サキュバスアイドルマイスター 〜演技力カンスト役者、アイドル育成ゲームの世界に転生する〜   作:エビノース志月

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歓喜と興奮

 加賀美は時間と予算が許す限りは順撮りを行う。順撮り――文字通り『順番に撮影する』こと。つまりシナリオの冒頭から順番に撮影する手法のことだ。

 

 映画やドラマなどの撮影において順撮りが行われることは少ない。近年では多くなってきたが……時間も予算も限られている。同じロケーションの撮影であれば一度に撮影したほうが圧倒的に効率が良い。しかし、順撮りのほうが『良い』ものが撮れる傾向にあることは事実だ。中抜き(順撮りの逆。シーンを順番に撮影するのではなくバラバラに撮影する手法)であっても最高の演技をしてこそのプロフェッショナルではあるかもしれないが……そうは言っても、役者の多くは順撮りのほうが良い演技をするという経験は撮影に関わったことのある者たちであれば共通して持っているだろう。今回の撮影に参加している役者の中では……宮坂や王賀などは順撮りが向いている役者であり、葦原はそれほど影響がないタイプの役者だろうか。

 もっとも、時間や予算が許すのであれば順撮りにしたいと思う監督のほうが圧倒的に多いだろう。これに関しては加賀美が特殊なわけではない。

 

 今回の映画でも『順撮り』が採用されている。冬城は苦い顔をしていたが、そもそも今作では同じロケーションで撮影することもそう多くない。順撮りを採用したところでコストが跳ね上がるということはないだろう。

 

 そして『順撮り』が採用されているということは一つの等式を示す。『望月陽依と葦原国近によるタイトルシークエンス』の撮影が終わった、イコール、『望月陽依の初めての撮影』が終わった、ということである。

 

 つまり。

 

 

「……望月陽依、か」

 

 

 撮影の夜、加賀美は陽依のことを思い返した。彼女の演技、それが加賀美の期待していたものだったかと言えば――

 

 

「言うだけのことはあったな」

 

 

 加賀美は陽依を高く評価しているつもりだった。『六歳の子ども』としてではなく『ひとりの役者』として、その中でも高い評価をしているつもりだったが……そんな加賀美でさえ、彼女のことを適切に評価できていたとは言えない。実質的には初めて撮影に臨む六歳の子どもだ――そのような意識が加賀美の中には残っていたのかもしれない。

 

 陽依の演技は加賀美の期待を遥かに超えるものだった。監督である加賀美や脚本である白鷺文乃の意図を底に触れるほど深く汲み取り、さらにはそれを余すことなく表現する。文脈を考慮せずに単一の『演技』だけを評価するのであれば『見られること』を意識した、徹底的なまでに緻密な表情管理と身体操作に目を奪われてしまうが……それでさえ、望月陽依の本質的な評価には届いていない。彼女の本質は『演出意図を汲み取り、それを表現する能力』だ。映画監督にとって――演出を担当するすべての人間にとって、これ以上なく理想的な役者だとさえ言えるだろう。

 陽依がその能力に長けているのだろうという予想はあった。(脚本を担当している文乃も交えて)事前に行ったディスカッションでもそれは窺うことができた。撮影前に演技プランについて話し合うとき、綿密な打ち合わせをするのは葦原もそうだが――陽依は彼よりもさらに深いところまで見ているように感じたものだ。それでいて時間は短い。打てば響くような応対はある意味で爽快でさえあった。最初は互いに間合いを探るようにゆっくりとしたものだったが、対話を続けるにつれてラリーのテンポは際限なく速まっていく。あの濃密で、世界を広げていくような感覚は中々味わえるものではない。

 そんな彼女なのだから、という期待はあった。しかし――前述の通り、実際の演技はそんな期待をすら遥かに超えるものだった。

 

 はっきり言って驚嘆に値する。感動すら覚える。あるいは畏怖さえも。

 

 だが。

 

 

「『賭け』の報酬はどうするかな」

 

 

 その上で、加賀美の『撮影プラン』が揺らぐことはない。

 確かに、陽依は役者としては逸材だ。加賀美から見るとあまりにも『気味が悪い』ほどに。……冬城や莉央などは陽依のことを単に『早熟なだけ』と思っているようだが、加賀美の見解は異なる。冬城たちは自身も早熟な少女だった過去を持っていることから陽依のことを『自分もそうだったのだから、自分よりもさらに早熟だと言うだけなのだろう』なんて考えているのだろうが、加賀美から言わせてもらえばちゃんちゃらおかしい。冬城たちが早熟だと言うことは少女時代の冬城に『見出された』加賀美自身痛いほどにわかっているつもりだが、望月陽依という少女の演技は『ありえない』演技だ。早熟などという言葉では到底説明がつかない。それこそ『人生二周目』でもない限りは。

 だが――そんな陽依であっても、年相応な面は持っているらしい。あれだけの演技ができるのだ。自分の演技に自信を持ってしかるべきだとは思うが……しかし、あの『賭け』はするべきではなかった。

 

 賭け――つまり、陽依と加賀美の間で行われた『今回の映画の撮影プランを変えることになるかどうか』。陽依は加賀美に自分の演技を見せれば撮影プランを変えようとするとでも思っていたようだが……ひょっとすると、加賀美以外の監督であればそうする者も居たかもしれない。陽依の演技をどれだけ高く評価していたとしても、実際にあの演技を見せられて『撮りたいシーン』が増えることは想像に難くない。侮る気持ちなどなくとも、無意識下で想像の中の役者ができる演技に上限をかけて、その上で構想を進める……。そんな者も居るだろう。

 

 しかし、加賀美はそうではなかった。加賀美は役者に合わせて『上限』を設けることがない。自分が思い描く演出に役者を合わせる――それは多くの監督がそうだろうが、加賀美の場合はその傾向が極端なまでに強かった。端から妥協するつもりなどなく、それは陽依のような埒外の存在が現れなければ今回の映画を撮影することさえなかったほどだ。

 

 要するに、加賀美は陽依の演技を見た上で撮影プランを変える気なんてさらさらなかった。そもそも、結果がわかっていた勝負だったのだ。最初からこうなるとわかっていた。『次に陽依が出演する作品を撮るならば』という意味での構想は新しいものが浮かんだが――それは今回の作品には適用できない。できたとしても、するつもりはない。

 

 甘いな、と加賀美は口の中でつぶやく。陽依が、という意味でもあるが……あれにはむしろ『かわいげ』を感じる。人間らしいところもあったのか、と。『甘い』と感じたのは冬城に対してだ。陽依の発言は唐突だったが――冬城は遅れてでも強引に止めるべきだった。……いや、冬城のことだ。あるいは、長期的に見て『見過ごす』方が後々陽依にとって良く働くとでも判断したのかもしれない。『若い内の苦労は買ってでもしろ』とは(理不尽の正当化などに濫用された経緯もあるだろうが)近年では肯定的に受け取られることが稀な言葉だが、しかし、それを糧にしてこその成長があることもまた確かである。冬城がそう考えたかどうかは定かではないが……アレで抜けたところも多分にあるから、単に『機を逸した』だけという可能性もある。

 

 どちらにせよ、今回の『賭け』は加賀美の勝ちだ。報酬は『なんでもいい』とのことだが……加賀美の要求は決まっている。次に陽依を自分の作品に出演させたいと思ったときに、そのオファーを『通す』ことだ。他よりも自分を優先させる権利。それが欲しい。

 

 撮影プランを変えるつもりはないが、インスピレーションがわかないわけではない。加賀美の脳内には今回の撮影では使えない、しかし次撮るならばといった作品のアイデアがとめどなく溢れてきていた。陽依の存在を『前提』にした作品――ある種の『当て書き』だ。

 思わず、加賀美の表情に笑みが浮かぶ。趣味の競馬で目をかけていた馬が結果を出したときのような気分だ。実際にはその趣味の競馬も加賀美を見て始めた冬城が圧倒的に加賀美よりも勝っているのだが、(加賀美は年の収支がプラスになったことがないが、冬城はマイナスになったことがない)、それはそれ、これはこれである。むしろ今回は間接的にそんな冬城に『勝った』ことになる。そう思うとさらに気分が良い。これが笑わずにいられるものか。

 

 酒や煙草は嗜まないので祝杯を挙げるようなことはできないが、気分としてはそんなところだ。代わりに陽依によって自分の作品の完成度が上がるところを想像して独りでにやにやとほくそ笑むことにする。

 

 そんな加賀美に。

 

 

「――兄さん、少し、よろしいでしょうか?」

 

 

 音もなく現れた女性が声をかけて、加賀美は肩を震わせた。

 振り返った先には色が抜け落ちたような白い髪をした女性が立っている。ろくに外に出ていないからか肌も白く、血管が微かに浮いて見えるほどだ。身体も細く、明らかに不健康な様子だが、顔色が悪いわけではない。身長も決して低いわけではなく、女性の平均よりも少し高い。昨年高校を卒業して大学生になったばかりの元女子中学生作家、白鷺文乃。彼女がそこに立っている。

 

 

「文乃か。どうした? 今日は気分がいい。時間くらい取らせてやろう」

 

「ありがとうございます。少し、話したくて。陽依ちゃんのこと」

 

 

 普段は顔をうつむかせてばかりで日を浴びることがない藍色の瞳がきらきらと光を反射させる。どうやらこの脚本様も望月陽依という役者に魅せられてしまったらしい。

 

 

「ああ、そうか。気持ちはわかる。文乃はアレをどう見る?」

 

「私は、それほど役者の『演技』の巧拙について語る言葉を持ちませんが……そんな私から見ても、素晴らしい演技だと感じました。『あの演技』でそう感じさせるのだから、ひとしおに」

 

「『あの演技』とは?」

 

「感情を大きく動かすような演技ではないにも関わらず、という意味です。一般に『名演』と呼ばれる演技は感情を大きく動かすようなものに使われることが多いでしょう。もちろん、そうではない例もありますが……私のような素人でもわかる、という条件付きであればそう多くはないのでは? それも、陽依ちゃんのような年齢の子どもであれば――少なくとも私には他に思いつきません」

 

 

 あの星見カレンさんもすごいですけど、陽依ちゃんのそれとは感じ方が違いました、と文乃。

 その感性は悪くない。多くの者がそう感じるはずだ。加賀美は思う。望月陽依と星見カレンの違いはそこだ、と。もしカレンが同じように演じたならば――その場合でも『凄味』のようなものはまとってみせたはずだろう。しかし、陽依のように意識的に見る者の感情を誘導してみせるようなことはできなかったはずだ。あの天才に足りないものがあるとすれば『そこ』だが――陽依に足りている方がおかしいとも言える。

 感情を動かす演技の方が評価されやすい。それは少し想像してみてもわかるだろう。自分が今までに心打たれた、『名演』や『怪演』と聞いて思い浮かぶ演技――それは感情を大きく動かされるようなものではないだろうか? もちろん、静かな、それでいて深く感情を動かされるような名演もあるが――感情が大きく動かされるようなシーンというわけでもないのに『名演』だと感じさせられるような演技ができる役者は、いったいどれだけ居るだろうか? もちろん、そういった『名演』も適材適所ではあるが……果たして、今回の陽依の演技はどうだったか?

 

『プロフェッショナル・キラー・イン・ガール』のタイトルシーケンス。映画という『作品を鑑賞するためだけの環境』下で最も楽しまれる媒体であっても冒頭の『つかみ』は重要だ。最初に観客を惹きこむことができるならば(特別な演出意図がない限りは)そうした方がいいに決まっている。

 今回の撮影に関しても、望月陽依の演技、そしてそれに引き上げられるようにして『羽化』した葦原国近の演技。彼女たちの演技によって最高の素材が手に入った。

 今回、陽依に影響されて羽化した葦原のアプローチは映画の『つかみ』としては最良のものだ。葦原は陽依の演技において『見る者が惹き込まれる魅力』に着目していたようだが、彼の演技はその方向に進化していた。加賀美としても望ましい。しかし同時に加賀美では『指導』できないものであり――また『必要』と言えるものでもなかった。

 少しでも良くなるなら重畳、とは思っていたし、実際良くなったと思うが……最初の演技でも、加賀美としては良かったのだ。このシーンで見せたいものは『望月陽依』だ。葦原が良い演技をするに越したことはないし、元々十分に高い要求をしていた自覚はある。だが、加賀美の『要求』以上の演技は作品の完成度にそれほど寄与することはない、というのが加賀美の見立てだった。

 実際、今回の葦原の演技もそれほど作品の完成度に寄与することはないだろう。素晴らしい演技だったが、それが事実だ。……しかし、その上で『素晴らしい演技だった』ということもまた事実ではある。陽依の演技も驚愕を伴うものだったが、あるいは葦原の演技こそ加賀美にとっては『想定外』のものだったかもしれない。

 

 閑話休題。文乃は陽依の演技について語りたいようだ。人は感動したとき、それを誰かに共有したがるものである。感情が大きく動かされたとき……特に、自分と同じような種類の感動を覚えたと思われる人間とその感動を分かち合う。正負どちらの方向であってもそうだ。文乃が加賀美を選んだのは今回同じ体験をした人々の中で冬城に次いで親しい人物が加賀美であること――そして自分と同じく『役者を自分の作品の構成要素』として見ている人間であること、その二つが大きな理由だろう。

 

 つまり、陽依を見て『彼女であればあんなことやこんなこともできる!』とインスピレーションを得た同類だ、と。

 

 そう、同類だ。

 

 ただし、加賀美と文乃の間には大きな違いがある。

 

 それは。

 

 

「ええ、ええ。ほんとうに、ほんとうにすごかった。――だから」

 

 

 間近に迫った藍色の瞳が紅く輝く。

 

 

「兄さん。これを、読んでみてください」

 

「うん? ……新作か? 望月陽依を見て、もう思いついたのか――」

 

「? 何を言っているんですか? 新作なわけがないでしょう?」

 

「は?」

 

 

 興奮状態が収まっていないのか、瞳を紅く染めたまま、きょとんと首を傾げて文乃は言う。

 

 

「『プロフェッショナル・キラー・イン・ガール 透明人間の殺人』……今まさに撮っている映画で、新しく『思いついた』シナリオです。陽依ちゃんを見るまでは思いつきもしませんでしたが――『あそこまで要求してもいい』なら、もっともっと、やりたいことがあります。兄さん。今ならまだ間に合いますよね? 間に合わせてください。皆さんには迷惑をかけることになりますが……絶対に、より良い作品になります。だから」

 

 

 ――『撮影プラン』を変更してください。

 

 

 そう、文乃は言ってみせた。その言葉を受けて最初に思い出したのは――望月陽依との『賭け』。

 

 

 ――今、あなたが考えている撮影プランを『大きく変える』ことになるかどうか。……それで賭けるのはどうでしょう?

 

 ――わたしはあなたが今考えているよりも、間違いなく、良い演技をします。あなたが想像し得る最高の演技――それをも超えた演技をしてみせます。どれだけわたしに高望みをしてくれてもかまいません。加賀美監督、わたしはあなたの理想を形にできる。……それが叶えば、わたしの提案を検討してほしいんです。どうでしょう?

 

 ――賭けの内容はあくまでも『現在考えている撮影プランを変えることになるかどうか』です。

 

 ――今から撮影プランを変更することになった場合のことを文乃先生や他のスタッフさんとも話し合っていたほうがいいと思います。

 

 

「……くそっ」

 

 

 文乃から手渡された文章を読み終えた後、加賀美はそう吐き捨ててから大きく息を吸った。

 

 乗せられていた。勝利条件を誤認させられていた。現在考えている撮影プランを変えるかどうか……その条件とともに言われた言葉で、加賀美自身が変えようと思わない限りは変わるものではないと思い込んでしまっていた。

『説明が悪い』『フェアとは言えない』そんなことを言って無効試合にできないわけではない。……そんなわけがない。

 そもそも、この『賭け』自体口約束でしかない。拘束力なんてものはないのだ。もしそんなものがあるとすれば、それは自身の矜持だけ。単なる自縄自縛でしかない。

 だから加賀美は――『負けた』と。そう感じさせられた時点で『負けた』のだ。裁定者は他の誰でもなく自分自身。故に、認める以外の選択肢などあるはずがない。

 

 ……最初から、文乃が狙いだったのか。それはわからない。ただの保険だった、という可能性もあるが――陽依との初対面、体験レッスンのことを思い出す――あの少女の事だ、また『狙い撃ち』だったとしてもおかしくはない。

『撮影プラン』を変更するかどうかの最終決定権は加賀美にある。役者がどんな演技をするにしても、それがシナリオを大きく逸脱するようなものではない限り撮影の方針を変えるようなことはないだろう。

 だが、その『シナリオ』自体が大きく変わるなら? ……加賀美は陽依の演技を見ても『変える』とは思わなかった。変えるつもりはなかった。だが『シナリオ』に大きく関わっている者が今回の映画にはもうひとり。つまり脚本を担当する白鷺文乃その人である。

 

 今回の撮影、その企画は加賀美だ。『原作』というものはない。文乃の『脚本』が原作かと言えば、そんなことはない。

 元来『脚本』とは『シナリオ』を担当する役割というわけではない。映画やドラマなどの撮影において『脚本』の役割は『監督やプロデューサーの企画に基づいたシナリオをト書き(誰がいつ何をするのか)と台詞(誰がいつどんな発言をするのか)にまとめること』であることが多い。……もっとも、脚本がそのまま『シナリオ』を担当することも決して少ないわけではない。白鷺文乃は『シナリオ』を担当する側の脚本家である。

 白鷺文乃。現役大学生である彼女は作家である。中学生時代に『エウレーカ』でデビューした彼女は冬城と加賀美に見出されるまで『脚本』なんて書いたことはなかったし、書くつもりもなかった。彼女はあくまでも作家であり、最も適当な言葉を選ぶのであれば『ストーリーテラー』である。

 

 今回の映画における企画立案は加賀美だ。プロットにも加賀美が大きく関わっている。しかし、ストーリーの筋立ては文乃が担当している。加賀美にとってはそれも一材料でしかなく、それをさらに調理する立場ではあるが――それでも、最も重要な『材料』であることは変わりない。

 白鷺文乃は加賀美とはタイプの異なる作家だ。緻密な計算によって物事を進める加賀美が作品を書く前に細部まで設計を突き詰めるタイプだとすれば、文乃は大きなフレームだけ決めて細部は書きながら考えるタイプの作家だ。『キャラクターが自分の手を離れて勝手に動き出す』とは珍しくもない言葉だが、文乃はその『珍しくもない』タイプの作家だった。そんな中でも『際立って』という枕詞は必要とするかもしれないが。

 

 ……要するに、文乃は加賀美と違って『変わる』ことがある。執筆中に『ひらめいて』すべてをイチから書き直すことなんて珍しくもない。だってそのほうが良くなるから。どれだけ積み上げて完成間近でも――いいや、完成した後だったとしても。『あ、ここをこうすればもっと良くなるかもしれない』。そう一度思ってしまえば今までの労力を水の泡とすることも厭わない。これは映画監督と小説家の違い、ということもあるかもしれないが――文乃は『そう思っていない』。

 加賀美に対して、素直にこう思っている。『作品が良くなるのであれば、何を犠牲にしてもいい。兄さんもそう思うでしょう?』と。……加賀美も予算や時間をあまり気にしない側の人間ではあるが、この『作家』という生き物は『予算や時間』を考慮材料にすら入れていない。どれだけ締切を催促されても作品以上に優先することなんてあるはずがないと認識している純粋なる作品への奉仕者。それが白鷺文乃という作家である。

 

 陽依は文乃のパーソナリティをどこで知ったのか。顔合わせはしただろうが……文乃は加賀美と比べるとさらに露出が少ない。インタビューなどは冬城(とおそらくは担当編集者)によって禁じられているから、彼女自身を知ることができる機会は非常に少ない。

 ……ただ、加賀美も同席した以前の顔合わせのことを思い出すと、十分に文乃のパーソナリティは推察することができるか、とも思った。そもそも文乃は作家である。他の何よりも雄弁に『語る』著作がある。そういった材料を組み合わせれば……なるほど、この展開も読むことができたのかもしれない。

 

 人生二周目、ね。加賀美はつぶやく。……本当はもう何周かしているんじゃなかろうか。そんなことまで思ってしまう。

 ああ、まったく、本当に――

 

 

「気味の悪いガキだな」

 

 

 ふっ、と。加賀美は微笑む。

 

 文乃の改稿を採用するかどうかの最終決定権はあくまでも加賀美にある。いくら良くなると言っても、様々な材料を考慮してそれを決定する権利と責任は加賀美にある。

 

 そして、加賀美がどうするかと言えば。

 

 

「――文乃」

 

 

『賭け』には負けた。それは事実だ。だが、悔しさよりも何よりも――加賀美の胸中を支配するものは、加賀美の胸を打ち震わせたものは、他のどんな感情でもなく。

 

 

「よくやった。素晴らしい。これで行こう」

 

 

 歓喜と興奮。

 それのみである。

 

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