サキュバスアイドルマイスター 〜演技力カンスト役者、アイドル育成ゲームの世界に転生する〜   作:エビノース志月

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理想のカヌレはどんな味?

 カヌレが好き。外はカリッと香ばしく、中はもっちりとろけるような食感がたまらない。皮もふにゃふにゃで全体的にもっちりしっとりしたカヌレも良いけれど、個人的には『カリッ』『もちっ』『とろ〜』の食感こそがカヌレの本髄だと思う。

 

 郁の出身は神戸だ。『パンの街』とも呼ばれる神戸はパン屋や洋菓子店が多く、フランスへ旅行に行った後でも大きな不満を抱かないほどに『豊か』だと郁は思っている。と言うよりは、単に馴染み深いというだけかもしれないが……。

 

 カヌレ、と言われたときにイメージするものはどんなものだろうか。フランスはボルドー発祥の焼き菓子だが、パンなのか洋菓子なのか……パン屋、パティスリーのどちらでも販売しているから、厳密に『どちらか』であるなどとは決めつけなくともいいのかもしれない。

 

 型に蜜蝋を塗り、アパレイユを流し入れ、焼成する。多種多様な習い事をしている郁はもちろん料理も学んでいるので、カヌレ作りの経験もある。アパレイユ――カヌレの元となる液体――のレシピはもちろんだが、焼き菓子においては『焼成』こそが肝要であると思っている。

 型の材質によって熱伝導率は変わるし、型の『厚み』によっても変わる。カヌレとはcannelé(溝のついた)の語源通り、溝のある形状であるからその『溝』がどんな形状であるかも重要だ。忘れがちだが型の角度も見逃せない。蜜蝋とアパレイユにどんなふうに熱が伝わるのか。焼成前のアパレイユの温度も関わってくる。アパレイユに含まれる空気量――どのように混ぜるか――によっても変わってくるが……要はどんなものを目指しているか、だ。

 キャラメリゼによって外はカリッしていながら、中はもっちりとろけるような食感を目指すのであれば、どんなふうにすればいいのか? 焼成にかかる時間は? どれだけ膨らめばいいのか。内部の温度が上がりきって沸点を迎えるまでに何が起こっている? 完成形に含まれる空気の量は? エアリーな食感を目指すのか、みっちりとした食感を目指すのか。デンプン質の糊化やタンパク質変性は何をもたらしているのか。

 試行錯誤は必要だ。『才能』というものが関わってくるとすれば、この『積み上げる』過程が『できる』ことこそがそうなのだろう。

 

 

「ん〜! 郁ちゃん、このカヌレ、とってもおいしいです! カヌレって、なんだか期待していたものとちょっと食感が違うようなイメージがあって……あの独特の色味、焦げてるとは言えないまでも見た目から『カリッとしてます!』みたいな感じなのに、実際に食べると『ふにゃっ』『ねちょっ』としてることが多くて……いや、『そういうもの』だって思うとそれはそれでおいしいんですけどね。何と言うか……ぬれおかきみたいな? でも、このカヌレは見た目のイメージそのままのカヌレです! こんなカヌレもあったんだなぁ……」

 

 

 陽依の言葉に、郁はふふんと胸を張る。

 

 

「確かに『ぬれおかき』系統のカヌレは多いわよね。西洋菓子……高温多湿のこの国とは大きく環境要件が異なる場所が発祥のパンや焼き菓子は本来のものから異なる食感になってしまうことが多いけれど、カヌレはその中でも際立って湿度による影響で大きく味わいが変わってくるものだと思うわ。結果として『ぬれおかき』のようなカヌレが多くなってくるのだけれど……それをカバーできる場所であれば外側のカリッとした食感を保ったカヌレも味わうことができる」

 

 

 温度や湿度を一定に保つことができる環境、つまり空調設備が整っており、なおかつ外気の流入機会が限られているような場所――客の出入りによってたびたび外気が流入し、さらにそれによって店内の空気が大きく影響を受け得るような『小規模店舗』ではあまり向いているとは言えないだろう。風除室のような空間を設けていたならば影響は少ないかもしれないが……。

 と言っても、元々湿度があまり高くもない気候であれば小規模店舗であっても大きな問題はない。逆に『夏のカヌレはすぐに囓れ』などと言われるのはそういう理由があってのことだ。

 

 

「ふんふむ……でも、なるほど、納得です。このカヌレを食べた後だと、カヌレって『食感』のお菓子ですもんね。プリンみたいな味でほわっとバニラやラムが香るのも魅力的ですけど……この独特の食感は、なかなか代わるものがないかも?」

 

 

 カリッ、とカヌレを囓り、うんうんとうなずく陽依。かわいい。郁は思った。郁の大好物が供されたときに父母が自分のぶんまで郁に食べさせようとする気持ちがわかったような気がする。陽依は私の娘だった……?

 

 

「なんでこの『カリッ』と食感は人を惹きつけるのかな……クレームブリュレとかもめちゃくちゃおいしいし。駄菓子屋にあるような『溶けないチョコ』は、ちょっと違いますけどアレもすごくおいしい。好きです」

 

「私も好きよ、陽依」

 

「わかります? 糖衣チョコって言うんですっけ……。と言うか、思えばどれも『糖衣』ですよね。シュガーコーティング。ちょっと違うかもしれないですけど」

 

 

 うっかり告白してしまった郁だが陽依は気付かなかった。あぶない。しかし郁の前で『好きです』なんて言う陽依が悪いという説もある。……陽依はこういう食感のものが好きなのね。覚えておかなくちゃ。でも、食感のコントラストが好きというなら、『このあたり』のたこ焼きは期待外れになるかしら。郁は思う。せっかく郁の地元まで来てもらったのだから、少しでも好きになって帰ってもらいたいものだ、と。

 

 

 現在、郁たちは神戸に来ていた。郁にとっては『帰ってきた』であり、陽依たちを『招いた』と表現してもいいかもしれない。

 郁の父が経営するユメサキフーズの本社は神戸にある。だからCMの撮影や歌の収録も神戸で――となるのかと言うと、少なくともこれまでは違った。郁は幼少の頃からユメサキフーズのCMに出演していたが、撮影自体は東京のスタジオで行われることが多かったように思える。ならなぜ今回は神戸に? その答えは、神戸での撮影を望んだ者が居るからだ。

 

 

「……? アイドルさん、どうかしましたか? 求愛行動でしょうか。これでも私には夫が居るので……」

 

「葦原です。いやあまりにもふらふら歩きだすから手を引いただけですよ。あとこれは天音さんの旦那さんからの指示でもあるので」

 

「どうしてアイドルさんがそれを? 私の認識ではあなたはトップアイドルのはずですが……私の『お守り』をするには役不足では?」

 

「スタッフさんには仕事があるので……いやまあオレも『なんでオレが?』とは思いますけど」

 

「不本意ならばその役目は放り出してもよろしいかと。では」

 

「『では』ではなく。油断もスキもねぇなこのヒト。オレも陽依ちゃんたちと癒やしの時間を過ごしたい……」

 

 

 天羽天音が葦原国近に説教を受けている。その様子を見て陽依はきゃっきゃっと笑っているが……助けてあげる気はないのね。郁は思う。もっとも、郁としても助ける気なんてさらさらないが。

 郁の見立てでは天羽天音はあれで『遠慮している』状態だ。音楽に関すること以外のすべてにおいて壊滅的な彼女はもちろん社会性も滅亡レベルだが、そんな彼女が努めて『社会的に』振る舞っているのが『アレ』だ。つまり触れるべきではない。なんであの感性でヒトの心を揺さぶる詞が書けるのよ。下手なホラーより怖いわ。

 

 

「先生は『コミュニケーション』ができないだけですから」と陽依。「相互理解ができないだけで、一方的に叩きつけることならできるんだと思います」

 

「ヒトとしてどうなの? ……でも、それが彼女の音楽を成立させているならそれでいいのかしら」

 

「ふふっ」陽依が笑う。軽やかに。「それで『困る』ひとも居そうですけどね」

 

「逆に困らないヤツなんて居るのかしら」

 

 

 天羽天音の活動は決して一人で完結するものではない。アマチュア時代――インターネット上で曲を発表していた時代とは違い、現在の彼女は活動の『規模』が違う。実質的にフリーランスと言える彼女にとって『コミュニケーション能力』は必須技能と言っても過言ではないはずだ。彼女も一応は『窓口』を持っているが、彼女自身が対応しなければいけないことも多い。その上で『コレ』なのだから――本当に、困らされている者の数は考えたくないほどに多いだろう。それでもなお渇望されるだけの実力を備えているのだから、あまりにもタチが悪い話だ。

 

 そんな天羽天音の要望で郁たちは神戸に来ていた。CMソングを書くにあたって、彼女は神戸に足を運ぶことを望んだ。ユメサキフーズ、夢咲郁のCM。そのための歌を書く『材料』を探しに行きたい、と。もっとも、それだけではなくCMの撮影も目的ではあるのだが……ある意味では同じことかもしれない。

 

 何が『同じ』なのかと言えば。

 

 

「困らない人――例えば、『それ』を利用する人とか?」

 

「そう、そうね」郁は陽依の視線を追ってつぶやく。その先にあるのは銀色。夜を支える白銀の女王。「冬城玲奈……陽依には振り回されているイメージもあるんだけど、なかなかどうして」

 

 

 底知れない。

 

 陽依のマネージャー、冬城玲奈が選んだ『一手』は――天羽天音の『要望』を聞いた彼女は、今回のCMを『天羽天音の楽曲のMV』としての性質も帯びさせることを提案した。

 ユメサキフーズにとっても天羽天音にとっても『利』がある一手だ。成功すればどちらにとっても――ユメサキフーズにとっては『天羽天音』という絶大な影響力を持つ存在を広告に使うことができるし、天羽天音にとっては『理想のMV』を作るための潤沢な予算と自由を得ることができる――メリットがある。

 

 ただし『成功すれば』の話であり。

 

 

「私は、その『あおり』を受けている側なのだけれど」

 

 

 その『成否』を左右する人間が誰かと言えば郁だろう。

 このCMは大きな話題性を持っている。望月陽依と葦原国近の『夢の共演』に加えて、天羽天音という現代最高峰のヒットメーカーによる楽曲提供。これは間違いなく非常に大きな『利』ではあるが……今回のCMで宣伝する商品は『夢咲郁』を象徴としている。つまり、『夢咲郁』の存在が埋没してしまえば『商品への訴求』という最大の目的が達成されない可能性が出てくるのだ。

 

 郁は自らを正確に評価している。優れた容姿はもちろん、『発声』が素人の領域を逸脱している。緊張には強く、カメラの前だからと言って自分をなくすこともない。『演技』が――『自分ではない誰か』を演じることは得意とは言えず、どうしても『夢咲郁』になってしまうが、それは今回のCMでは枷にはならない。今回の撮影にあたって『問題』となるようなものは存在しない。

 

 だが、それは『前提』でしかない。

 

 問題がない。そんなことは当たり前だ。『地面に足をつけて歩くことができる』次元の話であり、それは目の前に聳え立つ山を登頂できることを意味しない。望月陽依や葦原国近と共演してなお『目立つ』こと。天羽天音の楽曲に『負けない』こと。『望月陽依のCM』でも『葦原国近のCM』でも『天羽天音のCM』でもなく、『夢咲郁のCM』であると視聴者に思わせること。

 それを達成するために必要なことは減点をなくすことではなく、加点を、それも圧倒的なまでの加点を増やすことだ。

 

『天才子役』という言葉では収まらないほどの実力と実績を持つ役者、少なくとも国民の九割に知られているだろうトップアイドル、世界的な人気を誇るシンガーソングライター。誰か一人でもCMに出演すれば、その商品に彼女たちの名前が紐付いてもおかしくないほどの逸材。『あ、陽依ちゃんのだ』『国近のじゃん!』『天羽天音のやつだっけ?』そんなふうに言われてもおかしくない――どころか、きっとそうなる。

 そんな彼女たちに負けない。しかも、彼女たちが『手を抜かず』に。

 

 

 ――陽依には、私のことを強制的に引き上げてもらうことになるわね。

 

 

 以前、郁は陽依にそう言った。『今の私じゃ陽依に勝てない。あまり言いたくないけれど、現状の私とあなたには隔絶した差がある』と。それは一朝一夕の努力で埋まるものではない。郁がどれだけ努力しようとひっくり返すにはあまりにも時間が足りない。物理的に不可能だ。

 

 もちろん陽依の助力に頼りきりでいていいわけもない。郁の努力も必要だ。必要、だが。

 

 

「……どうすれば、いいか」

 

 

 どうすれば。すなわち、『何』をすればいいのか。

 

 そもそも、それが難しい。

 

 

「アイドル、役者、歌手」陽依が指折り数えて、最後にぎゅっと拳を握る。「……それだけじゃなく、いわゆる『芸術的な分野』では、一定のラインを越えると『何をすれば上達することができるのか』ってものすごく難しいですからね」

 

「芸術的な分野に限らず、ではあるけれど」郁は手製のカヌレをつまみあげる。「試行錯誤が、難しい分野だと思うわ。科学的なアプローチと親和しない。ちょうどこのカヌレを焼き上げるときとは違うもの」

 

「うん、違う。……でも、ほんとうに『違う』のかな」陽依はカヌレをまた一口。相好をほころばせる。「このカヌレを焼き上げるためには『このカヌレ』を思いつかなくちゃいけないと思うんです。目指すべき道が見えている。目的地なんて見えていないのに、偶然に『発見』する、なんてこともあるでしょうけど……それはそれで。そう考えると……実は、近いのかも?」

 

「『目的地』を決めるのが難しい、か」

 

 

 道理かもしれない。『偶然にもうまくいく』――そういうこともあるだろうが、それも含めて『近い』と言えるところはあるのかもしれない。

 芸術的な分野において、それも一定のラインを越えた領域であれば。『上達する』ということは難しい。考え得る『問題点』をすべて潰した状態。『改善点』がわからないような状態。例えば料理であれば――レシピ通りに作ることができる。何の失敗もなく。味も何も問題ない。想定通りの味だ。

 

 では、さらに『上』を目指すにはどうするべきか?

 

 わかりやすい『目的地』があるならばそれを目指せばいい。理想の味があるならば、そこから逆算して『どうすればその味になるのか』を目指すこともできるだろう。

 だが、それがなければ? 『目的地』が見えなければ? どこを目指せばいいのかすらわからなければ、歩くことさえできない。『積み上げる』ことすら難しい。試行錯誤さえ許されない。何をすればいいのかわからないまま、無意味になるかもしれない――多くの場合は無意味に終わるだろう努力を続けるしかない。

 

 

「芸術的な分野でも」ぺろり、とカヌレを食べた陽依が指を舐めて笑う。「『積み上げる』方法論は確立されていますけどね。センスを磨く方法……わたしが思うに、センスは『磨く』側面よりも『積み上げる』側面のほうが大きいと思うんですよね。『生来のものを磨く』よりも『生来のものに外から色んなものを積み上げていく』イメージです」

 

「インプットが大事ってこと?」

 

「うーん……そう、なるかな。うん。たぶん、そうなるんだと思います」

 

「……いきなりふんわりしたわね」

 

「わたしも『インプット型』だとは思うんですけど――正直、『才能』って言われても仕方ないでしょう? 実際それも大きいと思いますし……わたしが言っても説得力ないかなーって」

 

「自分で言うのね。同感だけれど」

 

 

 インプット。外部から取り込むこと。インプットとアウトプットを繰り返すことによって上達を見込める……ほとんどのことがそうかもしれない。

 演技であれば、何になるのだろうか。様々な映画やドラマを見る? あるいはそれだけじゃない、演技が関わらないような娯楽作品、小説、漫画……あるいは絵画、音楽、現実に生きる人の営みも『インプット』に含まれるのかもしれない。

 アウトプットは演技の実践。インプロやエチュード……『即興演技の練習』が一般的なものだろうか。いや、一般的と言うならば実際に台本をもとにして演技することこそ最も一般的か。郁の場合、感情のエチュード……『怒り』や『喜び』などの感情表現のエチュードは苦手ではないのだが、特定の『役』を与えられると途端にチグハグになる。もっとも、今回は『役』を演じるわけではないのでその話は置いておく。

 

 インプットとアウトプットを繰り返すことによって『センス』を積み上げる……『スケール』を大きくする。それは明確な課題をもって臨む練習とは異なり、どれだけの時間を要するか予測できず、また必ず実を結ぶとも言えないものだ。

 近道なんてものはそうそうない。飛躍はあるが、それは結果として『飛躍』に見えるだけでしばしば地道な努力の果てにだけ存在することが許される。

 

 

 ただ――今、郁に要求されているものは『近道』なのだが。

 

 

「……陽依は、どうすればいいと思う?」

 

「郁ちゃんが? そうだな……」陽依は何かを探すように視線を一の字に動かす。「あ、冬城さん。ちょっと、タブレット貸してくれません?」

 

 

 陽依の言葉に冬城はどこからともなくタブレットを取り出して陽依へと渡す。お礼を言った陽依はすいすいと迷わず操作しながら口を動かす。「まずは、郁ちゃん。目的を明確にするために言語化しましょう。郁ちゃんの目的は?」

 

「陽依や葦原国近、天羽天音の楽曲に負けないこと」

 

「もう少し具体的に」

 

「具体的に――」郁は少し考える。『負けない』とは何か。「……存在感を出す?」

 

「単に目立つことが目的ですか?」

 

「ある意味では」もちろん、それは『奇抜なことをする』や『著しく拙いパフォーマンスをする』という意味ではないが。「私を……『商品の象徴』である私が、目立つこと。陽依や葦原国近、天羽天音のパフォーマンスは最高のままで」

 

「業界最高峰の実力を持つ者たちよりも画面の中で印象的な存在になること、とも言えますかね。端的に言えば――『魅了』する、『好き』にさせること」

 

 光ること。陽依はつぶやく。「ただ、まあ……これ以上は言葉遊びになるでしょう。目的の設定はこれくらいにして、では、その目的を達成するためにどうすればいいのか」

 

「実力で陽依たちを越えることは不可能よね」

 

「さすがに郁ちゃんでも難しいかな。わたしと兄さんのパフォーマンスが最悪で、天音先生の曲が過去最低の出来で――それで郁ちゃんが最高のパフォーマンスをしたなら、とは思いますけど」

 

「それは許せるわけないわね。陽依たちにも最高の仕事はしてもらわないと」

 

「うん。それに、そもそも『その方向性』は具体性がない」

 

「具体性?」郁は眉を上げる。「実力で陽依たちを越えることが?」

 

「はい」陽依はうなずく。「『実力』なんて。曖昧なものですよ。そんなものがなくたって、最終的に出力された結果が良ければいい。偶然でも奇跡でも、結果的に『良い』ものができればいいんです。目的は『それ』です。それを達成するためには、どうすればいいのか。突き詰めて考えていきましょう」

 

「偶然でも、奇跡でも、ね。……私が埋もれずに、私に、魅力を感じさせる結果を生むためには」

 

「郁ちゃんは」陽依がまっすぐに郁を見る。「どういう演技に、魅力を感じますか?」

 

 郁にとって、魅力を感じる演技とは。「……改めて言われると、難しいわね。陽依の演技には魅力を感じるけれど――その理由、か」

 

 

 どういう演技に魅力を感じるか。どういうひとに、魅力を感じるか。その条件は……ひとつでは、ないように思える。

 

 

「難しいですよね」陽依が笑う。「簡単に答えられることじゃあないと思います。わたしの演技に限っても、たぶん、いくつか挙げられると思いますし――『役に入り込んでいる』『真に迫っている』『心が動かされる』『凄みを感じる』……どれも間違っているわけじゃないでしょうし。ただ、なんにでも適用できるわけじゃないですが――ひとつ、多くの『名演』に共通することを挙げるなら」

 

 

 ――感情が伝わってくる演技。

 

 

「例外はもちろんありますけど、やっぱりそれが多いんじゃないかな。わたしは、必ずしも感情の動きが大きいものではなかったとしても――『それ』が伝わってくる演技は、魅力的だと思います」

 

「……感情を『伝える』こと、か」郁は考える。「でも、それって今回のCMでも適用できるの? CMに『感動』なんて求めていないように思えるのだけれど」

 

「求めてますよ」

 

「え?」

 

「求めています。大衆はいつでも感動を求めている。それに――言ったでしょう? 『大きいものではなかったとしても』って。例えば――想像してください。シチュエーション、家にひとりで居る少女。スリー、トゥー……」

 

 

 ワン、ゼロ。それは言葉に出さず、指折りのジェスチャーだけで済ませる。陽依の表情が変わる。寂しげな表情。前髪がおでこから浮き、郁から見て瞳に少しかかるくらいの俯き……ふと、肩が震える。顔の俯きが少し浮く。目蓋の開きが微かに大きくなっていることによって『何かに気付いたこと』を表現。肩の震えと表情の気付きが結びついて郁は自然と『通知』を連想する。陽依はタブレットを手に持って――眉が上がる。一気に『静』のイメージから『動』のイメージへ。姿勢が変わっている。はっきりとわかるほどではないが先程までは『猫背』で自分を小さく見せていたのが胸を張って大きく見えるように。実際に身体を動かしてもいるが、髪の『なびき』さえ計算して見る者に開放的な印象を与える。陰から陽へ。表情はまだ『明るい』と言えるものではないが、先程までの静かなものとは異なり、どこか目まぐるしい。視線がテーブルの上のカヌレへ。それを手にとった陽依は、かじる前後だけ速度を落とし、カリッ、と。かじった場所は見えないようにしながら、思わず、といった調子で口角が上がる。しかし、すぐにムッと――どこか演技がかった調子で唇を尖らせ、タブレットに向き直る。カヌレを片手に、表情はかたく……だが、先程までの閉じた印象を離れ、ひとつひとつの動きが大きい。『寂しさ』は感じない。表情は怒っているように見えるのに、明確に『機嫌が良くなっている』ことが伝わる。そして、カヌレをもう一口。カリッ、と。

 

 

「――はい、おしまい」

 

 

 陽依の言葉で、郁はハッとした。そして理解する。『大きいものではなかったとしても』……確かに、これは。

 

 

「良いCMに、なりそうね」

 

「演技力でゴリ押ししてるだけですけどねー」陽依がにぱーと笑う。「でも、伝わりましたよね? 郁ちゃんなら」

 

「ええ」

 

 

 感情を伝える演技の重要性は理解できた。『これ』をすれば、自分も魅力的に見える……だろうか? 陽依や葦原国近に負けないほど? それは……どうやって?

 

 

「ただ」陽依が郁の心を読んだように口を開く。「『どうすれば』感情を伝える演技ができるか、と言うと難しいですよね。よく言われているのはメソッド的な……つまり、『自分がその感情になること』ですけど」

 

「メソッド演技……やっぱり、演技と言えばそれなのかしら」

 

「基本はメソッドって人は多いと思います。わたしはちょっと違いますけど、メソッド的なアプローチのほうが『演技を詰め込める』んですよね」

 

「演技を詰め込める? ……意識できる動作には限界があるけれど、無意識ならもっと多くの動作を表現できる、という理解で間違ってないかしら?」

 

「ですです。『本当にその感情になる』と意識できないような部分まで演技することができますからね。意識的な範囲だと単位時間当たりに詰め込める動作にも限界があります。瞬きのリズム、目蓋の開き、眉の角度、口角、呼吸、首の角度、微細な筋肉の動き……エトセトラ、エトセトラ。首から上だけでもこの通り、ぱっと挙げることさえ手が焼けます。そういった『すべて』を意識して支配下に置くよりも『本当にその感情になる』ほうが、ずっと現実的でしょう? 『どんな感情のときにどんな動きをするのか』は――『経験』としてパッケージ化して『引き出す』方法もありますけど、それだってメソッド的なアプローチとも言えちゃいます」

 

 

 その上で『伝わる』ように表現する。それはもう一段階上の技術になりますが……陽依はぴんと指を立てる。「例えば、それがものすごく『自然』とできる人も居ます。カレンちゃんとか。方向性は違いますけど、莉央姉ぇもかな」

 

 

 そして。わたしが思うに、いちばん郁ちゃんと方向性が近いのは――陽依がタブレットの画面を郁に見せる。

 

 そこに映っていたのは。

 

 

「――王賀誠司。わたしが知る限り、最も『伝わらせる』力が強い役者の一人です」

 

 

 プロフェッショナル・キラー・イン・ガール。陽依のデビュー作であるその作品において『透明人間』として出演した彼は『画面の中の誰よりも圧倒的なまでの存在感を見せつける』ことによって『作中の他の誰からも意識されない透明人間』を表現した。

 演技していないときであっても誰もが彼の一挙手一投足に意識を奪われる。鬱陶しいまでに『目立つ』役者。よく通る上に大きな声、常に芝居がかった大仰な動きをして、他者に慮るということを知らない『超』がつくほどに自己中心的なナルシスト。『何を演じても王賀誠司』と言われる演技は賛否両論。毒に近い劇薬のような男だ。

 

 

「実際の演技って『コミュニケーション』の要素も強いんですが」陽依は言う。「王賀さんは複数人での芝居のときも『モノローグ』的な――一人芝居じみた感覚で演技をしている。それでいて『呼吸』の掴み方が抜群にうまい。『コミュニケーション』を無視しているように感じられるのに、破綻しない」

 

 

 もっとも、共演者にもそれなりの実力が求められますが、と陽依。めちゃくちゃ厄介で扱いづらい役者であることは間違いありません。……が。

 

 

「郁ちゃんの参考になると思います。観てみて下さい」

 

 

 そう言って、タブレットを手渡される。プロガーなら何度も見たが、今陽依が見せているのは違う作品……王賀誠司が出演している、海外作品? 郁は陽依が出演している作品ならすべて観ているが、それ以外の作品はそこまでフォローできていない。陽依以外なら星見カレンの作品は観ることも多いくらいのものだ。個人的に『役者』として活動する気がないというのもあった。それでも観ないことはないが、余暇に鑑賞するのであればもっぱらライブバトルリーグの映像だ。

 

 だが――プロガーを観ているときとは違う。意識が違う。『参考』にしようという意識で観る、王賀誠司の演技。それは。

 

 

「……へぇ」

 

 

 ふ、と浮くものがあった。ふつふつと。湧き上がるものがあった。

 なるほど、まったく、陽依は的確だ。確かに『これ』は参考になる。『夢咲郁』にとって、非常に参考になるサンプルだ。

 

 陽依に目を向けると、彼女は笑って郁を見ていた。満足げな表情――ああ、そうか。陽依はここまで読んでいたのか。読んでいた上で……今までのやり取りは、読んでいたから。

 

 かわいらしい。やっぱり好きだ。愛している。そして、ほんとうに――気に入らない。

 

 

「陽依」

 

「はい」

 

「ありがとう。私――わかったわ」

 

「どういたしまして。ちなみに、何をわかったんでしょう?」

 

「許せないこと」

 

 

 私の上に、誰かが居ること。それを、私は許すことができないということが。

 

 

「……絶対、見上げさせてやるわ」

 

 

 この私を、見下すようなマネは許せない。誰にも『私以外の誰か』を見上げるようなマネは許せない。

 

 郁は聡い少女だ。理解している。王賀誠司は『自分に似ている』。似て非なる、と言いたいところだが方向性が近いことは否定しようがない。郁は理解している。陽依の手口を。『似ている』からこそ陽依は郁にとって『王賀誠司』の存在が何をもたらすのかを予想していた。それもかなりの確度をもって。郁が『意識的に』彼を観たときに郁がどう感じるかを読み切っていたのだろう。郁は知っている。これは郁の要求に陽依が応えたものだということを。目的はついさっき言語化した。『夢咲郁の存在によって視聴者の心を動かす』こと。そのための手段は? 感情を伝えるための手段。そのアプローチとしてメソッド演技的な『自分がその感情になること』と――その上で『伝える』ためにはどうすればいいのか。『届かせる』ためにはどうすればいいのか。

 

 郁は言った。『陽依には、私のことを強制的に引き上げてもらうことになるわね』と。

 

 それは――こういう意味ではなかったのだけれど。

 

 

「雰囲気、出てきましたね」陽依が言う。「それでこそ郁ちゃんです。さあ、王賀さんの演技を参考にして――あの『出力』だけを掠めとってください。メソッドはわたしがなんとかします。『感情』はわたしが動かしてあげる。郁ちゃんはそれを加工してください。『素の反応』を加工して『届かせる』ことができれば――きっと、今回の撮影は成功します」

 

 

 そして――撮影は何度かのリテイクを挟みながらも順調に終わった。

 陽依の演技によって、郁は強制的に感情を引き出され……郁のするべきことは、そこから。メソッド演技的な『感情を引き出す』アプローチは陽依によって既に終わっている。それを『表現する』ことだけが郁のするべきことであり……結果だけを述べるのであれば。郁のCMは過去のシリーズの中で最高の出来になったと断言できる。

 

 その後、天羽天音の楽曲を歌唱した際にも『加工技術』は役に立った。『届かせる』ための力。もっとも、彼女の要求は郁が想像していたよりも一段……いや、三段くらいは上のものだったが。もちろん郁としては『燃えた』し、陽依や葦原国近にも助けられた。天羽天音の指摘(指導ではない。絶対に)は的確だったが、『翻訳』抜きには理解が追いつかないこともあったのだ。途中で慣れはしたものの、(葦原国近は「もう理解してる……!?」と驚いていた)、こんなのでよく仕事できてるわね、とは正直思った。

 

 結局、わざわざ神戸まで足を運んだ意味はあった、と言えるのかどうか。結果だけを考えるなら『あった』のかもしれないが……天羽天音のことはよくわからない。彼女も何か得られるものがあったのだろうか? 神戸を散策している中で突然「夢咲郁さん。あなたの『音』が理解できました。スタジオに行きましょう。収録します」などと言われたのは、正直何が何だかわからなかったが。

 

 余談だが、神戸を観光する陽依はめちゃくちゃかわいかった。地元を案内することができて良かった。それについては自信をもって断言できる。

 

 

 しかし……陽依の演技は、思っていた以上のものだった。共演者という視点に立つと今まで見てきたものとはまったく違った側面が見えてくる。

 陽依は言った。感情を伝える演技こそが良い演技だと。感情を伝えて、感情を動かす演技が多くの場合において名演と呼ばれる。陽依の演技はその定義に則っている。観る者の感情を動かし――そして、それは『意図した感情を動かすことができる』ことも意味している。

 

 言い換えるならば――望月陽依は他者の感情を『支配』できる。

 

 郁は『それ』をはっきりと感じた。「感情はわたしが動かしてあげる」。その通りだった。陽依の演技によって、郁は自然と感情を誘導される。身体の動きさえも『自分で動かしている』と思っているだけで実際は陽依の思い通りに動かされているのではないかと錯覚してしまうほどだった。もちろん、単に『乗せられる』だけだなんて郁が許せるはずもない。むしろ『乗ってやる』と。『利用してやる』と思って喚起された感情を表に現す。だが、それさえも陽依の掌の上だったようにも思える。

 真に優れた役者の演技は世界を支配下に置くことができる――そんなことを言ったのはどこの監督だったか。その言葉を聞いたときにはよくある誇張表現だと思ったものだが、彼は真実を語っていたらしい。

 

 

「……催眠術師は、宮坂莉央への当て書きなんじゃ、なんて思っていたけれど」

 

 

 プロフェッショナル・キラー・イン・ガール。望月陽依のデビュー作において『言葉ひとつで他人を思うがままにできる少女』として登場したキャラクターのことを思い出す。

 こんなことができると知った今となっては、陽依が演じても面白かったのかもしれない、なんて。冗談のように思う。言うまでもなく、当時の年齢を考えれば実現するはずがなかったことだが。

 

 きっと、これでも望月陽依という役者を理解するには足りないんだろう。彼女の本領はドラマや映画だ。郁は陽依が出演した作品はすべて観てきたつもりだが、いつだって陽依は完璧と言っていいくらいの演技をする。底なんて見えない。

 陽依のことは好きだ。好きだが、いずれ覇を競うことになるライバルでもある。そんな彼女の底知れない実力に警戒心を抱かなかったわけではない。しかし、それ以上に誇らしかった。こんなにも、私の陽依はすごいんだって。

 

 だから。

 

 

「望月陽依。君の演技は完璧だ。そして、だからこそ――つまらない。僕が求める演技じゃない」

 

 

 そんなことを言われるなんて、予想もしていなかった。

 星見カレンと望月陽依の共演。郁も出演することになったその現場で、未だ何の実績もない監督がそんなことを言ったのだ。

 一拍反応が遅れて、理解した瞬間、全身の血が沸騰したかのように燃え上がった。反論してやろうと、思わず一歩踏み出したところで。

 

 

「子役に求められているものは『成長』だ。子役でなかったのであれば、君は最高の役者だったんだろうが――大衆は、君を通して『未来の君』を視ている。『期待』したいんだ。君にはそれがない。だから、つまらない」

 

 

 足を止める。足が止まる。望月陽依は最高の役者だ。完璧な、完成した役者。

 

 だが、『子役』としては?

 

 ……郁は思い出す。CMの撮影で陽依と話したときのことを。上達するためにはどうすればいいのか。問題をすべて潰して、わかりやすい改善点がない場合。一定のラインを越えた領域にある『行き止まり』。

 

 大衆は子役を通して子役の『未来』を視ている。現実には未だ存在していない『より良いもの』を期待している。

 

 つまり。今、陽依に要求されているものは。

 

 大衆が抱く『望月陽依の偶像』に打ち勝つこと。

 

 

 ――オーダー。

 

 不在の神を演じよ。

 




ちょっとだけ区切りいいとこまで書けたので更新しました! 明日と明後日にも更新します! 区切り悪すぎて明後日ぶんまで書かないと更新できなかったとも言う……!
本物の黒の方々ほどではないと思うんですけど、労働にやられてしまっておりました。落ち着いてきた……かと言うとビミョーなんですが、なんとか時間の都合がつけられそうなので更新速度は戻していきたいところです。
が、明後日の更新以降のエピソードはまとめて投稿したい気持ちもあります。5……いや、6か7話くらいはあるんですよね。そこで2章はいったん終わり? 予定です。3章で子役編は終わりで4章からがアイドル編の予定! まだアイドル編にいかない……。

そうそう。全然アイドルの話にいかないし……タイトルを! やっぱり! 変えようかな……と!
今のところの案としては「星を演じて、魔王を謳え。~超絶美少女天才役者・望月陽依ちゃんのつよくてかわいいにゅーげーむ!~」です! かなり変わっちゃう……!
端的に「星を演じよ。」とかも考えたんですけどね。かっこいいし。おしゃれタイトル! 憧れますよね。大好き。でもあんまり伝わらない気がするので……。
多くの人に読んでもらいたいのタイトル付けなので、できれば内容は伝えたい。あと「軽さ」も欲しい。そういう気持ちです。
サキュバスアイドルマイスターは……やっぱり、同人エロゲのタイトルかな……って……。
タイトル変更は次のまとまった更新が終わったくらいを予定してます! 
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