ロドスへ帰還した一同は、最低限の報告と補給を終え、それぞれに割り当てられた区画へと散っていった。
連戦続きだった。肉体よりも先に、神経が摩耗している。
「うーん……」
ベッドに横たわったレイヴンは、天井をぼんやりと見上げたまま小さく唸る。
身体は確かに疲れているはずなのに、意識だけが妙に冴えていた。
ソウルユニゾン。
アーミヤの温もり。
ジェスターの鋭い感覚。
他者の魂が、自分の中で脈打つあの感覚。
――あれは本当に、力と呼んでいいのか。
考えがまとまる前に、意識が沈んでいく。
深く、暗い水底へ落ちるように。
「ぐぬぬ……」
無意識のうちに、寝台の上で顔を歪める。
その頃――
夢の中。
レイヴンは、荒廃した街の中心に立っていた。
崩れたビル群。
割れた道路。
風もないのに、砂塵だけが舞い続ける。
「ここは……」
足音が妙に大きく響く。
自分の呼吸音まで反響している。
空を見上げる。
曇天。
だが、ただの曇りではない。
重く濁った雲の中に、無数の扉が浮かんでいる。
木製のもの、鉄製のもの、古びたもの、豪奢なもの。
開いているものは一つもない。
「なんだここ……夢かー?」
わざと軽い調子で呟く。
冗談めかしていないと、足がすくみそうだった。
(いや、夢にしちゃ妙に生々しいな……)
瓦礫を踏む感触。
空気の冷たさ。
胸の奥のざわつき。
――これは、ただの夢じゃない。
そう直感した瞬間。
視線の先、崩れた交差点の向こうに――
一人の女性が立っていた。
「だ、誰?」
距離はそれほど離れていないはずなのに、顔がはっきり見えない。
輪郭だけがぼんやりと揺らいでいる。
風もないのに、彼女の髪だけが微かに揺れている。
返事はない。
ただ、じっとこちらを見ている。
(……なんで、声が出ない)
喉が乾く。
自分から歩み寄ればいい。
そう思うのに、足が動かない。
胸の奥が、じわりと冷える。
(猛烈に嫌な予感がする……)
本能が警鐘を鳴らしている。
敵意とも違う。
殺意とも違う。
もっと根源的な何か。
――知っている。
そうだ。
この気配を、自分は知っている。
だが、思い出そうとするほど、記憶は霧に覆われる。
女性が、ゆっくりと一歩踏み出した。
その瞬間、空に浮かぶ扉のいくつかが軋む音を立てる。
カタン。
カタン。
まるで、開く準備をしているかのように。
レイヴンの背筋を、冷たいものが走った。
「や、やべぇ……!」
思わず声が漏れる。
レイヴンは一歩、また一歩と後ずさる。足元の瓦礫が崩れ、乾いた音がやけに大きく響いた。
逃げたい。
だが視線が逸らせない。
「ドクター」
「!?」
女性の声が、はっきりと届いた。
今度は確かに、聞こえた。
自分の呼称。
自分だけに向けられた声音。
ぼやけていた輪郭が、ゆっくりと焦点を結び始める。
霧が晴れるように、顔立ちが明瞭になる。
そして――
ひし形の目。
異様に整った、だが人間味の希薄な瞳孔。
その視線が、まっすぐに突き刺さる。
「ドクター、思い出して」
声は柔らかい。
だが温度がない。
「私の事……」
一歩、また一歩と近づく。
「忘れてないわよね?」
その言葉に、胸の奥が軋む。
思い出せ、と言われるたびに、頭の奥で何かが引っかかる。
霧の向こうに、確かに“何か”がある。
だが掴めない。
「あいにく、俺は記憶喪失で……」
いつもの調子で軽口を叩く。
冗談めかして、空気を和らげようとする癖。
だが。
彼女の表情は、微動だにしない。
笑わない。怒らない。
ただ、見ている。
鼓動が早まる。
ドクン。
ドクン。
静まり返った荒廃都市に、自分の心音だけが反響しているようだった。
怖い。
それが、正直な感情だった。
敵と対峙したときの恐怖とは違う。
命の危機とは違う。
もっと深い。
自分の“中身”を覗き込まれているような恐怖。
(ドクター……)
声が、頭の内側から響く。
(ドクター……)
複数の扉が、空の上で揺れる。
カタン。
カタン。
「ドクター!」
「――!」
叫び声。
視界が白く弾ける。
レイヴンはベッドの上で飛び起きた。
荒い呼吸。
汗が額を伝う。
「……っ」
「……ケルシー?」
目の前に立っていたのは、ケルシーだった。
その顔を視認した瞬間、ようやく呼吸が整い始める。
夢だ。
――ただの夢。
そう言い聞かせる。
だが…胸の奥に残るざわつきは、消えない。
まるで、あの女性がまだどこかでこちらを見ているかのように。
「良かった……呼ぼうとしていたら君が唸っていたから……」
ケルシーの声音はいつも通り落ち着いている。
だが、その視線はわずかに揺れていた。観察する医師の目と、心配する誰かの目が、同時にそこにあった。
「そ、そうなのか……」
レイヴンは額の汗を拭いながら答える。
夢の残滓がまだ頭の奥にこびりついている。あの声。あの目。あの「思い出して」という言葉。
――思い出したくないのか。
それとも、思い出せないだけなのか。
「……私は呼びにきただけだ……それでは……」
踵を返そうとしたケルシーの背に、思わず声が飛ぶ。
「ちょっと待てよ。」
彼女の肩が、わずかに跳ねた。
その反応を見て、レイヴンは一瞬だけ戸惑う。
自分の声は、そんなに強かっただろうか。
「……あの時、俺、お前に怒ってたよな。その事、謝りたくて。」
ケルシーは振り返らない。
沈黙。
レイヴンは言葉を探しながら続ける。
「お前は俺に隠し事多いからって怒ってたけど……今思うとさ、昔の俺が何かやらかして……あんまり喋りたくないって感じだったんだろ?」
夢の中の女性の声が、頭の奥で反響する。
“思い出して”
あれが事実なら、
自分の過去は、決して軽いものじゃない。
「すまん。あの時は未熟だった! 子供とも思っていい!」
勢いよく頭を下げる。
どこか不器用で、どこか真っ直ぐな謝罪。
ケルシーはゆっくりと振り向く。
「……謝る事じゃない……私だって君を怒らせるような事をしたからな……」
その言葉は本心だった。
彼女自身もまた、迷っている。
「昔のドクターと、今の君を……今だに区別し損ねているから……」
それは、医師としての葛藤であり、個人としての混乱だった。
目の前にいるのは、記憶を失った別人のような男。
だが、確かに“同じ魂”でもある。
レイヴンは苦笑する。
「気にすんなって。それに、誰が俺をどう思おうが、俺は俺だ。」
一瞬、間を置いて。
「レイヴンだ。ドクターじゃねぇ。」
その言葉には、強がりだけでなく、決意があった。
過去がどうであれ、
今の自分は、自分の選択で生きる。
ケルシーは何も言わない。
ただ、静かにその姿を見つめる。
レイヴンは立ち上がり、逃げるようにシャワールームへ向かう。
「ちょっとシャワー入るから、覗くなよ!」
無理に明るく言い、服を放り投げてドアを閉める。
水音が響き始める。
ケルシーはその場に残された。
ゆっくりと、レイヴンのベッドに腰を下ろす。
まだ温もりが残っている。
「……」
指先でシーツをなぞる。
昔のドクターは、もっと冷静で、もっと計算高く、もっと――
孤独だった。
だが、今の彼は違う。
未熟で、衝動的で、だが真っ直ぐだ。
(私は……何を恐れているのだろうな)
失われた過去か。
それとも、戻ってしまう未来か。
シャワーの水音が、静かな部屋に響き続ける。
ケルシーはしばらく動かなかった。
………………
短い静寂ののち、レイヴン達は司令室へと足を踏み入れた。
戦いが終わったばかりだというのに、空気はすでに次の局面へと移行していた。
レイヴンが入ってきた瞬間、一人のオペレーターが足早に近づいてくる。
「ドクター。ヴィクトリア八精鋭の一人であるソル・ティターニアンズが、エリア・ゼロ近くに居るのが分かりました。」
その名を聞いた瞬間、室内の空気がわずかに張り詰める。
「どうやら近くの廃墟群に待機しているようなんですが……ちょっと変なんですよね。」
「変?」
レイヴンの声は落ち着いていたが何処かざわついた。
何かが動き始めている。そんな予感が拭えない。
「これを見てください。」
モニターに映し出された映像。
そこにあったのは廃墟群。
しかし様子がおかしい。
建物の残骸の間を埋め尽くす、大量の砂。
まるで砂漠の一部が、そのまま都市を呑み込んだかのような光景。
「ここら辺って砂漠じゃないよな。」
ジェスターが眉をひそめる。
レイヴンも頷いた。
地理データは頭に入っている。
この区域は乾燥地帯ではあるが、ここまでの砂丘形成はあり得ない。
「どういう事なんだ、オペレーター?」
「……さあ……詳しくは分かりませんけど……こんなに砂漠化が進むのはちょっと変なんですよね……」
自然現象にしては急激すぎる。
意図的な何か…アーツか、兵器か…
「ヴィクトリア八精鋭を潰せる機会でもある。ドクター、ここは行った方がいいだろう。」
ケルシーの声が、横から静かに差し込む。
彼女の表情は冷静だが、その視線はモニターの砂丘を鋭く観察している。
あのヴィクトリア八精鋭のやる事、放置する選択肢はない。
「ケルシーの言う通りか……じゃあ準備してくる。」
椅子から立ち上がって準備しに行こうとする。
「待て、ドクター。」
ケルシーが一歩前に出る。
「今回は私も同行しよう。この状態を調べるには必要じゃないか?」
医療責任者としてではなく研究者としての顔をしているケルシー。
未知を前にした、純粋な探究心だった。
そして――
彼を一人で行かせたくないという、言葉にしない感情も混じっていた。
レイヴンは一瞬だけ彼女を見る。
「分かった。頼むぞ。」
短い返答。
だがそこには、確かな信頼があった。
砂に埋もれた廃墟にヴィクトリア八精鋭。
そして、説明のつかない異常現象。
そうして数分もしてレイヴン達は廃墟群へと到着した。
かつて建物が立ち並んでいたはずの場所は、今や一面の熱砂に覆われている。
砂丘が瓦礫を飲み込み、空気は揺らぎ、視界の先が蜃気楼のように歪んでいた。
立っているだけで汗が滲む。
そこはもはや廃墟ではなく、炎天下の灼熱地帯だった。
『ドクター、聞こえますか?』
通信機からオペレーターの声が入る。
「どうした?」
『ここは熱砂によってかなり温度が高くなっています。ロドスの衣装は耐熱耐冷に優れていますが、日差しに当たり過ぎると火傷をするので気を付けてくださいね。』
「分かった。」
通信を切り、レイヴンは空を見上げる。
雲ひとつない青空。
容赦なく照りつける太陽。
「今ですら日陰にいるのに暑いもんな。」
建物の影に身を寄せているにもかかわらず、熱気が肌を刺す。
「ああ、日差しで目玉焼き作れるもんな。」
ジェスターが真顔でフライパンを掲げる。
既に持ち手が熱でじんわり温まっている。
「どうしよう……」
アーミヤが困ったように辺りを見回す。
その時だった。
遠くの砂丘が、ゆっくりと崩れる。
ざざ、と砂が滑り落ちる音。
そして――
熱気の向こうに、巨大な人影が立ち上がった。
「……来たな。」
レイヴンが目を細める。
砂煙の中から現れたのは、堂々たる鎧姿のフォルスロイド。
陽炎に揺らめきながらも、その威圧感は隠しようがない。
ヴィクトリア八精鋭――ソル・ティターニアンズ。
「この熱砂は……奴の仕業か。」
王道の展開。
異常な環境は、敵の力によるもの。
ならば、やることは一つ。
レイヴンは一歩前に出る。
「砂漠だろうが何だろうが関係ねぇ。」
剣を抜く。
「ぶっ倒して、原因を止めるだけだ。」
灼熱の廃墟群を、レイヴン達は一気に駆け抜ける。
直射日光の下に数秒と留まらない。
止まれば体力を削られる。それが分かっているからこそ、足を止めない。
前方から現れた敵兵を、次々と斬り伏せていく。
「邪魔だ!」
レイヴンの一撃で砂煙が舞い、ジェスターが素早く追撃する。
アーミヤのアーツが援護し、進路を強引に切り開く。
「レイヴン! こっちの部屋から行ってみようぜ!」
ジェスターが崩れかけた建物を指差す。
「分かった!」
レイヴンは迷わず中へ飛び込む。
薄暗い室内は外よりは幾分ましだが、それでも熱気がこもっている。
中にいた兵士を蹴散らし、奥へ進む。
「……? なんだこの機械。」
部屋の中心。
床に埋め込まれた装置。
中央には巨大なクリスタルのようなコアが脈打っている。
赤く光り、熱を放っているのが分かる。
「試しに破壊してみるか。」
レイヴンはスナッチナックルを構え、一気に踏み込む。
「おおおっ!」
強引に引き抜き、叩きつける。
クリスタルが砕け、装置が火花を散らして停止する。
「なんか変わったか?」
急いで外へ出る。
すると――
さっきまで肌を焼くようだった日差しが、明らかに弱まっていた。
空気の歪みも、少し収まっている。
「ケルシー、もしかして……」
通信越しに問いかける。
「恐らく人工太陽の効力をあの装置で高めているんだろう。」
冷静な分析。
「よし、他の部隊に破壊を命令させよう。」
「分かった。他の奴は同じ装置を見つけてぶっ壊せ!」
レイヴンはオペレーターへ即座に指示を飛ばす。
各所で応答が返る。
これで戦いやすくなる。
「行くぞ!」
ジェスターとアーミヤ達が頷く。
最奥地――
砂嵐の中心で、ソル・ティターニアンズは待っていた。
灼熱の陽炎の中、巨大な人工太陽を背に、ケラケラと笑っている。
「へー? 熱ってやっちゃおうと思ってたけど……思ったよりしぶとい感じ〜?」
軽い口調。だが、周囲の空気は明らかに歪んでいる。
「ティターニアンズ! テメェがこの異常な温度を引き起こしてるのか!?」
レイヴンが前に出る。
「せいか〜い♪ あーしに含まれてる人工太陽を使って、ここらを砂漠にして難民どもを干からびさせよ〜♪ってね……!」
背後の人工太陽が、脈打つ。
熱波が押し寄せる。
「なんて奴だ。お前イカれてるぜ!」
「イカれてなかったらこんな事してないでしょ〜? これ以上話したって意味無いっしょ? じゃ、やろうよ!」
次の瞬間。
周囲の温度が一気に上昇する。
肌が焼けるような感覚。
息を吸うだけで喉が痛む。
「暑くなってきたな……」
汗が一瞬で噴き出す。
「一気に勝負をつけよう。Mon3tr!」
ケルシーの声と共に、Mon3trが顕現する。
巨大な影が砂を踏みしめ、ティターニアンズへと突進――
しかし。
人工太陽の熱が、直撃する。
Mon3trの外殻が赤く染まり、じわりと溶解していく。
「!!」
動きが鈍る。
「弱〜い。」
ティターニアンズが羽を広げ、灼熱のエネルギーを纏わせる。
そのまま追撃。
爆発的な衝撃がMon3trを叩きつけた。
「Mon3tr!」
地面に倒れ込み、動きが止まる。
外殻は焼け、砂に沈んでいる。
「Mon3tr!」
レイヴンが駆け寄る。
焦げた匂いが鼻を刺す。
「あっ、隙やり!」
ティターニアンズが指先を向ける。
灼熱の奔流がレイヴンへ放たれる。
避けきれない。
その瞬間――
「っ!」
ケルシーが前に出た。
熱線が彼女を直撃する。
「ケ、ケルシー!」
「ケルシー先生!」
レイヴンが慌てて支える。
白衣が焦げ、身体中が赤く焼けている。
「なんで俺を助けたんだ!」
怒りと焦りが混ざる。
ケルシーは、かすかに目を開ける。
「……私が君にできる事は……これぐらいだと思ったから……」
その言葉は静かだった。
だが、迷いはない。
レイヴンの胸の奥で、何かが強く脈打つ。
鼓動と重なるように、光が溢れ出した。
「その光は……!」
アーミヤが息を呑む。
「ドクター……」
ケルシーが、かすれた声で呟く。
「は? 何それ……?」
ティターニアンズが眉をひそめる。
「この光は!」
眩い閃光が弾ける。
レイヴンはその中心からゆっくりと目を開いた。
「ソウルユニゾン……ケルシーソウル!」
その姿はどこか冷静で、鋭い気配を纏っている。
「はあ!? 何それ意味分かんない!?」
「……ケルシーから力を預かったんだ! 貴様如きに負けはしないッ!」
まっすぐ指を突きつける。
「生意気……死になよォ!」
ティターニアンズが鱗粉を撒き散らす。
だがレイヴンは動じない。
足に装備された注射器ホルダーから、三本の注射器を引き抜く。
「アシッドスピアー!」
鋭く投擲。
一直線に飛び、右羽と人工太陽へ突き刺さる。
「はあ? 一体何を……」
次の瞬間、注射器が破裂。
内部から強力な毒素が拡散する。
人工太陽の輝きが鈍る。
「ケルシー特製だ! ゆっくり味わえよ!」
「この隙を逃さないわよ!」
ウィシャデルのライフルが火を吹く。
アーミヤのアーツが追撃する。
「ぐっ……動き辛い……!」
毒が確実に効いている。
「でやぁぁぁ!」
ジェスターが跳び上がり、渾身の蹴りを叩き込む。
ティターニアンズがよろめく。
「今だレイヴン!」
「サンキュ!」
レイヴンは右腕に精神を集中させる。
アーツが形を成す。
現れたのは――Mon3trの頭部を模した巨大な顎。
「モンスターバイトォ!」
一直線に突撃。
巨大な口が開き、ティターニアンズを噛み砕く。
衝撃と共に、人工太陽が砕け散る。
「は、はぁ……? ちょーあり得ないんですけどぉ!!」
断末魔の叫び。
次の瞬間、光が暴走し爆散した。
灼熱が消え、空が静かになる。
やがて、レイヴンの身体を包んでいた光が解ける。
同時にケルシーの身体が力なく傾いた。
「ケルシー!」
レイヴンが駆け寄り、抱き止めるが反応がない。
「おい……ケルシー!」
「ドクター! 急いでロドスに!」
誰かの叫び声が、遠くで反響していた。
「分かってる!」
焦った声。あれはレイヴンだ。
「手伝おう。」
複数の足音。砂を踏む感触。
身体が揺れる。
持ち上げられているのだと、ぼんやり理解する。
熱い。だが意識は急速に遠のいていく。
――やはり、無理をしたか。
最後に浮かんだのは、彼が無事だったという事実だけだった。
…………………………
「うっ……」
瞼が重い。
ゆっくりと目を開けると、見慣れた白い天井が視界に入る。
ロドスの医療ベッド。
消毒液の匂い。機械の規則正しい作動音。
――戻ってきたのか。
「ケルシー先生! 良かった!」
弾んだ声が近づく。
視線を向けると、アーミヤが心底安堵した表情で立っていた。
その顔を見て、胸の奥の緊張がわずかにほどける。
「アーミヤ……私はどうしたんだ?」
記憶を辿る。
人工太陽の熱。
ドクターを庇った瞬間。
身体を貫く灼熱。
「ソウルユニゾンした後に、気絶したんですよ。なんとか大事には至りませんでした。
医療オペレーターの落ち着いた説明。
そうか。
私は彼に力を預け、その代償を受けたのだ。
首元に違和感を覚える。
軽い包帯。皮膚再生処置の痕。
致命傷ではない。
計算は、間違っていなかったらしい。
「……Mon3trは?」
無意識に問いかけていた。
私の半身。
長年共に在り続けた存在。
あれが無事でなければ、意味がない。
「ここに居るぞ。」
すぐ近くから、落ち着いた声が返る。
「………ん?」
視線を向ける。
そこに立っていたのは一人の少女。
年の頃は十代半ばほど。
淡い髪色。整った顔立ち。
だが、その瞳の奥にある無機質な光。
そして、どこか見覚えのある気配。
私に似ている。
それでいて、Mon3trの存在感も感じる。
少女は片腕を上げて、こちらを見ていた。
「……ケルシー、信じらんないかもしれないけど、ソイツMon3trらしいわよ?」
ウィシャデルの声が横から入る。
「……………???」
理解が追いつかない。
Mon3trが――人の姿?
そんな事例は、私の長い研究人生でも聞いたことがない。
人工的な変異でも、自然進化でも説明がつかない。
「Mon3trを召喚した後にソウルユニゾンした為、Mon3trが戻らずに負傷していたんです。」
医療オペレーターが続ける。
「レヴリスさんがそのまま治療してあげたら、謎の作用でこのように少女の姿になってしまったそうなんです。」
ソウルユニゾン…私の力と、彼の力。
そしてMon3tr。
三者のアーツが重なった結果か。
理屈を組み立てようとするが、前例がなさすぎる。
私は静かに息を吐いた。
少女――いや、Mon3trと視線が合う。
その目は、確かに私を認識している。長年の契約で繋がった、あの感覚。
間違いない。
「……信じられない話だ。」
だが、否定はできない。
私は研究者だ。
目の前の事実を、まず受け入れる。
しかし――
内心は穏やかではない。
私の管理下にあった存在が、未知の形へ変質した。
それは興味深い現象であると同時に、強い不安を伴う。
そして何より。
……ドクター。
彼の力が、ここまで影響を及ぼしたという事実。
私はまだ、彼を正確に測れていないのかもしれない。
少女の姿をしたMon3trは、じっと私を見つめている。
「……ケルシー?」
「……大丈夫だ。気にするな。」
私はMon3trを撫でた。彼女は嬉しそうな顔をしていた。
まるで子供を持ったような感じだ。
「そういえばドクターは?」
目覚めてから、ずっと意識の端にあった存在をようやく口にする。
「ドクターなら今は個室に……」
「呼んできてくれないか?」
自分でも驚くほど、声は静かだった。
「ああ、はい。」
アーミヤが頷き、足早に部屋を出ていく。
「じゃ、俺達はちょっと下がってるよ。」
「ええ、ケルシー。アンタも割り切ったって事ね。」
ジェスターとウィシャデルが軽く手を振りながら去っていく。
状況を察しているのだろう。
余計な詮索はしない。
「それじゃあケルシー、また後で!」
Mon3tr――少女の姿をしたそれも、素直に部屋を出ていった。
扉が閉まる。
………静寂。
機械音だけが残る。
私はゆっくりと息を吐いた。
話さなければならない。
逃げ続ける訳にはいかない。
やがて、扉が再び開く。
アーミヤに半ば押される形で、彼が入ってきた。
「よう。」
いつも通りの軽い調子。
「ああ……」
その声を聞いただけで、胸の奥が少しだけ安堵する自分がいる。
ドクターは椅子に腰掛け、コップを差し出してきた。
「体調の方はどうなんだ?」
ぶっきらぼうだが、視線は真剣だ。
「一応万全だ。Mon3trは出せなくはなったがな。」
言葉にすると、改めて現実味が増す。
長年共にあった存在を、今は呼び出せない。
それでも、不思議と絶望はない。
「なんか出てきたんだっけな?」
「……Mon3trを出さずとも戦い方はあるさ。」
自分に言い聞かせるように言う。
「そうか。」
彼は深く追及しない。
そこが、彼らしい。
「………ドクター、改めて言うよ。私は正直、話すのが怖かったんだ。」
視線を落とす。
医師としても、研究者としてもなく。
一人の人間として。
「過去の話をしてしまえば、今の君を傷付けてしまうと思っていたんだ……」
記憶を失った彼に、かつての重責や罪を背負わせるのが怖かった。
彼の今の笑顔を、曇らせたくなかった。
「もう気にするなよ。」
即答だった。迷いがない。
「……そうかもな。私も、ジェスターやウィシャデルのように前に進むべきだと思うんだ。」
過去を抱えたままでも、歩くことはできる。
それを、彼らが示している。
「ドクター……いや、レイヴン。」
あえて、その名を呼ぶ。
私は彼に手を伸ばす。
少しだけ震えていたかもしれない。
「今でも君は……私の事を信じてくれるか……?」
立場も、過去も、関係なく。
ただ一人の人間として。
彼は一瞬きょとんとした後、笑った。
そして迷わず手を握る。
「ああ。信じるよ。おまえを。」
その言葉は、あまりに簡単で。あまりに真っ直ぐで。
私はそれを見て、思わず微笑んでしまった。
ああ……
やっぱり私は君のそういう所が苦手だよ。
計算も打算もなく、ただ信じると言い切るところ。
私の理屈も警戒も、すべて飛び越えてくる。
――だが。
きっと私は、その眩しさに救われているのだろう。
ケルシーかわいいなぁ!