその反応を待っていたかのように、にやりと笑う。
「そうそう。その顔だよ」
一歩踏み出し、倒れたデュークの元へ歩み寄る。
「君の愛しの――ラップランドさ!」
そのまま、何の躊躇もなくデュークに抱きついた。
「会いたかったよ、デューク。ずっと、ね?」
「ちょっ……!離れろ!!」
力任せに振りほどこうとするが、ラップランドは楽しそうに身を預けたまま離れない。
「……だ、誰だよ……」
レイヴンは即座に双剣へ手を伸ばせる位置に立ちながら、低く呟く。
ジェスターも同様に警戒態勢に入り、室内の緊張は一気に最高潮へ達していた。
その中で、ただ一人――
テキサスだけが、静かに口を開いた。
「……昔、シラクーザに居た時に、世話になった奴だ」
短い説明。
だが、その声には僅かな疲労と、消しきれない警戒が滲んでいる。
「あ、覚えててくれてたのかい?テキサス」
ラップランドは顔を上げ、嬉しそうに目を細めた。
「嬉しいなぁ。忘れられてたらどうしようかと思ったよ」
「……別に」
視線を逸らし、テキサスは短く答える。
「それより、デュークから離れてくれ。困っているだろう」
「ふ〜ん?」
ラップランドはわざとらしく首を傾げ、テキサスをじっと見つめる。
「本当はさ……テキサスもハグしたいからじゃないのかい?」
「――っ」
一瞬。
ほんの一瞬だが、テキサスの表情が固まった。
それを見逃すほど、ラップランドは鈍くない。
「……図星?」
「ち、違――」
言い切る前に、場の空気がざわつく。
「テ、テキサスさんに……そんな趣味が……?」
アーミヤは完全に想定外の情報を処理しきれず、目を丸くしていた。
「独占欲、強いわねぇ……」
ウィシャデルは腕を組み、呆れたようにため息をつく。
だが、その視線は鋭く、ラップランドの動きを一瞬たりとも逃さない。
レイヴンは、静かに状況を見渡した。
速い!侵入経路不明!敵意と親愛が同居!
ケルシーの警告が、ようやく腑に落ちる。
(……厄介なのが来たな)
ラップランドは、そんなレイヴンの視線に気づき、ゆっくりと振り返った。
「ん?
そして、まるで新しい玩具を見つけたかのように笑う。
「……ああ。君が噂のドクターか」
その笑顔は、友好的で、狂気に満ちていた。
「よろしくね。ロドスって、思った以上に楽しそうだ」
…………………
応接室は、静かだった。
しかしそれは安らぎの静寂ではなく、互いの出方を探るための沈黙に近い。
柔らかな照明の下、ソファにラップランドが足を組み、楽しげに揺らしている。
対するデュークは背筋を伸ばし、テキサスはその横で視線を逸らしたまま、微動だにしない。
「とにかく、ラップランド」
デュークの声は低く、だが感情を抑え込んだ硬さがあった。
「ここに来た理由を、ちゃんと聞かせてもらおうか」
ラップランドは一瞬きょとんとした顔を見せ、それからわざとらしく肩をすくめた。
「来た訳?」
軽い口調。
まるで深刻な場ではないかのように。
「君に会いに来たんだ。それだけじゃダメ?」
その言葉に、空気が一段冷えた。
「ダメ」
即答だった。
「うん」
ラップランドも短く頷く。
「……それじゃあさ」
少し考えるような素振りを見せてから、彼女はにやりと笑う。
「ロドスが気になったから来たって事で、オッケー?」
沈黙。
デュークは一瞬視線を宙に泳がせ、それから身体を僅かに傾け、レイヴンに小声で問いかけた。
「……まあ……いいんじゃないか?レイヴン、どう思う?」
「いいんじゃね?」
あっさりとした返答。レイヴンの中にその確証は……無い…。
「ならオッケーか……」
デュークは小さく息を吐いた。
ラップランドは満足そうに頷き、今度は少しだけ声の調子を落とす。
「ま、実際の話をするとね」
彼女は机に肘をつき、頬杖をついた。
「シラクーザの“家族”の元を離れてさ。行き場が無くなったんだよ」
「そんな時に、ロドスがヴィクトリアに襲われたって話を聞いてね」
視線が、自然とレイヴンへ向く。
「……気になって、ここまで来ちゃったってわけ」
「ヴィクトリアがロドスを襲った事は……」
テキサスは低く呟く。
「他の国にも、もう伝わってるのか」
「そりゃそうさ」
ラップランドは即答した。
「お陰でヴィクトリア政府の信頼はガタ落ち。今でもクーデター起こそうとしてる連中が居るくらいだしね」
その言葉に、応接室の空気が僅かにざわめく。
アーミヤは小さく頷き、胸元に手を当てる。
「ヴィクトリア政府がロドスを襲った事は、問題視されているようですね」
「当然でしょ?」
ウィシャデルは呆れたように肩をすくめる。
「何の関係も無い製薬会社を軍が襲うなんて、一般人からしたら“頭おかしい”って話よ」
「一般市民どころか……」
チェンは腕を組み、厳しい表情で続ける。
「他国の上層部からも、同じように見られているだろうな」
沈黙が落ちる。
「どうだい、ドクター」
ラップランドは、さっきまでの軽薄さを少しだけ抑え、しかし相変わらず愉快そうな笑みを浮かべたままレイヴンを見る。
「僕のこと、ロドスに置いてくれないかな?」
その言葉は軽い。
だが、その軽さの裏には――拒絶される覚悟も混じっていた。
応接室の視線が、一斉にレイヴンへ向く。
アーミヤは息を詰め、テキサスは僅かに身構え、チェンは沈黙したまま様子を窺う。
レイヴンは少しだけ考え、肩をすくめる。
「……まあ、危害を加えないなら良いよ。」
あまりにも、あっさりした返答だった。
一瞬、空気が止まる。
「……意外とあっさりだな」
ジェスターが思わず口に出す。
警戒や条件を並べるかと思っていたのだろう。
するとレイヴンは、急に身を乗り出し、指を突き立てて叫んだ。
「だって!こんな!可愛い子!ほっとける!訳!無いだろ!?」
応接室に、妙に響く声。
「確かに!!」ジェスターまで、反射的に叫ぶ。
「そうですね!!」さらにテディスが続く。一番うるさかった。
「そうだな!ラップランドは可愛い!!」極めつけに、デュークが力強く叫んだ。
一拍。
「……」
ラップランドは、ぴたりと動きを止める。
次の瞬間、彼女の頬がみるみる赤く染まり、耳まで真っ赤になった。
「も、もう……デューク……」
声が、妙にしおらしい。
「そんなに褒めないでって……恥ずかしいよ……」
視線を逸らし、もじもじと肩をすくめるその様子は、さっきまでの狂犬じみた雰囲気とはまるで別人だった。
その場にいた全員が、同時に理解する。
(……あ、こいつ完全にデュークのこと……)
レイヴン、ジェスター、テディス、そしてアーミヤ達も、無言で同じ結論に辿り着く。
当のデュークは、ようやく事態を理解したのか、顔を真っ赤にして硬直していた。
「……え?え、いや……その……」
言葉を失い、視線を泳がせる。
アーミヤは苦笑いを浮かべつつも、どこか安心したような表情をしていた。
(敵意だけで来たわけじゃない……)
(この人は、ちゃんと“誰か”を想って動いている)
ウィシャデルはその様子を見渡し、内心で思う。
(……なるほどね)
(狂犬かと思ったら、首輪の先が最初から決まってたわけね。)
そして彼は、軽く笑って言った。
「まあ……今のロドスはちょっと人手不足だしな」
「問題起こさない限り、歓迎するぜ」
その言葉に、ラップランドはゆっくり顔を上げ、瞳を細めて、楽しそうに笑った。
「……ふふ」
「やっぱり、来て正解だったみたいだね」
こうしてロドスはまた一人――
厄介で、危険で、そして少しだけ人間らしい存在を迎え入れることになった。
ラッピー仲間入り。