サキュバスアイドルマイスター 〜演技力カンスト役者、アイドル育成ゲームの世界に転生する〜 作:エビノース志月
夢咲郁はすべてを持って生まれてきた。
彼女の人生において欠けているものなどなかった。環境があった。才能があった。言葉通りの『全能感』を手放したことのない人生だった。
何をやってもうまくいった。有名食品加工メーカーの社長を父に持つ彼女は――郁が生まれてすぐの頃は父はまだ社長ではなく、祖父が社長だったが――様々な『習い事』をさせられた。そのすべてにおいて彼女はその才能を発揮した。努力しなかったわけではない。だが単に『天才』と片付けられても仕方ないことは自覚していた。周囲と比べて明確に努力量が少ない。にも関わらず、成果は群を抜いたものになる。自分は天才なのだろう。彼女はその評価を受け入れていた。自身の努力を『ないもの』のように扱われることを不服に感じることもあったが――父は言った。「それが上に立つ者の宿命だ」と。
ノブレスオブリージュ……『高貴なる者の義務』と呼ばれるその概念とは似て非なるものだったが、近いものでもあった。父からは何度もそれを教えられた。母はそんな父に対して非難することもあったが――郁にとっては間違いなく必要なことだった。少なくとも郁はそう認識している。郁の人格形成において、父の教えは非常に大きなものになっていた。
自分は『上に立つ者』である。郁は自らをそう認識していた。そのための能力を持っている。自分は『上』であり――畢竟、他の人間は自分の『下』である。故に、自分には責任がある。他の人間を救うために自分が居る。この力はそのために振るうべきものである、と。
郁の父がどういった意図だったのかはわからないが、郁の中に育まれたのはそんな特権意識だった。たまたま善良な方向に歪んだだけで、歪んでいることは間違いない。
郁は上に立つ者である。だから、負けるわけにはいかなかった。自分が負けることを許すわけにはいかなかった。いつからか因果は逆転し、『負けない』から『上に立つ』わけではなく、『上に立つ』から『負けてはいけない』という自認になっていた。
夢咲郁は天才と呼ばれるべき資質を持つ少女である。すべてにおいて少ない努力で群を抜いた成果を出すことができる――しかし、誰にも負けないわけではない。同世代においては敵が居なくとも上の年齢の者も含めればその限りではない。子どもの頃から『大人』に勝つことは難しい。当たり前のことだ。しかし、郁はそれを許すことができない。
それが同世代のものであれば、どれほどのものか。
「……この、私よりも」
夢咲郁という少女が志す道として、どんなものが考えられるだろうか。会社を継ぐこと? それは最も適当なものであり、実際、将来的にはそうなるだろう道でもある。だが、それはまだ遠い将来のことだ。近い将来であれば。夢咲郁は、何をするべきか。何を『したい』と思ったか。
夢咲郁が物心ついた頃はどんな時代だっただろうか。どんなものを目にしただろうか。人は知らないものに憧れることはできない。幼少期に憧れたものはその後の人生に大きな影響を与える。郁と同年代……あるいは、それより少し上までの少女たちにとって、まず間違いなく『通過』したものがある。よほど特殊な家庭環境でもない限り、一度は憧れたことがあるだろうもの。とある人物の全盛。それが物心ついた頃と重なっているすべての少女は、きっと彼女に憧れた。
すなわち、アイドル。『サクラ』という偶像に。
郁も例外ではなかった。サクラに憧れ、彼女のようなアイドルになることは『夢』になった。幼い郁の憧憬を両親が悟らなかったはずはない。母は郁に尋ねた。「郁さんはアイドルになりたいのですか」郁はうなずいた。「なら、今のうちからできることはしておいたほうがいいでしょうね。……結局、私はサクラさんには一度しか勝つことはできませんでしたが――郁さんなら、きっとサクラさんよりもすごいアイドルになれますよ」
手始めに、郁はCMに出演することになった。父の会社の新商品のCM。つまりコネである。しかし、郁の父の考えは違った。むしろ『自分の娘』であるからこそ商売の道具に使うのはどうかと考えていたところ、妻の提案もあって実現に踏み切ったのだ。郁の起用は戦略的にも『有用』なものであった。
消費者からはまず間違いなく親バカのように思われるだろう。株主からの評価も下がるかもしれない。だが、そんなことは今更だ。妻を妻としたときから『私情で経営を左右させかねないドラ息子』のような評価もあることは知っている。妻を妻とした理由は、実際、私情が大半であり――『戦略的』なものはすべて後付けと言ってもいい。妻という商談相手を説き伏せるために弄した言葉がハリボテに過ぎないことを妻はきっと理解しているが、それを『言質』にもする狐が彼女だった。……しかし、ハリボテでしかなかった『言い訳』も言い訳でなくしてしまえば本当になる。後で本物にすればいいのだ。そうすれば虚言は虚言ではなく、嘘は真実になるのだから。
郁を起用するにあたってのデメリットは『親バカ』だと思われる程度だが、それを覆すだけの利益を見込むことができた。話題性はもちろん、長期的な視点に立てば『夢咲郁』を使えるのは非常に都合が良かったのだ。自信がある――郁の父が自ら研究開発に参加した『肝いり』の企画だ。長寿商品になることが予想され、テスターである郁本人も非常に好んでいる。そう、これこそが最も大きな理由で――その郁の表情が、とても、魅力的なものだった。親の欲目ということも手伝っているのだとは思うが、それにしてもかわいすぎる。幸せそうに食べている。
そして証明された。郁が出演するCMが世に出るとたちまち話題になり、新商品は『定番』となった。
ただ、郁のメディアへの露出はそれだけである。自社のCM以外では露出せず、ただその存在を知らしめるだけに留めていた。あくまでも『芸能界の経験』は少なく、誰も『夢咲郁』を知らない状態を保ちたかったからだ。子役などしない。子役のほとんどは子役を卒業すると同時に芸能界からも卒業することがほとんどだ。子役の頃から活動するにあたって致命的な欠点は『飽きられる』こと。新鮮さが失われてしまうことだ。最大の利点は『知られる』ことであり、そもそも知らなければ個人として認識することさえ難しい。その点、郁は『知られる』という利点だけを可能な限り掠めとろうとしていた。『飽きられる』という致命的な欠点を回避しながら『顔を売る』ことだけを達成しようとした。『一般人』のまま『顔を売る』ことができるのは、このような荒業でなければ非常に困難なことだろう。
ただ、郁と同じようにアイドルを目指すことを公言していながらも、子役として活動しているような子どもも存在している。『飽きられる』という致命的な欠点を、しかし、その異常とも言える資質から抜け出そうとしている特異点。どちらもバラエティ番組などへの出演は少ないが、それでも郁に匹敵するほどの――いや、間違いなく郁を遥かに凌駕するほどの知名度を誇る『天才子役』が、ふたり。
彼女たちを初めて認識したのは映画やドラマではなくCMだった。うち一人、星見カレンに関しては既に『天才子役』として知られていたが、当時の郁はまだ知らなかった。カレンが出演するような番組をほとんど見ていなかった……見る暇もなかった、ということがひとつ。ライブバトルリーグに関するものであれば(特に『サクラ』が関わるものであれば)よく見ていたが、それ以外のものに関してはそもそも見る時間があまりなかったのだ。郁は良家の子女である。どのような習い事をしても頭角を現してきた彼女は、すなわち、それだけの『習い事』をしてきたということになる。周囲と比べて非常に少ない努力で群を抜いた結果を出すとは言え、そもそもの絶対量が多かった。何か一つのことに注力するということをせず、いくつものことを並行してこなしながら結果を出してきた彼女を、あるいは『もったいない』と評価するかもしれない。それは正しい。郁が何か一つのことに注力していた場合、ただでさえ群を抜いていた彼女は『突き抜けていた』可能性がある。しかし、郁が――十歳になった現在に至ってもなお――『浮気症』であった理由は単純であり、つまり、『負けたまま』でいることを許せなかったからである。
郁には時間がなかった。余暇がなかった。郁は世情に疎かった。現在であれば情報の重要性も理解しているが、当時の郁はそのことを理解していなかったし、そもそも知ったところで何かできるわけでもなかった。それだから彼女が初めて意識して見た星見カレンはとあるCMでのことで――当然、共演者である少女のことも見ることになる。
望月陽依。彼女を見て初めて思ったことは、カレンを見て思ったこととほとんど相違ない。『かわいい』と『仲良くなりたい』だ。当時はふたりを競争相手だと認識していなかったし、郁もまだまだ幼かった。ただひとつ、カレンを見て感じたことと違うのは――画面の中で笑う陽依を見て、郁は思った。『アイドルみたい』と。
郁にとってアイドルとはサクラだ。容姿だけを見るならばサクラに近いのはカレンだったが、郁は陽依を『アイドルのようだ』と感じた。理由はわからない。当時であれば。今ならわかる。望月陽依は明確に『こちら』を意識していた。カメラの向こう側、自分を見る者を『魅了してみせる』という意志が宿っていた。カレンはどちらかと言うと『あるがまま』の姿を見せていたことと対照的に、陽依は能動的に『こちら』へと働きかけていた。どちらが魅力的だったかと言うと、甲乙つけがたいものではあったが。当時の郁にとっては陽依のほうが、陽依こそが『アイドル』のように感じられた。
それから郁はカレンと陽依を意識するようになった。郁が成長するにつれて、ふたりへの対抗心も育っていく。演技は郁の『性』に合わなかったが、(これは郁にとって大きな発見であり、自分が『うまくやれない』ことには驚いたが、同時に『どうでもいい』として興味を持つことさえできないことにこそ最も大きな驚きを感じた)、それでも自分より先に芸能界で躍進するふたりを見て何も感じなかったわけではない。今の自分は負けている。役者として、ではない。『アイドル』としてであっても――きっと、今なら負けるだろう。その確信があった。今も郁はCMに出ている。多くの国民が郁のことを知っているだろう。しかし、カレンと……何より、陽依と比べたならば。そして、知名度を抜きにしたとしても。郁は陽依よりも『魅力』はない。人を魅了する能力で、陽依よりも『下』に居る。
カレンと共演したCMの次に陽依を見たのは天羽天音のMVだ。この時代にアイドルではなく、あくまでも『シンガーソングライター』として活動を続ける彼女の影響力は大きい。様々なドラマ、映画、CMとのタイアップソングを書き上げ、自ら歌う。彼女の歌、彼女の書いた曲を一度も聴かない日は珍しい。アイドルとはまた別のカリスマとして知られる彼女のMVに出演した陽依は、天使だった。天羽天音作詞作曲歌唱『see A』。このMVは大きな話題になり、それから陽依はとある作品が公開されるまで『天使ちゃん』なんて呼ばれることが多くなった。
そして、とある作品が公開されてからは『魔王』と呼ばれることも多くなる。加賀美勇監督作『プロフェッショナル・キラー・イン・ガール 透明人間の殺人』。望月陽依の銀幕デビュー作であり代表作。インスタントラーメンのCMや天羽天音のMV、その他モデルとしての撮影などで見せる姿とは大きく違い、『殺し屋を内に宿した少女』を演じた姿は大きな話題となった。宮坂莉央、王賀誠司、葦原国近、鈴木銀次など実力派の俳優たちと共演してなお決して見劣りしない演技だ。作品への評価も(エンターテイメント作品として、という但し書きは必要とするが)高かったが『望月陽依』の演技に対する評価は天井知らずに高まった。
以降、陽依はいくつもの映画やドラマに出演する。そのたびに違った顔を見せる彼女に大衆は魅了された。『プロガー』がそうだったからか、どこか陰のある、裏のあるキャラクターを演じることも多かったが、純粋な少女を演じることも抜群にうまかった。星見カレンと望月陽依、ふたりを擁した芸能界はここぞとばかりに『天才子役』の存在を前提とした作品を撮って撮って撮りまくった。構想段階の時点で『この要求を満たすことができる子役なんて存在するものか』と頓挫した作品は、多くはないが少なくもない。それらを『天才子役』に投げたのだ。彼女たちは応えた。望月陽依も、星見カレンも。バラエティ番組でも引っ張りだことなってもおかしくなかったが、彼女たちに『バラエティ番組などでの露出は抑える』という方針がなかったとしても、出演することは難しかっただろう。それほどに過密なスケジュールをこなしているだろうことが窺えた。
特に陽依が出演した作品の数は常軌を逸していた。スケジュールだけを考慮するならば『可能』ではある。学校や余暇の時間を犠牲にすることもないだろう。ただ、それは『撮影』だけを考えるなら、だ。役作りなどの事前準備のことを一切考慮していない。大変な売れっ子役者などは撮影の現場で初めて台本を読むといったことも『ざら』にあるが、それは一定以上の経験がなせる技だ。そうでなくてはどうしても瑕疵ができてしまう。それが陽依には存在しない。どんな現場でも、どれだけ時間が限られていても完璧に仕事をこなしてみせた。ある作品の共演者のひとりは「台本読んで、監督とちょっと話したら撮影。その演技が完璧なんスよねぇ……ウチも自信なくしてしまいそうでしたよ。あ、でもでも、めっっっっちゃ愛想ええんスよね。めちゃくちゃかわいい。めちゃくちゃ良い子。あんな忙しいのにあんな気を遣って……ウチ、演技でも人間力でも負けてる……!?」などと語っていた。隙がなく『かわいげがない』ように思われてもおかしくなかったが、どうしてかそうは感じられない。そんな魅力が陽依にはあった。星見カレンの持つ『かわいげ』が『幼さ』や『あどけなさ』だとすれば、陽依のそれはもう少し成熟したものであるという違いはあったが、愛くるしい少女として見られているという違いはない。ただ『陽依さん』や『魔王』なんて揶揄された呼び方をされても仕方ないほどの演技を見せていたことも事実だ。『人生二周目』なんて冗談がこれほど似合う少女も居ないだろう、と。
そんな陽依は将来『アイドル』になると語っている。つまり、郁のライバルだ。いつか勝たなければならない敵だ。今はまだ、勝てない相手だ。
その陽依が、今、郁の目の前に居る。
「はぁ〜! すっごくおいしかったです! さすが夢咲社長のオススメするお店……お母さんとお父さんにも教えたい……」
「気に入ってくれたんなら良かったですわ。まあオススメするってよりウチがプロデュースした店でもあるんですが」
「そうなんですか? それは知らなかったな……外食産業に参入、というよりは自社製品の販促として……?」
「どちらもですね。展開していくつもりは今のところないんですが……食の外部化が進む昨今の世情を鑑みると、こういうアプローチも必要かと思いまして」
「ふむふむ……」
舌鼓を打ったかと思えば父とそんなことを話している陽依を郁は不思議には思わなかった。それくらいできて当たり前だろう。もちろん当たり前ではなく、葦原などは「なんでそんな話になるんだ……陽依ちゃんらしいけど」と苦笑していた。
「葦原国近に質問」彼がこぼした言葉を郁は拾う。「何が陽依らしいの?」
「うん? ああ……俺が知る限り、陽依ちゃんはどんなことでも興味を持って質問するタイプの子だからね。もっとも、俺もそれほど共演したことが多いわけじゃないから、陽依ちゃんのマネージャーさん経由の情報もあるけど」
「陽依のマネージャー……冬城玲奈ね」
「そんなことまで知ってるのか」
「これくらいはね」
陽依について『調べよう』としていなくとも知っている者は多いだろう。業界人ではなく一般人でも――もちろん、一般人では『冬城玲奈』が何者かなど知る由もないだろうが。郁は業界人とは言えないが、ある程度は知っている。本来であれば一人の子役のマネージャーになるような人物ではないということくらいなら知っている。それほどに陽依は重視され、またふさわしい実績を残してきていることも。
「冬城さんは有名だからね。知っていることもあるか」
「ええ。そうでしょう? 将来のライバルなんだから調べるべき相手ではあるけれど……まだその段階じゃない」
「将来のライバル? 郁さんも女優を目指しているのかな」
「違うわ。それには興味がない。私が目指しているのは……」
そう言えば、と郁は思う。ここに居るこの男こそ『そう』だった、と。
……『そう言えば』と思ってしまった通り、今の今まで忘れていたが、今回の会合に葦原国近が同席することはわかっていた。彼のことはもちろん知っている。まさしく自分が目指す場所に居る者だ。知らないわけがない。そして『そんな位置に居る』人間と交流を持つことができるのであれば、と考えていたこともある。
夢咲郁が目指しているもの。
それは。
「――トップアイドル、ですよね」
その声に思わず肩が跳ねる。誰の声かなど考えるまでもない。どれだけ聞いたかわからないほどに聞いた声。……その声の主が、なぜそのことを知っているのかはわからなかったが。
「それは、表に出したことはないと思うのだけれど」
「郁ちゃんはインタビューなんて受けてませんからね。そもそも表に『発言』が出たこともない。公的な露出はCMだけ。まるで徹底しているかのように」
「……推測したの?」
「それもありますけど」陽依は薄く笑みを浮かべた。「わたしの『将来のライバル』なんでしょう? なら、それしかないですから」
ざわっ、と毛が逆立つような感覚が郁を襲った。自身の裡から沸き立つものを抑えるために、郁は大変な努力を要した。
「……私は」郁は陽依を見る。努めて感情を抑えて――それでも瞳の奥に燃え盛る火焔を宿したまま、陽依を見る。「まだ、陽依には勝てないわ」
「わたしはまだアイドルじゃないですよ?」
「詭弁ね。わかってるでしょ?」
「ふふっ」陽依は口元に手を当てて笑う。楽しそうに。妖精が人間をからかうように。「『今』なら、わたしはカレンちゃんにだって負けるつもりはありませんから。勝てると思われては困りますね」
「……星見カレン」
今、目の前に居るのは郁だと言うのに別の女の名前を出す。敵視されていないのか、と思う。……いや、そうだ、当たり前だ。まだ自分は同じ土俵にすら立っていない。その認識になるのは至極当然のことであり――だからこそ、許せない。自分のことが。
「今は、確かに勝てないけれど」郁は陽依をまっすぐに見つめる。「陽依――アイドルになったら、あなたを跪かせてあげるわ」
「やきもちですか? かわいいですね」陽依は郁をまっすぐに見つめ返して笑う。「泣き顔を全国にさらすことになっても知りませんよ?」
「きっとかわいいもの。大丈夫よ」
「ぶちゃいくなかおになるくらい、ぼろぼろに負かしてしまうかも」
「陽依のそんなかおが見れるなら最高ね。安心しなさい。それでも私はあなたを愛してあげる」
「愛されちゃってますね、わたし」
「ええ。好きよ、陽依――だから、いつか私を見上げなさい」
「歪んだ愛情だなー」
郁は陽依と笑い合う。笑いながら、郁は血が燃え上がっていることを感じた。陽依が自分を見ている。望月陽依が、夢咲郁を。敵視されていないと思っていた。眼中にないと。星見カレンだけが自分の敵になりうる……なんて。それが望月陽依だと思っていた。
だが、違う。違ったのだ。陽依はそんな『ぬるい』人間ではなかった。傲らず、侮らず、自らの敵として郁のことを認めている。言うまでもなく『上から』の言葉だった。『挑まれる側』の言葉だった。しかし、それでも、今の望月陽依が今の夢咲郁にそうだったということに、郁は強い興奮と警戒を抱いた。
郁にはまだ実績はない。容姿こそ優れているが、現時点でわかることなどそれ以上はないだろう。陽依との距離は遠く離れている。眼中になくともまったく不思議には思えない。むしろ『そうであるべき』だろう。にも関わらず、陽依は郁を笑わなかった。『あしらう』ような対応をしなかった。
……陽依がこういう人間だと知ることができたのは僥倖だった。油断を期待するような戦術で挑んでいた場合、容易に斬り捨てられていた可能性が高い。
バチバチと対抗心を表すふたりを、葦原は興味深そうに、枢木は楽しそうに、郁の父は困ったように見ていた。父は言う。
「えーっと……わかってはるとは思うんですが、今回のCMでは」
「私を立てる、でしょう?」心配症の父に郁は言う。「……父さんが思ってる通り『癪』だとは感じているけれど、わかってるわよ」
今回のCMは郁が幼い頃から出演している『シリーズ』もののCMである。郁と言えばその商品であり、その商品と言えば郁である。陽依や葦原と共演することになるが、決して『郁を食ってはならない』。郁のことを『立てる』必要がある。
「でも」郁は陽依に視線を向ける。「……『それだけ』なら、陽依や葦原国近と共演する意義がない」
「そうですよね。だから」陽依が挑発的な笑みを見せる。「郁ちゃんにも、ある程度『上がって』きてもらわないと」
『郁を立てる』ために、ただ『陽依が抑える』では意味がない。せっかく陽依や葦原を迎えるのであれば、その価値は発揮するべきだ。
要するに。
「陽依には、私のことを強制的に引き上げてもらうことになるわね」
郁が言った。陽依は目を瞬かせる。意表を突かれたような反応に胸がすく思いだった。しかし陽依はすぐに「……へぇ」と納得したように笑みを湛える。
「挑発に乗ってくれませんでしたか」
「乗るわけないでしょ、そんな見え見えの罠。さっきも言った通り、今の私じゃ陽依に勝てない。あまり言いたくないけれど、現状の私とあなたには隔絶した差がある。私があなたに負けない……いいえ、あなたの『足を引っ張らない』ようにするためには、何もかもが足りないわ」
現状、郁は陽依の足を引っ張ることしかできない。それは認めがたいことだが認めるべき事実だ。そして、郁が『そうならないように』と頑張った程度で解決することでもない。
だから、郁は陽依を頼ることにした。『任せる』と言ってもいい。『私のことを引き上げなさい』と。それこそが今回の仕事である、と。
「……俺に頼ってくれてもいいんだよ?」
葦原が言った。陽依がふふっと笑う。「確かに、そうですよね。本来は兄さんに――葦原さんに言う場面ですよね」
「俺、そんなに頼りがいないか……?」
「ふっ、ふふ、ふふふ……!」
「いやウケすぎだから。というか陽依ちゃんが頼りがいありすぎるだけなんだよ」
ぷるぷると震えて笑う陽依。必死に笑いを抑えようとしながらも抑えられていないらしい。……仲、良いのね。郁はあるドラマのことを思い出した。陽依と葦原が兄妹役を演じたドラマを思い出し、すぐに首を振る。今はそんな場合じゃない。
「そんなに頼られたいのなら――ねぇ、葦原国近」
郁は切り出す。あなたにお願いがあるのだけれど、と。思いつきではない。切り出すタイミングを窺っていた。
「さっき陽依が言ったように、私はトップアイドルを目指している。だから」
葦原国近。正真正銘のトップアイドル。そんな人物と接触できる好機なんてそうそうない。だから、逃すわけにはいかない。形振りなんてかまわない。陽依に勝つためなら『ここまで』やらなければいけない。
だから、郁は言う。
「私に、アイドルを教えてほしいの」
と。
「……それを、俺に言うのか」
葦原の目が冷える。感情――熱が伝わる。困惑、警戒、失望……それから、試すような意志。
「アイドルを目指すなら、俺に聞くのはあまり好ましくないんじゃないかな」
「葦原国近のファンのこと? それとも、異性だから?」郁はそんな葦原の瞳にまっすぐに向き合う。「私と葦原国近の年齢差よ? そんなことは誰にも思われないでしょう。そもそも、陽依と仲良くしてるあなたに言われたくはないわね」
「陽依ちゃんとは昔からの仲だからね。……でも、君くらいの年齢だと微妙なところだと思うよ」
君と同年代のファンも居るから、と葦原。しかし、
「それなら、葦原国近と知り合った当時の陽依の年齢……未就学児のファンも居るでしょ? あなたには。私もその頃はサクラに憧れていたもの」
「……俺の言い方が悪かったかな。君の年齢だと俺との『関係』を疑う人も――君が『よこしまな気持ち』で俺に近付いたんじゃないかって思うような人も居るってことだ」
「私と? ありえないでしょ。もう『お兄さん』なんて年齢でもないくせに」
「なら、君はアイドルとして不適格だ。『そう思うファン』は居る。そのことを認識できていないのであれば、あまりにも視野が狭すぎる」
「……この、私が」視野が狭い? 私が? ……少し、考える。私と葦原国近が――なんて、ありえないだろうと思う。年齢的に、葦原国近が自分を『そういう目』で見ることはありえないと思うし、逆に自分が葦原国近を『そういう目』で見ることも――……いや、しかし……同級生のことを思い出す。男性アイドルを『かっこいい』なんて話す同級生たちのことを思い出す。そのときの感情は、深い恋慕の色というわけではなかったが……。郁は一度目蓋を閉じて、開く。
「そうね。あなたの言う通り、視野が狭かった。気が逸ったわね。忘れなさい」
「……驚いたな。そんな素直に引き下がるなんて」
「あら。私のことをどう思っていたのかしら?」
「そうですよ、兄さん」と陽依。「わたしと郁ちゃんのやりとりで郁ちゃんがどういう子かはわかってもおかしくないはずです! 郁ちゃんを舐めてはいけません」
なぜかふふんと胸を張って言う陽依に「陽依ちゃんはどの立場なんだ……?」と葦原が首を傾げる。当たり前の疑問である。
「でも、郁ちゃん。『名選手、名監督にあらず』とも言いますから、兄さんがトップアイドルだからと言って聞くのはどうかと思いますよ?」
「あー……それは俺も同意だな。ちゃんとしたトレーナーさんに聞いたほうがいいと思う。男女の違いもあるからさ。例えば、振り付けなんか男だと直線的な動作が多く使われていたりするけど女性だと曲線的な動作が多かったりするし……そこんところ、俺は教えられる自信はないな」
「まあ、兄さんは『名選手で名監督』ってタイプだと思いますけど」
「いきなり梯子外された!? ……陽依ちゃん? そこはフォローしなくてもいいところだと思うんですが」
兄さん呼び……先程もしていたが、こんな風に目の前でされるとどうしてもドラマを思い出してしまう。
郁は陽依を意識している。陽依と葦原が共演したドラマも見た。何度も見た。最終話に関しては見るたびに二度と見たくないと思ったが陽依が『天使ちゃん』と呼ばれるきっかけになったMV『see A』と合わせて見れば耐えられた。『see A』は郁にとって心の癒やしだった。あの頃の陽依はほんとうに天使のようで……もちろん今もかわいいのだけれどあの頃の陽依はほんとうに天使だと思う。そんな当時に『プロガー』のあの演技をしているのだから意味がわからないわよね。それにしても『プロガー』級の作品で、それでいて陽依が変化球的なものではなく直球の演技をする作品がまた見られないものかしら。と言うか監督加賀美勇で脚本が白鷺文乃、共演者が葦原国近に(しかもあの葦原国近がほとんど端役みたいな扱い!)王賀誠司や鈴木銀次、それに宮坂莉央なんて……どれだけ豪華なのかって話よね。超がつくほどの実力派しか揃えていないような作品の主演に新人の子役を抜擢して、さらにその子役が他の共演者に勝るとも劣らない演技をする……まるで奇跡のような作品よね。ただ陽依の陽依らしい魅力を感じられる作品ってなるとやっぱり『see A』かしら。役者として、演技者としてとなると違うのかもしれないけれど、個人的にはすごく陽依らしくて好きで……ああ、でも、やっぱり最近だと葦原国近と共演したあのドラマね。陽依がとんでもなくかわいかったし……というか、そう、陽依、陽依よ。実際に、直に見てみると……ちょっと、信じられないくらい、かわいい。なんなのよあのかわいさは! 顔だけでもめちゃくちゃかわいいし綺麗なのに、表情とか身振り手振りがたまらない。一挙手一投足に目を奪われる。なんなの? それも技術? それとも天性のもの? 夜空を思わせる黒髪に、満天の星空を落とし込んだような瞳。神秘的とも感じられる容姿の陽依は――しかし、神秘的には振る舞わない。超然としたところが、ないわけではない。だが陽依の魅力はそこにない。そこじゃない。手が届くほどの距離に居ながら、決して触れることができないような存在感。『身近』でありながら『掴みどころがない』。表情も感情も豊かで、自然体で……こんなにも近いのに、底が見えない。だから、どうしようもなく焦がれてしまう。端的に言って抱きしめたい。なんとかして抱きしめる方向に話を持っていけないかしら。というか葦原国近のことをあんまり兄さんって慕わないでくれる? 泣いちゃうから。ドラマを思い出して泣いちゃうから。あのドラマの陽依はめちゃくちゃかわいいけど最後が悪趣味過ぎるわよ。なんであんなラストにしたの? いやある意味綺麗なラストだとは思うけど最悪よ。あんなにかわいい陽依が……なんで……あー……泣きそう。泣きそうだわ。それもこれも陽依のせいよ。責任をとって抱きしめさせてもらわないと……。
郁は思った。夢咲郁は望月陽依のファンであった。幼少期に憧れたものはその後の人生に影響を与える。人は知らないものに憧れることはできない。郁は望月陽依を知った。意識した。そして……きっと、憧れた。
つまり、郁は陽依のことが好きだった。好きと口にしていたが、本当に好きだった。陽依に関する情報であればどんなに些細なことであっても収集する。『敵』だからではない。将来のライバルとして調べるにはまだ早い。ただ好きだから調べている。ファン心理であった。
「あ、それはそうと、郁ちゃん」
悶々としている郁の心など知る由もない陽依が声をかける。抱きしめさせてくれるのだろうか。郁は思った。そんなわけがない。
「兄さんじゃなくてもいいのなら――ひとつ、提案があるんです」
提案? 郁は胸中で首を傾げた。葦原国近でなくてもいいのであれば。つまり、「アイドルについて、教えてくれるの? 敵に塩を送るなんて、ずいぶんと余裕じゃない」
「わたしにも利のあることですから。わたしが教えるわけじゃないですけど……わたしが、アイドルになるためにしていることについて。スケジュールが合えば、いっしょに参加してみないか、と思ったんです」
「合わせるわよ。陽依以上に優先するべきものなんてないもの」
「それはそれは光栄なことです」
芝居がかった調子で陽依が言う。本気にしていない。もちろん郁はガチである。ガチのマジで本気である。
「じゃあ、決まりですね。次の予定は――今週の水曜日だったかな。また連絡しますね!」
郁自身、アイドルになるにあたってできることはしている。ボイストレーニングやダンストレーニングを中心としたレッスンだ。それ以外にもするべきことはあるのだが、やはりアイドルのパフォーマンスの基礎と言えばその二つになるだろう。
しかし、陽依が受けているレッスンであれば。何か特殊なこともあるのかもしれない。陽依と受けられるということ自体も郁にとっては好ましいことではあったが、陽依という同世代ではほぼ間違いなく最大級の脅威の『手』を少しでも知ることができるのであれば重畳だ。陽依にも利があることらしいけれど――それよりも多くのことを持ち帰ってやる。陽依に後悔させてあげるんだから。
そして水曜日。
「はじめまして、夢咲郁さん。天羽天音です。それでは、CMソングをつくりましょうか」
天羽天音の家で、天羽天音がそう言った。
「……は?」
郁はひくひくと頬をひきつらせて陽依を見た。陽依はいたずらが成功した子どものように笑っていた。
ひ、陽依……! あなたねぇ……! 郁は思った。にくたらしい……けど、そのかおもかわいいわね……! と。
憎さ余って可愛さ百倍である。
忙しかったのもあるんですが、構成考えてたりしてました!
本章に入ってからぜんぜん話が前に進んでない感じしたのでどうにかもっと進んでる感じを出せないか……と。
いやまだ本章入ってから3話目ではあるんですけど、それにしても遅いな、と。どこを目指しているのかもうちょっと早く見えるような構成にしないとな〜とかぐるぐる考えていたわけなんです。
とか言っといて本格的に見えてくるのは次回からだとは思うんですが! こんなこと書くんだったら今回から見えておくべき……間違いない。でもちょっとそれは詰め込み過ぎになっちゃう。ジレンマ。
……なんて言い訳を後書きで述べるのはどうなんだとも思うんですが、タイトルに関してあんだけうだうだ言ってたんだから今更かな! と開き直っています。開き直るべきではない。赤裸々スタイル。この小説は、読者の皆様といっしょに作っている……! みたいなこともめちゃくちゃ好意的に受け取れば受け取れるかもしれません。好意的に受け取ってくれる読者様ばっかりで幸せ者ですよね。HAPPY!
感想や誤字報告、めっちゃ助かってます。いつもありがとうございます!
ここすきも「ここなんだ〜!」って参考にさせていただいたりしてます。この人けっこう人気なのかな〜、とか。たすかる……。