一度で二歩は進めない   作:小沼高希

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028 両面の感情

陽香は色々と僕に吐き出して、寝ることにしたようだ。いいと思う。

 

自分がしたことが桂介を傷つけていたってことに罪悪感を持っていたんだ、とやっと言語化できたからそれを言いたかったらしい。よく考えないと言っていることが複雑だよな。僕は陽香のことをわかっているから察しはつくけど。

 

つまり、最近まで陽香は自分がどうして調子が悪かったのかをちゃんと理解していなかったわけだ。僕は言葉にするのが苦手じゃないし、角野さんもいた。でも陽香にとって角野さんは色々と情報を共有しにくい相手だし、角野さんに吐き出すのも難しいだろう。

 

では他の友達に、ともいかないんだろうな。陽香はかなり誰とでも仲良くするタイプだ。なにせ角野さんにすら声を掛けるぐらいだし。僕ももしステラ・コルセアや陽香といった共通の話題がなかったら、声をかけていたか正直怪しい。異性とかそういうの抜きとして。

 

でも、それは裏返しとして親友みたいな人がいないってのと同じで。別に陽香と話している人を全員覚えているわけじゃないし、最近は目を逸らしてしまっていたけど、色々な人と広く、悪く言えば薄く付き合っている。

 

だから、相談できる友達がいないというのは仕方がないと思う。僕だって僕の方の友達に幼馴染にされたことを説明できるかというと難しい。だから、被害者である僕にそういう相談をしなくちゃいけないのもわかる。わかりはする。

 

ただ、僕の方も陽香から色々投げられて色々と胸の中に溜まっているものがある。それを吐き出せる相手は一人しかいないわけで。

 

陽香の吐き出した言葉からすると、今の落ち着いている僕以上に深刻なところがあるように思われる。少なくともすぐ飛び降りるとかそういうことはないだろうけど。

 

── 陽香の状態をどう思う?

 

角野さんにメッセージを送ると、すぐに既読がついた。

 

── 決していいものじゃないけど、深刻ではない。秘密を全部明らかにするリスクを背負って信頼できない専門家に投げるには、まだ早いかな。

 

そうだよな、と考える。

 

── ところで、角野さんにはそういう専門家に心当たりはあるの?

 

── ASDの診断下ってからしばらくお世話になった病院がある、そこは一応トラウマカウンセリングもやっているけどどこまでできるかは完全に未知数。秘密が守られるかも怪しいしね。

 

ASD。意味がわからなかったので検索してみる。自閉スペクトラム症。非言語的コミュニケーションに問題があったり、特定分野への強い興味関心、あるいはこだわりを持つような生まれつきの脳機能障害。

 

確かに、言われてみれば角野さんみたいな特徴だ。というかどこかで聞いたことがあるな。具体的にどこだったかは思い出せないけど。

 

── もし何かあったら、陽香をお願いできる?

 

── わかってる。必要な情報をだいたいまとめた文章は用意してあるし、私たちがしてきたことも整理してある。ただ、これは陽香さんには黙っておいて。

 

── わかった

 

なんていうか、角野さんは本当に何手か先まで読んでいるような人だ。

 

少し気になったので、開いたブラウザの記事を読み進めていく。専門性の高いサイトなので正直わからない部分もあるが、それでも雰囲気は伝わってくる。

 

── 角野さんって、ASDだったの?

 

── 今は診断降りるほど深刻じゃないよ、色々やったからね

 

色々、か。少し見た治療の説明を思い出す。根本的な治療はなし。専門家のアドバイス、周囲の環境、それに薬とか。

 

── 簡単に治るものじゃないと思うけど

 

── 頑張ったよ。本当に。

 

僕は別に陽香ほど言葉の裏を読むのが得意じゃないけれども、それが辛いものだったんだろうなと察することはできる。それは癖とか性格とかよりも強いものだろう。

 

── 具体的な方法って、聞いていい?

 

── 気になるの?

 

── もしかしたら、役に立つかもしれないから

 

── 確かにASDにもPTSDにも認知行動療法は使えるか。

 

── できれば略語なしでお願い、毎回検索するの大変で

 

── 自閉スペクトラム症と心的外傷後ストレス障害。私からすると、こちらのほうが面倒な気がするけれども?

 

── 僕はこっちの方がいい

 

── なるほどね。少し待って。

 

そう言われたので、僕はしばらく待つ。たぶん入力中なのだろう。

 

考えてみれば、僕や陽香の苦しみと似ているところがあるものをかつて角野さんは経験していたわけだ。もしかしたら、経験しているっていう進行形とか現在完了形かもしれない。ええと現在完了形ってあれだっけ、確か完了だけじゃなくて継続とかもあるよね、後なんだっけ、経験?

 

── 私が一番やったのは、カウンセラーのマネをすること。話し方とか、間合いとか。言葉づかいもそうだね。そういったものを何度も聞いて、模倣して、自分が使いこなせるようにする。最初はゆっくり喋ることに頭が全部取られてまともに話せなかったけど、慣れればなんとかなった。

 

── 慣れるのに、どれぐらいかかった?

 

── 中学校生活三年間、そのほぼ全て。

 

なるほど、それは大変だ。僕が苦しんできた期間の数十倍。

 

── 角野さんって、それだから話すのがとても上手なんだね。

 

── だれも褒めてくれはしなかったけどね。他の人は練習も何もなく、こういった落ち着いた話ができるんだと思うとなにもかも壊してしまいたくなるぐらい怒りたくなったこともあったし、こんな辛いことをしてまで社会の中で生きていく意味なんてあるんだろうかとまで思ったこともあった。

 

── ごめん、辛いことを話させて

 

── 今はもう、昔のことになっているつもりだよ。だから大丈夫。

 

陽香が見たら、これも嘘かどうかわかるのかな、と考えてしまう。でもあれって僕だからできた、みたいなところもあるかもしれない。自惚れるわけではないが、僕は陽香の身の回りにいる同年代の人の中で一番長く付き合ってきたという自信がある。僕たちの中学校からこの高校に進む人は少なかったし、同じクラスに行けた人は僕だけだ。

 

── 少し違うけど、さっきの話で陽香のことが嫌いになりそうだった

 

── なりそうだった、って具体的にはどういうことか、聞いてもいい?

 

はいかいいえで答えられる、間接的な質問。そういうのはありがたいけど、その裏に角野さんの配慮のための訓練があるんだと思うと少し変な気分になる。

 

── 加害者のくせに、楽になろうとするなって

 

── 公正世界信念かもね。前にも言ったけど、加害者だって罪をしっかりと背負うなら楽になったってもいい。被害者としての心情は理解するけど、怒りに飲まれないで欲しい。

 

なるほど、被害者になったのは悪いことをしたからだと思うのと同じように、悪いことをした人には苦しんで欲しいって思うのはありそうな話だ。自分の感情の源にそうやって名前をつけられるのはいい気はしないけど、それでもない状態でずっとぐるぐると回っているよりよっぽどマシだ。

 

── わかってる。わかっているから、ここでしか言わない

 

── いいよ、私は聞いてあげるから。幸い、明日は特に予定がないし。

 

── 僕もだよ、でも早く寝るよ

 

── それがいいね

 

そういう返事を見て、僕はさっきまで陽香に対して抱えていた言えない感情を少しずつスワイプで入力していった。

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