一度で二歩は進めない   作:小沼高希

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030 仮面の定着

陽香が聞いてきた化学の問題は、かなり難しいものだった。チャットボットに聞いた内容と手元の化学の教科書とインターネットで見つけたどこかの大学の資料を駆使してなんとかなりはしたけど。

 

── わかった、ありがとう

 

ただ、陽香にこう言ってもらえたあたり頑張った甲斐はあったと思う。別にそれをひけらかすつもりとかはないけどさ。僕がこういうのを角野さんや陽香に質問する時に、そういう態度を取られたことはないし。

 

── ところで桂介はさ、角野さんのことどう思う?

 

そうやって送られてきたメッセージを確認して、僕はグループ名の最後にあるかっこの中を見る。3ってことは、僕と陽香と角野さんも見ているわけか。というかさっきの僕の投稿に既読が二つついているよな。

 

── ここで話していいの?

 

── あたしはいいよ

 

つまり、見せること前提ってことか。いや別に構いはしないよ。陽香だって角野さんに思うところがあるのは認める。純粋な味方じゃないだろうしね。

 

角野さんは中立寄りだが、陽香が加害者であるという立場は崩してはいないだろう。それはそれ、これはこれといった形だ。

 

── あたしは、角野さんのことをどうしても信じられないところがあるの

 

陽香が言う。

 

── 桂介と似ているって思ってたんだけど、そうじゃない気がしてきた。隠してることがあるんだろうけど、それがなんていうか一緒になってるっていうか

 

── どういうこと?

 

── あたしもよくわかんない、それになんとなくだし

 

陽香の勘が微妙ってことか。でも、言いたいことはわかるような気がする。

 

角野さんは落ち着いた人だが、それはある種の仮面だ。でも、その仮面を何年も書けてなじませてきた。ある意味では、ずっと嘘をついているわけだ。

 

見たところ、角野さんが書き込んでくる気配はない。なら、続けてしまおうか。

 

── 陽香がそう思ったきっかけってある?

 

角野さんが誰かのまねをしたように、僕も角野さんのまねをさせてもらおう。

 

── どうしてかって説明するのが難しいのはわかる

 

── でも説明しないと伝わらない、でしょ。角野さんから聞いた

 

角野さんも言っていたのか。僕にはあまりそういうこと言わないあたり、言わなくてもわかっているってことなんだろうか。たしかに僕は色々と考えるし、色々と考えてしまった上で行動しないなんてこともある。

 

なんとなくの偏見だけど、陽香はこの点だと僕の逆だ。行動しながら色々失敗を修正していく。最初に失敗したとしても、大抵のことは何回かやればなんとかなるから。

 

── ええと、桂介は角野さんのこと、好きなんだよね

 

たっぷり時間がかかって、陽香はメッセージを送ってきた。それが軽くないってことは、僕には察しがつく。角野さんにはどうなのだろう。

 

── そうだけど、ここってきちんと陽香に話したっけ

 

── 聞けてない

 

── 僕もうまく言えないけど、なんていうか、たぶん陽香の思っている好きっていうのとは違う気がする

 

── そうなの?

 

── 陽香ってさ、人をあまり好きになったことがないって言ってたよね

 

── うん

 

── だからその一回に全部を賭けたようなことをしたのかもって、思うところが僕にはある

 

これを打つために、僕はかなりの時間を使った。それだけ、陽香のことを認めるのが辛かった。

 

いや、そういうのを切り分けられたらいいなって僕も思いますよ。角野さんはたぶんできるのだろう。でも、僕はそうじゃない。

 

幼馴染の陽香も、僕をあの時ベッドに抑えつけた陽香も、何もわからなくて叫んでいた陽香も、クラスで見た元気そうに振る舞っているけど辛いものを隠しているみたいな陽香も、喫茶店で話した時の陽香も、いまきっとスマートフォンを両手で持っているだろう陽香も、僕にとっては同じなわけで。

 

角野さんは、きっとそうじゃない。加害者としての側面と、今苦しんでいる人という側面をわけて考えられる。それは第三者だからっていうのもあるだろうけど、そもそも考え方みたいなものからして違うのかもしれない。

 

── それと、僕も角野さんのことを、完全には信頼してないよ

 

── 信頼していない、って言い方が正しいかはわからないけど

 

何を言いたいのかわからなくなってきて、打った文字を消してまた書こうとして指が止まって、となる。落ち着け。陽香に比べて、僕はこういうのは得意なはずだろ。それぐらいしか勝てる点もないんだし。

 

雑になんとなくでも陽香はわかったような顔をするだろうけど、これは角野さんも見ているんだ。もし陽香が角野さんのことを信頼できなくて、その原因が角野さんが何かを気がついていないこととかにあるなら、それがわかるようにしないと。

 

陽香は返信を送ってこない。急いで送ってしまおう。方向が決まったら、指は少し軽くなった。

 

── 角野さんは、どうしても当事者じゃない。支えてくれているのはわかる。頑張ってくれているのも知っている。でも、どうしても僕でも陽香でもないから、もし言っていないことがあれば伝わってないし、言ったことでも同じように理解しているかはわからない

 

そりゃ、僕だって考えてみれば角野さんのことをどう思っているかを本人には言っていませんよ。それはもちろん傷つけたくないとかそういう配慮でもあるし、あるいはそういうったものを話せる関係になってしまったらそれに甘えて溺れるようになってしまうかもしれないみたいなものもあるけど。

 

── それかもしれない。角野さんは、あたしたちの言葉を、なんていうか見ているだけのところがあるの。聞いているだけとか、そういうので、それに反応がない

 

── 反応?

 

── 桂介がボケたときにあたしはツッコんで、ってあるでしょ、そういうのが角野さんにはない

 

── なるほど

 

いや、別にないわけではないと思うが、と考えてたぶんそれは陽香と共通のネタがないからじゃないかな、と思い至る。

 

僕と角野さんは共通の話が色々とある。比較的インターネットの色々なところを潜ってきている分汚れているというか。でも、陽香はそうじゃない。もっと綺麗だ。

 

そういう人と話す時に、使えるものは限られる。だから陽香は角野さんの振る舞いが読めないんじゃないか、なんてことを考えた。

 

── やっぱり角野さんにあたしの好きな漫才のチャンネル教えたほうがいいかな

 

── 違うと思うよ

 

これはたぶん正しいツッコミだよな。もしこれで角野さんから視聴したよって後で送られてきたらどうしよう。

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