大魔導士が嫁探しをするのは間違っているだろうか 作:今更止められねぇよ!性癖スイッチオンだ!
意識の変化
黒竜討伐後、世間に黒竜討伐は周知されていないようだった。各国上層部は流石に諜報員からの報告で知っているのだが、それを国民に喧伝することはしていない。目前の脅威が去ったことで国力が低下する可能性を、各国が懸念したためである。単純にグリムたちがなんの事前連絡もなしにいきなり黒竜を討伐してしまったこともあるが。
これは国家ではないオラリオでも同様で、特に冒険者の中には、打倒黒竜を目標に据える者もいる。そのような冒険者のモチベーションを壊さぬよう、数年前に黒竜討伐がグリムたちに委託された時と同様、冒険者への周知はなされなかった。
黒竜討伐の委託を知っているのはウラノスとフェルズ、ロキと三幹部、ガネーシャ・ファミリアに、フレイヤとミア、オッタル、ヘディン、ヘグニくらいだろう。あとは例外でアルフィアとザルド、ゼウスか。
黒竜が討伐されたことを知っているのは更に少なく、ウラノスとフェルズ、ヘルメスと、『竜の谷』ブートキャンプが中止になったガネーシャ・ファミリアだけである。
一方で『勇士』たちは比較的平穏な日常を送っていた。『竜の谷』は黒竜が死んだことでモンスターを生み出さなくなり、『竜の谷』のモンスターを使った修練もできなくなった……というより、そもそも黒竜を倒すための修練だったのでする意味がなくなったためだ。
となると、当然グリムは本来の活動である魔法の研究に戻り、それに興味のある『勇士』はグリムからの教えを受けつつ同じく研究を。それ以外のメンバー――具体的にはルーナとヘルヴォール――は他の『勇士』を巻き込みながら自己鍛錬というのが日課になっていた。
「ん」
「おう?」
廊下を歩いていたスタルガドが、クイと袖を引っ張られて振り返り目線を下に向けると、そこにはクセのついた茶髪があった。
スクルドは普段グリムにぴったりとくっついて回っており、あまり他の『勇士』に接触することは多くない。とはいえ全くないわけでもなく、こうやって稀に話しかけてくることはあるのだ。
スクルドは、持っていたボードをスタルガドに見せる。そこには
『相談がある。聞いてほしい』
スクルドは喋ることができない。それは、グリムを含めた『勇士』たち共通の常識である。しかし、グリムだけが知らない事実が存在する。
スクルドは、筆談ならできるということである。
よくよく考えれば、他の人間からの言葉を理解できている以上、言語能力を失っているわけではなく、ただ意味のある言葉を発せないだけなので当たり前ではあるのだが、なまじ数十年間の共同生活で筆談が必要ないほどの仲になってしまったせいで、グリムはそれに思い至る機を逸してしまったのだ。
そして同時に、スクルドもグリムの前では筆談を用いようとしなかった。理由は簡単。ボディランゲージの方が甘えやすいからである。要するに、喋れないという事実を甘えることの免罪符に使っていたのだ。
そういうわけで、スクルドはグリムが見ていないところでは、このように普通に筆談で会話をしているわけである。
スクルドの言葉を受け、スタルガドはとりあえず場所を映すことにした。どんな内容か、薄っすらと想像がついたためである。
談話室でスクルドと膝を突き合わせたスタルガドが聞き取った『相談』は予想通りのものだった。
グリムと一緒にいると顔や体が熱くなるようになった。心臓の鼓動が速くなるようになった。なんだかほわほわして上の空になることが増えた。下腹部が疼くようになった。不意にグリムの顔が頭に浮かぶようになった。
聞いている方が恥ずかしくなるような惚気を、スクルドは『風邪っぽい症状だけど体は健康体』と真剣に語っている。
そんな恋愛小説の主人公の箱入り娘みたいな認識……と半ば呆れているスタルガドだが、仕方ない部分も多い。そもそも50年ほど生きてきた中で、40年近くをグリムとの修練と魔法研究に費やしている。物心付く前に親を亡くし奴隷として売られたことを踏まえれば、おおよそスクルドの『人生経験』と言えるものはここ10年程度だけであるのだ。
それでいながら趣味趣向はほぼ定まってしまっており、これまでスクルドは『物語』の類を読んだことがない。彼女の知っていることは自分の見聞きしたものだけであり、そこに恋愛に関するものは含まれていなかったのである。
そんな彼女の周りでの数少ない『男女関係』が、例えば彼女の両親であったり、同じ『勇士』のカールと、その恋人――現在は妻であるマリアであったりする。つまりは子を持つ父と母の関係であった。
それ故に、黒竜討伐後、幼児退行したエアリアルから母と呼ばれ、同じく父と呼ばれたグリムと
「あー……ちょっと踏み込むことになるけどいいかい? ……うん、じゃあ聞くけど、例えばだよ? スクルド、君の生みの父親、つまり、亡くなられたお父上のことを考えたとき、グリムの旦那と同じような状況になることはあるかい?」
スクルドはこの問いにNOと答えた。魔法を使って両親との思い出は保存し、すぐに思い出せるようにしてあるが、父のことを考えても、グリムと同じようにはならない。
一方スタルガドも「だろうね」と納得する。これはスクルドが抱く感情が恋愛ではなく家族愛である可能性の確認だが、下腹部が疼いている時点で絶対違うと思っていたため、念の為確認の意味が強かった。
「んー、じゃあ例えばだ。君はロキ・ファミリアのリヴェリア女史と会ったことがあったらしいね。旦那と同じハイエルフの。旦那がもし、そのリヴェリア女史を『今日から彼女を養子にする』って言って連れて来て、娘として扱ったらどう思う?」
「む」
む、である。
とはいえこれはスクルドとしても、ラタルやエアリアルの時に通った道だ。グリムが自分に割く時間が少なくはなってしまうが、それしきのことで文句を言うほど、スクルドは子供ではないのである。
まぁ、確かにエアリアル初対面の時は、突然だったこともあり少しは取り乱したが、しかしそれだけであった。
「それじゃ、旦那がリヴェリア女史と子供を作るって言い出したら?」
つまりそれは、グリムとリヴェリアが父と母になるということ。それを聞いた瞬間、スクルドの心臓の下あたりが、ゴロゴロと鳴り出したように感じた。実際に鳴っているわけではない。ただ、それを想像しようとするとそこはかとなくもやもやする。気が散ってしまって、想像できないのだ。
理由はスクルドにはよくわかっていない。それは本能的なものなのか、あるいは無意識的なものなのか、まぁおおよそ同じ意味ではあるが、確かなことは、スクルドの体がスタルガドが口に出した例えに対して拒絶感をあらわにしているということだった。
「うーん、やっぱり?」
そして、それをスタルガドは予見していたようだった。彼としても確定はしていなかったし、無責任にそれを恋愛感情と決めつけて焚きつけるのはよくないと思ってのことだったのだが、外から見たスクルドの雰囲気の変化は、スクルド自身が感じていたよりもはるかにあからさまだった。
となると、次はそれをちゃんと知覚することだろうと、スタルガドは考えて、スクルドを連れて適当な街へ出かけると、書店で恋愛ものの小説をいくつか購入してスクルドへ渡した。師弟ものや義父もの、ヒロインがボーイッシュなタイプを多めに買って。
「とりあえずこれ読んで、恋愛がどんなものか学ぶといいよ。そのうえで、旦那とそういう風になりたいと思うようだったら、また相談してよ」
そう締めくくったスタルガドを見送って、スクルドは手元の本に視線を向ける。
スクルドが再びスタルガドを呼び止めたのは、それから5日が経過した頃だった。
「いや早くない? 10冊近く買ったよね?」
「ん」
スクルドが空間から取り出したのは、読み終わったのであろう恋愛小説。しかし、その数はスタルガドが買った時に比べ倍ほどに増えている。実はスクルド、物語というものを体験し、見事にはまっていた。追加で買いに行ったり、恋愛小説以外の小説にも手を出して、英雄譚やそのほかの娯楽小説に語られている恋愛要素までしっかりと学習していたのである。
そしてスタルガドを呼び止めたということはつまり、恋愛というものをある程度理解したうえで、グリムとそういう関係になりたいと望んだということである。そうなれば、スタルガドも真剣に対応せざるをえない。
「さて……じゃあまず、旦那と君が恋人同士になるうえで一番の問題点があるってことは、理解してるか?」
「ん……」
「よくわかってないか、心当たりが多すぎるか、か……おじさんが思うに、一番障害になりうるのは旦那が君のことを『男』として認識していることだと思うんだ。基本的に、恋愛は男女で行うものだからね」
特に、不可抗力とはいえスクルドはグリムの治療の結果で女性になってしまっている。グリムはそれを自分の責任と考えて、スクルドが男であるということを強く認識するに至っているのだ。
そして間が悪いことに、スクルド自身も性自認自体は男性寄りなのだ。女性の体で男性としてグリムに恋しているのである。
「手っ取り早いのは、君が女性であるということを自分から強調するようにして、グリムの旦那に意識改革を起こすことなんだけど……男としてグリムの旦那と付き合いたいとなると、まぁ普通よりは体が女な分ハードルは低いとはいえ乗り越えなきゃいけない壁が――あ、そこは特にこだわりはないのね」
「ん!」
スクルドにとって、重要なのはグリムとの関係である。ならばと、スタルガドは提案する。
「なら、
「ん」
「よし、決定。それじゃ、明日ね」
こうして、スクルドがグリムに女性として意識してもらうための作戦が、幕を開けたのである。