喉が乾いた。肌も乾燥している気がする。
それが、異世界生活二日目に
ゆっくりと
「おはよーございまーす」
「……おお、はよう」
「洗面所って
「こっ、ちです」
「んい」
廊下で擦れ違う
寮の食堂で朝餉を摂りつつ、新入生と寮長、洗面所で居合わせた者達以外の寮生は、異端である女性のあたしをチラチラと見ては、小声で何やら話していくが昨夜同様に全て無視する。
昨夜迷い込んだ七つの鏡は、
鏡を潜ると、昨夜の学園長が紙袋を片手に着替えるようあたしに告げ、
白衣は見なかった事にする。ゴーグルや手袋なぞ知らん。
爽やかな香りがする制服に着替えて、他の者達に遅れること、十分。
腰に
同じ腕章の者達を目撃して、自分も最後尾に並んだ。どうやらクラス分けらしい。
Shion Shirafuji
一年C組の欄で発見した。
一年生の教室は一階にあるようで、頭上にある看板を見上げながら歩を進めて、目的地に到着。そこを開けて踏み込む前に、男子生徒達の視線を一斉に浴びた。
瞬きひとつして一歩踏み入れ、空いている席に向かう途中、これから級友になる彼らに擦れ違い様に朝の挨拶をする。当初予定していた通りの場所に着席し、紙袋に入っていた万年筆を皆の真似をして左胸ポケットへ差し、年間予定と時間割、入学の際に必要な資料が入っていないか確認するも見当たらない。見つけ次第、学園長を縛り上げて天日干しする事を誓った。
ノートを一冊取り出して紙袋を邪魔にならぬよう足元に置き、最初の
「……おはよう。素敵な瞳の少年」
「おや、お褒めに預かり光栄です。初めまして。アズール・アーシェングロットと申します。以後、お見知り置きを。ところで、貴女が異世界から来たというのは本当ですか?」
「お初お目にかかる。シオン・
「それは大変ですね。宜しければ、お手伝い致しますよ」
「申し出はありがたいけれど、お気持ちだけ頂きます。
「貼り付けたと評されるとは悲しい事を仰る。大変傷付きました」
「そう。事実を言ったまでだよ」
同情をして貰おうと眉をハの字にして演技し始める彼を横目に無視して、制服を二着追加や
「……書き辛いのだけれど」
「ああ、申し訳ありません。見慣れない文字でしたので」
でしょうね、と内心呟き、十数分前のクラス分けの紙を見て判明した。
この世界の公用語は英語で、教室に入ってから観察したところ、全員同じ口の動きをしている訳ではないのに話が通じている。学園全体に翻訳魔法が掛かっているらしい。
「あたしの国の母国語だよ。元の世界で、ある大陸の西側に住む外国人達に言わせれば、極東に位置するらしい。調味料の醬油とか味噌とか、聞いたこと無い?」
「残念ながら、僕は無いですね。珊瑚の海出身なもので」
「海?」
「ええ。僕、人魚なんですよ」
「人魚? えっと……、殿方だからマーマンで合ってる?」
「合ってます。シラフジさんの世界にも、人魚が居るのですか?」
「いや。御伽噺の存在で、数十年前にその物語がアニメーションになっていたよ。元となる物語の題名は、確か人魚姫だ」
「こちらにもそのお話に出てくる人物が偉人になっているので、ご都合の良い時にご案内しますよ」
「うん。その時は宜しく。アーシェングロット」
その折り、昨夜の入学式で洒落たファーコートを羽織る先生が、「席に着け。
最初に群れを制御するのは大事な事だと、その教えに納得して話を聞いているうちに終わり、名指しで呼ばれて幼稚園児なら知っている基礎知識に関する冊子を手渡される。背後で
アルファベットのお陰で多少は読みは出来るが、綴りに問題がある。中学でも最初は高得点を取っていたが進級するにつれ、50点代になり母上に馬鹿呼ばわりされた苦い記憶に、無意識に眉間に皺が寄った。
それからアズールと行動を共にする事が自然と多くなるも、オタク特有の単語や早口を耳にすれば、自分もアニオタだと公言してオタ友を得、立ち姿が美しいと評されればお家が厳しかった事と芸能人だと話し、副寮長の名を紹介された。
さらに、薔薇の王国の女王の話が出れば
こうして一日でクラスでほぼ半数の友達を得て、放課後には、休日にクルーウェル先生同伴でデパートに必要物資を
*
「いっ……!!」
だが、学園の鏡の間にて、ごっ、と鈍い音を立てて、闇の鏡を見遣る。
不審に思ったのはクルーウェル先生も同様で、二枚目の
そこへ、烏の妖精であるクロウリー学園長が、かつん、かつんと杖をつきながら
「おや? どうされました。鏡の前で棒立ちして」
「学園長。シラフジの外出届を提出し、闇の鏡の使用許可を申請したはずですが、これはどういう事なのですか?」
「ああ、それですか。シラフジさん。貴女をこの学園から出る事は許可できません」
「は?」
「理由をお聞かせ願えますか?」
「良いでしょう」
こほん、と
「女性が
「……私のためではなく、貴方自身のためでしょう。クルーウェル先生、そのような一団の事は聞き及んでいますか?」
「小耳に挟んだ事はあるが、男子校で女性用品を買えと? サムが一時的に取り扱っていたから良かったようなものを、烏の一任で却下されるとはな。女性を大切にするものだと習ったはずだぞ」
「ええ。保護する事によって大切にしているでしょう。それで良いじゃありませんか」
「話にならんな」
担任が苛立ちを隠しもせずに舌打ちをし、腕を組み、杖を鞭に魔法で変化させて床を叩く。
どうやら、学園長を拘束する気のようだが、彼が翼で逃げるほうが先だろう。
「もう、
「解って頂けましたか。いやァ、良かっ──」
「実力行使に出ます」
「え?」
「来い! 愛染国俊! 亀甲貞宗! 二筋樋貞宗! 小烏丸!」
スリングバッグを開けて一振りの短刀を取り出した直後、名を呼ぶ事で影を経由して部下達を顕現させ、異世界での顕現と同時に大量の桜吹雪が突風と共に螺旋状に舞い上がり、暗い室内の鏡の間を淡い桜色に染めていく。
これには学園長も担任も口を開けて驚愕しつつ、優秀な事に防護魔法を自身にかけていたが、学園長のみ皿が床に叩き付けられて割れるような音を立てて破壊され、「キャー!!」と女性と思わせる甲高い悲鳴をあげた。
「勝手に
「この不届き者は、誘拐罪と監禁罪を犯したのか。お巡りさんが見逃すと思うなら
「同じ烏を関するモノでも、
「ご主人様!
全振り殺意が高く、気付いた時には武器と認識された魔法使いの杖を腕
私物の愛染以外、ここに顕現した
「亀甲、一等高い所に吊るせ。
「むぐー!!」
「クロウリー学園長、貴方は悪手を打ちましたね。
「ふぐっ!?」
「あたしは付喪神である彼
「了解」
「んっん!」
「
利き腕らしき右腕は出血したままで床に血溜まりを作り、鏡の間に入って来る微風によって辺りに鉄の臭いを漂わせている。
ヘッドバンキングの如く激しく頭部を上下させている様子を見て、次に真偽を確かめる為に付喪神達の瞳を捉え、真実だと判断して落ちている杖を拾うよう指示し、空欄がある書類に学園長の署名を左腕で書かせる。
「はい、ありがとうございます。……では、対価に轡を外し、傷を塞いであげましょう。戦場のやり方でね」
「Stay!! 治癒魔法で治せば良いだろう」
「試しにクルーウェル先生が掛けてみられますか?」
効果音と共に淡い光が学園の切断された右腕を包むが、それは弾けて霧散した。
「お解り頂けましたか?」
「……何が起こっている?」
「彼らが要らぬと判断した事に
「そうか。では、そのようにしてくれ」
「無論です」
さもありなんと言った態度で学園最高責任者を見捨て、即刻発火の異能力『地獄変』を発動し、皮膚や筋肉、血管や骨が徐々にじりじりと焼けていく激痛に身を
「来い、薬研藤四郎。後の処置を頼む」
「任せろ、大将。……さあ、治療の時間だ」
戦場帰りの薬研に任せ、担任と共に闇の鏡に向かって手を
デパートでラフな格好を含めた大量の服と野球帽、予備のスリングバッグと新しい
診断結果は、魔力持ちだが肌に触れる物は自然由来の方が荒れないらしい。
女性店員に勧められるがままにフェリシテ・コスメティックスを一式紹介され、クルーウェル先生はそれ
デパート周辺に通信機器を取り扱う店があったため、最新機種で頑丈な造りの
からんからんと鐘が鳴り、ローレンス
頑丈が売りの新しい腕時計に視線を移せば、もう昼餉の時間だった。
四人掛けのボックス席に着き、品書きを見る。
当然だが、アルファベットの羅列でひとつずつ解読するのに時間を要した。しかし、向かい側に座る彼は急かさず、
クラシックシーザーサラダとチキンベジタブルスープ、クラブケーキサンドウィッチとホイップクリームが乗ったクラシックキャロットケーキを頼み、彼はコブサラダと本日のスープ、ブロッコリーチキンペンネとフローズンヨーグルトを
「買い物に来る前の事は学園に帰ってから聞くとして、戸籍は月曜日の昼休みで良いか? 平日で休みが取れる時間がそこしか無い」
「はい、ありがとうございます」
「学費はどうする?」
「自力で稼ぎます」
「そうか。半年に一度だが、バイト先の伝手はあるのか?」
「無いですが、購買部で働きます。あと、自分の技術を活用して、学園と各寮を象徴するオリジナル曲を作れば、依頼として前金1200万マドルは余裕で稼げますね」
「……誰に出資して貰うつもりだ?」
「学園長です。生活費15万マドルは別途請求します。この五日間、探索と称して校内を調べましたが、使っていない建物が植物園付近にありますよね?」
「……ああ。少なくとも百年は経っているな」
「あら、そんなに。老朽化も激しいでしょうから、有効活用したいのです。一階を楽曲制作のプライベートスタジオ、三階を付喪神達の部屋にしたいと考えております。学園敷地内だのに、管理費は
彼は思い当たる節があるのか、眉間に皺を寄せて「あー……」と呟く。
「あの鴉が懐に入れていなければ良いが。改築工事の費用は誰に頼むつもりだ?」
「それも鴉の妖精さんに、びた
「ふむ……。それなら、俺ではなく、トレイン先生に頼んだほうが良いな。先に食べていて良いぞ」
「はい」
にやりと人の悪い笑みを浮かべた錬金術担当の教師は、トレンチコートから
その間に料理が運ばれて、一足先に一礼し手を合わせた。
「たなつもの
サラダとスープを半分ずつ、クラブケーキという日本の蟹クリームコロッケのような揚げ物を挟んだサンドウィッチをひとつ完食したところで、担任がボックス席に戻って来た。
話がついたのか
「……話を受けたが、今日は会社が休みでな。来週の水曜日に、賢者の島のカフェで取材に来るそうだ。取材期間は、シラフジが頼んだ通り一年間頼んである。その代わり、空間転移魔法の事故はすぐに解決せねばならん。よくある事だし、今回も魔法執行官が動くだろう」
「魔法、執行官……?」
「ああ、説明不足だったな。魔法を使う警察官の事だ。主に魔法犯罪を担当している」
「へェ、そうなのですね。……元の世界に居る男友達を思い出します」
「ほう。どんな役職なんだ?」
「
「それは心強い友人だな」
担任は終始聞き役や質問を投げかけ、少しでも元の世界の事を知ろうとして下さった。
それが嬉しくて、狭く深い友人関係や現在育てている訳ありの子供達、四年前に拾った元兵士のことなどを話した。それに応えるように、クルーウェル先生も学生時代の友人と今も交友があることや現在教育している問題児達のこと、このツイステッドワンダーランドでも四〇〇年前に戦争があったことなどを包み隠さず伝えて下さる。
食事にも会話にも満足して退店し、スキンケアのやり方とファッションの事など自分を頼るように言いつけられてから、街外れにある学園へ続く鏡を潜った。
*
入学してから一週間が経った日。
体育館の壇上にて学園長ではなく、代理のトレイン先生の姿に生徒達は驚いたものの、経緯は既に全校生徒に通達されているので、どよめきのみで収まった。
そうして始まった部活動紹介がなされる中、眼前の
「あ゛?」
演出の為に
この時点で軽音部に入部すると確定し、気分転換に馬術部に入ろうと決意した。
宮司を目指すなら、女性でも
そして、やってきた入部初日。
「……なんて言うた? 腹かかんけん、もう一回言うてみて」
入部早々、軽薄なダイヤモンド先輩と軽いノリのヴァンルージュ先輩を部室の床に正座の姿勢で座らせていた。
「演出のためだけにギターを壊した。そう目くじらを立てるでない」
「ほう? それを
『え?』
「軽音部としての活動は
『はい!!』
二人しか居ない部員に二時間半徹底的に教え、今月までに滞りなく演奏できる事を目標にして、来月は自分が元の世界で
それまでに楽譜を書き起こして、ドラム担当の
「では、お疲れ様でした」
『お疲れでしたー……』
飴と鞭を使い分けて解散し、明日の馬術部朝練の為に早めに
その後、就籍制度と養子縁組制度を活用し、クルーウェル先生の計らいでご両親とあたしが養子縁組を結び、デイヴィス・クルーウェルの姉としてこの世界に存在する事に満足して眠りに就いた。