幼馴染と二人だけの朝食が終わる迄実弟を客間で待たせ、食器を片付けて流し台に持っていった後、後ろから声を掛けられた。
「俺が洗っておく」
「え。君は客人だから、ゆっくりして欲しいのだけれど」
「迷惑を掛けたから、代わりに働かせてくれ」
「迷惑だとは思ってないし、友達なら
「
「ん? そんなふうに誠実で信頼できるから、あたしは君を家に上げてるし、介抱もするんだよ」
「……そうか」
「うん」
食器用洗剤やスポンジの場所を口頭で教えるも、彼の口からは「ああ」だの「おう」だの
何事かと凝視すると、彼の耳が紅くなっている。
「……熱でもある?」
「
「朝食前に
「っ。……そういう事にしてくれ」
「そう。……無理しないでね」
「善処する」
この家の住人は男性も二人居るが、自室とは反対側──来客側に部屋が集中している。
言葉を濁して言わないという事は、男性特有のものだろうと推測した。小学生時の記憶も戻っているので、そんな事も習ったなといった程度で狼狽するような性格ではない。
「じゃあ、後はお願い。
「嗚呼」
用意した茶菓子も完食してご満悦な様子で、口を開いた。
「久し振りに金鍔を食べましたよ。美味しかったです」
「お口に合って何よりです。それで、あたしに頼み事って何?」
「先週、秩父の秋月家から僕に連絡がありまして。八月末から、家や敷地内で怪奇現象が起きているとの事です。具体的には、焜炉が勝手に着火したり、包丁が耳を
「……」
状況を聞く限り、ポルターガイストが起こっている。
心当たりとして、母の変死体が自室で見つかっていること。彼女の五十日祭は、五月末に終わっている。若し、未練があって怨霊と化しているなら、早急に祓わなければならない。
「連絡が来た以上、秋月家は貴方を頼ったのだから、
「そうしたいのも山々ですが、祓う迄の霊力はありません。だから、今日お伺いして、お姉様を頼っているのです」
「祓えずとも言霊で十分よ。使い方の問題であって、見聞き出来る時点で相応の霊力は持ち合わせているわ。
「家祓ですね。日程は早くても来週以降になりますが、お姉様の都合で構いません。水道も通っているので、食糧が尽きても水分補給は出来るでしょう。……それにしても、部下ですか?」
「ええ。去年、誘拐された先に住まう刀の付喪神達なの。あたしは記憶が曖昧で、未だ会った事が無いけれどね」
「それは頼もしい。
「お姉様。都合の良い時に、妻と息子に会って頂けますか?」
「
「三年前に。息子は去年、三歳になりましたよ」
「へェ。
「ええ、それはもう。あとは、お姉様に意中之人でも居られたら良いのですが」
「居ないよ。そんな殿方」
「身近な方だと、福地先輩とか
「っ……。如何してどう思うの?」
もう少し湯吞を傾けていたら、危うく緑茶で
弟と直接会うのは、中学生の立身流の合宿以来なので約二十年振りだが、ずっとあたし達幼馴染四人組を傍らで見てきた故に出て来た言葉だと解釈する。
「お姉様にとって、安らげる相手だと感じたからですよ」
「……そう、ね。でも、諭吉君と加澄にも当て嵌まるわ」
「僕は、異性の場合を言った
「異性……。それだったら合っている。諭吉君は早生まれで一学年上だし、接する機会が源君より少ないのだから」
「恋愛なんてした事ないもの。諭吉君には加澄が居るし、源君だって想い人くらい居るでしょう」
「そうですかね。本人に確認すれば宜しいのに」
「
現在も続いている昔からの人間関係と言えば彼らだけで、それを絶ってしまえば秩父時代の数少ない同級生だけになる。
かちり、と音がして我に返ると、弟がスマートフォンを取り出して画面を操作しているのが見えた。
「……何をする
「福地先輩に電話をかけます。……平日だから、勤務中ですよね」
「取り敢えず掛けてみたら? 着信があれば、終業後に掛け直してくれるわよ」
「そうですね。……お早うございます、福地先輩。申し訳ありません。お休みの日に。……個人的に気になる事がありまして。……ええ。いや、電話口では。
近辺も何も我が家に居ますとは言えず、
「久し振りだな、
「……は?」
蜆の味噌汁のお陰か酔いが覚めた客人は、すぱんっ、と作法を
その様子が余りにも自然で、本来なら勤務時間帯である平日の朝に、姉と先輩が同じ屋根の下に居る状況が弟に有らぬ誤解を生じさせるのは充分だった。
「……先輩。間違いでも起こしましたか?」
「起こしてないな。俺が泥酔して介抱して貰っただけだ」
「……介抱。お姉様、お身体は大丈夫ですか?」
「寝不足だけよ。明け方迄吐き気を催していたからね」
「そうですか」
一先ず納得したという態度を取っているが、あの様子では後で源君が問い詰められると容易に想像出来る。
「それで、お前が俺に
「恋愛関連の事です」
「……すまんが、其の手の話は慣れとらんぞ」
「構いません。僕は
「嗚呼。
幼馴染の言葉を聞いた瞬間、湯吞を傾ける手と思考が止まり、自分が人として何か欠落していると感じて何も考えられなくなった。
「どんな方です?」
「俺より背が低く、可愛くて美人だぞ」
幼馴染の声は弾み、目が細められて嬉しそうだと理解した時、自分の顔に痛みが走る。
無意識に湯吞から唇を離し、彼らに悟られぬよう閉口した
きっと、髪が長くて柔らかい雰囲気の女性だろう。身長は、一五〇から一六〇
その時、頭の片隅で「嗚呼。やっぱり」と納得する自分がいて、頭にこびりついている亡き母が「ほらね。背の高い女性なんて選ばれないのよ」とあたしを嘲笑していて、単純に腹が立った。
母は、
昔ならそこで諦めていたが、怒りの感情を取り戻した今は立ち止まる事など考えられない。
高身長だから選ばれないとは、狭い視野で物事を見ている証拠だ。世の中には、高身長の女性が好きな男性も居るのだから、諦める必要は無いと自分に言い聞かせる。
愛情を欲する事も感じる事も無かったのだから、友達として応援しようと結論を出した。
「……良かったね、好いた人が出来て。応援するよ」
「嗚呼。有難う」
彼の柔らかい笑みを見て自分もお見合いをしようと思い、帰り際にお父様に打診するよう弟に伝えよう。
「福地先輩はお見合いされました?」
「連絡は来たが断った」
「え、何故です? 嫡男でしょう?」
「先程言った言葉が答えだ」
想い人の為に見合いを断る程慕っているのは明白で、傍から見てもお似合いの二人だろう。
そう考えたところで、源君が尋ねてきた。
「
「え?」
「好いた男だ」
「嗚呼……」
問うた本人は、居間の菓子鉢から取ってきた菓子の個包装の端を摘まんで開封しつつ、横目であたしを見ている。
幼い頃から見てきている、紫色の瞳。
此処に想い人を映してきていると思うと、何故か胸が痛んだ。
「……解らない。恋をした事が無いからね」
「そうか。……どんな性格の男なら交際してみたいんだ?」
「どんな……」
彼を見て、視線を逸らして真っ先に思い浮かぶ自分の感情と向き合い、過去の辛い経験から願望が生まれる。
「……安心出来て、包容力がある
「ふむ……。外見は?」
「体が引き締まった人かな。ボディービルダー並みだと萎えるけど、モデルをしていて、
「お姉様より身長があるなら、一七六
「
「俗に言う、恋仲の理想の身長差らしいですよ。となると、一九〇
すると、隣に座している源君が仕立て顔で控え目に挙手した。
「身長だけで云うなら、当て嵌まるが」
「お姉様。試しに福地先輩と付き合ってみませんか?」
「
彼は
「ありがとう、立候補してくれて。あたしは厳つくても構わないよ」
「そうか。子供達に対する態度は
「そう、だね……。ちゃんと視線を合わせて、話を聞いて、悪い事をした時はきちんと厳しく接する人が良いな」
「どんな事で厳しくするか、価値観の合致も必要になってくる。平民同士の婚姻では、性格や価値観の不一致で離婚する事はよくあるらしいぞ」
「あら、何も平民に限った事では無いでしょう。まァ、君の問いのお陰で自分好みの殿方がどの様な方か理解出来たところで、この話はお終いにしましょう。これからは、あたしより君が好いた人を優先してね。あたしは、君に恋人が出来ようと友人で居続ける
言外に自分の家族の事を示して、彼に好いた女性がいる現状を利用して幼馴染と自分の間に線を引く。
二の句が継げない彼を前に「男性同士積もる話もあるだろうから、ごゆっくりどうぞ」と客間に置き去りにして、湯吞を洗い場へ持って行った後に自室に赴き、今夜中に下宿先に到着するよう荷造りを開始する。
「……ちゃんと応援出来たし、笑顔も浮かべられた。……大、丈夫っ」
大丈夫だと自分を鼓舞しているのに、友人の幸せを願っている筈なのに、涙腺が緩む理由が解らず、只々手の甲を濡らすしか出来なかった。
*
「只今戻りました」
『おかえりなさーい』
荷造りの最中、光の柱の外からあたしを我知り顔で眺めていた恋バナ大好き担当──宿り木先生の視線を無視し続け、乗車中にメールで
二一時近いのに出迎えてくれたのは、級友の三人だった。
フィンランド人で、生まれつき白髪のエマ・ウルマン。
ギリシャ人で、猫を思わせる顔立ちのアマンダ・ブバスティス。
トルコ人で、
三人共高身長で美人だが、あたしの目と勘は人間に見えるが人間ではないと告げている。
「友達、元気だった?」
「うん。いつも通りよ。生誕日にまた会えるから、それまで楽しみは取っておくわ」
「また生きて会えた事に感謝するわ」
「ええ。私もアマンダ達に会えて嬉しい」
「彼氏出来た?」
「残念ながら出来てませーん」
下駄箱に靴を仕舞って彼女達に横浜土産を渡した時、ふと心の何処かで何かを忘れている感覚がした。
「……?」
「
「何でもない。明日、エマ達の土産話も聞かせてよ」
「うん。放課後に訊かせるよ」
翌日の放課後。
ばらやんに集まる予定だが、エマが所属する剣道部が終わるまでの二時間、アマンダが所属するダンス部とイルゼのバイトが終わるまでの三時間を何処かで潰さねばならない。出来るだけお金をかけずに長居出来る場所と言えば、個人的に図書館しか思い付かないので、独り大学附属図書館へ向かう。ついでに、授業で出された課題を済ませておいた。
待ち合わせの時間に間に合うように居酒屋に行くと、既にエマとイルゼが玄関前で待っていた。
先に二人で入店し、後の二人を待つ間に自分はノンアルコールビールとおつまみで小腹を満たしていく。
「さて、小腹が満たされたところで恋バナに移りましょう」
「なんで?」
「
「……好みの人物像なら解るけど、恋とまではいかないよ。……嗚呼。でも、理解出来ない事はあったね」
「ほほう。どんな事だい?」
エマが顎に手を当てて探偵を気取る横で、イルゼは若鶏の磯辺揚げを小さく食んでは幸せを嚙み締めている。
「男友達に好きな女性が居て、良かったねと言ったけれど心から応援出来なかった。……あたし、心が狭いみたい」
「応援出来ない状況で考えられる事は? 今の
「試験問題じゃあるまいし……。……自分に好きな殿方が居ない状況と、好いた人が居る友達に対して、いいなと思ったから」
「憧れか嫉妬ね。人間だから、そう思う事もあるのよ。それで、彼を自分のものにしたいって思った?」
「……思わなかった。大切な人達が先に幸せを見つけて、自分だけが取り残されたと感じたの。だから、これからお父様にお見合いを打診したわ」
諦める事は昔から慣れている。だから、自分も幸せを見つける為に前を向くだけだ。
「判断が早いっ。その男友達は、
「? うん。好きな男は居るか、どんな外見、性格、態度が好みか一通りね」
「ふーん?」
「何、二人共。その我知り顔は?」
『ワレシリガオ?』
「自分だけが事情を知っていますって得意気な顔の事だよ」
「なるほど。ええ、知っているわ。でも、これは
宿り木先生と同じ表情で語られるのは心の何処かで癪に障ると言っているけれど、一旦自分の感情を脇に置いておく。
「今さらだけど、男友達の名字は?」
「福地」
「よし。福地君とは最近友達になったの?」
「ううん。幼稚園からの幼馴染だよ」
「恋愛漫画では王道な設定よね。長年過ごして、何か気持ちの変化は無かった?」
「……あった」
「例えば?」
「……し、仕事柄鍛えてるから全体的に筋肉が凄くて、あと、寝起きに抱き枕を抱き締めてる姿が可愛かった」
「他の男性でそう感じる?」
「……無いね」
エマの高揚感と質問責めに動揺し乍らも、同居人の春蝉さんや唯継さんに置き換えて考えてみる。だが、元兵士や元ポートマフィアだし鍛えていて当然だよねとか未だ眠たいのかなと思うだけで、源君と同じように気持ちの変化が無く、その違いに疑問符が浮かんだ。
「そう。つまり、今の
恋。
つまり、この場合は片思いだと告げられている。
では、何故春蝉さん達に胸が高鳴らなかったのかというと、細マッチョだろうと想像したから。それでは駄目な理由として、先に図体に見合った源君の胸筋や腹筋、腕の筋肉を酔っ払いの介抱という不可抗力とは言え、至近距離で目の当たりにしたせいだ。今は高揚感よりも勝手に見てしまった罪悪感のほうが勝るが、この際それは後回しにしよう。
「ギャップ萌えしただけで恋に落ちるのは、よく解らないな」
「この朴念仁! 頭では友達の延長線上で気の合う男性だと認識していたけど、男らしさを感じて異性と意識した事はある?」
「うっ……」
図星だ。
そもそも、あたしにギャップ萌えやオワタなど日本のオタク文化を教えたのはエマだ。
さらに、あたし以外の三人は全員恋人が居る為、恋愛関係の先輩として数時間前に感じていた事を的確に表現してくる。
「福地君が
「絶対後者だと思う。彼には好きな女性が居るもの」
「そう。ちなみに、福地君が好きな方は具体的にはどんな人?」
「自分より背が低くて、可愛くて美人だとしか言ってなかったよ」
エマは他の言葉を数秒待っていた。
だが、それ以上、あたしが何も言わないので「え、それだけ!?」と驚かれる。隣で大声をあげたせいで、危うくイルゼがビールを吹き出すところだった。
「情報が少な過ぎるでしょう。外見とか性格とか聞いたの?」
「え。何も……」
「っ~。冬休みに泊まりに行ってもいい?」
何かに苛立った様子で自身の白髪の一部を掴み、怒鳴るのを堪えているエマを前に狼狽えるしかない。
「あたしは構わないけど、どうしたの。急に」
「決まってるでしょう。福地君に会いに行って、意中の人が誰かを明確にするのよ!」
「……ウルマン。知りたか気持ちは解るばってん、詮索するのは止めてほしか。源君に嫌われとうなかけんさ」
彼女がそうする事で被害が自分にまで飛び火する事が容易に想像出来たため、努めて怒鳴らないよう、静かに怒って方言が出てしまった。それが功を奏したのか、普段とは違うと感じ取って閉口してくれる。
「ご、……ごめんなさい。
「うん。許す」
「遅れてごめーん。……? エマ、
「そうよ。アマンダ、良いところに来たわね。駆け付け一杯ついでに、私の話聞いて!」
帰宅した飼い主に悲しみを爆発させるように、犬かと見間違う程キャンキャンと
聞き終えた彼女が目を輝かせてあたしを見遣り、エビスビールが入った
『
酔った友人達の音頭に、今日ばかりは個室でない事を大いに恥じた。