一度で二歩は進めない   作:小沼高希

100 / 100
100 間隔の距離

「……あのね」

 

年明けの始業式、角野さんは僕の顔を見るなり深く息を吐いた。

 

「何かあった?」

 

「皮下出血ができてる。陽香さんから聞いてないの?」

 

そう言って、角野さんは僕の緩んだ襟の部分に手を伸ばしてとんとんと叩いた。

 

「……っ、というかなんで角野さんは」

 

「陽香さんからどうしたらいいかって一昨日聞かれた。吸ったらそうなるって知識、なかったみたいで」

 

「ああ……」

 

僕だってそんなに知ってるわけじゃない。というか角野さんが見てわかるぐらいにあるんだな。他の人にもバレていないか少し心配になる。

 

「まあ、数日で消えるし、注意して見ないとわからないと思うけど。あと陽香さんにはほどほどにするように言っておく」

 

こういう巻き込まれて面倒だっていう態度をあからさまに取る角野さんは、慣れてはきたけどやはり奇妙なところがある。一枚何かを挟んだような落ち着いて計算された対応も好きだけど、こういう感情的なのもまたいいところがある。

 

なんていうか、僕の趣味も変わった気がするな。このあたりは下手に考えると陽香の執着を強めることになりそうだけど。

 

「……ありがとうね」

 

「私の方も、面白いものを間近で見れて良い機会だと思っている。将来的に、そういう好意が私に向けられるかもしれないし」

 

「……向けてたんだけどね」

 

「それでも桂介くんは一線を越えなかった、でしょう?」

 

そう言われると自分の行動力のなさというか、陽香が動き出してくれなかったら僕は何もできなかったんじゃないかという気がしてくる。そして、それを否定できる要素が僕にはない。

 

だって、角野さんや陽香がいなかったら僕の高校生活は特に人との関わりのない退屈なものになっていたはずじゃないですか。インターネットの繋がりはあっただろうけど、あれはなんていうか質が違うし。

 

「……そうだね、越えられなかった」

 

「それが良いことだったのか、悪いことだったのかは私には言えないよ。その時に私がどう反応するかなんて私にだってわからないから」

 

「……何かをするのって、怖いからね」

 

「リスクとリターンを正確に判断するのはほぼ不可能だし、その上で決断することもまた大変だから。とはいえ、君は陽香さんと踏み出す決断を選んだし、私は結果じゃなくて選択自体を誇っていいと思うよ」

 

「たとえどんなにがんばったって、やる気が出ていたって、最終的に結果が出ないと意味がないのでは?」

 

「結果の定義が狭すぎかな。何かをしているところを誰かに見せるってだけでも十分結果にはなると思うよ」

 

「……試験とは違う、か」

 

冬休みに出ていた課題を思い出す。志望校を決めて過去問を解いてみようってやつ。結果は散々だった。何よりひどいのが、問題のそれなりの割合が解けるはずのものだったのに何もわからなかったってあたり。

 

「そう。試験ってある意味では不公平にならないように、紙に書かれたものだけを見るようにってしているから。人間関係を含むとどうしてもそうはならないし、長く知り合った人には縁が生まれる」

 

「いいことなのかな、それ」

 

「前の私だったら、いいことだと思うよって言っていたかもしれないね。今は知らないって笑い飛ばせるけど」

 

「笑えるんだ……」

 

「青春の悩みみたいなものを私は楽しみたいからさ、それを味わえる期間は短いし、悩みを生む人間関係を持てたのは幸運だったと思うよ」

 

「……ありがと」

 

「どういたしまして」

 

やっぱり角野さんって邪悪な人間だな。自分が楽しむためなら他人が不幸になっていることを飲み込めるというか。いや、別に不幸にしているわけでもないし、不幸になった僕や陽香にちゃんと手を貸してくれたからいいんだけど。

 

「……桂介、なに話してるの」

 

部活上がりらしい陽香が入ってきた。始業式の日にも走るんだ。冷たい時期に、少しだけ熱を隣から感じる。なんていうか、陽香が近くなった。

 

「ああ、一昨日ちょっとぶつけたって話」

 

そう言って僕は自分の首のところを触る。押してもあまり痛くはないのだが押さないほうがいいだろうな。あと普通は友達ならこれぐらいの距離感だろっていうやつがあると思うんですよ、パーソナルスペースだっけ。そういうやつ。

 

「……ごめん」

 

それが、少しだけ狭くなった。嫌じゃない。むしろ嬉しいんだけど、本当にそれでいいのかとは悩む。被害者意識みたいなものは残っているし、被害者なりの罪悪感みたいなものもある。それが不合理で、持つ必要がないってわかっていても、すんなり消えてくれるものじゃない。

 

じつはそれが被害者意識でも罪悪感でもなくて、もっとしっくり来る説明があるものかもしれない。それは、まだわからない。

 

「陽香さんも、怪我には気をつけてね。普通に今の時期寒いし、そういう時って身体が固くならない?」

 

「……そうかも、肌とか乾燥しやすいしね」

 

「桂介くんはなにかそういう対策ってしてる?」

 

角野さんに言われて、僕は首を振る。おしゃれとか身だしなみとかには配慮していない。その余裕も知識もない。いや、知識は少しだけやったか。前に美容院に行ったのは半年とか前じゃないか?あの頃はかなり陽香に怯えていた。今思うと変だったなとちゃんとわかる。

 

「角野さんは?」

 

「私は薬用クリーム塗ってる」

 

「どんなやつ?」

 

角野さんが素早くスマートフォンを取り出して検索しているのを陽香が隣から見る。あれ、なんか距離が近いな。でも仲良しの友達ってこのぐらいだっけ。わからない。

 

「あーこれ?あたし前に使ってたけどなんとなく合わない感じがして」

 

「陽香さんはどういうの使っているの?」

 

「えっとね」

 

僕もおそるおそる、後ろから覗き込む。大丈夫だよな。画面にあったのはドラッグストアかどこかで見た記憶があるけど具体的には何も知らないブランドのやつだった。

 

「これ、ちょっとべたっとしているけどしっかり伸ばすと大丈夫」

 

「今度試してみようかな、私は別に今のものに固執しているわけでもないし」

 

「いいんじゃない?肌質が変わることってあるからさ」

 

陽香と角野さんが仲良くなったのはいいことなのかもしれないが、これって原因が僕だよな。喜んでいいんだろうか。

 

「桂介のやつ買ってもいい?ほら、こういうのってあまりプレゼントとかにはしないけど桂介にならいいかなって」

 

「……普通のやつにしてよ?あと良くわからないから、知らなくちゃいけないことがあるなら教えて」

 

「わかった!」

 

そうやって元気に言う陽香は、僕が知っている陽香とはちょっとだけ違うけど、それでも陽香らしかった。




活動報告にあとがきというか今まで書いて思ったこととかをメモみたいにしておいたので気になった方はどうぞ。

https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=323249&uid=373609
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