文化祭は初めてでは無いが大学では最初なので、秋月から提示された予備役の訓練日と被っていないか肝を冷やしていた。幸い、そうなる事なく先週訓練を終えたらしいが、身に覚えの無い筋肉痛と風邪が治りかけで内心悲鳴を上げている。
準備も目一杯手伝い、遂に迎えた倉凌祭が始まって数時間後。
最初に行われた祭典で舞人を一学年先輩の方とやり遂げ、保護者である富山さんと
だが、ルーシーと共に雅楽部の演奏を聞いた後、彼女の御手洗休憩を挟んだ三十分後に賑やかな空気を打ち砕く出来事があった。
「久し振りですね。
「っ、
赤いパーカーを着た中肉中背、短髪の男だ。寝不足なのか隈が出来ている。
見覚えの無い相手故に反射的にルーシーを背中に隠し、見知らぬ男性から声をかけられた事態に即応して相手に集中しつつ、周囲への状況も把握していく。
「昨年の夏にお見合いでお会いしたのに、忘れてしまうだなんて酷いですね」
「申し訳ございません。ですが、仮交際に至っていないのに名前で呼ぶのは無遠慮ではありませんか?」
「これは失礼致しました。秋月さん」
男の視線は、幼馴染達のように爽やかなものとは到底言えず、背中や首辺りに悪寒を感じるような
「そちらの子供は、異人とお見受けします。秋月さんが世話をしてらっしゃるのですか?」
「貴方様には無関係です。挨拶代わりの握手も無しとは、余程ポケットに入れている物が大事と見える」
「……ええ、大事です。秋月さんを手に入れられるのでね!」
「っ!!」
男がサバイバルナイフを逆手に構え、胸を目掛けて一閃。
それを避けて大振りで来たため、相手の右手首を掴み、外側に円を描きつつ
「そこまでだよ。
近江守が男の手首を踏み、片手で右前腕を掴まれて我に返った。
「……。っ!!」
「! よくも
視線を近江守にやった一瞬の隙に、空いていた左前腕部を鋭い痛みが走ったと同時に、左後方から女性達の金切り声が聴覚を一時的に支配する。
──スペツナズナイフです。
状況を音声のみで観察していた秋月が光の柱の外から声をかけ、敵の武器を瞬時に特定した。
左手から発射されたそれを持って薄笑いを浮かべていた男は、
服の特徴から通行人を口頭で指名していき、各自救急車と市警に連絡するよう指示を出す。特殊な事情でも無い限り、通信端末を所持している筈だ。
男の手元を見ると、柄があるだけで刃が無い得物が地面に転がっていた。
殴られて頬骨が折れたのか、元お見合い相手は上手く発音出来ないようだ。左腕は肩の関節の可動域を超えて容赦無く折られ、バキッと音がしたが無視する。普段の穏やかな雰囲気と優雅さとは余りにもかけ離れた所業に、同じ粟田口派なのかと苦笑してしまった。
悲鳴が上がった左後方では、御手洗に並んでいた女性が二人倒れている。それぞれ右脇腹と右腕から出血
「
「あたしは大丈夫だ、モンゴメリ。
「っ!!」
襲撃犯が居る手前、防犯の観点からルーシーの名を呼べず、今日の為にお洒落して編み込み団子にした赤毛をそっと撫でて抱き寄せ、気持ちを落ち着かせるのが精一杯だ。
救急車にルーシーと乗車して最寄りの市立伊勢総合病院に運ばれ、緊急手術となり全身麻酔をかけられてから縫合手術をした。一四時過ぎに病棟へ移り、酸素マスクを装着し利き腕を点滴に繋がれた
「側に居てくれて、ありがとう。ルーシー、銀、紅葉」
「っ……! 私、何も出来なかったのに……?」
「君が居なきゃ……、こうして先生の言葉を、あたしに伝えられなかったでしょう? ……後は、大学の友達に、お任せするよ」
「……解ったわ。明日、お見舞いに来ます」
「うん……」
把握した限り、二人部屋で窓際の寝台に自分が横になって、ルーシーの後ろに銀と紅葉が座している。
未だ頭がぼんやりする中で
一つはお父様で、二十年振りに再会する筈が術後で全身麻酔で眠っており、起こすのが忍びなかったらしい。
メモというには長い文面が眼前にある。
前に会った時は軍人の人格──秋月さんだったから、やっと起きたと実感したよ。お帰り、
最後に
右肩に居たお母様──
何処とは公表されていないけれど、もし、
昔のように好きな事をやって、伸び伸びと育っておくれ。一番に応援しているし、料亭の休みが取れたら二ヵ月後のライブツアーに行くよ。
父の応援に昔から励まされていた。話に傾聴し、肯定し、時に訂正しては褒めて下さった。
末尾には携帯番号を記されており、すれ違いで特殊事案部の田中さんと、南天様からお目付け役を命じられた
二つ目のメモ用紙の字は四角く、読み易い美文字だった。内容からして、田中さんだろう。
勤め人用の鞄に忍ばせていたこんのすけにあたしの身体をスキャンさせてみたところ、肉体的にも霊的にも傷付いており、今宵と明日月が出ているものの病院という場所が悪いとのこと。そこで、鴉天狗の
三つ目のメモ用紙は筆ペンで書いたのか達筆で、何やら円状の物が入っている紙袋もあり、鴉天狗の
肉体的な損傷は縫合手術で一見成功したかに見えるが、人体実験の影響で人外となり、人間のどの血液型にも当て
こうして急かされているのは、病院という場所に加え、翌日にハロウィンが開催され、先祖の霊と共に悪霊が現世へ来るからだ。
これは流石に
尿道カテーテルは翌日の昼に解禁されて久し振りの開放感を満喫し、高揚した気分の
全身麻酔手術での喉の腫れは数日で徐々に治っていくと担当医に言われ、ルーシーが教えてくれた通り六日後に退院した。
女子寮に戻れば寮母に泣かれ、放課後に同級生に再会すれば心配され、「もう大丈夫だ」と言えば「無理は禁物だからね」と返される。引き
そして、来月頭──十一月一日には授業に参加すると教授に電話口で伝え、左腕を犠牲にする事で元お見合い相手を社会的に抹殺出来た事を独り喜び、その記念に不思議の国のアイスで
一口
*
入院中に談話室で事情聴取に三時間、十一月初日に現場検証で数時間かかったが、それで気分が落ち込む事は無い。
先月の特殊事案部と妖怪の頼みで二ヵ月間、時の政府管轄の養成学校と担当本丸を行き来し、軍人の人格の秋月経由ではなく、初めて自分の目と耳で部下と接する事が出来る嬉しさと楽しさが
自分が住んでいる世界から見て二二五年先の未来に到着し、本丸の季節は二ヵ月ズレていて、今は九月だ。
薄着でも寒暖差で纏わりつく汗やら嫌な湿気には目を
ただ、翌朝になって友達の中でも親交が深いエマとイルゼ、アマンダの三人は、特に勘が鋭いのか、
「何かとずっと一緒に居た?」
「欠けていた力が満たされて修復してるよね?」
「そのブレスレットに、ヒトじゃない力が働いてるわ」
通学路を歩きながら真剣な顔で尋ねられたので、人外方面で眼が
「あー……。専門機関に行って治して頂いて、この組紐は、知り合いの鴉天狗から御守りで頂戴したんだ」
と時の政府の軍事機密等、極力詳細は伏せつつ話せる範囲で明かす事になる。
二ヵ月振りの自室の布団は干しっ放しだったものの、同室の子──内藤さんが取り込んでくれたらしく、お礼も兼ねて今度横浜土産を贈ると約束を取り付けて就寝した。夜という事も
左腕を負傷してからというもの、中也達小学生は何も出来なかった事が悔しくて涙を流し、紅葉達元裏社会の人間や元兵士の
手持ち無沙汰で暇なので、最年少の銀に「何をすれば
「
「
「
「はい、スタート!」
撮影で使われるカチンコの代わりにルーシーが柏手を打ち、快音と共に早速演技をせねばならなくなった。
「ママは普段から働き過ぎなの。怪我をしたのは嫌だけれど、ちゃんとおやすみしなきゃダメよ。パパもそう思うわよね?」
「ん? 嗚呼。そうだな」
「
「そうね。忙しかった事だし、庭を散歩したい気分だわ。旦那様、お時間は大丈夫かしら」
「大丈夫だ。幾らでも付き合おう」
そこで
「……どうしてこうなった?」
「役とはいえ、子供達にそう思われるくらい慕われている証拠でしょう? 善かったね、源君」
笑顔で幼馴染を褒めながらも、本心は彼の言葉と同じである。
しかし、彼が
「母親役に選ばれたのはあたしも驚いたけれど、君のお陰で自信があるよ。……ところで、さっきルーシーの言葉に詰まった理由、聞いても
「……」
「……。
理由を伝えようとした彼の言葉を待ちはしたが、自分の意見を告げて、閉口した相手を真っ直ぐ見据える。京藤色の瞳は自分の姿を捉えても、眉尻は下がって口は一文字に結ばれ、再び足元に視線を下げて溜息をつかれた。
「……君が原因なのは間違いないが、消極的な理由ではない。親というものをどう演じたら
「子供達相手なら、普段接している状態で構わないのでは? あたしのどの部分が引っ掛かるかは
消極的な理由ではないと返答を貰ったものの、明確な答えは避けていた。
「君の思う
「……。ひとつ、確認しても
「どうぞ」
「
「? 驚くとは思うけれど、君に触れられるのは
「前向きな姿勢は評価するが、俺以外の男が触れられたら
「反射的に拳や肘鉄が出る可能性が高いかな」
「相手の俳優が気の毒だな」
そこで、くつくつと喉を鳴らし、肩を揺らして
「その時は、君に上書きして貰うさ。あ。源君が
「俺も
「うん。ありがとう」
会話を重ねて何処まで合意出来るか摺り合わせ、丁度善い着地点を見付けて結論が出たところで、すうっと腰掛けていた大きな石から立ち上がり、自分から手を差し伸べた。
「では、子供達が作り出す戦場に向かおうか。源君さえ善ければ、この手を取ってくれる?」
「……嗚呼。勿論だ」
最近は、自分から行動出来ている。
先月は彼の好きな物と生誕日の詳細を聞き出し、今月は手を差し伸べられた。
完全な手探り状態で友情か恋愛感情かは不明だが、少なくとも好意は示されている。赤煉瓦倉庫の帰りに寄った山下公園での出来事とは全く違う状況でも、手を繋ぐという点では同じだ。
彼の言葉通り、差し出した掌に自ら伸ばした大きな手が乗り、そろりと優しく握り返す。
単純に力加減が解らないのだ。
それは子供達と繋ぐ時も同様で、彼らはぎゅっと握ってくれるのに、
物思いから現実に引き戻したのは、彼から握り返してくれた力強さだった。
「善し。行くか、
「応!」
完全に場の空気と勢いで庭門を手を繋いだ
──おい、
──
──
光の柱の外で観察している宿り木先生と
この二人を組ませたら駄目だ。恐らく、俗に言う『混ぜるな危険』という奴かもしれない。
それに追い打ちをかけるが如く、ロマンティックな事が大好きなルーシーが「ママの唇にはしないの?」と爆弾発言をかましたが、源君は「
この間に芥川兄妹は朗らかに微笑んでおり、中也と紅葉は珍しく意地の悪いにやけ顔を隠さず、同居人の男性二人は「夫婦仲が
助けて、
此処には居ない陸軍幼年学校に通う幼子に助けを求めても当然返事は無く、脳内で悔し涙を流した。