「……舐められることは別に良いけど、実害があるならしょうがないね」
「は……?」
「君たちは土星の猫を知っている?」
麻薬に溺れた患者がその脳内のままに描いた絵のように極彩色で、線と色面で構成されていると言うのに何故だか異様な“生”を感じる。体色は必ず一定ではなく、瞬きのたびに別の極彩へ変化していた。
四足あり、尾も目もあるけれど、地球の猫とはかけ離れた姿。宝石のようにも、抽象画のようにも、ステンドグラスにも見えるえもいわれぬ歪んだかたち。
それが“土星からの猫”。ドリームランドに棲む猫であり猫の敵だった。
土星からの猫に遭遇した貴方たちはSAN値チェック、0/1d4です。
「う……あ……」
「なんだこれ!? なんだこれ!? なんだこれ!?」
「駄目だよ、喧嘩を売る相手は選ばなきゃ。これでもかなり温情を与えた方なんだ」
「ッヒィ!!」
「逃げないで。ちゃんと見て。僕の友達なんだ」
ガタガタと怯え始め、恐怖からの涙で顔を濡らす同級生。まだ何もしていないのにね。
土星からの猫は地球の猫とは仲が悪いけれど、僕にはよく懐いてくれているんだ。だから喧嘩を売った彼らに怒っていた。
形容し難い……文字にするなら「きテカゅま゜ょぇ」のような声を出して威嚇している。それを聞いた同級生は更に悲鳴をあげて後ずさる。走って逃げる事もできないようだ。
「減少最大値はたったの4だよ? それなのに君たちはほとんど発狂しかけてる。精神が脆いのかな?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「うーん、駄目だね。君たちには知識も精神も技能も身体も足りない。探索者にはなり得ない」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「こう言う事、僕以外の子にもしちゃいけないからね」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
もう同級生たちは謝罪の言葉を繰り返すだけになってしまった。一時的なものだろうから数時間で戻るだろうけど、ちょっとかわいそうなことをしたかも。
でもまさか失敗時1d4くらいのSAN値チェックでここまでメンタルが削れるとは思ってなかったんだもの。冒涜的なものに弱いんだろうか。ヨーロッパの方ではタコが怖がられるものみたいな地域差? よくわからない。
因みに僕は前世が日本人なのでタコは特に怖くないよ。クトゥルフおじさんのたこ焼きは絶品だよ。何のタコか聞いても教えてくれないけど。
同級生は放っておいて移動することにした。今は休み時間の途中だったのだ。午後からの授業に備えたい。
僕は魔法の授業の点数がほぼゼロなのだ。固有魔法特化タイプなせいで、ここで習う魔法が初心者向けでもどれも使えないのである。
炎を出す魔法はマッチ以下。水を出す魔法は雫一粒。風を出す魔法は髪すら揺らせない。
そんな出来なのである。
そのせいでクラスでの評価はかなり低いし、この出来なさには先生も困惑していた。
魔法具を使うのも下手だから、皆んなはインクが無限に出る魔法のペンを使っているのに僕だけインク瓶と羽ペンをちまちま使っている。
でもその分座学はひたすらに優秀で、既に上の学年の内容も修め始めている。イスゼミでイス先生が発展問題で出してくれた知識を取っ掛かりにするとスルスル入ってくるのだ。流石イスの偉大なる種族。イスゼミに課金します。
座学だけ異様にレベルが高いので、ガリ勉扱いをされているけど……これで座学もできなかったら退学案件だもの。必死になりますよそりゃ。
「ね、土星猫さん」
「けふムょ」
土星からの猫さんは僕がもう大丈夫なことを確認したら帰っていった。彼? は僕の膝に乗るのが好きだから、乗れないとわかったらさっさと帰ってしまう。
ウルタールの猫たちとはよく膝の取り合いをしていて、その光景がかわいくて癒やされるのだ。スマホがあったらカメラロールがパンパンになっていたことだろう。
「あ、お前」
「え?」
渡り廊下を歩いていると、ふと話しかけられた。知らない声だ。
振り返れば、やはり同じクラスでもない知らない男子生徒だった。ネクタイの色が黄色だから「練磨する狼寮」だと思う。僕のクジラ寮は青ね。
「さっき絡まれてただろ、大丈夫だったのか」
「うん、相手も話せばわかってくれたから」
「ならいい。じゃあな」
返事だけ聞くとさっさと行ってしまった。心配……してくれてたんだろうか?
絡んでくるような生徒もいるけど、彼みたいに親切な生徒もちゃんといるんだ。
クラスカーストが低いせいで友達もいない僕だけど、友達になるなら彼みたいな人がいいな。まぁ僕を知らないからこその行動かもしれないけど。
時計を見て、僕は慌てて走り出す。思ったよりも時間が進んでいた。授業準備が間に合わない!
*
「リクトー! 早速豪炎魔法の特訓だぞ!」
「わかったから飛びつくな──どわあああ!?」
今日も今日とて放課後恒例のやりとりを聞き流しながら、僕は図書館へ向かう。
入学して数日、すっかり「クラスの隅っこで本を読んでるカースト下位の人」の地位を得た僕は、当然の如く友達がいなかった。
既にクラス内ではグループが形成されつつあり、僕はそこのどれとも関われていない。
特に賑やかなのはティティナとリクトのグループで、彼らのやり取り(夫婦漫才と呼ばれている)はクラスで笑ってイジられている。
まぁいじめとか喧嘩はこの前の土星猫召喚事件以降無いから安心だ。
「アイスカフェオレを」
「畏まりました」
図書館はカフェスペースで買った物のみ飲食OKだ。蓋がされていたり食べカスが溢れない物のみ取り扱っているので、本が汚れる心配が薄い。
カフェオレを受け取ると、僕はいつも通り自習スペースで勉強を始めた。
フォークロアの図書館はとても大きい。それこそ世界規模で大きい。蔵書も大量かつ貴重。この世界のすべての叡智が詰まっている。
図書室ではなく図書館として独立していて、週に数度一般開放もされているらしい。
七階までは吹き抜けが中央を貫通していて、全ての壁が図書で埋まっている。目当ての本があるときはスロープや自動昇降機でえんやこら移動するのだ。
公開図書だけでも膨大なのに、更に貴重だったり大型の本は閉架図書に保管されているというのだから、この図書館にある本はそれこそ数えきれない。
学ぶためにはピッタリの場所なのだ。
今日も僕はテラ史の本を広げて勉強する。この世界はファンタジーな世界だから、歴史の本を読むだけで壮大な物語を読んでる気分になれる。特に今読んでいるテラ史の本は細かい生活描写や筆者の考察がよく書き込まれていて興味深い。
他にも面白い本がたくさんあって、放課後にここで勉強するのが習慣になってしまった。カフェスペースの人には「カフェオレの子」と覚えられているかもしれない。
「おや、今日も来ているのかい」
「モリオンさん、こんにちは」
本を読んでいた僕に、老婦人が話しかけてきた。
白髪混じりのグレーの髪をきつく纏めて、真鍮の薬さじで留めている。瞳は鋭く、老いてなお鋭さや意志を感じさせるダークブルー。
マダムと呼ぶのに相応しい品あるこの人は、この図書館で館長兼最高司書に就いているモリオン女史だ。
「勉強熱心なのは良いことだね。その本はあと二年後に習う内容なんだがね」
「これ面白いですよ。モリオンさんの選書はハズレがないですね」
「腐っても最高司書だからね。……今日もやるかい?」
「はい!」
モリオンさんは僕が初めて図書館に来た時に知り合った。
テラ史の本を探していた僕は、司書である彼女に良さそうな本は無いかと尋ねたのだ。モリオンさんは一年生の僕が三年生で習う本を読みたがっているのを珍しがって、こうして交流が始まった。
モリオンさんの選ぶ本は全部面白いので、読み終わるたびに本の感想を手紙に書いて送ったりした。
「じゃあいつもの場所に行くよ」
「はい。今日のおやつは何ですか?」
「アーモンドチップスさ」
モリオンさんは本好きだけど、それ以上にボードゲームが好きだ。
ある時僕がチェスをできると知って、それ以来なにかとゲーム誘われている。
あまり人が来ない七階の隅、一人がけソファーが二脚とテーブルが置いてある小さなスペースはそのための秘密の場所だ。
薄暗い、ランプのオレンジだけが照らすこの場所でやるチェスは、まるで映画のワンシーンのように映ることだろう。
「今日もお前さんに黒をやろう」
「お手柔らかに」
カフェで売っている物とは違う、モリオンさんが最高司書権限を濫用して持ち込んでいるおやつを片手に、チェス版のセッティングをする。
モリオンさんはボードゲームマニアの通り、チェスもめちゃくちゃ強い。
もう既に二桁は対戦しているけど、一度も勝てていない。いい勝負ができれば上振れで、酷い時は何もわからずに試合が終わっている。
モリオンさんは大人気ないので手加減とかしないのだ。最初の方は駒一つ取れず敗北させられた。あんまりにも無惨に負けていると張り合いが無いだろうから、僕もチェスの戦法なんかを勉強しては玉砕している。
モリオンさんに鍛えられていると言っても過言では無い。
「そういえばもう直ぐ島学習の日だねぇ」
「島学……習?」
SAN値チェック
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成功
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失敗
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発狂