夏休み最初の数日は寝ることで過ごした。本当に一日十二時間ぐらい寝ていた。なので起きて食べるのは余っていた朝ご飯である。
「いや、明らかに健康に悪いよな……」
そういう事をすると日中の活動時間が不足して一日を無駄にしてしまった気がするくせに、夜にはきちんと眠くなる。なぜ僕の身体はそんなに夜にだけ健康的なんだ。
睡眠と言えば、やっとベッドで寝られるようになった。ただし、方向はあれ以前と逆である。おかげで足元にスマホの充電器が来ることになった。
なんでそれでいいのかは、正直自分でもわからない。
── 桂介はさ、今日なにしたの?
そうして早めにベッドに行こうと思ったら、スマートフォンに通知が来ていた。陽香から。三人のいるグループで。
びっくりして、心臓が高鳴ったのがわかる。さっきまで軽かった胸が息をするたびに重くなっていく。
緊張に近いのだろう。試験前も似たようなことがあった。僕はあまりプレッシャーに強い方ではないし、そういうのからはできるだけ逃げていた。Wikiの編集者でさえ僕には大役すぎると思っているし、なんとかできているのは周りの人たちの支援あってこそだ。
アプリを開くまで、通知からそれなりに時間が経っていた。
── ゲームやって、あと課題の映像授業を少し
見栄を張った。
── ほんと?
── 嘘でした、映像授業はテキスト開いただけで動画は見てないです……
── 桂介、あたし相手に嘘はむずかしいと思うよ
それはわかるけど、文面だけでわかるとまでは予測できないよ。十年以上の付き合いは変わってない。というかこのやり取りは前にやった気がしなくもない。いつだろう。小学校とかのあたりかな。夏休みの宿題の一部を忘れたと言ったあたり。陽香が少しだけ手伝ってくれた。
あの時のことを覚えているのだろうか、と少し考える。
── それでさ、桂介って自分のことを嫌いになったことってある?
── 自分って、陽香のこと?僕のこと?
── 桂介のこと
陽香のメッセージと、角野と一対一でやりとりするメッセージが送られてきたのはほぼ同時だった。
── もし返信が辛くなったら休んでもいいし、私に言ってくれれば中断もできるから。それについては、陽香とも話をしている。
つまり全部角野さんの手の平の上か、と少しだけ安心するとともに苛ついてしまう。ちょっと待て。自分は何でこんなに気が立っているんだろう。
余計なことをしやがって、ではないな。少なくとも、それがきっと必要なのだろうということは理解できる。お膳立てされた関係の修復なんていうのはよくある話だし。
僕の心を都合よく弄んでいるから、とかそっち方面かな。でもなにかしっくり来ない。陽香との二人きりの時間を覗かれている、とかになるのだろうか?
そこまで考えて、悔しいけれどもなんか面白い気がする。僕ってそんなに陽香に対して思うところがあったんだな、という。
── あるよ、けっこう
── あたしもある、最近
少しだけ、意外だった。死にたくなるとまでは行かないけど消えてなくなりたいとか自分の行動が嫌だとかそう思っても何も変えられない自分が好きになれないとか、そういうものを持つ人と持たない人が世間にはいて、僕は持つけど陽香は持たない側だと勝手に思っていた。
でも考えてみれば、僕だってそういうことを思わない時期だってある。真剣に角野さんとゲームの話をしているときはあまり考えないし。
いや、気分が沈んだらどんなことでも辛くはなるんですよ。ステラ・コルセアだって角野さんがいなければ翻訳がされていないわけで。
── そうなんだ
── 桂介がそういうとき、どうしているか知りたくて
どうしているか、か。頼れる人として扱われているのか、自己嫌悪に慣れている人として見られているのか。
でもこれ、角野さんが裏にいるんだろうな、と考えてしまう。つまりそういうのが辛いって話を陽香が角野さんにしたら僕の方に回されたとかじゃないのか?面倒くさがった角野さんが想像できなくはないというのがまた微妙なラインだ。
確認する内容のメッセージを角野さんに送ろうとも少し思ったが思ったが、考えてみれば別にその必要もない気がする。だって別にもしそうだったとしても、僕と陽香が話す機会になったことは間違いないわけで。
── 他の別のことをしたり考えたりする。あとは、自分を褒めてくれた人の書いたものを見に行く。僕がやっているのは、けっこうそんな感じ。
Wikiの編集長をやっていると、褒めてもらえることがある。例えば提案を通したとか、他の言語版とのやりとりを手伝ったとか。僕はそこまで何かをしたつもりがなくても、感謝を返さないのは失礼だとは思う。
そういう言葉がWikiのDMとかにあって、それが社交辞令だとわかっていても読むと少しだけ自分が何かをやったんだという気分になることができる。これに慣れすぎるともっと感謝の言葉がほしいってなって、変な行動をしだしそうだからほどほどにしているけど。
── そうなんだ。自分が嫌になるのって、あまり感じたことないからわからなくて
── ないほうがいいと思うよ
── でも、なった時に辛いよ
そんな事言われてもせいぜい最近のことだろ、と思うが他人の心の痛みなんてわかるわけがない。僕にとっては些細とも思えるようなことで本気で怒って界隈を去った人だっていたし、逆に他の人から見ればちっぽけなことで僕が苦しんでいる、なんてこともあるのかもしれない。
── そうだね
だから、曖昧な同意しか返せなかった。これが一番安全だから。
── 今までさ、辛くて死にたくなるとか、あたしはわかんなかった。それが、今はちょっとだけだけど、わかる
希死念慮。僕にとっては最近は起こっていないけど知ってはいるものだし、それはなにか特殊な理由があって起こるものじゃないことも知っている。思春期にありがちなもの、とか言われてしまえばそうなのかもしれない。思春期真っ只中の僕が何を言うのかってことにも繋がるけど。
── 今、辛いの?
── うん。自分がやったことが、やっと、ほんの少しだけだけど、わかった
何もわかっていないくせに、僕がどれだけ辛いことになっているかもわからないくせに、とかいいたくなる自分がいるのは認める。それはたぶん、角野さんが言うには否定しちゃいけないものだ。でも、抱え続けても幸せにはなれないものってやつ。
── そうなんだ。僕も辛いから、どこまで話を聞けるかはわからないけど
── ううん、桂介もそういうことあるんだってだけで、少しだけ楽になれるから
勝手に楽になるなよ、という思いよりも、ちゃんと陽香が楽になるなら良かった、という感情のほうが上の方にでてきてくれて、僕は少しだけ安心した。