巡り巡る   作:桃木野

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増える同居人

 主様に関わる悪縁を、自宅から徒歩三〇分の森の中にある不言(ふげん)神社に参拝し続けて全て断ち切り、月を越して通院十八回目の夜に風鈴草さんを解放した二日後の朝。

 精神世界で、ある変化が起きた。

 

『皆さん、おはようございます』

『おはようございます』

『おはようございまーす……』

『昨夜、主様が目覚められました』

『おおっ!』

『良かった~』

 

 灯籠寮の居間で、起き抜けに加密列先生から報告を受けて全員お会いしたが、この世界の本牧研究所からの解放時同様、自分達の姿も声も聞こえないらしい。

 以前と違うのは、俯いているのは変わらないが頭部が若干上がって表情が見易くなったことと、起きていて棒立ちしている事だ。

 主様の瞳や髪は私達より暗い黄色で焦点が合っておらず、花言葉や石言葉等に詳しい寮母の雛罌粟(ひなげし)さんによると、額を覆う長さまで伸ばされている前髪を幾分か横に流し、黄緑色の柳葉を模したバレッタを片側にしている。更に、私に世間の常識と知識を教えて下さった山吹さんは和色にも詳しく、不言(いわぬ)色と言うらしい。

 先月参拝した縁切り神社として名高い不言(ふげん)神社と関係があるのだろうかと考えている間に、管理人の畔菜さんが説明を続ける。

 

『これで全員、牢獄から解放されました。これからは、主に加密列先生から主様に話しかけ続けますので、皆様は見守って下されば幸いです』

『はーい』

『解りました』

 

 口々に賛成の意を表し、秩父では出来なかった朝食前の走り込みをするために、私は光の柱の中に立って自室に割り当てている八畳一間の布団の中で目覚めた。

 

 

 入学して五ヵ月が経ち、九月に入って朝晩は肌寒くなってきたので、服装も調節しなければならない。本日着ていく服装は就寝前に用意してあるので、布団を片付けてから御手洗いと洗顔を済ませるために自室の襖を開けて廊下に出て、走り込み用の服に着替えて貴重品と温かい麦茶を水筒に入れて出掛ける。

 

「桜木さん、おはようございます」

「おはようございます。秋月さん」

 

 石畳の道を駆けていき、自転車で新聞を各家庭に配る配達員に挨拶し、お互いすれ違っていく。

 走り込みは、横浜の家で水回りの工事が行われていた二月から実行してきた。

 秩父に居たと違い、彼らの生活に会わせる必要は無いため、〇四〇〇(マルヨンマルマル)に目覚ましをかけて、平日は休憩を入れて一時間半で十(キロメートル)、休日は二倍に増やしてを三時間で二十(キロメートル)走っている。帰宅して灌水(シャワー)を浴びてから、寮母の雛罌粟さんが光の柱の外から新しい献立と作り方を聞きつつ、朝食の調理に取りかかるのが日課にしようと決めたが、説明に傾聴するために逐一手を止めた結果、眼前に出来上がったのは焦げた鶏肉料理だった。

 

 ──まァ、あかり様の仰る通り、時間が倍かかりますものね。ウフフ。子供が相手だなんて、幼かった主様以来だわ。

 

 そう言って、慣れた様子で手際良く料理を仕上げてしまった。

 その日以降、時間の関係で朝食作りは彼女の担当になっている。

 私は今日も五人分の彼女に礼を告げて交代し、彼女は上品に微笑んで(くるぶし)丈のスカートを乱しもせず、寮生の朝食を作るため、足早に光の柱から去って行った。

 外の世界で目を覚まし、本日も美味しそうな匂いが鼻腔を通して食欲を刺激するが、そろそろ支度をしなければ学校に遅れるどころか駅の乗降場でコンビニエンスストアの朝食を食べる時間が無くなる。

 片手鍋の取っ手を子供達が衝突しても問題が無いように右九十度に回転させた後、焜炉の火が消えているのを確認してから、廊下に繋がる引き戸を開けようとした時、それが開いた。

 

「……おはようございます。燈さん」

「おはようございます。龍之介さん」

 

 学校がある平日は私を見送るために、寝癖を付けたままの龍之介さんを筆頭に早起きしてくる。兄に手を引かれて眠そうに目を擦っている銀さんは、同様のボサボサ頭と桃色の寝間着姿で朝の挨拶をしてきたので返答した。

 彼らと距離が近くなったと感じたのは、退院祝いに春蝉さんと連れて行った映画館だった。

 鑑賞した内容は、主様が中学二年生の時にテレビ放送された忍たま乱太郎の劇場版アニメ第二弾『全員出動! の段』で、兄妹は初めての環境なのか大人しく見入っており、グッズも購入して大切に保管しているようだ。

 〇六一〇(マルロクヒトマル)に背後の台所から走ってくる足音が聞こえて、髪が跳ねている中也さんが住人用玄関と直結している居間の襖を勢い良く開けて、息を整える暇も無く出会い頭に笑顔でこう告げる。

 

「おはようございます、燈さん。行ってらっしゃい」

「行ってきます。中也さん」

 

 同居人の春蝉さんは、本屋から徒歩で帰宅する頃には日付が変わっているので、A6大のノートに一筆書いて一日に何が起きたのかをやり取りしている。

 中也さんによれば、彼は以前、戦場で砲弾の直撃を食らったらしく、よく(うな)されているらしい。その様子は私の家に来てからも変わらないため、半年前から横浜市内にある横浜クリニックを受診して、心的外傷後ストレス障害(PTSD)によるものと診断された。経過が良好になるよう治療を受けている。インターネットで調べてみると、医学用語で症状が落ち着いて安定した状態を意味する寛解まで、早くて三年はかかるらしく、長い目で見守るしかないと加密列先生も仰っていた。

 

 

 それから年が明けた五月。

 私はESP学園の二年生に進級し、想定より半年早く女優として訓練を受け始め、本来なら一月下旬から女優の仕事が入るものの、学業を優先する旨をマネージャーと事務所の社長に伝えていたため未だ表には出ていない。

 同級生となった朝飛(あさひ)嘉々里(かがり)は、時々微笑む事ができるが、私と同じく無表情でいる事が多いので、何かと教師陣にセット扱いされている。

 銀さんは幼稚園の入園申請に通って年長組に入り、中也さん達は小学校入学通知と就学時健康診断を経て小学校に入学し、既に一ヵ月が経過した。

 子供達に背負われているランドセルは、それぞれ店舗に赴いて選び、実父や叔父から予約で購入した物で、どれも黄色が入っている。彼らに言わせれば『燈さんの色』らしい。私の色を身に付ける意味や、それで勝負になった際に分が良くなる訳でもないのに、子供の思考が解からず、ただ『そうですか』と返答した。

 主様が目覚められて七ヵ月経過しても調子は変わらず、無反応で、精神科の先生への報告も芸能の仕事と主様のこと。同居人達の関係が良好だと告げる。去年の後期の選択授業で宿り木さんが化粧方法を習得し、今年の前期選択授業は、弟切草さんがドラムを学ぶ予定だと加えておいた。だが、身近な人間の近況を伝える義務はなく、他は日記に記すのみだが、二月に源一郎様が軍警に配属になり、日々忙しくしておられること。福沢さんは、勝崎大尉と共に用心棒の仕事に勤しんでいることを追記している。

 引っ越し後三鈴神社に初めてお詣りをした時、拝殿という建物の奥に在る本殿から精神世界でお会いする南天様と同じ気配がする事に気付き、その夜、光の柱を出てそれを彼女に報告しても『今は未だ伝えぬ』と言われた。

 言えぬ代わりに、来月起こる事を覚えておくよう命じられる。

 

 ──着物を着た赤毛の子と、それを導いた殿方を家に匿え。我の神使(しんし)……。黒猫の使いを遣わす故、すぐに解るだろう。

 ──それは構いません。敵を殲滅すれば良いですか?

 

 匿うだけなら何も問題ないが、何かから追われている事を意味するため、敵の情報を尋ねた。

 

 ──(いや)。相手はポートマフィア故、振り切るだけで良い。必要なら、異能力で防御に徹しろ。絶対に反撃してはならん。攻撃の口実を与えるからな。

 ──了解しました。南天様。

 ──うむ。御武運を。

 

 光の柱を挟んで精神世界の本牧研究所の向かい側にある神社の御祭神に礼を告げ、そこを後にした。

 顔を覆い隠す白い布の向こうにある表情は読み取れず、歴史担当の花車さんから教えて頂いた情報を考証するなら、彼女が着ている服は神様が(まと)うものだと記憶している。何故、同じ気配がするのか人間なら疑問に思って問う行為をせず、『そういうものだろう』と眼前にある情報を淡々と受け止めて、光の柱の中に立った。

 過去の事を夢の形で思い出して目を覚ますと、未だ大宮行きの快速電車の中で揺られており、流れている放送によると目的の石川町駅まであと二駅ある。

 居住まいを正して交通電子カードが鞄の中にある事を視認し、石川町駅を下車して、建設中のポートマフィア本拠地ビルの裏手にある世界劇場の玄関付近を通りかかった時、南天様が言っていた赤毛の子供が大人の男性に手を引かれて駆けていた。彼らを先導するように駆けるのは、首輪の代わりに紅白の縄を括り付けた黒猫で、不意に私と目が合う。

 優雅な振舞いの猫とは対照的に、彼らを追うのは銃声と男性達の野太い怒号で、その方向を見れば黒い背広姿と黒いサングラスの男性が複数追随している。それぞれ機関銃を構え、土曜日の昼間だというのに周囲の観光客や通行人が見えていないのか。

 被弾したらしく、幾人かは悲鳴とうめき声。鳴き声を上げていたので、異能力を発動させる。

 

「『浮雲』」

 

 念動力で見えない壁を作って、黒い背広姿の者達に跳ね返って絶命しないようわずかに食い込む形で止まる想像をして調節し、

 

「『何処へ』」

 

 瞬間移動の異能力の応用で、被弾したが貫通していない人の内部にある銃弾を取り除き、

 

「『花束と抱擁』」

 

 地面に波紋が広がるように発動し、瞬く間に負傷した人々を様々な光の花々で包むように癒やしては消え、歓喜の声が聞こえるが今は逃走優先で無視する。酒好きでキリスト教を信仰する元戦友曰く『命の水』と言われたが、怪我を治して元の状態に回復するという意味なら間違いではないだろう。

 

「こちらへ。このまま逃げます」

「は、はいっ」

 

 サングラスを掛けた男達の視力が良ければ、手引きした自分の姿が見えているはずだ。

 足元に居た黄色の瞳を持つ黒猫は、足を止めて私達を見送るように『ニャア』と一鳴きして、何事も無かった様子で顔を洗う仕草とした。

 しかし、猫を見つめる時間も、ここで足を止める訳にはいかないため、瞬間移動で世界劇場の屋上と同等の高さにある銃弾の届かない上空に逃げ、そのまま港南台駅の南側──三鈴神社側に繋がる橋の前に現れる。

 

「あ、あの、助けて頂いて有り難う御座います」

「礼は要りません。私はある方から頼まれて助けただけです。貴方達は私の家に匿うので、ゆっくり休んで下さい」

「それは……、お気遣いには感謝しますが、貴女の命が狙われるかもしれません」

「問題ありません。追撃するなら、実力行使で組織ごと潰すまでです」

「我々が誰かご存知なのですか?」

「いいえ。立地と状況からポートマフィア関係者だと推測しますが、お二人で抜け出すほどの事情がおありなのでしょう」

「はい……」

「では、混んでいるこちらではなく、あちら側の橋を渡りましょう」

 

 二人の瞳は忙しなく動き、辺りを見渡して落ち着かない様子だ。

 観光客で行列が絶えない神社側より西側にある居住区に繋がる橋の方向に歩いて行き、空いているそこで匿う旨を門番に伝えれば、彼らは別の部屋に軽く事情聴取されて居住を許可されて開放される。真実を告げているかどうかは、精神感応と接触感応の異能力を持つ一族が必ず担当しているので問題ないだろう。位置情報から追跡させないために携帯電話の電池を外したらしく、青年と少女はそれぞれ対策をしている。

 古来より三鈴神社の御祭神に着物を仕立てている柊呉服店を右手にして左折すると、七三〇メートル続く商店街があるものの今はそこを通り抜け、彼らの落ち着きを取り戻すべくまっすぐ自宅へ向かった。

 

「ここが私の家です。部屋は沢山ありますので案内します」

「有り難う御座います。お邪魔します」

 

 彼らを住人用玄関から案内し、子供達と戦友を紹介して最後に自分の事を伝えれば、新入りは深々と頭を下げた。

 

「僕は、富山(とみやま)唯継(ただつぐ)です。今日からお世話になります」

(わっち)は尾崎紅葉(こうよう)と申しんす。御世話になりんす」

 

 緑茶と茶菓子を振る舞って事情を聞き、同じ組織に居たため隣同士が良いと考え、台所と居間の真上に位置する短い廊下と階段を挟んだ押し入れと板の間がある八畳一間の部屋に割り当てる。南天様から匿えと言われた日に注文した西川の布団は、一週間前に到着して押し入れの上段に入れているので、どちらが良いかは当人に決めさせて一安心出来るよう寛がせた。

 その夜、精神世界の光の柱から出て参道を灯す燈籠(とうろう)が見える神社にお詣りし、二人の救出に成功した報告後、南天様の緊張が解けたのを安堵した吐息で判断して、彼女が口を開くのを待つ。

 

『来月、福地が羽田空港に行くようだが、そこでは何も口にしてはならぬと伝えよ』

『了解しました。どのような理由でしょうか』

黄泉戸喫(よもつへぐい)になるからじゃ』

『?』

 

 聞き慣れない単語に返答しかねていると、解り易く口頭で説明して下さった。

 

『ある場所で食べたり飲んだりすれば、二度と此方(こちら)に。現世(うつしよ)に帰ってこられなくなるという事だ』

『……。羽田空港の外に出られなくなる、という解釈で間違いないでしょうか』

『……マァ。簡単に言えばそうだが、もう少し詳細を伝えよう』

『了解しました』

 

 南天様から、源一郎様に誤解させぬよう説明を受けて、それを忘れぬために日記に記す。

 

 

 翌月、軍警に就任して初めて海外に出向く彼に、空港の待機場所で朝方会えば驚いた顔をしていた。

 

(あかり)君、どうしてここに?」

「南天様からの伝言をお伝えしに来ました。こちらで朝食を食べられましたか」

「ん? 未だだが」

「では、ここで購入した物は何も口にしないで下さい。代わりにこれを」

 

 羽田空港の敷地外のコンビニエンスストアで購入した飴と五〇〇(ミリリットル)の麦茶を二本、おにぎり二つと弁当一つを入れたビニール袋を手渡し、数回瞬きした元上司は微笑みながら受け取って下さる。

 

「ああ、ありがとう。理由を聞いてもいいか?」

「この空港で購入した物を食べたり飲んだりすると、黄泉戸喫(よもつへぐい)となり、その時点で敷地全体が異界と化して、ここから出られなくなるとの事です」

「……そうか。肝に銘じよう」

「ありがとうございます。しかし、源一郎様は羽田空港に足を踏み入れる事はできても、一人で出られません。誰かが此処から出られるよう手助けせねばならないとも仰られました」

「重大だな。ならば、帰国した際に、一番に(あかり)君に連絡すると約束しよう。……食べてもいいか?」

「はい。どうぞ」

「ありがたく頂戴しよう。……頂きます」

 

 ビニール袋の中からレンジで温めて未だわずかに熱を持つおにぎり二つを取り出し、手を合わせて頬張って嚥下し、満足そうに『うまい』と言う彼の横で、私はただ座して表情を崩すでもなく一度頷くだけだった。

 そして、夏休みも後半に差し掛かった時に約束通り連絡が来て、一時間半ほどかけて電車を乗り継いで、国際線ターミナルの到着ロビーで源一郎様を出迎え、一九三六(ヒトキュウサンロク)発の蒲田駅行きのバスに共に乗車する。駅に到着した時点で羽田空港の敷地外であるため、礼を告げられてから改札を抜けてから別れ、それぞれの帰路についた。

 

 

 唯継(ただつぐ)さんと紅葉(こうよう)さんを匿った四ヵ月と十五日後。

 羽田空港では(たく)えていた口髭を剃ったのか、生えかけの状態の源一郎様と、赤毛の幼子──大倉燁子(てるこ)さんが隣同士で座って緑茶を啜っている。

 

「戸籍の照会結果と親御さんが言うには、生後五ヵ月……。異能力が関係しているのでしょうか」

「十中八九、そうだろうな」

 

 彼曰く、『再会したが、気味悪がって引き取りを拒否。地元の児童養護施設に預けようにも、同じ反応が返ってくるだろう』。では、彼女の処遇をどうすれば良いか。軍事施設に預ければ兵器として悪用されかねないため、数ヶ月前に手紙で報告した事が思い浮かんだらしい。

 私は『来る者拒まず、去る者追わず』なので構わないと返答すれば、喜色を浮かべられる。

 こうして、実年齢は銀さんより年下だが、肉体は紅葉(こうよう)さんを二歳若くしたもので、私と同じく生まれてから戦いと殺ししか知らない少女を引き取る事になった。

 

燁子(てるこ)さん。部屋に案内します」

「……。はい」

 

 少女は、勝崎大尉が投入されて勝利した関西の抵抗軍から拾った、という源一郎様の顔を一瞥して、彼が頷いたのを視認して座布団から立ち上がり、私の手を取った。

 意味を理解しているのは日常会話と軍事用語のみで、読み書きは出来ないらしい。それは小学一年生用のドリルをやって出来てもらうようにして、徐々に難しくしていけば問題無い。日々の世話は、同性の私を中心に年齢の近い銀さんと紅葉さんに頼む手筈にした事で源一郎様も安心し、私の家で過ごす旨を伝えて去っていった。

 しかし、燁子(てるこ)さんの表情を見るに不服がある様子で、門前で彼女の目線の高さまでしゃがみ込み、こう問いかけた。

 

「源一郎様の後を追いかけたいですか」

「! はい」

「では、軍警に入る必要があります。私は専門外ですが、試験問題など資料を揃えて、これから生活にかかる金銭面で全て支援します。これを踏まえて、私が燁子(てるこ)さんの母親代わりになっても宜しいですか」

「お願いします」

 

 改めて疑似親子になる事が決定し、まずは充分な休息と食事、一般常識などの知識を与えると誓った。

 

(あかり)さん、大丈夫ですか? 子供が増えて出費が(かさ)みますが……」

「問題ありません。去年から任された番組司会に加え、着実に広告出演本数と収入が増えています。来年卒業すれば、女優としての仕事も入るので倍増すると予想しています」

「無理しないで下さいね」

「はい」

 

 自分の体調を気にする春蝉さんに返事をして、来週の仕事帰りに大きな書店で必要な教科のドリルを購入する事を黄色の付箋に書き出し、夕餉の支度に取りかかった。

 

 

 二ヵ月後の十一月上旬。

 『天使事件』と称された劇場で起こった殺人事件の後だった。

 前回の燁子(てるこ)さん同様、異能特務課の監視の目が無い土日を狙ったように、中折れ帽子を被って洒落たコートを羽織る三〇代から四〇代に見える男性と、紅葉さんと変わらない年頃の赤毛の少年が三冊の分厚い本を抱えた状態で、自宅の表門の前に立っていた。

 初対面にも関わらず、何故自分の家の場所が判るのか不審に思い、唯継(ただつぐ)さん達を追って排除しに来た連中かと推測して、腰に携えている拳銃に手を伸ばした所で男性が片手で制止をかける。

 

「待て。我々は貴女を襲撃しに来たのではない」

「……ご用件はなんですか。返答によっては射殺します」

「血の気が多いのォ。(わし)は、夏目漱石。この子は喫茶店に居たのを拾ったのだが、如何(いかん)せん子育ての経験が無くてな。巷で異能力者の子供達を拾って育てていると聞いて、こうして尋ねて来たのよ」

「……織田作之助です。宜しくお願いします」

 

 脇にある二丁拳銃を隠すように、最低限の礼儀として瞼を伏せてお辞儀をする。

 赤毛で二丁拳銃を携えている少年の話は、元裏社会の人間である二人に聞いた事があったので、『ああ。この子か』と思うだけだった。

 

「誰でもという訳ではありません。貴方が育てられない理由はなんですか」

「儂も異能力者に狙われている身でな。拾った手前で勝手だが、身軽でありたいのだ」

「了解しました。ですが、育てる条件があります」

(わし)にできる事があれば、何なりと」

「此処に来られる時で良いので、五年後、六年後、八年後に起こる裏社会の情報が欲しいです。私の監視の目が無い土日祝日限定になりますが」

「理由は?」

「子供達に厄災が降りかかる前兆があるなら、それを潰します」

「単身でか?」

「はい」

 

 すると、何がおかしいのか微笑んだ末に『良かろう』と言って、カツンと杖を石畳に軽く打ちつけて鳴らした。

 

「勝利の女神の仰せの(まま)に」

 

 その呼称は、戦場に出た者だけが知るはずだと胸中で呟く中、人物像が見えない夏目さんは猫の目のような黄色の瞳を細めて私に誓った。

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