巡り巡る   作:桃木野

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序章

 就職を機に移住した横浜で妻と出会い、新居の家に引っ越して早数十年。

 幼少期からコツコツ物語を書き続けてきたおかげで、今では棚の中に作品が溢れ返っている。そうして、新たに書き始めた作品の長編を途中で切り上げ、序章を区切りの良い所まで書き終えてから、僕は一呼吸置いた。

 自室で独り言を呟いてから文机に万年筆を置き、忘れずにキャップを閉め、妻が書き始める前に傍らに置いてくれた珈琲(コーヒー)をマグカップを傾けて口に含む。冷めてしまったそれを飲み込んで壁掛け時計を見上げると、既に数時間は経過していた。

 喜寿を迎えて二ヵ月が経ち、かつて就職していた頃は、休日になる度に趣味で物語を書いているが、それは只の自己満足に過ぎない。幼少期からの癖で未だに作文用紙で書き、大人になってからは鉛筆から万年筆に切り替え、様々な題材を基にしてきたが、決して表に出す事はない。

 父に似て、好きな事を突き詰めてしまう性格を受け継いだ自分は、縁があって妻や子宝に恵まれ、それなりに幸せな日々を送れているものの、胸中には燻っている感情がある。それをどうにか文章にして整理するための表現に過ぎず、その為に矛盾しないよう膨大な資料や知識。インターネットでの調べ物に余念がない。昔と比べて随分と便利な時代になり、日々娘や息子などから話をよく聞いて、当人達が些細だと思う事でも物語の題材にしている。そのおかげで、二十七年前に文豪ストレイドッグスという作品に出会い、こうして今まで作ってきた物語の設定を拾い集めて詰め込んで作り上げる事ができた。

 おかげでアニメと連載漫画に留まらず、外伝を含めた原作小説を読んで、予想斜め上の展開に複雑な感情を抱いている訳だが。

 一度伸びをして座布団から立ち上がり、腰の筋肉を(ほぐ)している最中に、ふと冷たい夜風を浴びながら庭を散歩でもしようかと思い至った。

 

「歩けなくなったら困るからなァ……」

 

 そう独り言を呟いて、漫画の新作を買うのはいつにしようかと老眼鏡をかけてから、卓上カレンダーに書き出してある予定を見てみる。

 これからお盆になるので、孫夫婦が曾孫を連れて帰省する。息子夫婦も元気だから、今年も帰ってくるだろう。後回しにするのは良くないから初日の夜にしようと決め、机上にカレンダーを置き、老眼鏡を外した矢先に、郵便受けに郵便物が入る音がして、出窓から外の様子を(うかが)うと、鴉が器用にそこに入れているのが見えた。

 僕の気配に気付いたのか、頭を上げて僕の方向へ振り返り、一声『カァ』と鳴いて森がある方角へ飛び去っていった。郵便物に悪戯でもされたのかと思い、自室を出て妻が居る居間を通り抜け、廊下の先にある玄関で靴を履いて、外に出て郵便受けを確認する。

 そこには茶封筒の手紙が一通入っているだけで、他には見当たらない。

 僕の名前が達筆な筆文字で書かれており、裏返してみれば差出人は不明だった。

 同級生だろうかと思っても、切手も貼られていないようじゃ此処まで届かないだろうと疑問を抱えて、自室に戻る。

 

 手紙の内容は、何故か文字化けしていた。

 

 だが、宛先が自分である限り読まない訳にはいかないので、好奇心も手伝ってスマホを手に取り、文字化けを直してくれるアプリを起動し、QRコードのようにカメラ機能でそれを映して自動的に復元させてみる。

 それには、短くこう書かれていた。

 

 初めまして。突然のお便り失礼致します??

 私??、??と申します??

 単??直入に申し上げます???数日??にお迎えに上がります??で、????こ??手紙を持って??????くの瀬上市民??森に????して下さ???

 

 何度も文面を読み、疑問符で虫食いになっている箇所を推測していき、自分と(ゆかり)があって名前が一文字の人物をあれこれ挙げていくうちに、自然と口が開き戦慄(わなな)くのが自分でも判った。

 ずっと会いたかった人だ。

 届いた時間を見る為に、視線を上に滑らせていくと十八時を少し過ぎている。

 数日後に相当するお盆の日中では忙しいので、その早朝に向かうと決意した。

 

 

 お盆に向けて準備で疲れた妻に、事前に『早朝に森に行く』と告げていたので、忘れずに手紙を片手にしっかり持ち、近所の白山神社にお参りをしに行った。

 夏特有の温かい空気に多少の不快感はあるが、そこは木々が生い茂っている為、早朝でも幾分涼しく暗い森へ足を踏み入れる。

 森は太古の昔から神聖視されてきているので恐れ多く思っている僕は、それでも約束を果たす為に(しばら)く歩いていくと、片手に見慣れない紋の提灯を持ち、顔を布で覆って狩衣に袴。足袋に草鞋を履いている人と出会った。その姿は神々しく、言葉が出る前に無言で僕に手をすうっと差し伸べられたので、迷う事無く皺だらけの手を伸ばして握る。

 冷静になって端から見れば怪しい人物なのに、その時の僕はそんな考えなど浮かびもしなかった。

 徐々に薄れ行く意識の中で、(くすぶ)った気持ちが晴れますようにと胸中で祈り、ぼんやりと数日前に書き上げた序章の内容を思い描いた事が、僕が覚えている記憶の最後だった。

 確か、女神の独白から始まり、『我は』と続いている(はず)だ。

 

*

 

 閉じていた瞼を開くと、なんだか手が小さい。

 いや。それどころか(しわ)一つ無い。

 

「え……?」

 

 見覚えの無い和室の間取りに、(よだれ)がついた枕。

 起き上がってみると、すぐに身体が反応した。

 鏡があったので姿を確認すると、別人が立ってる。

 年齢は、一見すると五、六歳辺りか。幼さはあるが、文豪ストレイドッグスの登場人物達の顔立ちに似てる。この顔に見覚えが無いのが残念だが、モブだろうか? いや。モブは顔が描かれていなかったと思う。もしや、誰かの身体に憑依してしまったのでは?

 自分が死んだ記憶は無いので転生ではないと思いたいが、以前の体が喜寿を迎えて年老いていたので、その線も可能性の一つとして頭の片隅に入れておく。さらに、曾孫から聞いたよくあるTS──性転換の(たぐい)もあるので確認すると、小さいながらもちゃんと前と同じモノがついている。これで心置き無く、男として人生を満喫できる事に喜びを感じた。

 しかし、それも束の間、この世界に来た原因は、確実に自宅近くの森で出会ったヒト。いや。現状からして、十中八九人間ではなく神の(たぐい)だと見当を付ける。そうなれば、容易に元の世界に帰れない状況が脳裏を駆け巡って気落ちした。

 

「おはよう、──。入るよ」

「はい。おとうさま」

 

 誰かに呼ばれたので返事をするが、名前は聞き覚えが無い割りに自分によく馴染んでいる感覚が妙で、どうにも気持ち悪く、自動的に音から当て()めるべき漢字が解ってしまう。さらに、育ちが良いからか、この年にして敬語で親と接している。

 間が悪く、(しか)めっ面をしている時に襖の向こうにいた父親らしき人物が入室してきたため、具合が悪いのだと勘違いされた。

 

「大丈夫か、音八(おとや)? 幼稚園休むか?」

「いえ、だいじょうぶです。いきます」

「そうか。無理するなよ」

 

 情報収集のため、外に行く必要がある。

 七十年振りの幼稚園生活で、同じ組の子に振る舞いのせいで『爺臭い』と言われたが特に気にする事ではない。本当に爺だもの。

 数時間過ごす中で判った事は、此処は(かつ)ての故郷でも通っていた幼稚園でもない。しかし、心当たりはある。

 

「出島町……?」

 

 地図で見た聞き覚えのある長崎の地名と、

 

「う……、とれない」

 

 一層、ボールが浮いて手元に戻れば善いのに。

 

 更に、木の上に引っかかったボールを取れるようにと胸中で期待しただけで、それの周りに発光する文字が物凄い速さで出現し、ふわりと浮いた事などが主な要因だ。

 

「……完全に自分が描いた世界だ」

 

 手元にボールを持ったまま深呼吸し、この小説世界からの脱出方法を考えてみる。

 

 極論だが、死ぬしかあるまい。

 しかし、長男である故、異例が起こらなければ、いずれ起こる戦争には徴兵されないだろう。原作では、立原道造の兄──春蝉が戦場に居たから、それほど人員が戦死し、戦力の補充が必須だったと推察する。

 僕が書いた小説では、立原春蝉は出征してたか?

 ああ、駄目だ。頭が霞がかって覚えとらん。仕方ないが、未来に任せるとしよう。それと、態々(わざわざ)この世界に連れてきた神の思惑を知るために、最も接する機会が多い立場である宮司になろう。

 

 決意して将来の夢を確定させ、幼稚園のバスで帰宅し、父方祖父──と過ごし乍ら父の帰りを待ち続ける。具体的には、冷蔵庫に保管しているお八つを頂いたり、木製の脚立を使って神棚の供え物を下げたり、夕方のアニメを観たりと実に子供らしい生活だ。

 

「ただいまー」

「おかえりなさい、おとう──」

「ん……? どうした、音八(おとや)?」

 

 引き戸の玄関を開ける音がして、今朝と同様、目の下に隈をこさえている父を出迎えてみれば、肩に鬼の形相をした着物を着た足の無いお婆さんが何やら恨み言を吐いている。曰く、「お前さえ居なければ、私はもっと成功を収めていた」だの、「何故大学に行かなかった。世間から笑い者だよ」だの父に対してのものだった。

 父が手を伸ばして僕の柔らかい頬に触れたが、外で雨が降っているせいかそれに伴って体温も冷たく、ひやりとした感覚で反射的に肩が跳ねて悲鳴をあげてしまう。

 

音八(おとや)?」

「うわああっ!?」

 

 (しか)も、廊下から数(センチ)飛び跳ねて、着地しようにも均衡を崩して踏鞴(たたら)を踏み、尻餅を着く始末だ。

 

音八(おとや)、大丈夫か!?」

「いやだ! おばけ、あっちいけ!」

 

 精神は老人だのに、今の身体は幼子という事もあり、如何(どう)にも狼狽(うろた)えると精神が其方に引っ張られてしまい、混乱して泣いてしまう。

 探偵の江戸川コナンより酷いぞ、今の僕。

 更に悪い事態は続くもので、父の黒髪を掠める距離で拳を見舞ったが、お婆さんの幽霊はひょいといとも容易(たやす)く避けられ、無意識とはいえ咄嗟に異能力を発動して玄関の硝子(ガラス)を割った。これには、台所で夕飯の調理中だったお爺様も玄関先迄飛び出し、「何事か」と状況把握に努める。

 そして、祖父と父が夕餉時に孫の話を真摯に傾注して聞いた結果、自分の異能力が春日家の遺伝子由来の念動力である事や、今は埼玉県秩父市に居る姉──(あかり)と同様の霊感体質だという事が判明した。

 嫌ですが、そんな能力。返品不可能なんですかね?

 そう断って譲歩する暇も無く、段ボールを土台にガムテープが貼られた昔乍らの玄関を見つめて、新たな疑問を口にする。

 

「あかりって、だれだろう……?」

音八(おとや)のお姉様だよ。音八(おとや)が二歳の時に離れ離れになったから、覚えていないのも仕方ないか。……ほら、これが先月来た時の写真」

 

 父が冷える玄関先迄マグカップにホットミルクを淹れて持ってきたが、此処に居る事を 叱りはしない。(むし)ろ、毛布と座布団も往復して持参するくらい、一個人としての感情を優先してくれている。

 手渡されたそれは、グラバー園のランタンフェスティバルに行った時のものらしく、転生か憑依した弾みで記憶が飛んでいるのか全く思い出せない。

 姉と称された少女は、黒髪と日本人には珍しい琥珀色の瞳を持っており、今月で小学四年生になるらしい。そして、笑顔で映ってはいるものの、父同様隈があり、肉付きは人並みでもあまり良い環境に居ないと推測する。

 小さな両手で持って食い入るように見る様子に、父が僕の頭を撫でた。

 

「……お父様。どうして、お姉様とお母様はおうちにいないのですか?」

「僕が、美里からずっと怒られていたからだよ。……少し、疲れてしまってね。今は一緒に居られないんだ。ごめんね」

 

 父曰く、離乳を機に離れ離れになったと言っていたが、謝罪の言葉と自分を責める様子にそれは違うのではないかと疑ってしまう。

 夕餉後の記憶では、電話口から漏れ出た声を聞いた限りでも母が苛立っていた。

 姉に関する子育てに因るものか、元来の性格なのか。自分が未だ幼い事もあり、父は原因について明確には説明しなかった。だが、せめて自分だけは父の味方でありたいと考えている。

 

「……僕、ちゃんとお父様のこと見てるから。つかれても、よしよしするよ」

「っ……。そうかァ……。ありがとう」

 

 涙ぐむ父に力強くぎゅっと抱き締められて、姉も母にこうして慰められているのだろうかと思いつつ、(ようや)く腫れの引いた自分の目から涙が(こぼ)れ落ちるのを無視した。

 

*

 

 最後にお姉様と会ったのは、長崎市立諏訪小学校を卒業し、長崎県立長崎東中学校の進学が決まった三月──卒業した翌週だった。

 (しか)し、姉が横浜で誘拐されたと聞いた時、父は意趣返しに「如何して、気にかけなかったんだ? 母親失格だろう」と電話口で淡々とした声で母を黙らせ、娘が逃げ出したくなる程精神的に追い詰められていた事を話し、原因が母にあると諭した。

 その頃には、社会の授業で習った事を応用して国内情勢の情報収集をしていた為、横浜にはポートマフィアと呼ばれる組織の本拠地が在る事、千葉や横浜等各地に軍事施設が在る事を把握していた。だから、母方祖父の兄が関わっている軍上層部か犯罪組織に当たりを付け、大人になったら其処(そこ)を中心に捜すと決意する。

 一般的には、『お前の妄想だ』と鼻で笑われそうな見当の付け方だが、突飛でも構わない。大切な身内の為なら、我武者羅にでもなる。

 姉と友達の福地先輩や福沢先輩、勝崎先輩は僕が通う道場や学校の先輩でもあり、其々(それぞれ)長崎県立長崎東高等学校や陸軍士官学校に進学する直前だった為、晴れ晴れとした気分で入学式に臨めなかったのが実情だ。

 

 

 それから月日が流れ、高校を卒業する頃に第三次世界大戦が勃発し、本来ならば徴兵の対象では無い長男である福地先輩が陸軍中尉として戦場へ赴く事になり、出征前に一度だけ彼と再会した事がある。

 

「すまん、音八(おとや)(あかり)の事を探し続けてはいるが、未だ見つかっていない」

加澄(かすみ)の事も見つけ出して、必ず四人で帰ってくる」

「お気遣い頂き、有難う御座います。足を延ばして奔走して下さるだけでも、春日家として大変助かっております。……福地先輩、福沢先輩。ご武運を」

『嗚呼。()ってくる』

 

 定型通り「お気になさらず」と言うべきところだろうが、此れから過酷な戦場に身を置く彼らにとって、最大限の礼儀を尽くさねばならない。精神を病んで徴兵検査が不合格になったお父様と、長男で徴兵されずに済んで安心している自分とは違う。

 

「……どうか、お姉様と勝崎先輩、福地先輩と福沢先輩が生還出来ますように」

 

 彼らを見送った後に自宅の神棚に祀られている神々に手を合わせ、無事を願って帰還を待つ事しか無力な自分には出来ない。

 結局、大学卒業後も戦争は続き、人手不足とはいえ国内に居る若い男性は皆嫡男で、宮司として就職は出来たものの、気付けば開戦から十年以上経っていた。既に国中が疲弊して、そこかしこで子供の誘拐や内紛に()る街の破壊が多発し、テレビの報道や新聞記事も勝敗が取り沙汰され、軍需産業の活発化で昭和の大戦時より動き易くなったがその生産に国民が駆り出されている。芸能界の自粛が前面に出て、華やかさも失っている始末だ。

 こうして、転生だか憑依だかしてしまった現状と、血と硝煙に(まみ)れる暴力に加え、異能力という奇天烈な力が跋扈(ばっこ)する殺伐とした世界での生活が強制的に開始した。

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