「ごめんね、遅くに連絡することになって」
トークアプリ越しに聞こえる角野さんの声。今日は陽香さんと一緒にどこかで話していたらしい。一緒に教室を出る二人を見る時の気持ちは、まだうまく言葉にできていないから押し込むしかない。
「……大丈夫だよ、今の時間は特に何もしていなかったから」
「それならいいけど」
そう言ってから、ヘッドホン越しに角野さんが息を吸う音が聞こえた。
「陽香さんから色々と聞いたよ。これについては、君にできるだけ共有して欲しいと言われた。もちろん、君の思い出したくないことを掘り出してしまうことにも繋がるから、慎重に話すことにするけど」
「……わかった、辛かったらちゃんと言うから」
「そうして。私のあまり参考にならない判断だけど、桂介くんはこの手のことを忘れたり、自分で抱え込んだりする傾向がある。普通に生きていくだけならそれも選択肢としてあるんだけど、今回みたいな場合だとしっかりと認めて言葉にしないと、ずっと心のなかに残り続ける」
「そう、だね」
「それで、陽香さんの話だったね。前に陽香さんが恋人がいたことがある、って話をしたよね」
「……うん」
「あの時の話を詳しく聞いたんだけど、話していい?」
頷いてから、これが相手には見えていないんだなと気がつくまで五秒ぐらいかかった。
「……いいよ」
「わかった。中学二年生のころに、陽香さんが告白されて、恋人関係になったと言ったけど……その相手には、桂介くんに向けていたような恋愛感情を向けていなかったらしい」
「そうだったの?」
「彼氏のほうがその時中学三年生で、彼が高校に進んだ時に自然解消したらしい。どこかに出かけたりとか買い物したりはあったらしいけど、仲の良い知人以上にはなれなかった、って言っていたね」
「……友達扱いすらしてもらえなかったの?その人って」
「陽香さんの口ぶりからするとそうだね、下手すると私のほうが親密かもしれない」
そう言って角野さんは笑ったが、ちょっと下手な気がした。音声越しだとそのあたりがわかってしまうのだろうか。とはいえどこがわざとらしいかと言われるとわからないし、僕の勝手な思い込みと言われればそうかもしれない。
「……そっか」
「ところで、桂介くんが私を今好きなように、中学二年生の陽香さんを好きだった、って考えていいの?それとも、その二つの感情に違いはあった?」
「昔のことだから、よく思い出せないけど」
「わかった。無理はしないでいいし、過去を作るようなことはしたくない。ただ、違ったところがあると思っているなら、言ってほしいな」
違いだろうか。あれから三年経ったわけで、僕の知識も少しだけではあるけど成長したはずだ。年頃の恋人関係がどういうものになるかは嫌でも噂話で聞くことになるし、遠くからではあるがやったやらないといったことも聞く。何を、というのはたいていぼかされているけど、中学二年生の頃からそういうものは知っていたし、それに。
「……変わってないよ、あの時から、僕は、人を好きになる自分が好きじゃなかったし」
それを多少綺麗な言葉を使って述べると、劣情というものになる。卑劣の劣。劣っているともいう。いい表現だと思う。
「……具体的に、どういうところが好きじゃないのか、って言葉にできそう?」
「ええと」
話してしまえば今後そういう話題を共有できるだろう、と自分の中の劣情に近いあたりが声をかけてくる。陽香さんにされたことを説明するあたりで結局触れるんだからしっかり今のうちに話しておけ、と理性に近いようなところからも囁きがある。
うるさい。そういうところが嫌なんだよ。
「……これを言うと、角野さんを不用意に傷つけそうで」
「もし私が辛くなったら、こっちから言うから大丈夫だよ。それに、言葉はどこまでいっても言葉以上のものじゃない。私は言葉で人が傷つくのも知ってるけど、どうしても何かを伝える時に間違えた言葉が出ることも知ってるよ」
角野さんのこれは、きっとある程度本心で、必要であれば僕の言葉もただの言葉として捉えてくれるのだろう。それはきっと、陽香には望めないことだ。
陽香はもう少し直感的というか、気持ちをわかりあうみたいなことを大切にする人だ。僕だって完全に陽香のことがわかるわけじゃないし、陽香も僕についてわからないこともあるんだろうけど、それなりに一緒にいたから、なんとなくの範囲ではわかる。
逆に言えば、言葉にしなくても伝わってしまうものがあるのだ。角野さんはたぶんそういったものを読み取るのが苦手で、実際に目で観察したものを言葉にできない限り、理解できない。
「……それでも、ごめん。ちゃんと伝えられない」
「わかった。たとえば、私がどういう状態だったらそれを伝えてもいいと思う?」
何も察していないんだろうな、とその優しい声からわかる。いやいいんだよ、もし実際に言ってもこの口調は崩れないだろうって思うところが少しだけだけどある。僕がきちんと言えないのは、今まで告白してこなかったみたいに何かが崩れるのが怖いんだろうと言われればそうかもしれない。
「……これは、僕よりも陽香に聞いたほうがいいかもしれない」
「なるほど」
陽香なら、察してくれるかもしれない。なにせ、僕にそういうことをしてきた相手だ。その辛さはわかっているだろうし、うまく言葉にできない苦しみも叫んでいた。
「……ごめん、話を変えて」
「わかった。どこまで戻す?ゲームの話をするか、あるいは今度の期末試験の話でもいいけど」
「期末試験……?」
そう言いながら、僕はディスプレイの右下のカレンダーを見る。ええとそうか、もう二週間もしないで期末試験シーズンが始まって、それが終われば夏休みか。
「そうだよ、最近勉強が手についていなかったと思うけど、危ないところとかある?」
「何もかも、かな……」
今まで赤点は取ったことなかったが、さすがにこれだと危ない気がする。どこかできちんと勉強とかをしたい。
「さて、ここに昨年度最後の期末試験で学年上位一割に入った人がいます」
「……勉強教えてもらうことってできますか?」
「あくまで私の復習の一環として君に教える、って形になるけどそれでもよければ」
「それでもいい……っていうか、なんでそういう形に?」
「ええと……」
角野さんが少しだけ言葉に詰まった。こういうのって彼女にとってすらすら出てくるものじゃないんだな。
「あまり一方的なことはしたくないから。あくまでこれは、私の利益のためってことで」
「お願いします」
「よろしい」
僕の心に負担をかけないように、とかそういう配慮もあるのだろう。あくまで向こうが勝手にやっているだけというなら、僕は勝手に感謝するだけということにしよう。