大学の冬休み初日。
昨日のうちに自宅に帰省し、早朝の走り込み後にシャワーを済ませ、身を清めてから私服に着替え、人生の課題を終えて息をゆっくりと吐いた。
先週、お父様から届いた見合い写真が収められている三冊の冊子から、相手を決めたこと。二ヵ月前の倉陵祭で騒ぎを起こした元お見合い相手──若尾
「これで一段落付いた……」
お相手を選んだものの、胸中には未だ
誰も居ない台所で悩み、ふと男友達の一人──源君の顔が思い浮んで腑に落ちた。
彼への答えを出していないからだ。
先月から始まったおままごとで、設定上源君と夫婦と指定された時には
三ヶ月前にお勧めされた曲を聞いて片想いとして一旦整理はつけたものの、実際には未だ名前を付けただけで、本当に納得してはいない。
酔っ払いの介抱で上裸を見てしまったのも、ままごとで腰に腕を回されたり、頬や額、髪に接吻を落とされたのも全て不可抗力だ。彼に言った通り、触れられた時や接吻時に不快感は無く、くすぐったさにも似た未知の感覚に心拍数が上がったのは単純に慣れていないせいで、これは片想いでも恋でもない。
「……善し!」
自分の中で結論が出た事で清々しい気持ちになり、気合いを入れ、玄関に回って白い手袋を装着後、表門に日本国旗を掲げて細やかながら天皇誕生日を祝う。旗は晴天の下、パタパタと微風で揺れている。皇學館大學神道学科に通っている身なら、最低限これくらいはしておきたい。
気を取り直して朝食の準備に取り掛かり、走り込み後の空腹が急かしていくが今日から冬休みなので、子供達の起床は
一晩浸したフレンチトーストや付け合わせを全員で頂き、銀に「作り方を教えて下さい」とせがまれて、材料も含めて教えていった。
「お礼に、夕餉は本格的なビーフストロガノフにします」
「わァ、凄く楽しみ。一度食べてみたかったんだ」
二日後の
子供達のやりたい気持ちを無下せずに成るべく叶える事が、自分の子育ての仕方だ。
昼餉の前に自室で父に連絡を取り、自分の決意表明をする。
「──ええ。諏訪神党の
『……本当に
「はい。お家の為に、私が自分で決めた事ですから。……遅くなりましたが、お父様に白無垢姿を見せられそうです」
『……そうか。では、先方に伝えておくよ』
父は珍しく言い淀み、はっきりとしたものではなく、疑問を抱いたものの問い質さずに別れの挨拶をして通話を切った。
その後に腹ごなしにお出掛けをして、来月会える予定の
先頭を歩く男子達は、ショッピングモールのテスコに向けて線路の上にある橋を渡っている。
ルーシーと
「! 銀、あたしから離れるな」
「はいっ」
「
「ヒヒーン!」
異様な雰囲気を感じ、数歩先の少女達に即刻安否確認をする。
だが、その最中に遠くで馬が
*
視界が暗くなる寸前、ルーシーと
暗闇の中、発火の異能力『地獄変』で灯りを灯しているが、馬車に轢かれそうになる直前まで銀を抱き締めていたのに、温もりも気配も感じない。違和感が募り、真っ先に情報収集しようとする感情を、見知らぬ場所で動くなと理性が制止させる。
立ち尽くしている最中、ひょっこりと現れた青く発光する人型に「そ、そっちじゃないよ。……ああ、もう! こっち来て」と半ば呆れた口調で言われ、丈の短いダッフルコートの袖を遠慮気味に摘ままれて歩き続け、案内されるが
「ぼ、僕が案内出来るのはここまで。これから先、どう決めるかは君次第だから。精々あっちの世界の謎と周りの人間に振り回される事ですな。フヒッ」
最後に何故か煽られたが、
現在認識出来る事は、背中にスリングバッグ、腰に予備弾倉を含めた拳銃とコンバットナイフがあって胸を張る姿勢になっており、後頭部や両腕と両脚の裏は前述の素材が当たっている。呼吸で返ってくる空気の流れから、どうやら人一人分の空間に居て、狭い空間だと推測する。だが、銀が自分の側から居なくなっているのは一大事だ。
その折り、守護神である南天様の声が頭の中に響く。
──おや。元の世界から気配が消えたと思えば、
守護神の口振りから彼女が知っている世界だと仮定し、一度瞼を閉じて精神世界に集中する。
光の柱の外。
別人格達の部屋がある建物より奥に意識をやると、神社同様に本殿がある。
姿は見えないが相も変わらず気配はあるので、問いかけてみた。
(
(
(はい。……扉を開ける前に、一つお尋ねしても宜しいでしょうか?)
(
(銀とルーシー、
(
(了解しました。教えて頂き、心より感謝申し上げます。では、行って参ります)
(うむ。達者でな)
ゆるりと瞼を開け、突き指が怖いので恐る恐る手を伸ばし、背後と同じ感触の蓋らしき物を内側からぐっと力を込めて押しやる。最後の一押しで勢い良く突き出せば重い音と共に開き、数秒後に硬い地面と接触して鈍い音が聴覚を刺激し、籠ったような生温い空気に不快感が募る。
頭上にある照明でぼんやりと照らされた部屋らしき場所は異国の造りで、広大。数
守護神から銀達の居場所が判明した為、心置きなく前へ進める。
左右を確認すれば上下に浮遊する棺桶があり、縁起が悪いと感じるだけに留め、数歩先の楕円形の大きな鏡、さらに右奥にある大きな両開きの扉を視認。その方向に足を向けて歩き出した矢先に、自分が開けた扉──棺桶の蓋が爪先に当たって軽く蹴飛ばし、たたらを踏んでしまう。
この薄暗い中で隙をついての攻撃があると念頭に入れ、速攻で体勢を整えて動いたが、自分の足音の余韻があるだけで静かだ。そのまま、両開きの扉前まで走り、外の気配を探る。広範囲を探知出来る異能力『
一呼吸して気合を入れ、行儀も作法も捨てて重厚感のある扉を蹴破って、僅かに開いた隙間に身体を滑らせて外に出る。
部屋と同様の石造りの廊下だと認識した瞬間、人成らざる何かから視線と元の世界とは比べ物にならない程の怖気を感じ、
息を吐き出す事も儘ならず、この建物の立地
「……負けるものか」
あたしの心は未だ折れていない。大丈夫だ。
そう自分に言い聞かせ、護身用としてスリングバッグに入れている愛染国俊の重みを感じて、息を吐き出す。
鏡がある部屋を背に右に曲がって、道なりに進めば廊下の突き当たりにぶつかり、下の階に続く階段に遭遇した。上階へは続いていないので、現在地が最上階になるのだろう。
階段や橋、辻や坂の類は幼少期から妙に苦手としていても、緊急事態
位置関係を脳内で描いた地図で大まかに覚え、もう一階分の階段を降りて外に出ると、建物の正面玄関に値すると思われる階段の奥に、一対の烏の像が向かい合わせで鎮座している。そこを駆け降り、坂を下りて石畳の道を行けば、複数の石像の手前──曲がり角の右側にデンマーク王立図書館を思わせる大きな建物が在り、情報収集の為に入館しようと玄関の取っ手に手を添えた。だが、玄関に掛けられた鎖と掌二つ分の大きさの看板は『Closed』と書かれている。
溜息をつきたい気持ちを抑えて踵を返し、足早に石像の間を通り抜け、左側の細道に入った。
暫く行くと四又に分かれており、手前の道を曲がった先はドーム型の建物で、中には七つの楕円形の鏡があり、
手掛かりになる情報や時間を何ひとつ得られない儘、細道から先程の石像が並ぶ道へ戻った。
「そこで何をしている」
「っ!!」
ここが異界で無ければ、色気もへったくれも無い悲鳴が出ただろう。
声がした方向に瞬時に身体
「……人間、じゃない?」
「ああ、僕は妖精族だからな。それで、ここで銃を構えて何をしている?」
「探索を。少なくとも、あたしにとっては異界ですので」
「異界? お前は何処から来た?」
「地球という惑星にある、日本という島国です」
「チキュー。ニホン。……僕は、どれも聞いた事が無いな」
「そうですか」
「どうやって学園内に入った?」
「気付いたら棺桶の中に入っておりました。どのような儀式があるのですか?」
「棺桶……。ならば、入学式だろう。ここは学校だからな」
「そのようですね」
「僕は、お前に敵意は無い。警戒を解き、銃を下ろせ」
「了解しました」
一発も撃っていない拳銃を腰の
「今は何月ですか?」
「九月だな」
「現在の時刻は?」
「僕が寮を出たのは、二〇時頃だった。今日が入学式なら、三時間後にあるな。お前と会ったお陰で、大事な式典に遅れずに済みそうだ。礼を言う」
「いえ。見知らぬ土地で不慣れな上に、一般人に銃口を向けた事、深くお詫び申し上げます」
「……一般人、か。……良い。その警戒心を忘れずに過ごせ」
「はい。
「僕は……。いや、よそう。名を聞けば後悔するからな」
「ならば、初対面ではありますが、愛称を付けても宜しいですか?」
「! ああ。構わない」
「では、お言葉に甘えて名をお付け致します。……つかぬ事をお聞きしますが、長子でいらっしゃいますか?」
「そうだ」
「
「ふ。ふふ、ははは! この僕をツノ太郎とは。恐れを知らないな。……では、入学式で会おう。シラフジよ」
「はい」
瞬間移動の如く眼前で姿が消え、何らかの力の余波なのか、緑色の光を残して去っていった。
元の世界では御伽噺でしか存在しない妖精に会った事で、異界に来た事実を突き付けられ、石像のひとつを背にズルズルと地面に座り込む。そこで自分の鞄が幾らか軽い事に気付き、直ぐに所持品を確認する。
主人格であるあたしと別人格達で分けている長財布が二つ。二つ折りの携帯電話と交通系ICカードが無くなっている。落とした記憶は無い。
中に入っているのは、携帯用ちり紙とフェイスタオル。女性用品が入った巾着袋と、守り刀の愛染国俊。加澄から二ヵ月前に生誕日
自分を示す身分証明書の類は、首から提げた
入学式の会場となる建物の最上階に向かうため、ゆるりと緩慢な動きで立ち上がり、のろのろと玄関に繋がる階段を登り切って、二階から三階へ続く階段に足を掛けた時、バタバタと前から仮面舞踏会にでも出るような怪しい男が降りてきた。
「ああ、やっと見つけましたよ。君が今年の新入生ですね? 駄目じゃありませんか、勝手にゲートから出るなんて! もう入学式は始まっていますよ!」
「ゲート? あの一対の烏の奥にある門の事ですか?」
「棺桶の蓋の事です。……おや? 貴方、式典服はどうしたんです? ちょっとこちらへ来て頂けませんか?」
「? はい」
三階に上がり、二階と四階同様、石畳の廊下には菱形模様の長い絨毯が敷かれており、天井から等間隔で緑色の炎で灯された洒落た
髪色も含めて一部を除き、黒で統一されている。
拳大の鏡の装飾がされたシルクハットに暗い色の口紅、白のドレスシャツからのぞく
「……え。貴女、女性だったんですか?」
「そうですが、何か問題でも?」
この妖精族の一人は、余程蜂の巣になりたいらしい。
内心怒り、仕舞ったばかりの拳銃を取り出そうかと思ったが、行動に移していないので
「い、いや~、高身長で声も低いので男性かと思った次第でして。しかし、困りましたね。ここ、男子校なんですよ。一体、どこから来たんです?」
「大きな鏡のある部屋で、棺桶の中に入っていました。そして、
失礼な輩は先手を打って、戦意喪失させるに限る。
発火の異能力『地獄変』を掌で発動させつつ営業用の笑顔を浮かべ、それを崩さずに口頭で迫れば、烏の雄は口を一文字に結び、視線を左右に泳がせて言葉を選んだ。
「双方共辞退させて頂きます。それと、見た目が男性になる魔道具がありますので、これを着けて下さい。お礼なんて良いんですよ。私、優しいので!」
「あら、そうですか。自分で優しいと称するなど、実際優しくないと言っているのと同義です。
「そう仰らずに。狼の群れに羊を投げ込むような酷い真似はしたくありませんので」
「お気遣い感謝申し上げます。私はか弱い性格ではありませんし、四年前まで現役の軍人でした。従軍経験もありますので、男社会にも慣れております。いざという時の為に武術も多少習っておりますので、心配ご無用です。烏の先生」
「先生には違いありませんが、私、学園長ですよ。入学案内も資料も届いていませんか?」
「ええ。式典服とやらも制服も、教材一式に至るまで一切届いておりません。この異界限定と思えば腑に落ちますが。……
「……え? いえいえ。レディに先を行かせるなんて出来ませんよ」
一人でブツブツ呟いていたが、小声でも数を数えていた事は耳に入っていたが、全て無視する。
この異界の常識は何一つ持ち合わせていないのだから、致し方あるまい。
烏の妖精と会話して判ったのは、翻訳の術が掛かっていることだ。
彼の口の動きと、自分が聞こえている日本語が一致していない。
感覚としては、洋画の吹き替え版だ。
最上階である四階の廊下を数歩進んだ時、先導する学園長の歩がぴたりと止まった。距離を空けて歩いていたため、彼の背中にぶつからずに済んだが、振り返った彼の頬には一筋の汗が流れている。
それを目の当たりにして、横顔が綺麗なんだよなァ。黙っていれば美丈夫なのに、喋るとボロが出る。残念なイケメンってこの事かと、冬休み前に大学の友達の一人であるエマから教えて貰った知識をぼんやりと思い出し、思考を明後日の方向に飛ばして眺めていた。
形の
「やっぱり先程の魔道具を着けてくれませんかねェ?」
「何故です?
「そうなんですけど。先生方に会わせるにしても、学園側としても女性が来るとは全く想定していなかったものでして……」
「そうですか。では、次回から
この世界へ来る直前に起きた出来事を淀みなく述べれば、だらだらと汗を流して上擦った声で「ええ、勿論ですとも! 私、優しいので!」と約束し、手掛かりとなる闇の鏡なる物が棺桶の部屋──鏡の間にあるらしい。入学式の会場でもある為、
生徒だけで総勢百人は超える視線と「何故、女が?」という囁き声、左側から教師陣の訝しげな表情と誰かの舌打ちを全て無視し、闇の鏡と呼ばれる楕円形の鏡の前に学園長と共に立つ。
「はい、皆さん静粛に! えー。今回、闇の鏡の手違いでこちらの女性が召喚されてしまいました。ですので、今から元の世界に帰します。ナイトレイヴンカレッジの威信にかけて必ず!」
「宜しくお願い致します。学園長」
頭を下げれば、そこかしこで驚嘆の声が上がる。
それに気を善くした彼は、くるりと身を翻して
宙に浮いている事を抜きにすれば、その鏡は長身の成人男性一人程の高さがある。ひとつ咳払いをして、緑色の炎と共に浮かんだ模様が描かれた仮面にこう告げる。
「さあ、闇の鏡よ! この者を在るべき場所へ導きたまえ!」
魔法少女の効果音と思うほど可愛い音を奏で、十秒弱黙して待ったが、闇の鏡の返答は短いものだった。
《……どこにも無い》
間の抜けた学園長の「え?」という言葉を聞き届けて、
あたしの見立てでは、この鏡は優に百年は経っている。日本の価値観ならば、付喪神が宿っている代物だ。
「闇の鏡さん。それは、この世界には無いという解釈で間違いありませんか?」
《そうだ》
「では、これで自分が異世界の人間であると立証された訳ですね」
《そうだ。だが、幸いな事に
「あら、そうなのですね。
鋭い視線の数々が学園長に一斉に集まり、慌てふためく烏を前に微笑みを絶やさずにいれば、彼は折れて「入学を許可し、その上で学園で保護します」と尻
闇の鏡によってサバナクローに割り振られ、女性という事もあり、寮長判断で物置と化している隣の副寮長室が割り当てられた。この寮は獣人属という種族が多く在籍し、ケモナー大歓喜間違いなしの場で、かく言うあたしも散々な一日の陰鬱とした感情を消し飛ばしてくれて、脳内で拳を天高く突き上げている。この世界の天国は
急ごしらえではあるが自分も掃除を手伝い、対価として、手伝ってくれた方々に後日和食を振る舞うと約束する。アレルギーの有無を確認し、「食材は?」と訊けば、「肉!!」と元気な声で返答が来たので快諾した。
着の身着のままという事で、取り敢えず制服一式は古着を用意して頂いて凌ごうと考えた。スリングバッグを机上に、愛染国俊を枕元に置き、