黒瑪瑙と
その間に、福沢と同居している加澄、森林太郎元衛生課長と幼馴染だという
全員が日本の異能兵器という共通点から、他国の軍が関係していると鑑みたが、
そんな中、
そして、秋月の努力に
六日後、
一筆箋には、
齢三四にして懸想している相手に好感を持たれている事に、思わず便箋を持っていない片手で拳を握ってしまう。喜ぶのも束の間、その日から就業後にはやるべき課題を片付け、一月後のホワイトデーに贈るものを探す事に集中する。
週を一つ跨いだ土曜日は、
横浜ベイシェラトンホテル内のレストランで北海道フェアを食して堪能し、彼女を腹八分目の満足感から油断させた後、最寄の横浜駅で合格祝いとして、ハッチのハンドクリームセットを付属の手提げ袋毎手渡す。
「二週間遅れだが、君なら合格出来ると信じていた。改めて、
「……っ。ありがとう。源君」
涙を堪え、大層喜ぶ彼女に釣られて微笑んでしまった。
その夜に届いた
三月末には、下宿先への引っ越し準備を粗方済ませた
先月想いが再燃し、好意は持っているものの伝える勇気は無く、結局同じ意味を持つ無難な
そうして月一で届く秋月からの手紙には、四月から学業優先で仕事量を減らすものの、相も変わらず菜の花として芸能人の仕事をやりながら、自身と正式に親元から預かっている子供達の学費と生活費を稼いでいるようだ。主人格である
更に、異能兵器としての精度を落とさないよう、四年前から今まで通り仕事の合間に陸軍予備役の訓練に参加する旨を、『秋月』は監視役の榊から聞いていた。しかし、その時点では
今回の手紙に関して言えば、解離性同一性障害の顕著な一例として筆跡が違うため、誰が書いているのか一目瞭然だ。序盤と終盤の秋月は十数年見慣れた拙い字体、中盤の
そうして、受け取った便箋を元通り三つ折りに畳み直し、自分の予定を脳内で振り返ってみた。
今年も、独身故、都合良くゴールデンウィークに休みが取れる可能性は低い。
結婚すれば、起床
「おお。桜も見頃だな」
「そうですね」
「福地は来週末休みだろう。何処か行くのか?」
庁舎に備えられた窓
「……はい。友人の家に」
友は、もう
*
子供達の話によれば、学業優先で帰省しない事を踏まえて、ルーシー君や
茶菓子に伊勢土産の赤福餅を
「今月頭に、帰省次いでに横浜駅から本牧町方面を徒歩移動してた時に、白いロシア帽を被った、黒髪
自分にとって当て嵌まる人物は一人しか居ないが、敢えて問うた。
「その人は、どんな名前だった?」
「? ヒョードル・ドフトエフスキー、だったかな?」
音は合っているが惜しい。だが、彼女に恥をかかせる事無く、然り気無く訂正する。
「フョードル・ドストエフスキーか?」
「ああ、そうかも。
「国際指名手配犯だからな」
「……え?」
「彼に何もされてないか?」
「うん。むしろ、あたしが貧血対策に焼肉奢ったよ。……あ。今度、お礼にお茶に誘われた」
「すっぽかせ」
「いや、行くよ。もう約束したもの」
「犯罪に巻き込まれる可能性が高い。幼馴染の身が危険に晒されている事態を、黙って見過ごす事は出来ん」
「巻き込まれているのは、君も一緒でしょう。軍警が犯罪者と何度も会っている、
「目に見えんもの迄信じろと?」
座卓を囲んでいる幼い子供達は、初めて目撃した俺達の口喧嘩と険悪な雰囲気に怯え、菓子を食む口が止まっていたが生憎そこまで気にかける余裕は無い。
「信じられないと言うのなら、それで構わない。だけど、その力に頼って、君があたしを本丸から助けたのは事実。そして、此処に居る亡霊の証言によって、厄災を滅ぼす解決の糸口が見えたの。フョードルの異能力と殺し方をね」
精神的に弱っていた以前の彼女なら、確実に此の場面で泣いていた。
だが、空白期間の記憶や鈍っていた感情表現を取り戻しつつある今、温かな琥珀色の瞳で俺を真っ直ぐ捉え、冷静に次の返答を待っている。
「……聞こう」
居住まいを正して聞く姿勢を見せた事で、彼女は一口緑茶を飲み、説明の準備を始めた。
「現在、あたしの隣に居る亡霊の情報によれば、彼は数百年生きている。これは、彼の背後に列を成している骸骨達の恰好を視て、そのどれもが古めかしかったから解った事だよ。次に、どうやって数百年生きてきたか。一番最初にフョードルを殺した彼が、『自分が彼を殺害後、意識が遠のいた』と証言して下さった。あのロシア人は、自身の異能力に因って、直接、又は間接的に殺した人間が、次のフョードルに成って物理的に転生し続けている。つまり、彼の人生に幕を下ろすには、人間による心中か、人間が手を下すのではなく妖精や神の類が殺せば、異能力が発動せずに王手をかけられる」
「……理論上はそうなるな。だが、神の中には元人間が祀られてる事もある。それにも
「そうだね。それでも駄目なら、春日家本家の伝手で人外の情報は幾つか聞き及んでるから、
「具体的な候補は?」
「今思い浮かぶのは、二人。先ず、四十年前に守護神の気
「解った。では、君がフョードルと再会する時に同行しよう」
「え?」
「今迄通り、普通に過ごすのだろう? 犯罪者相手に
彼女は僅かに開いた口が塞がらずに茫然とし、俺の意地の悪い表情を見て『やられた』と思ったのか形の良い唇を嚙み締める。
犯罪者と接した期間は短い乍らも、そこから相手の異能力に対する弱点を推測する洞察力に感嘆し、説明を聞いて理解はしたが大人しく尻尾巻いて縮こまる性格では無い。そして、双方共、危険から遠ざけたい想いを理解した上で従う
「っ……。……二週間後の土曜日。朝十時半に桜木町駅集合」
「二週間後の土曜日、
復唱後に、対面に座る彼女は俺を真っ直ぐ見遣り、
「当然の事だけれど、捜査があったら其方を優先して。あたしの事は二の次で良いから」
「無論だ。フョードルの異能力は上官に報告するが、善いか?」
「構わない。此方も、本当は
「そうなのか。俺には御伽噺にしか聞こえんが」
「君にとってはそれで良いよ。視え過ぎるのも結構困るから」
整えられた綺麗な眉尻が下がり、彼女の言葉通り困り笑いを浮かべ、緑茶が淹れられた湯吞みを傾けて十数分前の様に談笑している。
だが、そこに割って入る凛とした声があった。
「もう喧嘩は終わりんしたかえ?」
『あ』
赤毛の着物を着た少女──尾崎紅葉が、笑みを顔に貼り付けて幼年幼女の前に座している。
その後ろには、以前、牢屋にぶち込んでいた赤毛の少年──織田作之助が、成人男性と共に小皿に残っている菓子を勧めていた。
「うん、終わったよ。ごめんなさい。騒がしくして」
「それは良かったえ。……二人共、頭を冷やして来なんし」
『はい……』
詫びとして徒歩で往復一時間弱かけ、二人で立ち寄った宗家源吉兆庵で
抱擁を交わすのは園児以来とは言え、彼女の身体の柔らかさに驚きはしたが、笑顔を貼り付けていたのは成人男性陣には見抜かれており、温かい眼差しを向けられていたのは言う迄も無い。
*
約束していた日時に別件の捜査が終わり、次いでに立ち寄ったに過ぎなかった。
此の儘駐屯地に戻ろうと追いついた今作戦の同僚を無視して、
「……
「え、あ、ごめんなさい。源君の制服姿、初めて見たから……」
薄化粧なのは相変わらずだが、琥珀色の瞳が右往左往し、頬がほんのり紅くなって発した言葉も徐々に尻すぼみになっていく。
若しやと思い、好奇心半分、悪戯心半分で笑い乍ら揶揄ってみた。
「なんだ? 普段と違うから見惚れたのか?」
「うん」
あっさりと認め、吐いた言葉に慌てふためく様子は無く、只静かに微笑を浮かべるだけだが、目が離せなくなる。
それを目の当たりにして、昔から可愛いと思っていたが、芸能活動をしている分美貌に磨きが掛かっている割りに、自分が
「偶然でも、会えて善かった。凛々しい姿が格好良いね。普段も十二分に格好良いけれど、制服姿だとより魅力的になるよ」
「……そうか」
彼女が褒めれば褒める程、自分が呆ける時間が増えて無口になり、面と向かって格好良いと言われた手前、此方も視線を合わせ
「おや。なんだか物々しいですね」
飄々とした態度で現れた問題の人物に対して、反射的に軍刀に手を掛け、顔と態度が引き締まる。
「おはようございます、秋月さん。其方の方は?」
「おはようございます、ドストエフスキーさん。あたしの親友です。貴方に会ったと相談したら、大変有意義な情報を提供した上、偶然駆け付けて来てくれたようでして」
「おや、そうですか。しかし、困りましたね。僕は、軍警の方に用は無いのです」
「そうか。俺は彼女を護衛するという用があるぞ」
「貴方が宜しければ、ご一緒しても?」
先程のすまし顔から一転して、
彼女は、一つも噓をついていない。
だが、猟犬の制服を纏っている大柄な男を背後に従え、俺の言葉を受けて同行の許可迄滞りなく告げる堂々とした態度に、眼前の痩躯の
どうやら、自分を助けたお人好しが気弱な女性だと勘違いしていたらしい。
「ええ。これも何かの縁です。紅茶の一杯くらいは奢りますよ」
「貴様に奢られる位なら、自分で払うぞ」
「まァまァ、此処は大人しく奢られようか」
「油断するな。毒を混入する可能性がある」
「その時は、それをドストエフスキーさんの顔面にかけてやる。自業自得さ」
「毒なんて持ってません。この先にあるニナスで宜しいですか?」
「はい。大丈夫です」
俺の隣を歩きつつ、国際指名手配犯相手に反撃すると発言した命知らずな彼女の目は全く笑っていない。
洒落た店内に無骨な大男が現れれば、誰もが身構える。
だのに、眼前の男と隣の幼馴染は女子会でもするように店の雰囲気に溶け込んでいた。
「僕は、ガレットセットをお願いします」
「あたしは、パスタセットをお願い致します。源君はどれにする?」
「俺は……、サンドイッチセットをお願いします」
店員が注文を復唱後、間違いない事を確認して厨房へ引っ込んだ。
それを機に、フョードルが話を切り出す。
「……秋月さん。改めて、今日は来て下さってありがとうございます。それで、貴女が得た情報とは何ですか?」
「貴方が、世界中から目を付けられている
「それは残念です。でも、こうして恩返しが出来たので良しとしましょう」
「ええ。これからの貴方に、良き縁があらんことを」
「我が恩人に幸多からんことを」
そうしてフョードルと三人で無事に桜木町駅前で別れた後、彼女が胃の辺りを押さえ始めた。
緊張から解放されたものの笑顔の仮面が剥がれ落ち、落ち込んでいる表情から俺を巻き込んでしまった罪悪感が表に出てきたのだろう。彼女が元来持つ優しさに自分も張っていた気が緩み、薄く笑うに留めた。
「ごめん、源君。仕事があるのに、話を合わせた上に付き添わせて。お詫びに何か買いに行くよ」
「
それ以上は言わず、口答の代わりに腰元の
「……解った。後で読むよ。今日は本当にありがとう。君が居てくれて助かったし、安心できた」
「そうか。助けになれたなら善い。またな」
「うん。またね」
紙片に記したのは、常闇島で行方不明兵になった森
栄区にある福地家本家を訪ねた為、噓をつかれていない限り間違いない。
母親の戸籍登録が成されたのは、三十一年前。
彼女は、
彼女の父は、森家十一代目当主で、森林太郎衛生課長の血の繋がらない叔父である。島根県津和野町の病院を定年退職後、国境なき医師団の内科医として傘寿を超えても尚派遣され続け、世界中を転々としている。
つまり、
出入り口の無い島の夜風が黒髪を
「……少しでも
「へぇ。あの女性、秋月アカリさんっていうんだな」
「っ!! ……コホンッ。何処で知りました?」
「駅の待ち合わせから全部」
独り言は、電車が来る
だが、同僚は絶妙な距離を保ちながら一部始終見聞きしていたらしく、俺と